MCU世界で『ただいま』を言えない怪物   作:お砂糖さらさら

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アイアンマン3編 12月21日午前~12月22日未明

 ピ、と人外の硬質な指先がコンソールの通信承認ボタンを叩いた。

 

12月21日、金曜日、午前10時30分。

 

 

 S.H.I.E.L.D.ニューヨーク支局、隔離アーカイブ室。

透過ディスプレイが吐き出す冷たい青白い光を浴びながら、シールド仕様の専用端末の暗号回線を開いた。

 

海の向こうから海の向こうへと繋がる、完全に隔離された非公式の暗号パケット。

 

一秒の沈黙の後、スピーカーのノイズを割って滑り込んできたのは、相変わらず不機嫌そうな隻眼の管理官、ニック・フューリーの低く乾いた声音だった。

 

『マクカシーか。ニューヨークのハンガーへ着陸したと報告を受けてから、まだ一時間と少しだぞ。……まさか、あの“爆弾じゃない爆弾”の正体に、もう掠りでもしたというのか』

 

「定時報告です、長官殿」

 

 私は喉の形状を「エリン・マクカシー」の仕様に正確に固定し、血の通わない平坦な声を滑り込ませた。

 

「結論から申し上げます。マンダリンなどという国際テロリストは、この惑星のどこを探しても存在しません。あれは、ある巨大なインフラが自らの致命的なバグを覆い隠すために仕立て上げた、極めて精巧なハリボテにすぎません」

『……何だと?』

 

 インカムの向こうで、フューリーが葉巻を噛み締めるような、重々しい衣服の擦れる音が聞こえた。世界を救う専門家を自負している国際安全保障理事会の凡愚どもが、新手のステルス爆弾の幻影に平伏しているまさにその朝に、二十歳の少女の形をした計算機は、すでにチェス盤の王手をかけていた。

 

「長官殿から託された特権のおかげですよ、シールドの強権を発動し過去9件に関するの気化爆発ログ、その周辺で観測されたすべての変数を可能な限り取得できましたので。

 

詳しい経緯は省きますが昨今、トニー・スタークのJ.A.R.V.I.S.のメインフレームを外側から窒息させていた欺瞞暗号パルスのデジタル署名を逆引きスキャンしました。

 

……ヒットした発信源の固有IDは、ただ一つ。

現在、政府から国防総省の通信インフラ、およびジェームズ・ローズのアイアン・パトリオットのOS改修を公式に全面委託されている特級民間シンクタンク――アルドリッチ・キリアン率いるA.I.M.です」

 

『A.I.M.……! バイス・プレジデントや政権の最中枢にまで深く寄生している、あのキリアンがお前の言う黒幕だというのか。……ロジックを証明しろ、マクカシー』

 

「極めてシンプルな答え合わせですよ」

 

 

 私は透過ディスプレイに躍る、A.I.M.の非課税助成金の決済ログを指先でなぞった。

 

「公式に身元が割れている三人の退役軍人の軍事カルテ。彼らは全員、戦地で重度の四肢欠損を負い、再生医療の補償手続きを行っていた。

私はその三人のデータを分母にし、A.I.M.が資金を流している地方の民間病院の『整形外科・先進再生医療部門』の隔離ログだけをピンポイントで縦に串刺しスキャンした。

……爆発の起きた地方都市と、彼らの実験拠点は完全に一致。

 

さらに、その病院の治験名簿に名を連ねていた四肢欠損者たち。

彼らの銀行口座や社会保障番号の稼働状況をシールドの広域網でクロス・レファレンスした。

 

……式は完璧に合致。

 

身元不明のまま完全気化して消滅していた残り六人の人間たちは、全員が爆発のまさにその瞬間を境界線にして、社会からすべての生存ログが永続的に途絶していた。

 

彼らが、A.I.M.の甘い言葉に縋って手足を取り戻し、実質的な人体実験の果てに、内側から焼かれて消えたモルモットたちの本名です」

 

