MCU世界で『ただいま』を言えない怪物 作:お砂糖さらさら
エリン・マクカシーは常人なら生存が絶望的な高度で落下しながら脳内CPUが急激に稼働するのを自覚していた。
ある日のスタークタワーの最上階
午前三時を回った室内には、無数の透過型ディスプレイが発する淡い青と赤のホログラムの光だけが明滅していた。
かすかなサーバーの排熱音と、トニーが手元で回す炭酸水のグラスの氷の音だけが、深夜の静まり返った空気の中に溶けていく。
金属製の長机の上には、中身が完全に空洞の、私が擬態用に携行しているダミーのファイズフォンが転がっていた。
「で、本題だ、新入り」
トニーは片手に持ったグラスを置き、操作盤を無造作に叩いて、ホログラムの複数レイヤーを私の前に大きく展開した。そこにはアーマーファイズの漆黒のシルエットと、私が戦場でぶちまけた無数のセンサーログの生データが重なって表示されている。
「お前のその『中身が肉』のアーマー、表向きは俺のナノテックで動かしてることにする。完璧にな」
彼は指を一本立て、不敵な笑みの裏にある天才としての、そして彼女の「大先輩」としての底知れない覚悟をギラつかせた。
「まず基本だ。J.A.R.V.I.S.のメインフレームのルートディレクトリに、専用サブルーチンを極秘で仕込んだ。『Faiz-Armor Overlay Protocol』――通称、俺の中ではサブルーチン555だ」
ホログラムのコードが高速で流れる。
センサーが検知するはずの致命的な異常値――骨格の異常増殖、エネルギー源となるバッテリーの不在、そして衣服を喰らいながら生体組織を直接生成するモーフィングの波形が、次々と「正常なナノマシン応答」に書き換えられていく欺瞞のシミュレーションが映し出された。
「低〜中脅威の戦闘なら、このプログラムが裏で勝手にフィルタリングする。
センサーがバッテリーがないだの骨が変な方向に伸びてるだのと言い出したら、即座にアーク・リアクターのダミーログを同期して正常出力したってフェイクに上書きする設計だ。
見た目の光もエネルギー署名も、全部スターク製の最新重装甲ナノアーマーに見えるようにな」
トニーはグラスの炭酸水をひと口含み、渇いた喉を潤してから、その洗練された大人の嘘の数式を繋げた。
「ただし、完全自動の丸投げにはしてない。理由は三つだ。
ひとつ、AIの処理パターンが異常に綺麗すぎると、シールドの監査部門に逆に怪しまれる。
ふたつ、俺が制御を手放すのは嫌いだ。
みっつ、万が一が起きたときの責任の所在を、この俺自身の手元にはっきりさせておきたい」
彼はホログラムを指先でさらに拡大し、アーマーフォームの両肩にモーフィング形成された巨大なフォン型ユニットを指差した。
「追加モジュールのこの肩ユニットはエネルギー増幅・位相ロックモジュールとしてシールドの公式網に登録済みだ。全身を走る流血のような赤い回路ラインはナノ粒子のエネルギー流路可視化。
これですべて技術的な説明(言い訳)が通る。
一般市民やシールドの一般隊員、J.A.R.V.I.S.の通常ログを騙すにはこれで必要十分だ」
トニーは長机の上の偽ファイズフォンをつまみ上げると、手遊びのように宙に放り、硬質な手のひらで無造作にキャッチした。
「これ、モックアップ。中身スカスカ。だから、衆目の前やセンサーが濃い場面ではちゃんと開けて、それっぽくコードを打ち込んで『Armor Form』とか言わせろ。
人間らしい無駄な手間や手続きを残すのが、擬態を長期で維持するための基本だ。
人目のない場所で思考同期だけで一瞬で変身するのは自由だが、その生のデータログは、俺が裏で全部コード入力→ナノ展開の手順に書き換える」
トニーの視線が、かすかに鋭い実務の温度を帯びる。
「……だが、あの魔法少女としか言いようがない形態は別だ。
あれは事前登録してもカバーのバッファが確実にパンクする。一応、オメガ・ファイルにはフェアリー・プロトコルって名前で高密度エネルギー展開時にナノ粒子が光学的に特定形状に収束する副産物と説明(ハッタリ)はつけておいたが……正直、限界がある。
