MCU世界で『ただいま』を言えない怪物 作:お砂糖さらさら
夜のヘルズ・キッチンは、湿ったアスファルトの匂いと、遠くのダイナーから流れてくる油の匂いが混じっていた。私は私服のまま、古いレンガ造りのアパートから五十メートルほど離れた影に立っていた。
短く切り揃えた黒髪を指で軽く整える。
エリン・マクカシーの癖だ。
前髪を目元にかかる長さに揃え、瞬きの回数を一秒に〇・八回に合わせ、肩の力を抜き、呼吸の間を彼女の記憶どおりに調整する。
「……まだ、足りない」
声色も意識して低めに、わずかに掠れさせる。
母親が長年聞いてきた声に近づけるためだ。アパートの二階から、薄い蛍光灯の明かりが漏れていた。
換気扇の低い唸り。フライパンをシンクに置く小さな音。コーヒーを淹れるときの湯気の気配。
会話はない。
いつもどおりの、冷え切った日常。
足が自然と一歩、前に出かかった。
生存本能が即座に釘を刺す。
『危険だ。擬態が不完全なうちに近づけば、見破られる。バランスが崩れる。死ぬ』
私は静かに踵を返した。
まだ、帰れない。
人気のない路地裏に入ったとき、頭上で小さなプロペラ音がした。
ドローンがゆっくりと降下してくる。あからさまにお祝い用の赤いラッピングが施された箱を吊り下げていた。
着陸すると、箱の上に白いメッセージカードが貼られていた。
印刷ではなく直筆らしい、整いすぎた筆跡。
『この街を守るヒーローへ!
ファンからのプレゼントです。
これからも応援しています!
――あなたの活躍を、いつも見ています!』
心底、くだらない。
私は箱を開けた。
中身は18歳の少女に渡すようなものではなかった。
どこにでも売ってそうな無名ブランドのイヤホンにスマートフォン。
画面にはすでに「時限爆弾型・適合体運用マニュアル」と題された動画が再生待機状態で表示されている。
そして、赤と白で塗装された腕時計型デバイス、ファイズアクセル。
横に置かれたタブレットには、説明書のPDFが開かれていた。
……これが追加モジュールか。
オリジナルのように正面からまともに戦って、ショットやエッジまで積極的に使っていたなら、もっと早く届いていたのかもしれない。
私が必要最小限で済ませすぎたせいでデータが集まらなかったから
完成が遅れたのだろうか
イヤホンを耳に当て、動画を再生する。
小さなスピーカーから、無機質な女性の声が漏れ始めた。
「フォトンブラッド制御を失った適合体は、時限爆弾型として機能します。
臨界まで残り約四十二分。破壊した場合、半径八十メートルに赤色粒子を拡散……」
その声を、誰かが聞いていた。
「……フォトンブラッド。適合体。時限爆弾型か」
影が、路地の入口に立っていた。 紅い衣装を纏った、夜のヘルズ・キッチンにおいて都市伝説のように語られる有名なヴィジランテ――あるいは、クライムファイター。
彼の名前は、デアデビル。
影、いや赤い男は、音もなくゆっくりと距離を縮めてくる。
手にしたバトンを構えてはいない。だが、その身体の重心は完璧な戦闘態勢のままだ。
――ぞっとするような、不快な寒気が私の生体装甲の表面を走った。
カメラやサテライトのレンズによる視線ではない。私の体内の感覚器官(センサー)が、眼前の男から放たれる「目に見えない、未知の超常的な生体走査」を敏感に察知し、脳内CPUへ最大級の警戒信号を叩き出していた。
男の顔は、紅いマスクで完全に覆われている。
にもかかわらず、私は自分の呼吸の間隔、筋肉の微細な緊張、そして衣服の下のダミーギアの構造に至るまで、その全身を「骨の髄まで、すべてを網羅的に見られている」という確信を、肌感覚で抱かざるを得なかった。
この男は『持っている』。五感の何かが異常に発達しているのか、それとも理解の及ばない超能力の類か。とにかく、私と同じように「ルールの外側」で世界を捉えている人間だ。
敵に回せば、生存率は黒字から一瞬で赤字へ転落する――。
「お前は、エリン・マクカシーじゃない」
断言だった。
彼の超感覚が、彼の知るエリンと同じ姿をした何かのわずかなズレ――呼吸の間、筋肉の微細な緊張、心臓の鼓動のリズム――を正確に拾っている。
「限りなく近いが、本物ではない。」
私はイヤホンを外し、静かに答えた。
「……デアデビル、だっけ。私はこの年齢にありがちな家出少女のエリン・マクカシー。それだけだよ」
生存計算。
彼の骨格や筋肉のつきかたをエレンの記憶と照合する、ただでさえ狭い交流関係にはいなかった。次に資格情報からさらに記憶を呼び起こす。
いた、何度か見た事で記憶に残っているサングラスをかけ白い杖を持ったスーツの男だ。
金にならない仕事ばかり請け負う、駆け込み寺扱いされている弁護士だ。
私は公的には未成年の家出少女だ。
彼を敵に回せば、表社会から介入され動きにくくなるリスクがある。
消すか?