アーカイブ室の冷え切った空気に、私の淡々とした事務的な報告だけが落ちていく。

 

「彼らは病院のベッドの上で爆発したのではない。適合に失敗して人間熱核爆弾と化した欠陥品を、キリアンはマンダリンのテロという偽装ログで上書きした。

彼らが平然と全世界の電波ジャックを成立させていたのも、政府から公式に軍事ネットワークの管理権限を委託されていたからです。最初から、鍵は内側から錆びていたのですよ、長官殿」

 

『……ッ。政府のインフラを使い背中から撃たれたというわけか……』

 

フューリーの低い声の最深部に、激しい不快感と、それ以上の、このバケモノの演算能力に対する底知れない戦慄が混ざり合うのを私のセンサーが明瞭に検出した。

 

 

「このA.I.M.の通信ログと実験拠点の座標といった調査内容は共有しておきます。

ここから先の調査及びA.I.M.の戦力を物理的に削り落とすのは、シールドの公式アセットで処理してください」

 

『……いいだろう。現場の実戦の処理は、シールドの担当だ。お前は引き続き、ニューヨークで残党の動向をマークしろ』

 

「いえ、せっかくですが今夜、ロサンゼルスで、A.I.M.の衛星パルスによる『10件目の臨界自爆』を予測しているのでそちらに向かいます。

 

スターク・インダストリーズの現警備主任であるハッピー・ホーガンが、エリック・サヴィンの足跡を独自に尾行しているログを傍受しました。

この男はペッパー社長の元を訪れたキリアンの不審なボディガード――A.I.M.の衛星も、サヴィンの持つ端末へ向けてピンポイントで位置誘導のパルスを送信し、ハッピーが何も知らずにその怪物の罠へ後ろから追随している。

 

何かが起きそうな雰囲気でしょう。

 

彼が巻き込まれて即死すれば、スタークさんの精神は完全に全損し、私の安全装置が永久に失われる。それは、私にとっても、あなたのように力を管理する側にとっても許容できない巨大な赤字になるはずですから」

 

『ロスでの避難誘導と処理の準備はしてやる。しくじるなよ、マクカシー』

 

プツン、と暗号通信が一方的に切断され、ホログラムのインジケーターが静かに消灯した。

私は端末をアタッシュケースに収め、黒いコートの裾を揺らしてアーカイブ室の冷たい鉄扉を押し開けた。

 

フューリーというマクロな盾を、私の計算通りにチェス盤の最前線へと配置した。

 

世界の守護者を自負するシールドの大人たちが、今夜、ロサンゼルスの地でハッピーの生存マージンと一般人の避難誘導という「無駄なコスト」を担当してくれている、そのドサクサで憐れな人体実験の犠牲者のパーツを回収する。

 

張り詰めた生存演算の数式は、今夜も完璧な黒字の軌道をアジャストしている。

 

 

 

◆   ◆   ◆

 

 

 

12月21日、金曜日の夜。

 

ロサンゼルス、チャイニーズ・シアター前。

サヴィンを追跡するハッピー・ホーガンを追跡してたどり着いた爆発テロの予測地。

明らかに様子がおかしい認識票を揺らす男がいた。

 

聴覚を強化して彼らの会話を盗み聞きする。

 

――タッカート、ボスの言葉だ。コントロールできなければお前を切り捨てる。

――これがある、大丈夫だ。

 

やがて坊主頭の男サヴィンが去ると、タッカートと呼ばれた男とハッピーが接触する。

 

ぶちまけたカバンの中身は薬物の吸引機か?