あれを出すときは、事前に俺のHUDに一言アラートをくれ。リアルタイムでログを全力で掻き回してやる」
彼は椅子の背もたれに体重を預け、天井の白い蛍光灯を見上げた。
「要するにだ、お前が強化人間がスタークのハイテクを使ってるって演技の建前を崩さない限り、俺がセンサーの嘘を永久につき続けてやる。
お前が守りたい母親のダイナー周辺の安全保障も、フューリーとの薄氷の契約も、全部この俺が組んだフィルターの上に乗ってるんだよ」
トニーは再びホログラムの青い光を消し、ワークショップの暗がりのなかで、私を真正面から見つめてきた。
「質問はあるか、新入り? それとも、お前のその肉の塊(バケモノ)がどうやって最新ナノアーマーに見えるかの仕組みを、もう一度最初からゆっくり説明してほしいか?」
ラボには、空調の低い無機質な音と、二人の間でどこまでも静かに共有される、冷たい炭酸の泡が弾ける音だけが残されていた。
◆ ◆ ◆
そこに恐怖を検知する理由は存在しない。
ヘリキャリアの甲板を引き裂く乱気流と、クインジェットの20ミリ弾の物理衝撃。
私をこの鉄の要塞に繋ぎ止めていた命綱のロープが切断された瞬間、私の身体は重力に従って雲海の向こうへと真っ逆さまに滑落していった。
高度数千メートルからの自由落下。
生身の人間であれば、地上に激突して肉片となって地表を汚すだけの確定した死。
だが、私の脳内CPUは、激しい風圧に黒髪のボブカットを暴れさせながらも、最も効率的な「生存の式」を淡々と弾き出し続けていた。
私は空中で専用インカムの一般通信網を自ら完全に切断した。
シールドの一般網に、これから行う私の中身の書き換えを1秒たりとも観測させるわけにはいかないからだ。
ファイズフォンは、すでに私の生体組織の触手によって空中でベルト(ドライバー)ごとガチリと腰へ固定されている。私は空をハックするように、フォンを開いて変身コードを入力した。
『Armor Form』
その電子音声が流れると体の内側から泥のようにあふれ出す生体組織。
流体光子、フォトンブラッドの全開駆動が始まる。
雲海を割り、蜘蛛の中で漆黒のライダースーツと灰色の硬質装甲が私の四肢を完璧に覆い尽くす。フォトンブラッドの流れ内側に密閉した、コントロールされたアーマーファイズの完成。
顔面に金色の鷹のような複眼が現れ、両肩にファイズフォンのようなデバイスが合わせて4本形成される。
ドゴォォォォォォンッ!!!!!
次の瞬間、ニュージャージー州の寂れた廃工場のコンクリート床へ、私は巨大な隕石のように正面から激突した。
衝撃分散システム最大稼働。
通常のファイズを100としたときアーマーの耐久力300〜350の剛性に物を言わせて五点接地で着地を試みる、結果失敗し更地に直径数十メートルの巨大なクレーターが穿たれ、猛烈な土煙が舞い上がった。
生体システム、オールグリーン。
全細胞の構造にエラーなし。
生存マージンの獲得を承認。
エリンのあずかり知らぬことだが
激突の刹那、トニー・スタークがJ.A.R.V.I.S.の最下層に走らせている『サブルーチン:555』の暗号化パケットが、この衝撃のバイタルパルスを正確に受信した。
アイアンマンのマスクの視界の片隅に、「新入り、生存確認。骨格異常なし」の緑のログがサイレントでポップアップする。
鉄の男が裏で「よく生きてたな、お嬢さん」と安堵の息を漏らしていた。
私はクレーターの中心で静かに変身を解除し、ただのエリンの姿に戻ると、ポケットの中で激しく振動を始めた専用端末のボタンを押した。
ハッキング隔離された暗号回線の向こうから、いつもの不機嫌そうな片目の男――ニック・フューリーの低く、乾いた、しかし微かに焦燥の匂いを孕んだ声が滑り込んできた。
『……マクカシー。生きて着地したのなら、休んでいる時間は1秒もない最悪の事態が発生した』
私は黒いコートについたニュージャージーの泥を不器用に払いながら、平坦な声を返した。
