MCU世界で『ただいま』を言えない怪物 作:お砂糖さらさら
第1話【極秘記録】二十歳の人外個体に関する再招集プロトコル
ニューヨーク、ハドソン川沿い。
身体から体温を奪う肌寒い風を無視していつものフューリーとの会談の場に向かう。
一般の立ち入りが完全に封鎖された廃倉庫の周囲には、音もなくホバリングするS.H.I.E.L.D.のステルス機の不気味な気配が重く停滞している。
カチャ、と重い鉄の扉を開けると、薄暗い照明の下で、仕立ての良い漆黒のロングコートを纏った男――ニック・フューリーが、一つだけ残した目をギラつかせて待っていた。
「エリン・マクカシー」
フューリーの声は、雨音に混じって低く、威圧的に響いた。
「仕事の時間だ。約束通り、お前の母親の身柄は、有事の際の極秘地下シェルターへ完全隔離・永久保護のプロトコルを発動した。
契約通りお前は、あらゆる手段を使ってでも世界を救ってもらう」
「また世界の危機ですが長官殿。事情を説明してください」
私は黒いコートの襟を立てたまま、1ミリも動かずにエリンの声色を正確にトレースして返した。
「数時間前、シールドの極秘研究施設がロキと名乗るアスガルドの異邦人によって強襲された。
無限のエネルギー源である四次元キューブ——テッセラクトが強奪され、我々のエージェントや研究者が洗脳されてロストした。
奴は世界を終わらせる気だ。
アベンジャーズ計画を、今すぐ始動させる」
フューリーはトランクを乱暴に閉じ、私の紅い色の瞳を真っ直ぐに見据えた。
「国際安全保障理事会はパニックを起こしているが、この地球上に奴らの超常的な暴力に対抗できるまともな軍隊などどこにもいない。
対抗策として使える戦力を集めてチームを組んでもらう。
いますぐロマノフと合流しろ。
次にインドのカルカッタに潜伏している、緑の怪物を盤面に引きずり出す。
それがお前の最初の任務だ」
「了解しました、長官殿。私の生存演算において、世界が壊されればお母さんの日常を支えるインフラも崩壊する。
それを未然に防ぐためなら世界を救う程度してみせますよ」
私は完璧なエリンの無表情のままそう告げるとケースに収められたスマートブレインの技術美学を模倣したハリボテのデバイス一式を確認し、マンハッタンの夜空を見上げる。
避けようのない巨大なマクロな濁流の予感。
だが、私の最優位プロトコルは変わらない。お母さんの待つヘルズ・キッチンの日常を完璧に黒字で守り抜くため、新しい地獄のチェスゲームの盤面へとエントリーするだけだ。
◆ ◆ ◆
2012年、インド・カルカッタ。
茹だるような熱気が、スパイスと泥の入り混じった不快な臭いとともに、過密なスラムの路地裏に停滞している。
およそ清潔感とは程遠い環境に都会(研究室)生まれの私は辟易していた。
人混みを掻き分けながら歩く私の社会的立場は、表向きは某大学を休学中の二十歳の女子大生。
だが、その薄い私服の黒いコートの下には、フューリーとのリスクリターン契約によって洗浄された戸籍と、アベンジャーズの戦力としてのライセンスが隠されている。
しかし二年だ。
本物のエリンを貪り喰ったあの日から、私の肉体は一ミリも成長していない。
二十歳という大人の位階に達しながら、細胞レベルで老いることのない人外の証明。
その冷酷な砂時計の音を脳内で絶えず計算を続ける生体CPUの隅で聴きながら、私は隣を歩くナターシャ・ロマノフの歩調に正確に同期していた。
「――緊張してる? 」
ナターシャがまるで身内を見るような目(いや、広義では身内なのだが)で私を一瞥した。
「いいえ。心拍数、血流ともに正常値の範囲内です。
ただ、この街の衛生環境は、私の生体センサーにとってノイズが多すぎます」
「そう。スパイとしての演技をしろとは言わないから、もう少し二十歳のお嬢さんらしい自然な『面倒くささ』を装っても罰は当たらないわよ」
彼女はクスリと笑い、スラムの最奥に佇む、がらんとした古い木造の診療所のドアを静かに押し開けた。
目的であるブルース・バナーはこの街の片隅でひっそりと暮らしていた。
彼の中に潜む怪物、ハルクを狙い追い立てる有象無象から逃亡し、辿地着いたのがこの地だった。
カチャ、と無機質な音を立てて空間が切り替わる。薄暗い室内の中心、埃の舞う不気味な光のなかで、一人の男が古い顕微鏡を覗き込んでいた。
ブルース・バナー博士。