あんなもので人間を爆弾に変えることができる時代なのか。

ハッピーが吸引機をくすねたのがサヴィンにバレて追い詰められている。

 

 

潜んでいた建物の上から飛び降りてハッピーに伸ばされた腕を剛腕をもってつかみ取る。

 

「こんばんは違法薬物の売人、および自爆テロの黒幕さん。少し顔を貸してもらえますか?」

「スタークの子飼いのガキか!」

「私は成人しています」

 

男の腕が輝くのを視認し自爆を警戒し全力で蹴り飛ばす。人間にしては少々あり得ない踏ん張りを効かせたものの容赦なく吹き飛んでいく。

周囲から悲鳴があがるのを可能な限りの声量でかき消す。

 

「皆さん!避難してください!あわてず騒がず確実な避難を!!」

 

ポケットから取り出したファイズフォンに5・5・5と打ち込んで [ENTER]をなぞる。

『Standing by 』

 

電子音声を確認しベルトに叩き込む。

 

『Complete』

 

私服が即座に光の粒子となって分解され、かわりに黒のライダースーツとコートが生成される。

身体の各所に白い装甲が生成され、紅いラインが各所に伸びていく。

 

タッカートと呼ばれた男が薬物を吸引しているのが見える。

即座にオレンジの不気味な光が彼の身体を侵食していく、爆発まで、残りコンマ数秒。

火薬のログを遺さず、人間の全質量を三千度の熱へと強制モーフィングさせるその大爆発が四方に拡散すれば、せっかくのパーツもトニー・スタークのインフラであるハッピーも、すべてが気化即死して絶対的な赤字に転落する。

 

『START UP』

 

即座に左腕にファイズアクセルを生成、スターターボタンを押し込む。

紅いフォトンブラッドの輝きが沈黙しかわりにスーツの黒が白に反転した。

狙いは吸引機を吸い込んで体中を輝かせているタッカート氏。

 

「その薬があっても大丈夫じゃなかったみたいですね」

 

彼がもつトランクを破壊し吸引機の一つを体の内側に取り込ませて回収。

タッカート氏の姿はすでにオレンジの光に侵食されきった臨界状態。

私は一片の慈悲もなくファイズショットを生成し最大出力にチャージしたグランインパクトが、自爆寸前のタガートの胸部へと真っ向から直撃させた。

 

衝撃波も誘爆も一切生ませない、点の破壊。

フォトンブラッドの圧倒的な暴力がタガートの細胞の結合を刹那の時間に滅ぼし、彼は人間熱核爆弾として暴発する暇さえ与えられず、ただの物言わぬ冷たい灰へと瞬時に熱分解・消滅していった。

 

「おやすみなさい」

 

 

『TIME OUT』

「そして時は動き出す」

 

 

電子音声とともに現実の時間が爆音を伴って復調し、スーツの黒が戻る。

タガートが一瞬で静かに消滅した怪異のど真ん中で、横に立っていたキリアンお抱え戦士の筆頭であろう――エリック・サヴィンが、驚愕にその目を大きく見開いた。

 

「おじさん、そこの吸引機を回収して離脱してください。できれば避難誘導もしてくださると助かります」

 

「てめえ、何をしやがっ――」

「うるさいですよ」

 

サヴィンが体内の熱を拳に集中させて殴りかかってくるよりも、私のファイズエッジの光子刃が夜空を切り裂く方が、圧倒的に速かった。

 

ガシィィィンッ!!!

 

通常ファイズの剛腕を乗せた一閃が、サヴィンの右腕の関節を容赦なく破壊し、その肉厚な前腕を一刀のもとに毟り取るようにして切り飛ばした。

 

「その赤く輝く腕、今までの自爆テロとは違い完全適合者というわけですか」

 

切り落とされたサヴィンの右腕がアスファルトへ転がる。

それはまだ自爆していない、適合に100%成功した「生きた成功個体」の生体組織。

無限の超高速再生の遺伝子コードを秘めた、今夜の戦場における最大の戦利品。

 

「みなさん早く非難を!!」

 

しかし、その断面を見た私の生体センサーが、激しい計算違いを感知して網膜の端にノイズを走らせた。

 