「背景情報の開示を、長官殿」
『ロキが脱獄した。檻の中にあったのは奴の幻影だ。それだけじゃない。アベンジャーズの実験卓から、あの黄金のセプター、ロキの杖が、内側の洗脳された駒によって静かに奪還され、奴の手元へ戻った。
奴の目的地はマンハッタン、スターク・タワーだ。
アーク・リアクターの動力をハックして四次元キューブを起動させ、攻防一体の純粋光子バリアを張りながら、上空にワームホール・ゲートを開く気だ』
フューリーの言葉が、私の脳内CPUとリアルタイムで同期する。
マンハッタン。
スターク・タワー。
その目と鼻の先にある、ヘルズ・キッチンの古いアパート。
換気扇の低い唸りがするダイナー。
あそこが異星人によって踏み荒らされれば、私の生存演算のすべてが自壊する。絶対的な赤字。
『現在、アベンジャーズはヘリキャリアからクインジェットで出撃する。だが、距離的にマンハッタンへ一番乗りできるのはニュージャージーにいる、お前のそのアクセルだけだ。
今すぐ走れ、マクカシー。
ただし、移動時のソニックブームで一般市民の命を引き算するな。被害を出すな。お前の首輪がどうなるか、分かっているな』
「ディールは成立していますよ、長官殿。被害の最小化は、私の得意な計算です」
プツン、と通信を切り
ファイズフォンをベルトに叩き込み555と打ち込み続けて、撫でるように「ENTER」のキーを押し込む。
『STANDING BY』
『COMPLETE』
その瞬間、肌に触れるベルトの裏面から、粘り気のある微細な生体組織が泥のようにドクドクとドライバーの内部へ注入され、模倣された生体の回路が機能を再現する。
衣服が一瞬にして粒子となって分子分解され、私の漆黒のライダースーツと黒いコートが生成され、肩や膝、前腕部に骨殻を連想させる重厚な灰色の硬質装甲が形成される・
最女性らしい華奢なしなやかさの輪郭をタイトに縁取るようにして鮮血を思わせる鮮やかな真紅の流体光子(フォトンブラッド)の輝きが走る。
今ここにファイズが再誕した。
状況は切迫している、現実時間のタイムリミットはワームホールが完全に固定されるまで残りわずか数分。
通常の走力では、物理的にマンハッタンへの先回りは不可能。
だが、先代クウガとゴウラムの霊石を吸収した私の生体システムには、もう一つの狂気的な数式が残されている。
私は左腕に、赤白のファイズアクセルをモーフィングで直接生やし、スタータースイッチを激しく押し込んだ。
瞬時にフォトンブラッドの深紅の輝きが沈黙し、スーツの黒が白に反転する。
『START UP』
機械的な電子音が響いた瞬間、世界からすべての「音」が完全に消え去り、舞い上がる土煙も、空気の分子さえもが空間にガラスの弾丸のようにピタリと完全停止した。
現実世界、客観時間のたった10秒間。
だが、私にとっては――それは最大主観時間で2時間46分の時間的猶予をもたらす。
100mを0.0058秒。
時速にして約6万キロ、マッハ50を超えるアクセルフォームのスピード。
私は静止したときの中でニュージャージーの廃工場の壁を蹴り破り、完全に止まったハドソン川の水面を踏み荒らすようにして、マンハッタンへ向かって一直線に爆走を始めた。
誰の理想にも付き合わない。
世界のためになんて1ミリも戦わない。
私はただ、主観時間2時間半の孤独な闇を走り抜け、ワームホールから最初のバケモノが頭を覗かせるその前に、お母さんのダイナーの前に、必ず一番乗りで滑り込む。
それだけの計算のために、私は白銀の光となった。
◆ ◆ ◆
同じ頃、遥か上空のヘリキャリア・ブリッジ。
「フューリー!!! 君は正気なのか!!!」
作戦室の長机を両手で叩きつけ、キャプテン・アメリカ――スティーブ・ロジャースが、その碧い眸に烈しい怒りと悲痛の熱を灯して、眼帯の管理官に真正面から物申していた。
「今さっき、甲板で私たちのためにガトリングの雨を浴びて、真っ逆さまに落下していったばかりだぞ! 20歳になったばかりの、本来なら戦場にいるべきではない女性だ!
