MCU世界で『ただいま』を言えない怪物 作:お砂糖さらさら
映画見なおしたら記憶の500倍ソーが強かったので描写を盛りました
周囲はジェット燃料の匂いと、着艦したばかりの機体から吐き出される熱気で満ちていた。
輸送機のハッチが開き、黒いコートの裾を揺らして私が一歩を踏み出す。
その視界の先、シールドのエージェントたちが忙しなく行き交う通路の真ん中に、一つの大きな『質量』が直立していた。
スティーブ・ロジャース。あるいはキャプテン・アメリカ。
1940年代の大戦を駆け抜け、70年の眠りの果てに21世紀へと弾き出された、歴史の迷子。
彼の心音は、戦場を知る兵士のそれでありながら、周囲の最先端テクノロジーに対して微かな断絶を孕んでいるのが生体センサーに引っかかる。
だが、その背筋の伸ばし方、一切の無駄がない重心の置き方は間違いなく目の前の命を守るために自らを完璧に統制した本物の兵器、あるいは救国の英雄、ヒーローのそれだった。
「キャプテン・ロジャース。お待ちしておりました」
実直な足音とともに、フィル・コールソン捜査官が笑顔を浮かべて私たちの前に滑り込んできた。彼は手慣れた手つきで、スティーブに向けてアベンジャーズの盤面に並ぶ駒たちの紹介を始める。
「こちらが、カルカッタからお連れしたブルース・バナー博士。そして、エージェント・ロマノフ。……それから、そちらにいるのが」
コールソンは私の隣に手を差し向けた。
「我が組織の危険物対応スペシャリスト、エリン・マクカシー特別分析官です。
書類(アベンジャーズ候補生リスト)でお目通しいただいていた通り、今回の作戦の最前線を担うメンバーです」
スティーブの碧い眸が、ゆっくりと私に向けられた。
彼の記憶にある、大戦時の屈強な兵士たちの規格からすれば、首元で短く切り揃えられた黒髪のボブカットに、華奢なしなやかさを残した私の輪郭は、あまりにも戦場から遠い存在に見えたのだろう。
彼は腕を組み、父親が迷子を心配するような、生真面目で温かい――しかし、私にとっては酷く的外れな思想を孕んだ視線で私を見下ろした。
「ニック・フューリーのスカウト基準も、随分と変わったものだな。
シールドの技術がどれほど進歩していようが、こんな子供まで最前線に引きずり出すとは。
……お嬢さん、ここは君のような子供が来るべき場所じゃない。すぐに家に帰りなさい」
子供扱い。
大戦を生き抜いた指揮官としての、ごく自然な、そして善意100%の拒絶。
だが、その言葉を受け止めた私の脳内CPUは、ただただ感情の乗らない冷徹な算定を弾き出す。
本物のエリンを貪り喰ったあの日から、私の細胞は1ミリも加齢(成長)していない。
二十歳という大人の境界に達しながら、永久に老いることのない人外の証明。
私は完璧なエリンの無表情でスティーブの目を真っ直ぐに見返した。
「ロジャース隊長。私は今年で二十歳になります。これでも法的には成人の仕様値を満たしていますので、子供扱いはやめてください」
低く、わずかに掠れた、血の通わない事務的な声音。
「それに、私がここに立っているのは、フューリー長官とのリスクリターンの契約が、私の生存において黒字だと判断したからです。
世界が壊されれば、私に必要不可欠なインフラも崩壊する。
それを未然に防ぐための必要作業としてここにいるだけですので、あなたが私の年齢に余計な感情を割く必要はありません。
なにより志に年齢は関係ないはずです」
私のあまりにも冷淡な拒絶の言葉を聞いて、スティーブは一瞬だけきょとんとしたように目を丸くしそれから深い眉間をさらに険しくさせた。
人間側の静かな戦慄の匂いが彼の肌から漂い始める。
「……そうか。失礼した、マクカシー分析官」
スティーブは小さく苦笑し、しかしその眸の奥に「放っておけない危うい後輩」を見るような、消えない生真面目な熱を灯したまま、ゆっくりと首を振った。
その不器用な対峙の横で、ナターシャがフッと冷たいスパイの笑みを漏らし、バナー博士は
「彼女の合理主義には、僕たちの常識は通用しないよ、キャップ」
と諦めたように眼鏡の位置を直す。
私はアタッシュケース(中身のないモックアップギア)を握り直し、ブリッジへと向かう彼らの背中に無音の足取りで続いた。