切断されたサヴィンの腕の断面が不気味なオレンジ色の生体熱を噴き上げた直後、へし折られた骨と肉の繊維がミリ秒単位で蠢き、一瞬にして元の「生身の右腕」へと完全再生されていく。

 

「……即死を免れた成功個体。失った肉体を瞬時に形作る、真の自己修復システム」

 

エリンの喉の奥が、この半年間で最も激しく、悍ましくヒタヒタと鳴った。

だが、サヴィンの全身の血管が、かつてない臨界点を超えてオレンジ色に明滅し始める。

エサを強奪され実験を壊された怪物が自ら体内の熱量を限界まで励起させ自爆の構えに入ったのだ。

 

脳内CPUがミリ秒単位で次の式を弾き出す。

 

この大通りで成功個体に三千度の熱核を解放されれば、せっかく切り落としたサヴィンの右腕も周囲の人間も即死する。

 

……サヴィンの腕を死守し一般人も生かす。帳尻を合わせるための数式は、一つしかない。

 

私はファイズエッジを解除し腰のマウントすると、即座に駆け出す。

自爆を起動したサヴィンの胸躯へ馬乗りになるように強硬に組み付いた。

 

そして、腰回りから長く伸びた黒いコート――私の生体組織の延長であるそのシールドを、悪魔の翼のように大きくあけ広げ、自爆する怪物の身体を、内側から完璧に包み込むようにして「繭」の中に密閉した。

 

 

ド、ゴ、プゥゥゥゥンッ!!!

 

衝撃波も破片も外には1ミリも漏れない、籠った凄まじい生体波動がコートの内側で炸裂した。

 

サヴィン自身の肉体は、自爆の反作用によってその場から完全消滅し、夜風の霧へと消え去っていく。

代わりに、その三千度の熱核エネルギーのほぼ100%を、私は自らの通常ファイズの生体組織コートで直接、ダイレクトに内側へと押し込め封殺した。

 

「ガ、はっ……っ、お、えっ……」

 

キャパシティを完全に超過した熱量の暴力。

エクストリミスの耐熱回路をまだ体内に定着させていない現在の私のシステムにとって、それは肉体内を直接融解させる最悪のバックファイアだった。

 

チタウリの電磁シールド全開に発動しておきながらも纏っていたコートの半分が炭化してボロ雑巾のように焼け落ち、流体光子神経あるいは有機光ファイバーがドロドロに内部融解を起こしていく。

 

私は激しく黒い血をアスファルトへ吐き出し、その場に崩れ落ちた。

意識が急速にブラックアウト、修復のためのフリーズの闇へと滑り落ちていく。

 

 

だが、その消えゆく網膜の端で、私は自らの背中と脇腹の皮膚をドロドロに変態させ、切り落としたサヴィンの右腕を、炭化したコートの残骸ごと肉体の内側へ丸ごと呑み込み、サブルーチン555のフェイクログのなかに完璧に隔離・隠蔽した。

 

安全マージンの獲得を承認。

ハッピー・ホーガンは、私が熱を密閉した際のわずかな斥力波の衝撃のみで生存。サヴィンの腕の気化消滅も100%回避。

 

遠くから、フューリーが手配したシールドの初動回収班と警察のサイレンの音が、激しい雨音を切り裂いて近づいてくるのが聞こえる。

 

完全に動かなくなった華奢な少女の形のまま、降り始めた冷たい雨の中に沈んでいった。

自らの肉体を限界まで使い潰した対価として、数日間の長い眠りにつく。

だが生存演算は、この地獄絵図の幕引きの裏で、確かに次なる完璧な黒字の数式を完成させているのだった。

 

 

◆   ◆   ◆

 

 

ロサンゼルスの地方病院、その一般立ち入りが厳重に制限されたICU(集中治療室)。

無機質なバイタルモニターの電子音だけが規則正しく響く室内で、トニー・スタークは腕を組み、ベッドに横たわる親友を見下ろしていた。

 