それを、生きて着地したからと確認するや否や、1人の増援もないまま、マッハ50の機動でニューヨークへ一番乗りしろと命令するなんて……君には、人間の血が通っていないのか!」
キャップの、胸を抉るような生真面目な怒号が響く。
だが、ニック・フューリーは、机に放りだされていた血に染まったコールソンのトレーディングカードをポケットに収めながら、無表情のまま冷酷に言い放った。
「ロジャース隊長。あの子は世界を救う『程度』の作業なら付き合ってやると、自分の口で言っていった。
あいつはリスクとリターンの計算だけで動く。
綺麗事を言っている間にニューヨークはロキの玩具になるぞ。……動け」
「キャップ無駄だよ。あの片目のストーカーに倫理観を求めるだけ時間の無駄さ」
トニー・スタークがマーク7の赤と金のヘルメットをガシャリと閉めた。
「J.A.R.V.I.S.、ナノテクVer.2.0のフェイクログの同期制限を全開にしろ。新入りがマンハッタンの空でどれだけバカげた光をぶちまけようが、俺たちの社名のホログラムバグとして上書きしてやる。
パーティーに行こうか神様」
「フン、我が同盟者が一足先に地獄の戦場へ馳せ参じたというなら、俺が遅れを取るわけにはいかん!」
ソーが豪快にムジョルニアを大回転させ、青白い雷撃の奔流とともにヘリキャリアの甲板から夜空へと一足先に飛び立った。トニーのアイアンマンもまた、足元のアーク・リアクターの爆音を響かせ、激しい反動とともに超高速でそれに追随する。
それぞれの最大最速の移動手段で、二人がニューヨークへと急降下していく。
残されたスティーブは、唇を強く噛み締めながら、星条旗の盾を背中に背負い直した。
「ロマノフ、バートン。私たちも行くぞ。あの過酷な速度のなかで孤独に走っているあの子に、今度こそ、アベンジャーズというチームの温かさを見せてやるんだ」
「了解よ、キャップ」
「……ああ。あの子に貸しちまったデカいマージン、今度は俺の弓で黒字にして返す番だ」
正気を取り戻し、後輩への償いの執念を眸に灯したクリント・バートンが弓の弦を鳴らし、ナターシャが操縦桿を引く。
爆音を立ててヘリキャリアの格納庫から発進するシールドのクインジェット。
マクロな世界の崩壊を止めるため、そして、今まさに静止した世界の中を死に物狂いで激走している一人の少女の日常を守るために。
アベンジャーズの歯車が熱を帯びて噛み合いはじめ、マンハッタンの戦雲の渦巻く空へと猛烈な速度で出撃していくのだった。
◆ ◆ ◆
アクセルフォームの機動は現実の時間の流れを完全な静寂へと置き去りにする。
現実世界のわずか「2秒」、主観時間にして約「50分間」に及んだニュージャージーからの超加速マラソン。
私は完全に静止したハドソン川の水面を踏み荒らし、マンハッタンの最中心部へと白銀の流星となって滑り込んでい。
視界の先、立つスターク・タワーの巨大な壁。
私は歩調を1ミリも緩めない。
時速6万キロ、マッハ50を超える白銀のシルバーストリームの慣性エネルギーをそのまま垂直方向へと反転させ、私はタワーの壁面をとして一気に駆け上がった。
静止した世界の中、私が駆け抜けた軌道上のガラス壁が衝撃波を伴ってクモの巣状に爆砕していく。
わずかコンマ数秒、アクセルフォームの制限時間が切れる寸前の最高速度のまま、私はタワー最上階のヘリポートへとエントリーしていた。
視線の先、チャンバー装置の周囲に展開された、あらゆる質量を拒絶する四次元キューブのエネルギーを利用した位相障壁(バリア)。
私は空中で体勢を反転させながら、両拳にファイズショットを生成、次いで生体システムのリミッターを強引に引き剥がした、限界負荷の連続起動を敢行する。
すぅ~っと息を吸い込むと即座にチャージされたファイズショットによるグランインパクトを連続して叩き込む。
私はアクセルモードの時間いっぱいを利用し、その絶対的なバリアの正面へと、間髪なくアクセルフォーム版・グランインパクトをただひたすら叩きつけた。
『TIME OUT』
「そして時は動き出す」
ギギギギギギギギギギギッ――――――ッ!!!!!
