MCU世界で『ただいま』を言えない怪物 作:お砂糖さらさら
12月23日夜半前
「……スタークさん。データの同期完了まで、残り57分。1秒の処理遅延も許されませんよ」
マーク42の同期ポートから生体組織を引き抜き、コートの裾を冷たく翻した。
脳内CPUと直結した地下の生体サーバーの中では、性能を取り戻したJ.A.R.V.I.S.が、A.I.M.の通信衛星を内側から完全にハックし、ミリ秒単位で敵のデータをデコードし続けている。
私の網膜の端に、J.A.R.V.I.S.が逆探知した敵個体の視覚プロファイルが鮮明にプロットされた。
【標的識別:エレン・ブランド】
キリアン直属の特級暗殺者。
顔立ち、骨格、そして胸元に忍ばせた国土安全保障省の偽造バッジのレジストリに至るまで、その顔と名前はすでに私のシステム内に100%インデックス化されている。
「新入り、まさか一人で行く気か? 相手はマリブの我が家を灰にしたマフィアのボス直属の怪物だぞ」
スープのボウルを置いたトニー・スタークが、無精髭を震わせながら、私の背中に声を投げかけた。
「効率の計算です、スタークさん」
私歩調を緩めることなく、血の通わない平坦な声音をプレハブ小屋の寒気の中に落とした。
「彼らはこの街のどこかにあなたが潜伏していることまでは突き止めましたが、このプレハブ小屋までは特定できていない。
ここで動かないマーク42を抱えたあなたとハーレーくんが移動すれば、移動時の熱源反応で位置を100%看破された場合、即座に絶対的な赤字に転落します。
あなたがここで大人しく体調を整えることこそ、最も割安なコストです」
「……わかったよ。だが、あまり無茶はするなよ、ティンカーベル」
「私はもう20歳です。子供扱いしないでください」
私はそれだけ言い残すと、ハーレー少年のジャガイモ銃の横を無音の足取りで通り過ぎ、プレハブ小屋のドアを静かに押し開けた。
「いってきます」
「ちゃんと帰って来いよ」
外は、テネシー州のすべてを白く煙らせる猛烈なブリザードが吹き荒れていた。
民間の管制網から完全に隠蔽された魔改造ジェット機が上空でステルスホバリングを維持する中、私は雪深い山林の闇へと躍り出た。
背後でドアが閉まり、プレハブ小屋の青い光が遮断される。
ここからは、衆目のない無人地帯。
私は歩きながら、懐からファイズフォンのモックアップを引き抜き、使い古された手順を完璧にトレースして555とテンキーを入力した。
『STANDING BY』
電子音声が雪山に溶ける。
衣服が一瞬にして粒子状に分子分解され、私の皮膚の下にある生体組織がドロドロとうねりを上げて再構成を開始する。
燕の尾のように長く伸びた黒いコートの裾が、激しい風を切って不気味に、そして美しく翻る。
四肢を覆う灰色の硬質装甲の随所に、鮮血を思わせる鮮やかな真紅の流体光子(フォトンブラッド)のラインが脈打つように走り、点灯した。
『COMPLETE』
通常ファイズ形態への変身完了。
チタウリの生体装甲からハックした【電磁的パッシブ・ステルス】が、私の全身の異常な生体パルスや骨格増殖の震動を完全に内側に密閉し、白銀の雪原と同調する。
デアデビルの耳すら欺く硬質な静寂を纏ったまま、私はひと跳び35メートルの脚力を解放した。
ドッ!!!