ハッピー・ホーガン。

 

かすり傷と打撲、そして微かな爆風の余波による軽い脳震盪。

 

エリンが熱核のすべてを自らの肉体ごと窒息封殺したおかげでいくつかの点滴の管を繋がれただけの、ほぼほぼ無傷に近い状態で意識を保っていた。

 

だが、トニーの表情は、いつパニック発作を起こしてもおかしくないほどに青白く引き詰められていた。

 

「――トニー、すまない。俺がもっとあいつを上手く尾行できていれば」

 

ベッドの上で上体を起こしたハッピーが、苦痛に顔を歪めながら、チャイニーズ・シアターの前で目撃した世界の理を置き去りにした地獄絵図の記憶を、親友に向けて絞り出すように語り始めた。

 

「サヴィンって男を追ってシアターへ着いたんだ。そこで、認識票を持った男に怪しいケースを渡してた。……そこまではいい。だがその直後、その軍人の男の身体が、信じられないようなオレンジ色の不気味な光を放ち始めたんだ。

……熱だ。

周囲のアスファルトや鉄骨がドロドロに融けるほどの、あり得ない生体熱だ。あいつは爆弾なんか持ってなかった。『人間が、そのまま爆弾に変えられていた』んだよ」

 

トニーの碧い眸が、かすかに細まる。

 

「ハッピー、お前が死なずにそこに転がっていられる理由を説明しろ。三千度の熱核を目の前で浴びて、なぜお前の皮膚が一枚も焦げていない」

「……あの赤い目の彼女だ。あの子が、上空から信じられない速度で降ってきた」

 

 ハッピーは喉を鳴らし、生身の人間として、あの漆黒の戦士に激しく戦慄した記憶を言葉に繋げた。

 

「あの子はあの装甲服を一瞬で装着して黒いスーツを纏ったまま、また一瞬で姿を白銀に変えて、爆発寸前の男を爆発する暇すら与えずに一瞬で灰にして消し去った。

それだけじゃない。襲いかかってきたサヴィンの右腕を一刀のもとに毟り取ったんだ。

……トニー、俺は確かに聴いた。あの子はサヴィンに向かって言ったんだ。

『その赤く輝く腕、今までの自爆テロとは違い完全適合者というわけですか』と。

あの謎の薬物は、人体の欠損を超高速で再生させ、適合に失敗すれば人間熱核爆弾に変える特性を持った未知のバイオテクノロジーなんじゃないか」

 

トニーは、ポケットの中で固く拳を握り締めた。

 

「サヴィンは……どうなった」

「あの子が、自分の黒いコートを悪魔の翼みたいに広げて、サヴィンの自爆を馬乗りになって力ずくで繭みたいに包み込んだんだ。衝撃波も火災も、全部あの子が自分の身体で内側でシャットダウンさせた。

おかげで俺も周りの人間も無傷で済んだが、あの子は黒い血を吐いてその場に崩れ落ちた。

そのあと悠々と彼女の身体の下から這い出して立ち去って行った」

 

ハッピーの、生々しい目撃証言。

トニーの天才的な頭脳は、親友の口から紡がれた「薬物による人体の再生と爆発」という欠片を受け取ったその刹那、ニューヨーク決戦のトラウマでバグを起こしかけていた知性の全回路を、猛烈な速度で駆動させ始めた。

 

再生医療。不完全な適合。植物や生体の熱量。

 

「――J.A.R.V.I.S.。全米の生化学、遺伝子書き換え、および植物の生体発熱に関する特許ログを、19990年代まで遡って一括スキャンしろ。キーワードは『再生』と『臨界熱量』だ」

『了解いたしました、サー。……該当する高密度暗号ファイルが一件、ヒットしました。1999年、スイス・ジュネーブ。植物学者マヤ・ハンセンが提唱した生体ナノ技術コード――【エクストリミス】』