マクロな世界の危機、テッセラクトを巡るチェスゲームの盤面が、この鉄の要塞の廊下で、いよいよ本格的に駆動を始めるのだった。
ヘリキャリアの金属製の冷たい廊下を、私たちの足音が規則正しく刻んでいた。
先頭を行くコールソンとナターシャがバナー博士を案内しながら角を曲がり、一時的にその背中が遠のく。
私の半歩後ろを歩くキャプテン・アメリカ――スティーブ・ロジャースの視線が、私の黒髪のボブカットと、黒いコートの裾を監視しているのが生体センサーに引っかかった。
彼の碧い眸の奥にあるのは、単なる不審ではない。
それは、1940年代の戦場で何千人もの兵士の肉体を見届けてきた老練な指揮官特有の、「生物学的な違和感」だった。
二十歳だと言い切った私の横顔、その歩調、皮膚のハリ、そして何より筋肉の可動域。それらすべてが、18歳のあの夜のまま完全にフリーズしている。
生きていれば必ず生じるはずの微細な成長も、加齢のゆらぎも、私の肉体からは1ミクロンも検出できない。その不自然な静寂を、彼の卓越した観察眼は見逃していなかった。
「……マクカシー分析官」
スティーブが歩調を緩めず、低く、しかし廊下の防音壁を震わせるような声で語りかけてきた。
「君の書類は読んだ。フューリーの報告書には建前としてはフォトンブラッド技術の適合手術を受けた、特殊強化人間の少女とある。
だが、君のその佇まいや迷いのない目はとても二十歳そこらの人間が身につけられるものじゃない」
彼は正面を見据えたまま、かつて自分が超人血清を打たれて超人になったあの日の、世界から弾き出されたような孤独の残像を押し殺すように言葉を繋げた。
「君の計算、生存演算の話も聞いた。世界を救うのは、母親の日常を守るための必要経費だ、と。だが、アベンジャーズはそんな利害の計算だけで動く取引相手の集まりじゃない。
私たちの理想は明確だ。作戦のたびに、全員の帰還を目的とする。誰一人として犠牲を出さない。そのために仲間同士で自らリスクを背負い、助け合う。それが、このチームのルールだ」
大義名分。マクロな博愛(ラブ&ピース)。
彼が70年前の戦場で、そして今も胸に抱き続けている本物のヒーローの美学。
だが、その熱い理想を耳にした私の脳内CPUは、ただただ冷え切った算定を弾き出す。
「……ロジャース隊長。その理想論は、生存演算において極めて高リスクな変数です」
私は歩みを止めることなく、完璧なエリンの無表情のまま、平坦な声を淡々と返した。
「全員の帰還や誰も犠牲にしないという制約は、一見すると美しく聞こえます。
ですが、動的な戦場においてその理想に固執すれば、状況変化への対応速度が致命的に低下する。
極端な話1人を救うために全体の生存率を40%下げるような選択は、私の計算式ではただの自滅と定義されます
流動的な状況の中で個人のスタンドプレーによって生じるチームワーク、というやつのほうがまだ理解できます」
言い切ると同時に、ラボの自動ドアの前にたどり着いた。
スティーブは私の斜め後ろで足を止め、その碧い眸に、戦慄と――そして、拒絶ではなくこの少女はどれほど孤独な地獄を歩んできたんだという、引き裂かれるような悲痛な情を灯して私を見つめていた。
「……計算だけで動く必要なんてないんだ、マクカシー。それを君に教えていくのが、私の役割のようだ」
スティーブが静かに、しかし強固な意志を込めて呟いたその声を聴き流しながら、私は自動ドアをハックするように開いた。
そこは、青いホログラムの光が冷たく明滅するヘリキャリアのラボ。
デスクの端で、天才――トニー・スタークが、ニヤニヤとした不敵な笑みを浮かべて私たちの到着を待ち受けていた。
自動ドアが滑らかな電子音を立てて左右に開いた瞬間、地下ラボの空気が、透過ディスプレイの淡い青と赤のホログラムの光によって格子状に切り裂かれた。
サーバーの精密な排熱音に混じって、部屋の奥から、乾いた、しかし信じられないほど不敵な心音がこちらの生体センサーへと飛び込んでくる。
トニー・スターク。あるいはアイアンマン。
私とニック・フューリーが交わした「大人の嘘」の舞台裏で、私の人外の生体ログをナノテクノロジーのバグに翻訳し、世界を騙し続けている真の共犯者。
彼はデスクの上に無造作に置かれていた、中身のスカスカな私のファイズフォンの予備を指先で弄んでいた。