雪原に深い足跡を残し、私は白銀の闇を直進する流星となった。
目指すは南東へ1.8キロ。エレン・ブランドがチャドの母親から機密書類を強奪せんと胸に偽バッジを光らせている、ローズヒル中心街の寂れたバー。
お母さんのいる日常のインフラを維持するため。
世界の終わりを拒絶する怪物の生存演算が、雪のテネシーで冷酷に牙を剥くのだった。
◆ ◆ ◆
カラン、と寂れた音を立てて、バーの重い木製ドアが内側へと押し開けられた。
テネシー州ローズヒルの中心街。
ブリザードの猛烈なノイズが、ドアの隙間から一瞬だけ店内の暖気へと滑り込み、そして撥ね退けられるようにして閉じる。
カウンターの奥でグラスを拭いていた初老の店主と、ボックス席で古ぼけたハンドバッグを固く握りしめていたエルマ・デイヴィス夫人が、一斉にその「侵入者」へと視線を向けた。
首元で短く切り揃えられた、艶のある黒髪のボブカット。
吹雪の水分を完全に弾く、マットな質感の黒いコート。
そして、感情の起伏を1ミクロンも映さない、冷たく澄んだ焦げ茶色の瞳。
バーの入り口からわずか数歩の位置で、私は【電磁的パッシブ・ステルス】の駆動をミリ秒単位で最低値へと減衰させる。
J.A.R.V.I.S.が私の生体サーバー内でA.I.M.の通信衛星を掌握し続けているおかげで、私の『サブルーチン:555』は完全に黒字のまま、シールドの監査網をシャットダウンしきっている。
「……お嬢ちゃん、こんな日に外を歩くのは自殺行為だ。温かいコーヒーでも淹れてやろうか?」
「ありがとうございます、ですが今は急ぎなので」
店主の素朴な、しかし的外れな善意を軽く会釈して返す。
まっすぐにデイヴィス夫人のボックス席へと歩み寄る。
私の脳内CPUは、恐怖と息子の死による激しい精神的焦燥で一分間に百十五回の不調和な心拍を刻んでいる夫人個体のバイタルを、冷徹にスキャンしていた。
「エルマ・デイヴィスさんですね」
低く、わずかに掠れた、血の通わない事務的な声音。
「……ええ、そうだけど。あんた、誰? 私はここで、国土安全保障省のブランドという女性を待っているのだけど……」
「その必要はありませんよ」
私は黒いコートの内ポケットに繊細な指先を滑り込ませ、一冊の重厚な黒いレザーウォレットを静かに、テーブルの上へと滑らせた。
パサリ、と革の擦れる音が響き、手帳が開かれる。
上段には、鈍い銀色の輝きを放つ「S.H.I.E.L.D.」の刻印が入ったニッケルブラス製の重厚な公式金属バッジ。下段の透明プラスチックの奥には、私の冷たい無表情の顔写真と共に、国際安全保障理事会の直轄インフラを証明する『Clearance Level: 7』のホログラムグラフィックが刻まれた正規IDカードが収まっていた。
「S.H.I.E.L.D.の危険物対応特別分析官、エリン・マクカシーです。連邦政府の超法規的権限に基づき、あなたに接触しました」
デイヴィス夫人は息を呑み、手帳に刻まれた鷲のロゴと、私の顔を交互に見つめて硬直した。
地方の警察や、ましてや偽造バッジで動いているA.I.M.の暗殺者など一瞬で引き算できる、国家最高峰の絶対的な主導権の提示。
「あなたの息子、チャド・デイヴィス氏が起こしたあの気化爆発事故。
あれの真実は巨大民間シンクタンク『A.I.M.』による生体ナノ技術の人体実験の失敗、すなわち仕様値の超過による熱暴走事故です。……私はそのすべての証拠を逆引きで特定し、ここにいます」
「実験……? チャドは、あの子は殺されたの……!?」
夫人の瞳から涙が溢れ出る。
「ええ。彼らは実験の失敗をテロという嘘で上書きし、隠蔽した。
そして今、あなたが持っている息子の治験に関する実物物証を強奪し、その口を物理的に消去するために、エレン・ブランドというA.I.M.の暗殺者が、国土安全保障省の偽造バッジを胸にこのバーへ向かっています。」
エリンは完璧なエリンの無表情のまま、夫人のハンドバッグを指先で示した。
「そのファイルを私に引き渡してください。A.I.M.という吐き気を催す邪悪を社会的に引き算し反撃準備を整えるための最も有効な証拠です。
時間をかければあなたは三分後にブランドの三千度の熱量によって、ファイルごとこの店で灰になるでしょう」
夫人の震える手が、ハンドバッグの中から一本の古ぼけたファイルを引き出し、テーブルの上へと差し出した。A.I.M.の文字が刻まれた、血の滲むようなモルモットたちの本名が並ぶ治験記録。
「……お願い。チャドの無念を、あの子の明日を奪った連中を、絶対に許さないで!」
「了承しました。必ず奴らからあなたの家族を奪った責任を取り立てます」
私はファイルを掴み、コートの内側へと格納した。私の生体組織の延長であるブラックボックスの中に物証を完璧に隔離した、その刹那――。
カラン、カラン!!!