「マヤ・ハンセン。あのミレニアムの夜、僕に未完成の研究を見せてきたあの女か」

 

トニーはサングラスを乱暴にポケットへ叩き込み、激しい自責と、そしてそれ以上にスタークに連なる看板を背負う身でありながら勝手に身体をすり潰して昏睡した怪物の少女に対する、烈しい大人のプライドの熱を眸に灯した。

 

あの子は「計算が合うように動いた」と言い張るだろう。

ハッピーという俺のインフラを守り、僕の維持するサブルーチン555や自身の日常を死守するための、必要経費だった、と。

 

だがな、新入り。お前がそこまで帳尻を合わせてみせたんだ。

大先輩の僕が、いつまでも宇宙の幻影に怯えて、部屋の隅で過呼吸を起こしてる場合じゃないだろ。

 

「ハッピー。そこに寝てろ。領収書は全部僕の会社に回せ」

 

トニーは振り返ることもなく、力強い足取りで病室の鉄扉を押し開けた。

 

「J.A.R.V.I.S.。サブルーチン555、手動オーバーライド承認。

新入りがシールドの隔離ベッドでどれだけ異常な再生熱を吐き出そうが、100%綺麗に偽装ログを回し続けろ。医者どもにスターク製ナノテクの怖さを教えてやれ。

フューリーも誤魔化すだろうが二重に防護してやるのができる大人の仕事だ

……マリブへ戻るぞ、裏にいるのはA.I.Mだ。

あのマンダリンを使ってハリボテの演出をしているやつに、スターク直製の最高のパーティーをプレゼントしてやる番だ」

 

 

 

 

ピ、ピ、ピ、ピ……。

 

 

12月22日、土曜日、午前3時15分。

 

S.H.I.E.L.D.ロサンゼルス支局、最下層に位置する特級隔離病棟。

外部の電波や監査から完全に遮断された無菌室の中、淡い緑色のシリンダー光だけが、エリン・マクカシーの破壊と再生を繰り返す凄絶なバイタルを照らし出していた。

 

現在の彼女の肉体は、人間の生体仕様を完全に置き去りにした、悍ましいバイオホラーの臨界点そのものだった。

 

チャイニーズ・シアターで三千度の熱核を直接その身に密閉した負荷は凄まじく、黒いコートは半分が炭化して表皮に癒着。

流体光子神経の九割が内部融解を起こし、破れかけた傷口からは、ドロドロとした漆黒の生体組織が、骨格を元の位置へ再縫合しようと不気味なうねりを上げて蠢き続けていた。

 

さらにその皮膚の内側では、格納したサヴィンの「生きた右腕」と「強奪した薬物吸引器」が、彼女の捕食細胞と混ざり合い、オレンジ色の微光をパチパチと明滅させて強硬な変態を続けている。

 

本来ならば、シールドの医療班が解剖室行きの最高検閲アラートを鳴らし、世界中がパニックを起こすレベルの異常ログ。

しかし、目の前の医療コンソールには、ニック・フューリーとトニー・スタークが構築した「二重の防護壁」が、完璧に世界の眼を欺き続けていた。

 

「……体温、摂氏540℃から微動だにしない。心拍数も人間としては完全にエラー値だ」

 

 強化ガラスの向こう側で、シールドの特級医師が手すりを白くなるほど握り締め、生汗を流して呟く。

 

「外見は、あんなにどこにでもいるお嬢さんそのものなのに。その皮膚の内側で起きているのは、最先端の機械が勝手に肉を噛み砕いて繋ぎ直しているような、不気味なオート処理だ。

彼女はあの状態で死ぬことも許されない……まさにスタークの呪いだな」

 