「――よお、新入り」
トニーは振り返り、眼鏡の奥の目をニヤリと細めた。
「J.A.R.V.I.S.、サブルーチン555を起動。これからは完全にナノテクVer.2.0の建前で行く。お前のそのバケモノの肉で直接生成する出力を、俺のアーク・リアクターのログエラーとして上書きしてやるよ。感謝しろ」
『了解いたしました、ミスター・スターク。偽装同期(ハック)を最下層で常時稼働させます』
J.A.R.V.I.S.の落ち着いた声がスピーカーから流れ、裏でバナー博士が
「おいトニー、いきなり彼女の本質をそんな風に突っつくのは……」
と冷や汗を流す。
だが、そのラボの静寂を切り裂いたのは、背後から追いついてきたキャプテン――スティーブ・ロジャースの重々しい足音だった。彼の碧い眸には、先ほどの廊下での私との対話の火花が、未だ消えずに燻っている。
「スターク。彼女をそんな兵器やサンプルのログとして扱うのはやめろ。
彼女はアベンジャーズ候補であり、私たちの仲間だ。そのような認識を前提にした運用など、私は認めない」
キャップの生真面目な正論。だが、トニーはそれを、缶コーラを開けるような軽い鼻笑いで撥ね退けた。
「熱いねえ、キャップ。だがな、おめでたい理想論でこのお嬢さんの首輪が外れると思うなよ。
……なあ、新入り。お前のその行動規範、要するにリスクとリターンの計算だろ? 自分が生き残って、母親の日常を守る。
そのためにマクロな世界のテロを潰す。
非常にスマートで、規律正しい。俺は嫌いじゃないよ、その温めの冷たいリアリズム」
トニーはデスクの椅子に深く腰掛け、不敵な笑みを浮かべたまま、私たち全員を射抜くように言葉を流した。
「キャップ、お前は大戦の最前線で、国のために戦う軍人としてそれなりの数の人間を殺してきた。俺にいたっては、自社の兵器で間接的に何万人もの命を焼き尽くしてきた。
キルスコアのトップはおそらくこの俺だ。
それに比べたら、なぁ、お嬢さん。お前が直接殺した純粋な人間なんて一人きりだろ?」
トニーは肩をすくめ自嘲気味に、しかし明確に、この場での最初の格付けを提示した。
「あとは全部、人間を辞めた実験体だの適合体だの、日本の土壌に眠ってた化け物どものお掃除だ。
エゴや欲に目が眩んで簡単に世界を壊す凡百の人間どもに比べればさ。
自分の生存と、下町のダイナーを守るためだけにきっちりリスクを引き受けているお前のほうが、よほど人間らしいし、規律が取れている。
俺がキルスコアのトップ、お前はかわいらしい新入りの数字だ。
だから、お前には後輩として、俺たちに守られる義務(マージン)があるんだよ。
……な、約束だぞ」
トニーの、皮肉の裏にある剥き出しの優しさと、強固な大人のプライド。
私がその細い喉を噛み破り、全細胞を貪り喰った本物のエリン・マクカシーというたった一人の少女の命の重みを、この男はすべて知った上で、その業を丸ごと「大人の嘘」のなかに包み込もうとしていた。
私は完璧なエリンの無表情のまま、トニーの炭酸水のグラスを見つめ、平坦に、脳内CPUの回答を返した。
「キルスコアの多寡は、私の生存演算において重要な変数ではありません。
スタークさんが私のデータを完璧に上書きし、フューリー長官との契約が維持されるのですから。
私が後輩扱いされることで支払えるコストなどいくらでも支払いますよ」
スティーブは二人の間に流れる、その人食いの罪すら計算式に組み込んだ冷たい共犯関係に唇を噛み締め、ナターシャは「最初の顔合わせにしては、最高のバチバチ感ね」と嘆息した
◆ ◆ ◆
ドイツ・シュトゥットガルトでのロキ確保のミッション 。
その裏側で、私はヘリキャリアの待機室に留まることを選択していた。
「マクカシー、君はここに残れ。バナー博士の防波堤になってもらう」
フューリーの冷酷な、しかし極めて実務的な命令が、専用インカムの回線を伝って私へインプットされた。
理由は明確だった。
現地の作戦に、理想を掲げるキャプテンと、エゴを纏う天才でありアイアンマンの二枚の看板を投入した以上、戦力的なマージンは足りている。
だが、このヘリキャリアの心臓部にブルース・バナーといういつ爆発するか分からない最大級の緑の爆弾を一人で残しておくのは、シールドの防衛システムにとってあまりにもハイリスクすぎる。