バーのドアが、乱暴な衝撃と共に跳ね上がった。
ブリザードの冷気と共に店内に滑り込んできたのは、仕立ての良い冬物の衣服の胸元に、安っぽい偽物の国土安全保障省のバッジをギラつかせた女。
J.A.R.V.I.S.が逆探知していた通りの顔と名前。キリアンの猟犬、エレン・ブランドが、その冷酷な視線を真っ直ぐに私の黒髪ボブへと同期させてきたのだった。
「……そこまでにしなさい。エレン・ブランドさん」
バーのドアを押し開け、冷酷な視線で店内を射抜いていた女の前に、私は無音の足取りで滑り込んだ。完璧に模倣されたエリン・マクカシーの無表情。
ブランドは、胸元に掲げた国土安全保障省のバッジを誇示するように顎を上げ、忌々しげに私を睨みつけた。
「どきなさい、小娘。私は連邦政府の捜査官だ。そこにある重要書類とデイヴィス夫人の身柄を保護する権限がある」
「それは偽造されたバッジです」
私は彼女の言葉を軽い鼻笑いすら挟まずに一蹴し、コートの内ポケットから、先ほどテーブルに滑らせた黒いレザーウォレットを再び引き抜いた。そして、ブランドのガラスのような瞳のわずか数センチ前へと、突きつけるようにして開いてみせた。
透過ディスプレイの冷たい青い光の下で、重厚な真鍮製のS.H.I.E.L.D.公式金属バッジと、私の冷たい顔写真が並ぶ『Clearance Level: 7』のIDカードが鋭く光を反射する。
「S.H.I.E.L.D.最高機密権限。地方の警察組織はおろか、あなたの騙っているDHSの上層部すら一瞬で全ルートを差し押さえできる、国家最高峰の法的主導権です」
低く、わずかに掠れた、血の通わない事務的な声音。
「A.I.M. アルドリッチ・キリアン。および、あなたが体内に埋め込んでいる未完成の生体ナノ技術、エクストリミス」
その単語を私が澱みなく提示した瞬間、ブランドのバイタルサインが急激な処理スパイクを起こしたのを、私の生体センサーが明瞭に感知した。
「あなた方のインフラは、すでに内側から100%ハックされ、丸裸にされています。……おとなしく手錠を受け入れなさい。それとも、ここで国家反逆罪の要件を満たして、完全に削除されたいですか」
法的な完全なるチェックメイト。
だが、キリアンの猟犬は、世界の支配者たちのルールに平伏するようなお行儀の良い生物ではなかった。
「……知った風な口をきくな、シールドの犬がッ!」
ブランドの拒絶の叫びとともに、彼女の顔面、そして衣服の隙間から覗く皮膚のすべてが、ドクドクと禍々しいオレンジ色の生体熱を噴き上げ、一瞬にして三千度の臨界赤熱状態へと励起を始めた。
反抗の意思。
および、店内の一般人を巻き込む熱核自爆テロの構え。
私の脳内CPUは、彼女の筋肉が緊張し、前方に踏み出そうとするコンマ数ミリ秒の挙動を完璧に先回りしていた。
「――判定。交渉決裂。最大効率での物理的排除シークエンスへ移行」
私はファイズに変身することすらなく、生身の右足に、生体超伝導アクチュエータの全出力を一点集中させた。
ブランドの拳が熱量を放って振り下ろされるよりも、私の生身の脚が、人間の可動域を無視した速度で彼女の腹部を捉える方が、圧倒的に速かった。
ズドォォォォンッ!!!
「ガ、はっ……っ!?」
骨が軋む凄まじい衝撃。
三千度の熱を纏っていたはずのブランドの巨躯は、私の人外のパワーを乗せた前蹴りによって、ただの軽い紙切れのように物理的に後方へと吹き飛ばされた。
彼女の身体は、バーの頑強な木製ドアを木端微塵に粉砕し、テネシーの猛烈なブリザードが吹き荒れる白銀の街頭へと、何十メートルも無様に転がり落ちていった。
ヒュゥゥゥウウウウ――!