現実の時間が爆音と共に復調し、アクセルモードが強制解除されると同時に空間のルールそのものが軋みを上げるような激突音が連続して炸裂する。
しかし、四次元キューブが張る障壁は、超神速による限界の連続投下をもってしても傷一つつけられず、破壊には至らない。
「――なら、これが出力の上限です」
『Armor Form』
私は即座にファイズフォンにコマンドを入力した 。
次の瞬間、衣服が光の粒子となって融解、内側から「アーマーファイズ」の強固な装甲が爆発的に形成された。
胸部と四肢の回路を脈打つ赤いフォトンブラッドの輝きは、内側に完全に密閉され、血管のような生々しい漏れを一切見せない。
両肩からは、エネルギー位相制御用のフォン型ユニットが、ナノマシンの自動パーツ再構築であるかのように整然と生え変わる。
「これで壊れなさい」
フォトンブラッドを生成する系を全開で稼働させ右足に全エネルギーを収束させる。
躊躇はない、出力の暴力と化した【超強化クリムゾンスマッシュ】を真っ向からバリアへと直撃させた。
ギ、ギ、ギ、ミキミキミキミキッ――――――ッ!!!!!
今度こそ、世界そのものが破滅を叫ぶような凄まじい斥力の激突音が爆発した。
アーマーファイズの超出力による一撃は、その絶対的なバリアの球体を、内側へ向かってミキミキとわずかに、しかし強引に凹ませ、歪ませるという、凄まじい空間干渉を成立させてのけた。
ズガァァァァンッ!!!
だが、限界まで歪んだ障壁が放った、宇宙原初のエネルギーはあまりにも理外の質量だった。反作用にエリンの身体は、強烈な衝撃波とともにマンハッタンの虚空へと派手に吹き飛ばされた。
大気を切り裂きながら吹き飛ばされながらもハニカム構造の生体衝撃吸収骨格を最大駆動させ、背中からフォトンフィールドを発生させ空中で瞬時に体勢を復元する。
そのコンマ数秒の刹那、バリアを限界まで凹ませた際に鷹のような形状の金色の複眼へとダイレクトに逆流してきた、障壁の未加工データ。
脳内CPUが、その不気味な青い光の味を冷徹にプロファイリングした。
標的を識別。
四次元キューブ。
物理法則を容易くねじ曲げる空間の力。
そして、私の全細胞が貪り喰いたいと狂うほどの猛烈な飢餓感――これは、あのヘリキャリアの実験卓で私の本能を狂わせたロキの杖(セプター)の核と酷似した波長。
最大火力の二連段階テストを経て、私はこのバリアの完全なシャットダウンが、エネルギーの力ずくでは絶対に不可能であるという解を冷徹に弾き出した。
大事なのは波長なのだ、ロキが持っているだろうそれを奪取し装置に叩き込んでやるのが最も合理的だ。
だが私は戦術の式を即座に切り替えた。
目的は世界を救うことではない。
最優先はヘルズ・キッチンになだれ込んできた異星人の軍勢から、お母さんのダイナー周辺のインフラをガードすることだ 。
高度を落とし、ビル群の屋根を跳躍しながら、私はヘルズ・キッチンの街へと迫るチタウリの飛行艇の群れ、そして最初の一頭である魚類のような戦艦の進路へと立ち塞がった。
「そこから退きなさい 」
ガグォォォォン――――ッ!!!!!