内なる「緑の怪物」という絶対的な破壊を恐れ、自らを過酷な孤独の檻に閉じ込め続けている天才物理学者。
「……シールドの追跡班も、随分と華奢な組み合わせを選んだものだね」
バナーは眼鏡を外し疲弊した、しかし酷く鋭い理性的な眸を私たちへと向けた。
「ナタシャ・ロマノフ。シールドの使いできたわ」
「ロマノフ……シールドか」
バナーの視線が、私の黒髪ボブと、感情の起伏を一切映さない無機質な無表情へと注がれる。彼の目には、ただ華奢な強化人間の少女としか映っていないようだった。
ナターシャは一歩前に出ると、大人の嘘を完璧に使いこなすスパイの笑顔を浮かべ、バナーに対して極めてスマートにカードを提示した。
「紹介するわ、博士。彼女はエリン・マクカシー。
シールドの特別分析官であり、スターク社の最新ナノテクノロジー(Ver.2.0)に適合した、私たちの新しい前線メンバーよ」
ナターシャがあえて私をこのインドの地に同行させた理由。
それは、バナー博士に対して私たちはあなたを解剖する気はない。
現に、この子のような理外の超常的な力も、シールドは『人間』として正式に管理・保護し、その日常を保障している
という、生きた最高の安心材料として私を盤面に並べるためだった。
「スタークのナノテク、か」
バナーは私の前に歩み寄り、少し興味深そうに視線を向けた。
「彼の作品にしては、随分と控えめな見た目にみえる。
アーク・リアクターの出力はどの程度まで抑え込んでいる?
それとも、もっと小型化された新型かい?」
ただの技術的な質問。
彼は私の中に何も見ていない。
完璧な擬態は、少なくともこの天才科学者の目を欺けている。
だが――私の側だけが、違った。
脳内CPUが、アマダムの断片を経由して強制的に稼働する。
……標的を識別。
ブルース・バナー。血管の最深部、遺伝子の随所にびっしりと張り付いているいつぞやの雷神の『神の質量』とも違う『緑の質量』をスキャン。
ガンマ線の残響。
制御不能な劇薬の鼓動。
戦闘態勢で接触時、私の生体システムが一秒で全損するリスクを感知。
お互いが内側に怪物を抱えているはずなのに、共鳴は一方通行だった。
私だけが、この男の檻の奥に眠る圧倒的な破滅を見ている。
完璧なエリンの無表情のまま、平坦に答えた。
「出力は状況に応じて可変です。
通常時は低出力で運用しています。
単体では、普通の、この場合普通という表現が相応しいかわかりませんが
最先端の強化服を纏った程度の性能にすぎません」
「……そうか、わかった、そういう話ならそれでいい」
バナーは軽く頷き、それ以上深く追及しなかった。
ただの華奢な強化人間。
スタークの新しい玩具。
それ以上でも以下でもない、と表向き彼は判断したようだった。
ナターシャがグラスの炭酸の泡を弾くような声でディールを締めくくる。
「博士。世界が、あなたの知性を必要としているわ。一緒に行きましょう」
「嫌だと言ったら?」
「あなたを説得するわ」
バナーは長く息を吐き、眼鏡をかけ直した。
「……わかった。行くよ。
ただし、制御を失ったら――そのときは、遠慮なくやってくれ」
私は黒いコートの裾を静かに翻し、ファイズブラスターが入ったアタッシュケースを重い腕で握り直した。
……了解したバナー博士。必要ならあなたを排除する。母親の日常を守るために。
私たちは診療所を出た。
三人で、スラムの狭い路地を抜け、指定されたピックアップポイントへ向かう。
ナターシャが先頭を歩き、バナーが少し後ろを、私がその横で歩調を合わせて進む。
熱気と埃と人混みの喧騒が、三人の周囲を包んでいた。
移動しながら、ナターシャが静かに口を開いた。
「博士。ここで簡単に状況を共有しておくわ。
シールドは現在、四次元キューブ――テッセラクトの研究を極秘で進めている。
あれは無限のエネルギー源として扱われているけど、実際にはガンマ線を異常な濃度で放射している。通常の分析チームでは手に負えないレベルの数値が出ているの」
バナーの足取りが、わずかに重くなった。
「だからあなたの知識が必要なの。
ガンマ線に関して、この惑星で最も深い見識を持っているのはあなたよ。
テッセラクトのエネルギー特性を安全に解析し、制御するための理論的裏付けが、あなた以外には見当たらない。フューリーはそれを世界が必要としている知性と呼んでいる」
「……最悪のケースでは?」
バナーが低く尋ねる。