割れた入り口から、激しい雪が店内に雪崩れ込んでくる。
私は衣服の下の生体細胞を解放し、指先から粘り気のある黒い生体組織の触手を数ミリだけ露出させた。
そのまま、粉砕されて床に散らばったドアの木片や鉄製のヒンジの残骸へと触手を伸ばす。先代クウガとゴウラムの霊石から受け継いだアマダムの原子・分子操作能力を全開駆動。
パキ、ピキピキピキ……!
バラバラに砕けていた木材の分子構造が、元の強固な繊維へと瞬時に再結合・物質変換され、まるで時間が巻き戻ったかのように、バーのドアが傷一つない完璧な元の形状へとその場で瞬時に修復され、カチャリと静かに閉じた。
店内の暖気とデイヴィス夫人の安全マージンは、これで完全に密閉・確保された。
「店主。ドアの修理代は、私の直属の上司に一括請求しておきますので、ご安心ください」
完璧なエリンの無表情のままそう言い残すと、私はアタッシュケースからファイズフォンを引き抜き、腰のドライバーへと叩き込んだ。
衣服が光に包まれて消滅し、漆黒のライダースーツと黒いコート、そして真紅のフォトンブラッドが脈打つ通常ファイズの姿へと、滑らかに変態を完了させる。
「おやすみの時間ですよ、ブランドさん」
私は修復したばかりのドアを静かにあけ放ち、猛烈なブリザードが荒れ狂う極寒のランウェイへと、猟犬の息の根を止めるための確実な追撃の一歩を踏み出すのだった。
「これ以上の生体素材の追加は、現在のフォトンブラッド循環系の構造マージンを逼迫させる、不要な高リスク変数と定義します」
白銀のブリザードが視界を遮るローズヒルの街頭。私は雪を踏み締めながら、脳内CPUの算定結果を冷徹に承認した。
チタウリの電磁シールド、サヴィンの右腕の同化により、私のシステムはすでに通常のファイズを遥かに置き去りにした領域に達している。これ以上の無秩序なアップデートは、エリン・マクカシーという人間の擬態を内側から崩壊させかねない過剰な黒字だ。
欲しい、喰いたい、寄越せ、と喉の奥で下品に鳴り響く生体兵器の本能を、私は強硬に神経の檻の奥へと封殺し、冷たい無表情の仮面を固定した。
「東からサヴィンの特殊車両が急接近中。着弾まで、残り八十二秒。……ここで時間を割くのは非効率です。速攻で終わらせます」
ガバッ!!!
前方の雪溜まりから、猛烈な蒸気と共にエレン・ブランドが立ち上がった。
私の生身のキックで骨格を数箇所粉砕されたはずの身体は、エクストリミスの超高速再生によってすでに完全修復されている。
だが、彼女の全身の皮膚はもはや人間の血色を失い、血管のすべてが沸騰したマグマのようなオレンジ色の臨界光を放っていた。
「シールドの化け物が……! よくも、よくも私の身体をッ!!」
ブランドは咆哮と共に、周囲の雪を一瞬で水蒸気へと爆発させるほどの高熱の拳を振りかぶって突進してくる。
三千度の質量。
だが、その戦闘速度は、進化した私の動体視力の前では、ただの静止画の連続にすぎない。
私は左腕に生成したファイズアクセルのスタータースイッチを、迷わず激しく押し込んだ。全身の黒が白銀へ、赤が黒へと反転する。
『START UP』
機械的な電子音が吹雪を割り、現実世界のたった1・5秒、主観時間にして約25分間のアクセルモードが起動した。
空間に固定されたガラスの弾丸のような雪粒、静止した水蒸気の煙。
その止まった世界の中で、私はブランドの懐へと一瞬で滑り込んだ。
殺す。ただ、事務的に。
私は腰からファイズショットを抜き出し、右拳へ装填。キーパッドの入力すら省略し、流体光子神経の出力をダイレクトに流し込む。
『Exceed Charge』
白銀の世界に、臨界点を超えたフォトンブラッドの波動がドクドクと収束していく。
ターゲットは、オレンジ色に固まったまま静止しているブランドの胸躯。
「おやすみなさい」
私は彼女の心臓、そして体内のエクストリミス炉の核へ向けて、常時チャージ状態の最大出力グランインパクトを真っ向から撃ち抜いた。