私は右拳に生体モーフィングでファイズショットを実体化させ、フォトンブラッドを極限までチャージした【最大出力グランインパクト】を、波打つ戦艦の頭部へと真っ向から叩きつけた 。
直撃した刹那、流体光子の致命的な熱量が戦艦の重装甲を分子レベルで一瞬にして赤熱化させ、爆風も誘爆も一切生ませないまま、ただの物言わぬ灰へと静かに熱分解・消滅させていった。
だがそれで終わらない100メートル約3.2秒の走力で即座に異星人に襲い掛かりフォトンブラッドを纏った拳を叩きつけて灰にしていく。
避難が全く為されていない戦場では一般人を避難させるより敵を排除したほうが合理的。
チタウリは確かに続々と降下している、だがその最前線の異形の戦士が真っ向から迎撃しさっきまで命だったものを灰にしてぶちまけていた。
◆ ◆ ◆
マンハッタン上空。
時間はエリンがアーマーファイズとなって全力全開の暴力を叩きつける直前に戻る。
アイアンマン・マーク7の内部、密閉されたヘルメットの暗がりに、狂ったような速度で網膜を焼き焦がす警告ログの濁流がポップアップしていた。
「……おいおい、冗談だろ。J.A.R.V.I.S.、網膜のグラフィック・インターフェースを今すぐ反転しろ。新入りの波形が濃すぎて、前が見えやしない」
トニー・スタークは、リパルサーの反動でチタウリの飛行艇をねじ切りながら、マスクの裏で冷や汗を流していた。
彼の眼球の動きに同期して明滅する数千のウィンドウ。
その最上層に、かつて彼が「肉隠しフィルター」として仕込んだ最高機密の検閲プログラム――『Faiz-Armor Overlay Protocol(サブルーチン555)』の進捗インジケーターが、完全に真っ赤な臨界色を放って激しく明滅していた。
『警告:サブルーチン555、メモリバッファ超過。未加工生体パルスの自動フィルタリングに失敗しています。シールド一般網へのリーク確率――現時点で74%』
トニーのHUDには、スターク・タワーのヘリポート周辺を「視覚化された化け物の質量」として捉える、凄まじい熱源グラフがプロファイリングされていた。
通常のファイズが「100」の正常値であるならば、タワーの垂直壁をマッハ50で駆け上がり、時間いっぱい連続グランインパクトをバリアに叩き込んでいるあのお嬢さんの生体エネルギーは、すでに『280〜320%』の限界閾値を超えて跳ね上がっている。
『生体スキャン、骨格組織の異常超高密度化を確認。ハニカム衝撃吸収ダンパー、分子間結合角の強制歪曲エラー。……エネルギー源:アーク・リアクター、フォトン粒子ともに不在。……内臓、および全細胞:流体光子による瞬間的なモーフィング融解を検知』
「バッテリー不在のまま、人間を辞めた骨の塊が、純粋な物理衝撃だけで四次元キューブのバリアを凹ませてる。シールドの衛星が見たら、一発で解剖室行きだな」
トニーの眼の前で、J.A.R.V.I.S.の自動処理が処理遅延を起こし始める。
彼女がさらに『Armor Form』へ移行し、アーマーファイズへ羽化し、全開の出力で【超強化クリムゾンスマッシュ】を直撃させたその刹那――タワーの頂上から、マンハッタン全体を揺らすほどの理外の斥力波が全センサーを麻痺させた。
『致命的なバグ:出力算定不能。通常アーマー仕様を400%超過。一般網への偽装偽造、完全崩壊まで残り0.003秒』
J.A.R.V.I.S.の自動処理ではもう追いつかない。