「大陸単位でエネルギーが暴走する可能性がある。だからこそ、あなたを孤独の檻から出して、私たち側の盤面に乗せる必要があるの」
私は黒いコートの裾を静かに翻しながら、二人の会話を聞いていた。
(……テッセラクト。ガンマ線。バナー。ミクロを動かすマクロな変数を、母親の日常を守るための計算式に組み込む。必要なら、排除する。)
アベンジャーズという、マクロな変数が動く計算の劇場。
お母さんの待つヘルズ・キッチンの日常を完璧に黒字で守り抜くための、新しい計算式が、この熱気の中で厳かに稼働を始めるのだった。
◆ ◆ ◆
ヘリキャリアへ向かう輸送機の機内は、エンジンの低い唸りと空調の乾燥した風音だけが支配していた。
カルカッタの熱気とあまりよろしくない匂いがまだ服に残っている。
ナターシャは前方のパイロット席近くで端末を操作し、通信を確認している。
彼女は意図的に距離を取り、二人に空間を与えていた。
ブルース・バナーは窓際の席に腰を下ろし、眼鏡をかけ直す仕草を繰り返していた。
手元には何もない。ただ、膝の上で指を組み、外の雲を見つめている。
その視線の奥に、常に何かを抑え込もうとする緊張が張りついているのが、エリンの生体センサーにははっきりと映っていた。
エリンは隣の席に、黒いコートの襟を立てたまま座っていた。
姿勢は正確で、呼吸も安定している。母親のダイナーから物理的に遠いこの機内でも、彼女の計算は止まらない。
バナーの血管の最深部に張りついた「緑の質量」とでもいう脅威。
ガンマ線の残響。制御を失えば自分のシステムごと全損するリスク。
それでも、今は対話の方が効率がいいと判断した。
「バナー博士」
平坦な声で、彼女は切り出した。エリン・マクカシーの声色を完璧にトレースしている。
感情の起伏はほとんどない。バナーがゆっくりと顔を向けた。
「……マクカシーさん、だったね」
「ええ。博士は、自分の中のそれをハルクと呼んでいるそうですね」
バナーの肩がわずかに強張った。眼鏡の奥の目が、鋭く、しかし疲れて細められる。
「ロマノフから聞いたのか」
「それもあります。私のセンサーが感知しました。血管の随所に張りついている理を越えた何か。ガンマ線の残響。通常の人間の枠から完全に逸脱しているなにか」
彼女は嘘をつかなかった。
ただ、必要以上のことは言わない。バナーは短く息を吐き、窓の外に視線を戻した。
「……そうか。やはり君は強化人間か。スタークのナノテクで体を改造されたという建前が必要な存在なのだろう。だから、分かるのかもしれない」
「ですが、博士の孤独感は分かりません」
即答だった。バナーが少し驚いたように振り返る。
「博士が抱えている孤独感を、私はほとんど理解できない」
エリンは静かに続けた。同情でも、慰めでもない。ただの事実の提示。
「私には『帰りたい場所』がある。母親のいる古いアパートと、換気扇の低い唸りがするダイナー。そこに『ただいま』と言える状態を維持することだけが、私の最優先事項です。
そのために必要な計算はすべて行う。
戦う、命令を遂行する、契約を守る、必要なら世界も救う、すべてそのためです」
彼女はバナーの方を見た。赤い虹彩は冷たく、しかし視線は逸らさない。
「でも、孤独感というものは、私の中ではほとんど作動しません。誰かと一緒にいたい、理解されたい、という欲求は、生存計算の優先順位の中で極めて低い位置にあります。
博士が感じているであろう、あの『誰にも触れさせられない自分』を抱えたままの孤立感は私には、ほぼ存在しない感覚です」
バナーはしばらく黙っていた。指が膝の上でわずかに動く。
「……君は、幸運なんだな」
「幸運かどうかは不明です。ただ、効率的ではあります」
エリンは少しだけ首を傾げた。
エリンの仕草を正確に再現した、ごくわずかな動作。
「博士は、制御を失うことを恐れている。それが周囲を壊すことを、自分が壊してしまうことを。だからこそ、遠くへ逃げ、孤独の檻に閉じこもる。その選択自体は、生存計算として合理的です」
彼女は続ける。声のトーンは変わらない。
「私の場合は違います。私が恐れているのは、日常が壊れることだけです。母親のフライパンの音が聞こえなくなること。換気扇の唸りが消えること。ドアを開けて『ただいま』と言える状態が失われること。
そのリスクを下げるためなら、私は何でもします。博士の中のそれが暴走した瞬間、必要であれば対応する、という選択肢も、すでに計算に含まれています」