無音の加速世界の中で、流体光子の致命的な熱量がブランドの全細胞の結合を分子レベルで強硬に両断していく。彼女は人間熱核爆弾として自爆する暇さえ1ミリ秒も与えられず、内側からただの物言わぬ灰へと一瞬で熱分解・消滅を完了された。
続けて、彼女の胸元に遺されたDHSの偽造バッジ、そして衣服の残渣をモーフィングパワーを用いてその場で完全に炭化させ、雪の結晶の中へと吹き飛ばす。
一切の物証を遺さない、完璧な引き算。
『TIME OUT』
「そして時は動き出す」
現実の時間とブリザードの轟音が爆音を伴って復調したその瞬間、エレン・ブランドだったものの灰が、突風に煽られて白銀の夜空へと一瞬で霧散していった。
現場に残されたのは、彼女が纏っていた高熱によって僅かに融け、そして再び凍りつき始めたアスファルトの窪みだけだ。
「一体、排除完了。処理時間、1・5秒」
白銀の輝きが消え、通常の漆黒と真紅のファイズへと戻った私の生体センサーが、幹線道路の角から猛烈なロードノイズを立ててドリフトしながら滑り込んできた特殊車両のヘッドライトを捉えた。
フロントガラスの向こう、怒りと、信じられないものを見たという驚愕に顔を歪める男。
チャイニーズ・シアター前で私がその右腕を毟り取り、今やその腕を無限再生させてローズヒルへエントリーしてきた前線指揮官――エリック・サヴィンだ。
彼は車内から常人なら血の凍るような殺意をこちらへ同期させてきていた。
「サヴィンさん。お久しぶりです」
私は黒いコートの裾を冷たく翻し、ファイズエッジの深紅の光子刃を静かに起動した。
の本拠地を暴くための情報戦は終わった。
ここから先は、ただの「残党のゴミ掃除」という名の、最も確実な黒字化シークエンスが始まるのだった。
ブウゥウウン、ブウゥウウン……。
サヴィンが特殊車両のドアを蹴り開け、雪原にそのブーツを突き立てた瞬間、ローズヒルの白銀の世界が物理的に「変色」した。
彼の全身の血管が、網の目のように禍々しいオレンジ色の光に染まり、その体内から放射される三千度の生体熱量が、周囲のブリザードを一瞬で超高温のプラズマへと物質変換していく。
――【警告:超高温プラズマ・フィールドを検知】
私の網膜の端で、J.A.R.V.I.S.(ジャービス)の警告ログが烈しく明滅する。サヴィンの周囲数十メートルは、突入した瞬間にアクセルフォームの白銀の装甲ごと私を内側から強制熱融解させる、最悪の「速度封じの檻」と化していた。
それだけではない。私の生体センサーは、彼の皮膚の下でドロドロのマグマのように絶えず位置を変える心臓の異常な流動、そして、彼の心音が停止した瞬間にハーレーの小屋ごと数ブロックを気化消滅させるレベルの広域熱核自爆の連動ロックを正確にプロファイリングしていた。
「器用ですね。……無様に右腕を毟られてただただ向かってくるだけの凡愚ではなかったということですか。サヴィンさん」
私は完璧なエリンの無表情のまま、ファイズエッジの光子刃を構えたポーズのまま微動だにせず、脳内CPUの論理演算回路を極限のクロック数へとオーバークロックさせた。
通常ファイズの仕様値による力押し:自爆誘発。トニー・スタークの死亡確率:100%。
アクセルフォームによる点の破壊:コアの流動回避。相殺再生による処理遅延:94%。
――なら、彼が用意した三重の対策をすべて裏側からハックする。
私は、衣服を喰らい、肉を変態させて生み出されたファイズの装甲、その皮膚の内側に格納されている自前の生体インフラのレジストリを全開で解放した。
チャイニーズ・シアター前で得たサヴィンの右腕を部分的に捕食したことで獲得し、体内で自己組織化を進めていたエクストリミスの耐熱マトリクス。そして、格納庫の残骸から貪り喰ったチタウリの神経機械・電磁シールド特性。
「熱量密閉インフラ、および電磁的パッシブ・ステルス、最大臨界駆動。
……私のシステムを、一時的に彼の三千度の同調値まで強引に引き上げます」
パチパチパチパチッ!!!