J.A.R.V.I.S.はあまりに綺麗な「嘘の数式」を作ろうとしてフリーズしている。
だからこそ、トニー・スタークという「大人のプライド」が、戦場のど真ん中で牙を剥いた。
「J.A.R.V.I.S.、綺麗なお手本はゴミ箱に捨てろ。力ずくで濁流を掻き回すぞ」
トニーはリパルサーの銃口を迫り来るエイリアンに向けたまま、視線だけでHUDの最下層にある、赤く点滅する『手動割り込み・承認』のボタンをフリックした。
彼の手動承認のパルスが走る。
トニーは喉を鳴らし、マスクの内側でわずか数語の音声コマンドを叩きつけた。
「プロトコル555、割り込み上書き。一般網のログの異常出力をすべて『マーク7のプラズマ熱伝導に伴う、カモフラージュの実験的バグ映像』に統合しろ。新入りの働きを世界に見せるな!」
『了解いたしました、サー。手動書き換えプロセスの実行を承認。ダミーの同期データを一般網およびシールド一般ログへ強制インジェクション。……完了しました』
次の瞬間、彼女が放ったスタジアムを吹き飛ばしかねない超強化クリムゾンスマッシュの理外の衝撃波データは、シールドの観測班のコンソール上では「アイアンマン・マーク7が放った次世代ステルスの、局所的なホログラム投射バグとプラズマ熱中和の不具合」という、最高に洗練された『大人の嘘』の数式へと滑らかに書き換えられていった。
バリアの反作用で彼女の身体が虚空へ吹き飛ばされ、ハニカム骨格で姿勢を制御したそのミリ秒の間に、トニーのHUDには、彼女から送られてきた『バリア突破にはロキの杖の波長が必要だ』という冷徹なオーダーのパケットが、青い文字で綺麗にプロットされていた。
「とんでもないステージを演じてくれるじゃないか、新入り」
トニーはブースターを満開に蒸かし、彼女の残していった最高のアドバイスを胸に情報の共有と指示を飛ばす。
どれだけあの少女が日常を守るためにバケモノの光をぶちまけようが、その業のすべてをナノテクノロジーの不具合、スタークの責任として丸ごと背負ってやる。
J.A.R.V.I.S.のHUDに浮かぶ緑の同期完了ログを見つめながら、トニーは不敵に笑ってみせるのだった。
◆ ◆ ◆
その凄惨な市街地蹂躙戦の最中、マンハッタンの空に、激しいスラスターの爆音が轟いた 。
ヘリキャリアの戦場から本物の『復讐者』として覚醒し、マーク7の装甲を纏って転戦していたのを戦闘の隙間時間で接近してきたトニー・スターク――アイアンマンだ。
トニーはリパルサーをチタウリに浴びせながら、インカム越しに不敵な笑みを響かせた 。
「おい新入り!大先輩の俺たちが舞台を完璧にデコレーションしてやるって言っただろ!いつまで大根演技を続けてるつもりだ!」
私は迫り来る敵を次のグランインパクトで消滅させながら、平坦な声をトニーの暗号回線に滑り込ませた 。
「スタークさん単刀直入言います。
タワー屋上にあるワームホールを維持している装置ですがバリアを突破できませんでした。
エネルギーの力ずくでは絶対に破れません。
あれを破壊するには、エネルギーではなく同じ波長を持つ、あのロキの杖をぶち込むのが有効そうです。私のセンサーがそう弾き出しました」
『――何だって? 最高のアドバイスだ、新入り! お客さんの出迎えは俺とソーが、杖の回収と装置の破壊はキャップたちに任せる!』
「了解。ここからは隠蔽のバッファを超過しますが上空の穴を直接叩き潰しにいきます 」
『わかった!観客席にいるお客様にお前のダンスを見せつけてやれ!』
ドンッ!!!