バナーの表情がわずかに硬くなった。それでも、彼は逃げなかった。
「……正直だな」
「嘘をつくコストが高い場面では、事実を述べた方が効率がいい」
エリンは少しだけ間を置いた。それから、彼女なりの「寄り添い」を言葉にした。
「でも、博士が一人でそれを抱え続けている理由自体は想像できます。
誰かに完全に委ねれば、日常が壊れる可能性があるから。私にとっても、母親の日常を守るために、表向き自分の力を隠し続けているのと同じです。
誰かに完全に委ねることはできない。委ねた瞬間、計算が崩れる可能性があるから」
バナーが、初めて彼女をまともに見た。眼鏡の奥の目に、何かが揺れた。
「君は……自分の力を、そうやって扱っているのか」
「ええ。表向きはスターク製の強化人間として振る舞っています。出力を状況に応じて抑え、必要以上に目立たないように。
博士と同じように、制御を失えば周囲を壊す可能性がある。だから、日常を守るために、計算し続けている」
彼女は肩をすくめた。ごく軽い仕草。
「孤独感は感じません。でも、守りたいものを守るために、誰にも完全には頼れないという状態は、博士と共通しているのかもしれません。だから、私は博士の選択を否定しません。逃げ続けることも、ここに来たことも、両方とも、博士なりの計算の結果でしょう」
バナーは長く息を吐いた。窓の外の雲が、ゆっくりと流れていく。
「……そうか。君みたいな人間がいるなら、少しはマシかもしれないな」
「人間かどうかは、定義によります」
エリンは淡々と返し、それから静かに付け加えた。
「博士。制御を失いそうになったら、私に言ってください。対応するかどうかを含めて、計算し直します。その方が、博士が一人で抱え続けるより、効率がいい」
バナーは眼鏡を外し、指で目を押さえた。しばらくして、ゆっくりと頷いた。
「……わかった。覚えておくよ」
輸送機は雲を抜け、上空のヘリキャリアへと近づいていく。
ナターシャが振り返り、二人を一瞥した。
何も言わない。ただ、わずかに目を細めただけだ。
エリンはコートの裾を整え、視界の端でバナーのバイタルをスキャンし続けた。
彼の中に潜む怪物は、今は静かに眠っている。
母親のダイナーへ帰るための計算は、まだ黒字だ。
◆ ◆ ◆
カルカッタから飛び立ち、雲海を抜けた輸送機のフロントガラスの向こう。
会場の浮かぶ巨大な鉄の要塞——S.H.I.E.L.D.の空中空母、ヘリキャリアの巨体が視界を埋め尽くしていく。
エンジンの不快な重低音に混じって、専用インカムの回線が自動で暗号化同期を完了する。
私は黒いコートの襟を揺らしながら、喉の形を「エリン・マクカシー」の仕様に正確にアジャストし、コントロールパネルのマイクへと向かって冷たい声を滑り込ませた。
「――こちら、エリン・マクカシー特別分析官。着艦許可を求む」
一秒。
機械的な沈黙の後、ヘリキャリアのブリッジから、状況の進展を焦るオペレーターの音声が返ってくる。
『マクカシー分析官、およびロマノフ捜査官。バイタル確認。着艦を許可する。第3格納庫へ侵入せよ』
「了解。――ただし、ブリッジ、そこにいる全員で私の言うオーダーを今すぐ登録しなさい」
私の平坦で、血の通わない事務的な声音が、回線を通じてブリッジの喧騒を強硬に遮った。
エリンの声色をトレースしているはずなのに、その底にあるのは、これまでにない最大級の冷酷さを孕んだ生体兵器としての合理性だった。
「今回の召集メンバーが私で最後だというなら、それは仕方のない範囲内です。
ですが、次からは全ルートのチェックを現状より引き上げ、厳に警戒しなさい。
予定にない機体であれば、たとえそれがシールド公式のクインジェットであろうとも、簡単に着艦を許可するな。
……いいえ、そもそもこの母艦へ近づけさせること自体が絶対的なエラーです」
インカムの向こうで、管制官たちが息を呑む気配が伝わってくる。
二十歳になった私の生体センサーは、すでに四次元キューブが強奪されたあの地下施設の、あるいは長野の雪山(九郎ヶ岳)で見たあの白い少年の理外の暴虐から、世界の構造が完全に狂い始めている数式を冷徹に弾き出していた。
「既に万が一が起きた状況では、人間がありえないと一蹴する事態なんて、いくらでも同時に連鎖して起きる。私の計算において、この母艦が内側からハックされる確率は、現時点で決して低くはない。……その警戒を徹底しなさい」