クインジェットのなかで、バナー博士に対して
「いざその時が来れば、私がなるべくあなたの前に立って盾になります」
と冷徹なセーフティを提示した私こそが、彼の情緒を凪がせ、かつ暴走時に排除を遂行できる唯一の檻の番人だった。
「了解しました、長官殿。私はここで護衛につきます」
私は完璧に模倣されたエリンの無表情のままそう告げ、黒いコートの襟を立てて、コンパウンドの隔離研究室の片隅に佇んでいた。
デスクの向かい側では、バナー博士が四次元キューブのガンマ線データを透過ディスプレイに映し出し、静かに、しかし絶え間ない緊張をその指先に宿してキーボードを叩いている 。
「……君がここに残ってくれて、本当に助かるよ、マクカシーさん」
バナーは眼鏡を外し、疲弊した、しかし心からの安堵が混ざった碧い眸を私へと向けた。
「ロマノフやフューリーは、僕の知性が必要だと言ってここへ連れてきたけれど……彼らの目は、いつ僕が緑色に変わるかを品定めしている。
でも、君の目は違う。君の目は、僕がただのバナーという人間でいることを、一番冷たく、確実に保証してくれている気がするんだ」
「当然です、博士」
私はストローで冷え切った缶コーラを静かに啜り、平坦な声を淡々と返した。
「あなたがここでハルクになって暴れるコストよりも、あなたが心穏やかにして四次元キューブの研究を進めてくれるリターンのほうが、私の生存戦略において遥かに巨大な黒字だからです。……だから、あなたは余計なノイズを気にせず、自分の知性を動かすことだけに集中してください」
「はは……やっぱり君のその冷たい合理性は、どんな気休めよりも信頼できるな」
バナーは弱々しく微笑み、再び顕微鏡のレンズへと顔を戻した。
その時、室内のメインモニターに、シュトゥットガルトの広場でロキがキャプテンの盾によって圧殺され、遅れて飛来したアイアンマンの重火力によって完膚なきまでに確保されるライブログがリアルタイムで映し出された。
画面の向こうで、両手を挙げて無抵抗を装う、不敵な笑みを貼り付けたアスガルドの神。
そのガラスのような瞳がカメラのレンズを捉えた瞬間、私の脳内CPUは、最大級の警告信号を網膜の端に激しくスパークさせた。
確保、完了?いいえ、これは計算外の侵入だ
あいつは、わざと捕まった。アベンジャーズのルールを逆手に取り、自らこのヘリキャリアの内側へと滑り込んできたのだ。
目的は、私の隣でペンを握っている、この世で最も破壊威力のある爆弾を内側から爆発させること。
チリ、と胸の奥の細胞が熱を帯びる。
アタッシュケース(中身のないモックアップギア)を重い腕で握り直しながら、私は迫り来るクインジェットの羽音を、ヘリキャリアの装甲を透かして『聴き』始めていた
マクロな世界の罠が、お母さんの待つヘルズ・キッチンの日常を脅かす前に、私は次なる式を冷徹に組み立て始めるのだった。
◆ ◆ ◆
ロキを確保し、ヘリキャリアへと到着したクインジェット。
だが突如として激しい雷鳴が天響を揺らした。稲妻の閃光がフロントガラスを白く焼き焦がし、機体が重力に抗うように激しく揺れる。
「――この雷、何が起きている?」
スティーブが眉を寄せた瞬間、ど、んっ! と、機体の屋根に、この星の文明の数式を遥かに置き去りにした圧倒的な『神の質量』が激突する音が響き渡った。
ハッチが強引にこじ開けられ、夜風と雨の匂いと共に乱入してきたのは、赤いマントを翻し、鈍い残熱を帯びた神のハンマー、ムジョルニアを片手に握りしめた、アスガルドの雷神、ソー。
彼は怯えるロキの首を容赦なく掴み上げると、そのまま夜空へと連れ去ろうと地を蹴った。
……生存演算、駆動。
――貸しを作った例外個体(ソー)の再観測。
だが、私の目の前でロキを奪われるのは、アベンジャーズの契約において許容できないロスだ
スティーブやトニーが動くよりも早く、中身がスカスカのファイズフォンをベルトに叩き込む。
瞬時に衣服が光に包まれ黒いライダースーツに黒いコートが形成され、各所に装甲が追加されると紅いフォトンブラッドのラインが走る。
ロキを小脇に抱えてすでに飛び去ろうとするソーの進路の真ん前へと、一筋の赤い流星となって真っ直ぐに立ち塞がった。
ガガガグォッ!!!