その考えが頭をよぎった瞬間にデアデビルの警戒度が明らかに跳ね上がる。
なるほどやはり彼は「持っている」理解できないはずのものが理解できる人間だ。
近代の科学力の産物ではなく、人間センサーがこんな身近にいるとは。
「そのデバイス、中に機械が詰まっている。それがわかる、だからこそ不自然だ。
君が腰につけているベルト、それに接続されている筒のようなデバイス。すべてが空洞だ。
同じ系列の機器ならそうはならない。違うか?」
一定の距離を保つ。
「そして僕は知っている。君が戦っているところを見た事がある。赤い光を輝かせてそのデバイスを操作しているときに何かが蠢いているのを」
ポケットからファイズフォンを取り出してベルトにいつでも装填できる軽く握りしめる。
「お前はエリン・マクカシーではない。人間でもない何かが擬態している。
まるで大昔の映画のように成り代わろうとしている
だから彼女の母親がいるアパートに行こうとした」
ドオオンッ!!
そのとき、通りでトラックが爆発炎上した。
先ほど見た動画にあった爆弾個体が赤い光をもらしながら這い出てくる。
それだけなら今までのようにクリムゾンスマッシュを叩き込んで灰にすればよかった
だが体の内側を巡る赤い光が、制御を失って不規則に明滅し始めている。
周囲の温度が急速に上昇する。
アスファルトから白い煙が立ち上った。
「動画の時限爆弾だ」
デアデビルの声が低く、しかし明確に響く。
「無暗に破壊すれば広範囲に影響がでる。まずは人間を逃がせ。ここで決着をつけようとするな」
彼はすでに、近くの窓から顔を出そうとしている住民や、通りを歩く人間たちの位置を把握し始めている。
街の守護者としての優先順位は、明確だった。
私は一秒だけ計算した。
母親のダイナーはここから徒歩十二分。風向き次第では熱と粒子が届く距離だ。
動画に撮られるリスクは高い。衆目に晒されるのも避けたい。
だが「生存」のための最適解は、今、この衆目で、最短ルートを通ること。
私は筋肉や神経を可能な限り強化する、デアデビルが私の体内で何が起きているか感知しているがどうでもよい。
その身体能力で人垣を飛び越える。
追いすがるあの男はパニックを起こした市民の壁を突破できない。
彼に市民の盾を押し付け、私は爆弾を処理する――。
私は迷いなく通りに飛び出した。
周囲に視線はある、だが迷いはない。
ファイズフォンをベルトに叩き込む。続けてファイズフォンを開き、テンキーで555と入力してENTERを押す。
『Standing By』
衣服を喰らい、肉を変態させて生み出されたのは、夜の闇に完全に融解する、マットな質感の漆黒のライダースーツ。
その上から、女性らしい華奢なしなやかさを崩さない、しかし骨をどこか連想させる鋭利な灰色の硬質装甲が、胸部や肩、前腕をがっしりと覆う。
腰回りからは、燕の尾のように長く伸びた黒いコートの裾が、夜風に冷たく翻った。
さらにその上から黒いコートが形成され胸部や肩、前腕、太腿に装甲の随所追加され、鮮血のような赤いフォトンブラッドが流血のようにラインを形成し脈打つように走る。
『Complete』
雑多な視線を受けながらフォトンブラッドを使う戦士、ファイズが完成した。
そのままプレゼントの一つであるスマホを踏み抜いて破壊。
次に、プレゼントであるらしい新しいデバイス、ファイズアクセルを左腕に装着。
装填されていたファイズアクセル専用ミッションキーを抜き出し保持したまま
ファイズフォンからミッションメモリーを引き抜き、空になったアクセルのスロットへ押し込む。
目の前の時限爆弾を前にあまりに悠長な手順に呆れそうになるが、その生体反応を封殺し、残った銀色のアクセルミッションメモリーを、ドライバーのスロットに叩き込む。
コートやライダースーツを染める黒が銀色に染まり、赤かったフォトンブラッドのラインが黒に染まる。
『REFORMATION』
ファイズ・アクセルフォームがここに成立した。
電子音声が、夜に溶ける。
明らかに何かをやる気になった私にデアデビルが動き出す。
だが彼は、すでに周囲の民間人を誘導しなければならなかった。爆弾の熱上昇を感知しながら、街の守護者としての役割を優先している。
だが避難誘導なんて甘いことは言っていられない。
右手に装着されたファイズアクセルのボタンを押し込む。
避難誘導なんて甘いことは言っていられない。
『START UP』
「まて!何をしようとして 」
次の瞬間、世界の流れが変わった。
デアデビルの声が時間の中に消えた
主観時間が引き伸ばされ音の一切が消える
熱の上昇速度が、ほぼゼロに近いほど遅く感じられる。
腕を伸ばし飛び出してきたデアデビルを一瞥してから適合体に歩み寄り、慎重にその体を抱きかかえた。
熱がわずかにコートを通して伝わる。
生存本能が警告を上げるが、無視する。
「避難誘導はあなたの担当でいい。聞こえてないだろうけど」
デアデビルに形だけ一応告げ、私は加速した足で夜の闇を駆けた。
目的地は、イースト川の水辺。
爆心地をこの街から遠ざけるために。アクセルフォームの高速移動によって残される白銀の光の軌跡。
赤から銀色に変わったフォトンブラッドの粒子を残しながら街を駆ける流星となった。
静止した世界の中で水辺に着くと、私は適合体を静かに水面に沈める。
そのまま距離を取り
アクセルフォームの加速時間の限界が訪れる。
「時は動き出す」
ドオオオオンンッ!!!