彼らには1ミクロンもわからない。

メスを入れさせるなというフューリーの命令を盾にし、トニーの嘘の鎖の裏側で、エリンの生体CPUが貪り喰ったエクストリミス由来の超耐熱回路と遺伝子操作による疑似的な加齢プログラムを誰にも見つからないブラックボックスの中で、最も安全に、最も高効率に自らの遺伝子レジストリへと統合し続けている最中だということを。

 

ピ、ピ、ピ、ピ……。

 

不気味なオレンジと緑の残響が明滅する隔離室。

二人の大人が用意した完璧な嘘のインフラに甘えながら、笑わない怪物の少女は、自らを宇宙の本隊を噛み砕くための究極の特異点へと作り替えるための、長い、静かな眠り修復フリーズを、どこまでも冷徹に遂行し続けるのだった。




カットしたスタークの宣戦布告シーン

チャイニーズ・シアター前で熱核自爆の暴発を自らの生体組織のコートで強硬に密閉し、システムに致命的な内部融解を起こして隔離病棟へ担ぎ込まれた黒髪ボブの少女――エリン・マクカシー。
彼女の生の異常パルスをJ.A.R.V.I.S.のフェイクログで必死に上書きし、シールドの検閲網から隠蔽しきっている、トニーの奥歯をギリリと鳴らしていた。

「――スターク氏! マンダリンへの公式なコメントを!」
「これ以上の自爆テロに、アイアンマンはどう対抗するつもりですか!?」
 
無責任に投げかけられる記者の声を、トニーの低く、驚くほど静かに怒りを孕んだ声音が強硬に遮った

彼はカメラのレンズを真っ直ぐに睨みつけ、喉を鳴らした。
天才のプライドが、今、全世界の電波網へ向けて宣戦布告を駆り立てている。

「私には後輩がいる」

トニーは一歩前に出ると、フラッシュの嵐を撥ね退けるようにして、明確に言葉を繋げた。

「人生の先達として見守り、時には導くに値する後輩が、私にはいる。
彼女はお前たちの仕掛けたあの卑劣な自爆テロに真っ正面から立ち向かい、自らを盾にして、その場にいたハッピー・ホーガンや一般市民のすべての明日を完璧に守り抜いた」

マイクを握る記者たちが、トニーの口から飛び出した「後輩」という未知のインデックスに息を呑む気配が伝わってくる。

「その結果だ、マンダリン。お前たちの用意した最高に悪趣味な毒リンゴをその身に浴びた彼女は、今、とある病院の特級隔離病棟で、眠れる白雪姫になっている……。
そんなクソみたいな怪我を負わせて、ただのハリボテの電波ジャックで悦に浸ってるお前たちのやり口が、俺は生理的に心底から吐き気がするんだよ」
 
トニーはスーツの内ポケットから、私物のスマートフォンを乱暴に引き抜いた 。

J.A.R.V.I.S.の自動処理により、彼の視線操作だけで、マリブの自宅の物理的な緯度・経度、そのすべてが、カメラのレンズを介して全世界へリアルタイムで強制開示・インジェクションされていく 。

「これは敵討ちじゃない。俺個人のための清算だ。
我が家の住所はカリフォルニア、マリブ、10880番地だ。ドアは開けておく」

トニーは不敵に、しかし剥き出しの敵意を眸に灯して笑うと、携帯をコンクリートの地面へと叩きつけ、ブーツの踵で粉々に踏み砕いた 。

「あいつに毒リンゴを食わせたツケは、このトニー・スタークが全財産と鉄の軍勢を賭けて完璧に支払わせてやる。全面戦争と行こうじゃないかテロリストくん」

カメラを指差し、トニーはそれだけ言い残すと、驚愕に凍りついた報道陣を置き去りにして立ち去って行った。
隔離病棟で眠る笑わない少女のために、そして自らの誇りのために。
天才の最高にハードボイルドで、最高に面倒くさい大人の宣戦布告が厳かに轟き渡るのだった。
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