「待ってください、ソーさん」
私の右拳に生体モーフィングで実体化させたファイズショットを装備した拳を私はソーの持つムジョルニアの横っ面へと、すべてを乗せて真っ向から叩きつけた。
ギィィィィィン――――ッ!!!!!
激しい金属の激突音が爆発した。
通常ファイズでチャージしていない状態でもパンチ力は2.5トンと人外のパワーを誇る
その拳がウルの超金属に容易く弾かれる。
ソーの青い瞳が、驚愕に大きく見開かれる。
2011年のニューメキシコの砂漠(プエンテ・アンティグオ)で、デストロイヤーの残骸を前に『同盟者』と呼び、不敵に笑い合って故郷へ還っていった黒髪ボブの少女。
その彼女が今、漆黒と真紅のスーツを纏ったアベンジャーズの戦力として、自分の神の腕力を空中で完璧に受け止めてのけたのだ。
それだけでは終わらない、そのままガッシリと尋常でない握力でムジョルニアを包み込んで固定する。
「見事な一撃だ、我が同盟者よ。あの砂漠の地で別れて以来だが、随分と恐ろしい牙を隠し持っていたのだな」
「ソーさん。お久しぶりです。大変遅くなり申し訳ありません。私はエリン・マクカシーと言います」
そのまま山林の中に着陸する。
ソーはロキを地面に投げ出すと、ムジョルニアを静かに構え直し、戦士としての深い敬意と戦慄の混ざった目で、私を見つめてきた。
「あなたがどういった事情でこちらに来られたか知りません。
ただ今は彼を連れ去られると
四次元キューブという大切なものの行方が分からなくなります。
彼に洗脳された人たちの行方も分かりません。
彼にそれを尋問する時間を頂けないでしょうか?
どうしても連れて帰るというなら、私はあなたを実力行使で離脱を阻止しなければなりません……それは、お互いに無駄な喧嘩になると思いますが?」
冷たく、計算的に、相手が神であろうが1ミリも日和らない怪物の合理性。
その私の冷え切ったスタンスを聞いて、ソーは一瞬呆気にとられたように目を丸くし、それから、かつてジェーンの手首を掴み上げた時の私の赤い瞳を思い出したように、ハハハ、と豪快に笑い声を響かせた。
「やはりお前は面白い! 人間の器のなかに、これほど規律正しい『獣』を飼っているとはな。
いいだろう、ならば戦士として、俺とお前のどちらの力が上か、まずは神々の領域の挨拶から始めようじゃないか!」
ブンッ! とムジョルニアが回転し、青白い雷撃が彼の全身から狂ったように溢れ出す。
◆ ◆ ◆
――激突の余波が、の木々を、まるで巨大な暴風に晒された雑草のように一瞬で薙ぎ倒していた。
私の身体能力の上限を無視した急制動の二条の轍。
脳内に存在する生体CPUは、眼前で静かにハンマーを回転させ始めた「神」という規格外の質量を前に、冷徹極まる数式を弾き出し続けている。
標的:ソー。基礎打撃力、耐久値、推定エネルギー出力、すべてにおいて計測不能。
通常ファイズの仕様値における正面衝突は、こちらの全損率100%。
すなわち、完全な赤字と定義する
豪快な笑い声と共に、ソーの足元から青白い雷撃が狂ったように溢れ出し、夜の山林を昼間のように白く焼き焦がしていく。
大気がビリビリとオゾン臭を伴って震え、私の視界に強烈なノイズを走らせた。
来る。
刹那、ソーの姿が視界から消えた。
否、あまりの踏み込みの距離に、私の動体視力が一瞬だけラグを起こしたのだ。
ゴオオォォォンッ!!!