大気そのものを踏み砕くようにして、私は一気に高度を上げた。
アーマーファイズの背中からフォトンフィールドを発生させて上昇しつつ右足にフォトンブラッドを集中的にチャージ、紅い光のヴォルテックスを描き、異星人を蹂躙しながらワームホールに突入した。
◆ ◆ ◆
ワームホールを越えた先。
そこは、人間社会の法や、地球の引力という生温いインフラが一切作動しない、絶対的な暗黒と冷気の世界だった。
大気を越えて、宇宙にいる。
その物理的な事実に、言語化不能な理外の残響が、私の脳内CPUを烈しく白熱させていく。
だが、感慨に浸る時間は1ミリ秒も残されていない。即座に意識のすべての回線を、目の前に広がる――地球の凡百の知性を遥かに置き去りにした、チタウリの巨大な大艦隊の迎撃処理へと切り替えた。
脳内CPUが即座に戦場を把握しようと動き出す。
落とすべきは頭である超巨大要塞型の中枢母艦1、その直掩の大型巡洋艦らしき約20〜30隻。
その異星文明の船から無数の生体飛行戦艦や装甲艇が飛び出し次なる破壊をマンハッタンへ投下せんと牙を研いでいる。
小型粒子加速器であるファイズブラスター。
私の怪物の肉にはその兵器の設計図が完璧に記憶されている。
空間をハックするようにして、両手に直接、紅い流体光子の回路を持つ小型粒子加速器がモーフィング生成され、キーパッドへの入力すら省略して連動駆動を開始した。
次の瞬間、私の肉体の内側から、久しくなかった爆発的なエネルギーが奔った。
アーマーファイズを形成する装甲やアンダースーツが、光の粒子となって激しく融解していく。熱を帯びたフォトンブラッドの輝きは、全身を優美に包み込む純白とピンクの光のドレスへと羽化し、右目にゴウラムの遺した青空のクリアブルー、左目に怪物の業を灯した深く冷たい赤の虹彩が、宇宙の深淵を鋭く射抜いた。
地球人が観測しえない虚無中で、絶対的な蹂躙の特異点が完全解禁された。
「そこから消えなさい。お母さんの日常にあなたたちの存在は許されない」
ドレスの裾を激しく翻し、真空の虚空を踏み荒らすようにして、私は星の海へと単騎で突撃した。
――ここから先は手当たり次第の破壊だ。
トニーのナノアーマーの建前も、シールドの検閲網(サブルーチン555)の許容量も、地球圏から飛び出したここではすべては無用の長物。
私は右手に、フォトンブラッドの位相変化を極限まで尖らせた「青い極光の刃」を剣のようにモーフィング生成して構え、目の前に広がるチタウリの戦列へと、ただひたすらに、力ずくで薙ぎ払うようにして突進していった。
戦艦を物質的に爆砕させるような、雑な戦術は取らない。私の青い極まった光の嵐は、接触したチタウリの装甲艇、そしてリヴァイアサンの金色の巨躯を瞬時に包み込み、爆風も破片という二次被害を1ミリも周囲に発生させないまま、ただの物言わぬ青い粒子、あるいは灰へと、一瞬で、冷徹に熱分解・消滅させていった。
一太刀で戦艦の群れが灰の川へと還元される。
返しの二撃目で、後方に控えていた数機の飛行艇が、存在そのものを否定されるようにサラサラとした赤い砂粒となって消滅していく。
巨大な母艦を落とした瞬間に地球に雪崩れ込もうとする、あるいは私を取り囲もうとする異星人の動きが止まる。
だが、だからどうしたというのか。
真空の世界をハックするように跳躍を繰り返し、ドレスのフリルを血のような光で濡らしながら、チタウリの艦隊を最後まで蹂躙し尽くしていった。
地球というちっぽけなミクロな日常を守るため、すべてを置き去りにして宇宙の最果てで牙を剥いた最強の怪物のカーテンコール。
星の海を埋め尽くしていく、美しくも悍ましい赤い灰の残光。
私の周囲から、排除すべき外敵の赤字が、動的な戦場から一枚も残らず消滅し、静寂だけが宇宙の暗闇に戻ってきた。
……少し、疲れたかな
最大臨界を維持し続けた私の生体回路がパチパチと激しい火花を散らし、神経ネットワークが強烈な負荷でしびれ始める。
ドレスの光が僅かに濁り、重力のない虚空へと私の華奢な肉体が漂いかけ、身を任せたくなるよう眠気におそ憐れ意識がブラックアウトする、まさにそのコンマ数秒前の刹那だった。
ガシィィィンッ!!!
私の肩を強固な金色の金属の手が、これ以上ないほど力強く掴み取った。
『ナイスショットだ、お嬢さん。……だが、ここは女の子のパトロールコースにしちゃ些かロマンチックが過ぎるな。地球へ帰るぞ』
インカムのノイズを割って響いてきたのは、トニー・スタークの、少し息の荒い、しかしこの世の何よりも不敵な、大先輩としての皮肉だった。
アイアンマン・マーク7の背面のブースターが真空の闇で烈しく火を吹き、私は彼にがっしりと抱きかかえられたまま、閉じかけのワームホールのゲートを間一髪で突き抜け、マンハッタンの青空へと滑り込むようにして帰還するのだった。
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