私の漆黒のスーツ、そして灰色の硬質装甲の隙間から、彼のエクストリミスと同質のオレンジ色の生体熱と、チタウリの青紫色の電磁火花が血管のように生々しく噴き出し、混ざり合った。
熱を熱で制し、電磁特性で自らの生体異常パルスを周囲の空間へ100%遮断する。
「これであなたと私はまさしく同じ土俵にあがったというわけです」
サヴィンが、私の身体から立ち上る「自分と同じマグマの熱」に、驚愕でその顔を歪めたその一瞬。
1/1000秒の隙間。右手のひとさし指を、真っ直ぐにサヴィンの胸へと向けた。
デバイスの物理装着手続きなど、今の私には一切不要。
チタウリのビーム兵器の発振器官を前腕の流体光子神経へと直接接ぎ木ハックした、ファイズフォンを介さない生体指向性ビーム。
「点を突いて再生されるなら、あなたのその流動する心臓を、動く隙すら与えずに一瞬で縦に串刺しにするだけです」
シュッ!!!
音も電波も外に漏れない、静寂の光。
私の指先から放たれたのは、弾道と収束率をミリ秒単位で完全にコントロールした、超高熱流体光子の極細レーザーだった。
サヴィンが展開していたプラズマの檻を容易く中和・貫通した青い極光の線は、彼の胸部から腹部、そして下半身へと向かって、体内で逃げ惑う流動熱核を完全に捉え、文字通り一本の串のように綺麗に縦へと貫通・固定した。
「な、がはっ……!? 体が、動か……」
サヴィンの無限超高速再生の遺伝子コードが、流体光子の致命的な超高温によって分子レベルで直接熱分解され、エラーを吐いてフリーズする。心臓の位置を変えることすらできず、全身の細胞の結合が刹那の間に融解していく。
だが、彼のゲノムに刻まれた心音停止による暴発が、臨界点に達してオレンジ色の光をスタジアム級の規模へと膨らませようとした、まさにその一瞬。
「自爆の連動パルス、それも想定内の変数です」
私はすでにもう一本の左腕の指先から、チタウリの電磁シールド特性を乗せたジャミングパルスを、彼の腹部にある端末と神経ネットワークへと直接強制注入していた。
エクストリミスの臨界暴発を促す脳からの起爆シグナルとは、要するに神経細胞を走る高電位のパルスにすぎない。
J.A.R.V.I.S.がA.I.M.の通信衛星をハックしている現在の私にとって、サヴィンのローカルな自爆信号の回路を内側からハッキングし、一瞬でシャットダウンさせることなど、1秒の処理遅延すら必要のない単純作業だった。
ド、プゥゥゥゥンッ!!!