上空から振り下ろされる、山を砕くかというほどの位置エネルギーを乗せたムジョルニアの一撃。 私はそれを正面から受ける愚を完全に排除していた。
生体組織をミリ秒単位で操作し、骨格の可動域を人間の限界を超えて歪め、身体を極限まで低くして地面を斃れるように走る、
。
頭上を通過していく、空気を爆破させるような衝撃波。
掠めただけで黒いコートの裾が激しく翻り、フォトンブラッドのバリアが悲鳴を上げて火花を散らした。
地面に叩きつけられたムジョルニアは、更地をまるで薄いプラスチックのように粉砕し、巨大なクレーターを穿っている。
……一撃の質量が大きすぎる。だが、方向転換にはわずかな硬直が生じる
私は側転からのバク転の要領で、崩落する瓦礫を足場に位置エネルギーを確保。
空中で体勢を反転させながら、腰の右側にファイズポインターを右脛へ生やすようにモーフィング。
同時に、中身のスカスカなファイズフォンを左手でそれっぽく弄り、エンターキーを叩く演技を完璧にトレースする。
『EXCEED CHARGE』
電子音声が流れる。
私の右足に、生体組織の最深部から吸い上げられた深紅の流体光子(フォトンブラッド)が血痕のように脈打って収束していく。これは「殺すため」の攻撃ではない。
神の突進を物質的に足止めし、時間を稼ぐための制動力としての計算だ。
「ハアアアアッ!!!」
空中で一回転し、ソーに向かって右足を突き出す。放たれた真紅の円錐状のロックオンマーカーが、クレーターの中から顔を上げたソーの頑強な胸躯へと、ピタリと固定された。
「ぬぅっ!?」
光の錐に身体を拘束され、ソーの青い瞳が微かに細まる。
私は落下の慣性をすべて右足の先端へと一点集中させ、彼の胸へと飛び蹴り(クリムゾンスマッシュ)を真っ向から直撃させた。
バチィィィィィン――――ッ!!!!!
ウルの超金属に守られた神の肉体と、物質を分子レベルで熱分解するファイズの光の暴力が激突し、真紅の火花が嵐のように周囲へ撒き散らされる。
手応えは、まるでない。
まるで、数千キロの鉄塊に生身でキックを叩き込んだかのような感覚。
通常ファイズの最大出力ですら、ソーの細胞壁を構成するアスガルドの神の質量を「炭化」させることすら叶わない。
「フンッ!!!」
ソーが短く息を吐き、胸に力を込めただけで、彼を拘束していた赤い円錐のマーカーがガラスのように粉々に砕け散った。
キックの反動で後方へと弾き飛ばされる私の身体。
それを追うように、ソーはムジョルニアを大回転させ、猛烈な青白い雷撃の奔流を放ってきた。
私は空中をハックするように、背中のコートの裾をマントのように広げ、フォトンブラッドのエネルギーを体表に薄く展開。直撃の軌道から、わずかに身体の軸をずらす。
バチバチパチパチッ!!!
空間を焼き焦がしながら通過していく雷の余波。
私の漆黒の装甲から激しい火花が吹き出し、体内の神経ネットワークが強烈なプラズマの味で痺れる。
「素晴らしい身のこなしだ! だが、これならどうだ!」
ソーは楽しそうに、100%の「戦意」と戦士としての敬意を滾らせながら、再びムジョルニアを構えて突進してくる。 彼にとっては、これは対話の延長線上にある高潔な力比べ(挨拶)。
しかし、私にとっては、ただただ生体組織を摩耗させ、生存マージンを削り取っていく最大級の無駄な喧嘩(赤字)でしかなかった。
ガガガグォッ!!!
迫り来る神の腕力を、私は右拳に実体化させたファイズショットを装備したフォトンブラッドがチャージされた強化した拳で辛うじて受け流す。
激突のたびに、トニーの組んだJ.A.R.V.I.S.の『サブルーチン:555』が、私の「骨格の微細なひび割れ」や「エネルギー不在のバグ」を隠蔽するために限界負荷でフェイクログを生成しているだろうと思うと増加する一方の赤字に溜息がでそうになる。
通常フォームの仕様値では、これ以上の戦闘継続は全損率100%。
完全な物理的破綻を意味する赤字(自殺行為)だ
生体CPUが叩き出した冷酷な算定に従い、私は即座に次の段階へと移行する。
この場にはまだ一般のシールドエージェントもおらず、追いついてくるはずのトニーやキャプテンも上空だ。
ならば、ここでリミッターを一時的に解除し、システム出力を引き上げることは、生存確率を黒字にするための最短ルート。
私はソーの突進をサイドステップで僅かに躱しながら、腰のモックアップフォンへそれっぽく指を滑らせた。実際は指先の神経だけを操作し、擬態ログ用のコマンドを『Armor』と入力する演技を完了させる。
『Armor Form』
電子音声が森に響き渡る。
次の瞬間、衣服が光の粒子となって融解し、私の内側から「アーマーファイズ」の強固な装甲が爆発的に形成された。
胸部と四肢の回路を脈打つ赤いフォトンブラッドの輝きは、内側に完全に密閉され、血管のような生々しい漏れを一切見せない。
両肩からは、エネルギー位相制御用のフォン型ユニットが、ナノマシンの自動パーツ再構築であるかのように整然と生え変わる。
トニーのJ.A.R.V.I.S.が組んだ『サブルーチン:555』の許容量のなかに、私の出力波形が100%綺麗なデータとして収まった。上書きの完了を示す緑のログを網膜の端で確認すると同時に、私は全身の筋肉密度と骨格を、剛力仕様とでもいうべき密度へとモーフィング固定する。
総合出力、通常のサイズが100とすれば280〜320。
相手を分子レベルで消滅(粒子化)させるフォトンブラッドの「位相変化」は完全にオフに留め、純粋な「パンチ力約15t 、キック力約30t」の近接破壊力へと全エネルギーを反転・収束させた。
「ほう……! 鎧の形を変えたか。面白い、その輝き、やはりただの人間ではないな!