赤い光が爆発的に溢れ、水を内側から焼き尽くすように染めていく。
フォトンブラッドが川面を真っ赤に染め、夜の水面に不気味な光を描いた。
爆発の衝撃波は、水に吸収されてほとんど街まで届かない。
「TIME OUT」
その音声とともに通常のファイズに戻り、フォトンブラッドの色が赤に戻る。
「…さすがに疲れた」
急いでベルトのアクセル戦闘ミッションメモリーを抜き、ファイズアクセルに装填されているものと入れ替える。
すぐに逃げなければ野次馬がやってくる。
地面を蹴りファイズのジャンプ力のままビルの狭間に飛び込んでいった。
デアデビルはそのレーダーセンスで何が起こったかおおよそ理解していた。
エリンを名乗る何者かがデバイスを駆使して2段階の変身をしてあの爆弾を超高速で輸送し、被害が出ない場所で爆発させたのだ。
たった数秒の間にそれをやった。
それだけならよかった。
だが彼は聴いていた。
彼女がベルトにデバイスを差し込んだときに伽藍洞だったそれに何かがエリンの身体のほうから液体とも固体ともつかない、蠢く生体組織が注入され、その奇怪な蠢きによってシステムを起動させ戦闘形態に移行した。
彼女の中で骨が組み替えられ、肉が脈動し、神経が全身に伸びていく。
続けて赤いラインが走る瞬間、体内で異常に強い「脈動」が起きる。
普通の血流ではなく、熱を帯びた高エネルギーの何かが血管や筋繊維を強引に押し広げて走っている感覚。
心拍とは別の、もっと原始的で機械的なリズムが体内に生まれるのが否応なく聞こえてくる。
人間の皮を被った生物兵器かあるいは純然たる化物が、自分の肉体を変異させて戦闘形態に変態している姿そのものだった。
頭を振って冷静さを取り戻す。
彼女は腕にはめたデバイスを操作し板状のパーツをベルトと交換した。
これはつまり生体部分と、機械の部分に連動するシステム的な仕様があるか
あるいはそのように偽装しているということだ。
なぜ、だれの目を欺く為に?
炎上するトラックから野次馬を引きはがしながら彼は静かに決意を固めていた。
「プレゼント」の箱に残されたメッセージカードを回収している、これで踏み込めるかもしれない。
この街を守る者として、監視し、牽制し、必要なら対話する。
エリン・マクカシーと名乗る何かと。
「……さすがに、少し消耗した」
私は変身を解除し、闇に溶けた。
胸の奥で、泥のような感触が小さく脈打っている。
衆目の中で変身した。動画だって取られた。
もう、帰れない。
でも、それでも母親を守ることで生存のための計算は成立した。
マージナルな状況だがそう思うしかなかった。
・デアデビル=マッド・マードック
作者がスパイディと同じくらい好きで、同じくらい曇らせたいキャラ。
気軽に骨折させたいし、犯罪者に善良な依頼人を殺されたり、裁判の途中で勇気を出して証言台に立とうとした一般人が殺されたりして声も出ない状態で血が出るほど地面を殴ってほしい。
どれほど自分の正義を貫くことが難しくても、それでも屈しない姿こそ尊いんだ、ヒーローとしての輝きが深まるんだ。
2003年の「デアデビル ディレクターズ・カット版」もいいぞ!
その類まれなる超感覚レーダーセンスは人間社会に紛れ込もうとする主人公ちゃんの天敵である。