サヴィンの体内で膨らみかけていた三千度の熱核エネルギーは、外部へ1ミリの衝撃波も火花も放出することを許されず、私の電磁ハックによって内側へと強硬に反転・密閉され、自滅の数式を完成させた。
「……おやすみなさい。サヴィンさん」
流体光子の極光に貫かれ、自爆の牙をも毟り取られたエリック・サヴィンは、何が起きたか理解することすら叶わないまま、一瞬にして爆発も起こさず、ただの物言わぬ冷たい灰となって、テネシーの激しいブリザードのなかへボロボロと霧散していった。
現場に残されたのは、完全に沈黙したA.I.M.の特殊車両と、何事もなかったかのようにしんしんと雪が降り積もる、傷一つないローズヒルのコンクリートだけだった。
「ターゲットの完全な消滅を確認。物証の流出、および周辺インフラの損害なし。完全な、黒字です」
装甲からオレンジの熱と青紫の火花が消え、通常の漆黒と真紅のファイズへと戻った私は、静かに変身を解除した。ただのエリンの姿に戻り、黒いコートの襟を立てて、ハンダの匂いがするハーレー少年の小屋の方角を見つめる。
キリアンの手駒は2枚とも処理を完了した。サブルーチン555の暗号鍵の完全移植まで、残り52分。
◆ ◆ ◆
サヴィンだったものの灰がブリザードの彼方へと消え去ったローズヒルの街頭。
私のファイズフォンの画面に、生体サーバーへ移植されたJ.A.R.V.I.S.から、トニー・スタークのオーダーに同期した暗号パケットが滑り込んできた。
『マクカシー分析官、聞こえますか。回復したボスが、キナー少年の母屋の冷蔵庫のインフラをあなたが「ありあわせのシチュー」で使い潰した事実を算定把握しました。
少年への大人の配慮としての食材の補填。
それから、電池切れのマーク42の充電を待つつもりはない、とボスが申しています。
生身でA.I.M.へ反撃を仕掛けるため、地元の商店で即席兵器の材料となる資材を調達してくるよう、追加のオーダーが下されています』
「了解しました。マーク42の充電完了を待たずに、ホームセンターのガラクタで武器を作って前線へ飛び出そうとするなど、相変わらずあの人の反骨心は私の生存演算において高リスクな変数です。
ですが、ハーレー少年の協力マージンを維持し、スタークさんの戦闘リターンを最大化するためなら、必要経費として承認します」
低く、わずかに掠れた声音を雪の中に落とす。
私は黒いコートの襟を立て、変身を完全に解除した「エリン・マクカシー」の姿のまま、吹雪に埋もれたローズヒルの小さな個人商店へと機械的な足取りで向かった。
――12月24日、クリスマスイブの午前2時15分。
当然、個人商店のガラスのドアは強固に施錠され、店内は完全に消灯している。
私は一秒だけ計算した。
ピッキングによる鍵のハック:処理遅延45秒。
結論:触手を伸ばしてドアのラッチと鍵の分子構造の隙間に滑り込ませ、音も立てずに物理的に押し開ける。
カチャリ。
激しいブリザードのノイズにかき消されるほどの微細な音と共に、施錠されたドアを強硬にバイパスして潜入を完了した。
私は店内のセンサーをJ.A.R.V.I.Sに沈黙させ、コートのポケットから引き抜いた500ドル紙幣を8枚――総額4000ドルの匿名の現金をレジに無造作に叩きつけた。
これは「強盗」ではない。
国家の監査を完全にパスする、お釣りを100%放棄した、最も手際の良い夜間の強制等価交換。
4000ドルという法外なマージンをレジに残しておけば、明日の朝に店主が目を開けた瞬間、警察に通報するコストよりも「キリストからの最高のクリスマスプレゼント」としてオート処理する確率の方が遥かに黒字になる。
――プレハブ小屋への帰還。
カチャリ、と不器用な音を立てて木製のドアを開けると、室内の青い光の海の中で、トニー・スタークが毛布を跳ね除け、私の抱えた紙袋へと視線を向けた。
彼の中にあったパニック発作は、J.A.R.V.I.S.の復調によってマシになっているようだ。
「お帰り、新入り。注文通りの魔法のパーツは手に入ったか? お前がハーレーの家の冷蔵庫をすっからかんにしたお詫びの牛肉もな」
「ただいまスタークさん。
ソーさんの地元ならユニコーンの角や世界樹の葉も売ってるかもしれませんね」
資材の詰まった袋を長机の上へとゴトンと置いた。
コートの内側、生体組織のブラックボックスの中には、エレン・ブランドから死守・回収した
【A.I.M.の公式ロゴが入った紙の機密書類ファイル】が、1ミクロンの汚損もなく完璧に隔離・格納されている。
「サヴィン、およびブランドの完全な消滅を確認。物証であるキリアンの治験ファイルもここに回収しました。フロリダに乗り込んで連中に借りを返すならさっさと作りましょう。私も手伝いますから」
私は缶コーラのプルタブを精密に弾き、キンと内側が冷える感触を喉へと流し込んだ。
笑わない怪物と、正気を取り戻した天才、そして肉の塊のなかに引っ越したJ.A.R.V.I.S.の知性。
テネシーの物置小屋の蛍光灯の下で、フロリダの本拠地を完全に焼き尽くすための即席の逆襲兵器の製造シークエンスが、冷酷に、そして完璧な黒字の軌道を描いて稼働を開始するのだった。