ならばソー・オーディンソンとムジョルニアの名に誓いその力を試そう!」
ソーが歓喜の声を上げ、ムジョルニアを片手に真っ直ぐに突っ込んでくる。
ガグォォォォン――――ッ!!!!!
更地の中央で、神の怪力と、限界まで出力を高めたアーマーファイズの剛腕が真っ向から激突した。
凄まじい衝撃波が円形状に広がり、周囲の土や倒木がプラスチックのように粉砕されて吹き飛んでいく。
通常ファイズの時には容易く弾かれた神の腕力を、今の私は地面に足をめり込ませながらも、完全に受け止めていた。
「ぬぅっ……! 地球の戦士が、この俺の腕力をここまで受け止めるとは……!」
ソーの青い瞳が、今度こそ本物の戦慄と驚愕に大きく見開かれる。
私は答えない。完璧なエリンの無表情のまま、掴み合ったムジョルニアの柄を支点に、骨格の可動域を無視して上半身を捻る。そのまま、30トンに達するキックの質量を乗せたローキックを、ソーの強固な膝へと叩き込んだ。
ズドォォォォンッ!!!
神の肉体が初めて僅かにバランスを崩し、数メートル後方へとたたらを踏む。
だが、流石は神話の怪物だ。
ガドルであれば一撃で関節の機能をバグらせていたはずの打撃を食らっても、ソーはただ不敵に笑い、瞬時に姿勢を復元させてみせた。
「ハハハ! 素晴らしい、見事な牙だ、我が同盟者よ!」
ブンッ! と風を切る音と共に、至近距離から横薙ぎに振るわれるムジョルニア。
私はそれを、右拳にモーフィング生成したファイズショットの硬質装甲でパリングし、軌道を僅かに上空へと逸らす。
頭上を通過していく青白い電撃の嵐が、アーマーファイズの赤い回路ラインと激しく干渉し、チリチリと生体センサーを痺れさせた。
間髪入れず、ソーの空いた左拳が私のボディを捉える。
ドカァァァンッ!!!
肉をすり潰すような衝撃が装甲を貫通し、私の体内の内臓組織が微かに悲鳴を上げる。
しかし、アーマーファイズの重装甲と衝撃分散システムがその9割を熱量へと変換し、大気中へと静かに放散していった。
私は一歩も引かず、そのまま返しの拳でソーの顔面へとフォトンブラッドをチャージしていないグランインパクトを叩き込む。
バチィィィィンッ!!!
神の首が横を向き、白い肌に微かに赤い擦り傷が浮かぶが、その端からアスガルドの細胞が猛烈な速度で再生を始めていく。
無音の死闘。お互いが15トン、30トンの暴力をミリ秒単位で交錯させ、更地のコンクリートを乱反射するように削り合っていく凄惨な力比べ。
ソーは100%の敬意と戦意でこの「挨拶」を楽しんでいるが、私の脳内CPUは、迫り来る雷撃の軌跡を冷徹に処理しながら、上空のノイズを感知していた。
(……トニー、キャプテン。J.A.R.V.I.S.の自動偽装プログラムのバッファが限界を迎える前に、早く降下してこの非効率的な茶番を強制終了させてください。これ以上の付き合いは、私のインフラ維持において純然たる赤字です)
両肩からフォトンブラッドの輝きをもらしながら、神の猛攻をミリ秒単位で捌き続ける。
――現実世界の、わずか10分にも満たない時間の隙間。
その刹那のなかに圧縮された、神の怪力と生体兵器の駆動。
私はトニーがJ.A.R.V.I.S.の最下層に走らせている『サブルーチン:555』のバッファ、その自動隠蔽が可能な出力上限値を冷徹に逆算し、世間やシールドの検閲網に引っかからない極限の範囲で、肉体の硬度と筋力を最大値へと引き上げ続けていた。
無音の加速世界に等しい秒単位の泥仕合 。だが、相手は神話の怪物だ。
ガギィィィンッ!!!