言うだけ言って、私は通信を一方的に遮断した。
隣の席で眼鏡の位置を直していたブルース・バナー博士が、驚いたように、しかし深く納得したように私を見つめ、前方のパイロット席のナターシャは
「大根演技をやめたら、今度はフューリーよりお堅い監査官の誕生ね」
と、不器用な愛おしさを僅かに孕んだ目でバックミラー越しに私を一瞥した。
ファイズギアが入ったアタッシュケースを重い腕で握り直す。
これから向かうのは、アベンジャーズというマクロな茶番の劇場。
だが、その檻のなかにいる本物の例外個体(スタークたち)と出会う前に、私の冷え切った計算式は、完璧に世界の終わりを拒絶する仕様を整え終えているのだ。
「マクカシーさん。シールドの母艦に対して、随分と厳しい態度を取るんだね。彼らは世界の防衛のプロだ。……それほど、今回の盤面は警戒すべき事態なのかい?」
ただの質問。だが、その声の最深部には、もし世界がそこまで狂っているなら自分の中のそれ(ハルク)が目覚めてしまうかもしれないという、いつもの脆い緊張が張りついていた。
私は黒いコートの襟を指先で軽く整え、完璧なエリンの無表情のまま、バナーを真っ直ぐに見つめ返した。脳内CPUが、今までの闘争の記憶や先代クウガの記録をミリ秒単位で同期させ、冷酷な戦術の数式を弾き出していく。
「当然ですバナー博士。
今回の敵は、人間ではありません。
それこそ神話や魔法のような不確定のロジックを用いて、シールドの特級エージェントや研究者を洗脳し、手駒として従えたそうです。
彼らが何を画策しているかは不明ですが、私の計算では、このヘリキャリアに対して囮(デコイ)の奇襲が最低でも1回、本命の襲撃がさらに1回はあると予測するのが最も適正な安全マージンです」
バナーの指先が、膝の上で僅かに強張る。私は淡々と、しかし決定的な言葉を彼の前に並べた。
「特に、相手側の手駒には、シールドがあなたをこのヘリキャリアへ招集すると事前に予測できるほどの上層部、あるいは立ち位置の捜査権限を持ったエージェントが混ざっている可能性がある。
彼らがこの母艦を襲撃する際、最大効率の戦術として何を選ぶと思いますか?」
バナーは答えなかった。ただ、彼の中の怪物の鼓動が、微かに危険な閾値へと揺らぐのを私の生体センサーが検出する。
「彼らは必ず、あなたをピンポイントで襲撃し、その内なるハルクを強制起動させて檻から出そうとするでしょう。この巨大な鉄の要塞を、内側からハックして自滅させるために。……あなたは、彼らにとって最高の爆弾なのですよ」
機内の空調の冷たい風が、二人の間に流れる。
ナターシャはバックミラー越しに私たちの会話を聴いていたが、そのプロのスパイの眸には、驚きではなく「よくそこまで弾き出したわね」という静かな感嘆の色が浮かんでいた。
「……安心しろ、とは言いません」
私はバナーの恐怖を否定も肯定もせず、ただ、アタッシュケース(模造ギア)を重い腕で握り直した。
「ですが、いざその時が来れば、私がなるべくあなたの前に立って盾の役割を果たします。ハルクの出現の阻止、暴走への対処のリスクよりも、この母艦が内側から吹き飛んで私の日常が破綻するリスクの方が、私の計算では遥かに巨大な赤字だからです。
……ですからバナー博士。あなたはただ、ここでの滞在期間中、心穏やかにして過ごす努力だけをしてください。残りの余計な不確定要素は、私がすべて引き受けます」
「ありがとう、マクカシーさん。君のその冷たい合理性は、僕にとって……どんな気休めの言葉よりも、ずっと信頼に値するよ」
バナーは弱々しく、しかし心からの安堵を込めて眼鏡をかけ直した。
彼の中に潜む怪物の気配が、私の提示した冷酷なセーフティによって、静かに、穏やかに凪いでいく。
ドォォォォンッ!!!
輸送機のタイヤが、ヘリキャリアの甲板を力強く捉え、激しい制動音を立てて着艦した。
ハッチが開き、機内へ流れ込んできたのは、最先端のジェット燃料の匂いと、アベンジャーズというマクロな嘘の劇場の幕開けを告げる冷たい風だった。
黒いコートの裾を揺らし、バナー博士と共に、鉄の要塞の床へと一歩を踏み出すのだった。
うっかりストックを消滅させてしまったのがマジに辛い…
あと小説版アベンジャーズを購入したのですがびっくりするほど文章がキッズ向けで驚愕しましたね