ファイズショットをはめた右拳でムジョルニアの軌道を逸らし、返しのキックでソーの体勢を崩した、その次の瞬間
――ガァ、ンッ!!!!!
世界のすべてを置き去りにした密度の暴力が、私の左頬へと直撃した。
コンマレベルの、完全なる意識の断絶。
このままでは死ぬ
その瞬間に私の生体システムは、私の意志とは無関係に、脳殻の最深部に楔として打ち込まれている『エリン・マクカシーの夢』を、生存のための代替バッファとして強制再構築した。
砕け散った漆黒のマスクの隙間から風に激しく揺らめいて溢れ出したのは、エリンの元の黒髪ではない。
あの悪夢の廃工場で総裁の夢を断ち切った、あの絶対的な光の、明るい金髪のボブカット。
そして澄み切った青空の祈りに染まった、クリアブルーの右瞳。
隠蔽プロトコルが完全に決壊し、世界の前に「魔法少女形態の片鱗」が、生々しく露出したその刹那――。
ヒュゥゥゥウウウウウン――――ッ!
「そこまでだ、過激派のピーターパン!!」
空気を強引に引き裂く、アーク・リアクターの爆音。
上空から流星となって滑り込んできたのは、トニー・スタークのアイアンマン・マーク7だった。
しかも、その最新鋭の鋼鉄の腕の中には、お世辞にもそのハイテクなビジュアルに似合わない、星条旗の盾を胸に抱えたままトニーにがっしりと抱っこされているキャプテン・アメリカ――スティーブ・ロジャースの姿があった。
「スターク! だから私を投下しろと言っただろう! この体勢は非常に不名誉だ!」
「黙ってろキャップ、お前のその70年前の体重移動のせいで、こっちの姿勢制御ノズルがバグりかけてんだよ!」
ギギィィィッ! と凄まじい制動音を立てて、トニーはスティーブを抱っこしたまま、私とソーの間に割って入るように更地へ着地した。
ガガガグォッ!
トニーのHUD(マスク内)に、J.A.R.V.I.S.からの緊急バーストエラーと、私の「金髪・青眼」の生体パルスがむき出しでポップアップする。
トニーは目の前のソーを睨みつけたまま、視線操作だけで1/1000秒の『割り込み承認』を叩き込んだ。
「J.A.R.V.I.S.! 新入りのフォトニック・ナノ粒子の光学収束エラーだ! 一般網のログを今すぐ『マーク7のプラズマ熱伝導の同期不具合』に上書きしろ! ティンカーベルを咲かせるな!」
『了解いたしました、サー。ダミーデータを同期。一般網、およびシールド一般ログへの偽装を最下層で常時完了しました』
次の瞬間、私の顔面を覆うように、黒いライダースーツの生体組織が急速に再構成されアーマーファイズの鷹のような黄色い複眼を持つ仮面へと強引に引き戻される。
トニーに腕の中から乱暴に更地へと降ろされたスティーブは、着地と同時に盾を構え、驚愕と、そして「放っておけない危うい後輩」を見るような悲痛な目を私に向けた。
「……マクカシー分析官、大丈夫か! スターク、彼女のそのナノマシンのバグは一体何なんだ!?」
「ただの初期不良のバグ(エラー)だよ、キャップ。
だから言っただろ、温めの冷たいリアリズムで動いてる新入りには、俺たちの守られる義務(マージン)が必要だってな」
トニーはリパルサーレイの銃口をソーへと向けながら、ニヤリと不敵に笑う。
私は普段の「エリン・マクカシー」の仕様に正確にアジャストし平坦な声を滑り込ませた。
「……到着が遅いですよ、スタークさん。私の生存演算において、これ以上の遅延は純然たる赤字(無駄な喧嘩)です」
ムジョルニアを構え直したソーが、降ってきた二人の戦士と、再び完璧な擬態を整えた私の複眼を見つめ、ハハハ、と豪快に笑い声を響かせるのだった。
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