MCU世界で『ただいま』を言えない怪物 作:お砂糖さらさら
【フェーズ4:ビフレスト起動と神王の叙任(11月某日・夜)】
ゴロロロロロロロロロロロロオオオンッ!!!!!
ロンドン中心街、半壊した廃棄倉庫の割れた天井の真上から、世界中のすべての航空管制網の規定を遥かに置き去りにした、理外の巨大な雷鳴が響き渡った。
大気がビリビリとオゾン臭を伴って震え、私の網膜の端に強烈なノイズを走らせる。
「下がりなさい、ロンドン市警。これ以上一歩でも踏み出せば、あなた方の生存を保証できません」
私は黒いコートの裾を冷たく揺らし、ジェーンを背に銃口を向けていたイギリス人警官たちの前で、電磁シールドを展開していた。
先ほどジェーン・フォスター博士の皮膚から放たれた、暗黒のエーテルによる斥力波。
パトカーを木端微塵に粉砕したあの理外の力を前にして、現場のパニックの熱は完全に臨界点を超えていた。
だが、その張り詰めた火線のど真ん中へ、天空を切り裂く白青の光の柱が、地表へと真っ直ぐに突き刺さった。
ズドォォォォォォォォォォンッ!!!!!
光の粒子と爆風の圧力が、周囲の警官たちをドサドサと雪崩のように安全に転がり倒す。
砂煙の向こう、再建された高次次元インフラ――ビフレスト、虹の橋の幾何学的な光の残痕のなかに直立していたのは、赤いマントを激しく翻し、鈍い残熱を帯びた神のハンマー、ムジョルニアを片手に握りしめたアスガルドの雷神、ソー。
「おお、ジェーン!!! 無事か!!!」
ソーは激しい雨のなか、真っ直ぐにジェーンへと駆け寄り、その逞しい両腕で彼女の細い肩を抱きかかえた。
「ソー……!? 2年も待たせておいて、何よそれ……!」
ジェーンの瞳から涙の変数が溢れ出るのを、ソーは神の戦士の眸に激しい焦燥を灯して見つめ、そして、その視線を彼女の隣に直立する私の黒髪ボブカットへと同期させた。
「――そして、やはりお前がここにいたか、我が同盟者エリンよ!」
ソーはムジョルニアを構え直し、その青い瞳に、戦友への100%の善意と特大の敬意を滾らせてハハハと豪快に笑い声を響かせた。
2012年のニューヨークの空で、全身を流体光子で濡らしながら世界を救う作業を完璧にこなしてみせた私の通常ファイズの姿を、この神は「伝説の戦乙女」とでも脳内で完璧に誤認しきっているらしい。
「父上の眼が、ミッドガルドのこの地で宇宙原初の暗黒物質、エーテルの再誕を検知された! 遠からず、その核を狙って古代の邪悪がこの世界を灰の霧へ変えにやってくる!
だからこそ父上は、この俺にビフレストの使用を許可し、ジェーンと、そして我が同盟者たるお前の手を今すぐ借りてこいと、命を下されたのだ!」
「……オーディン王が、私を名指しで、ですか」
私は完璧なエリンの無表情のまま、赤い瞳を僅かに冷たく細めた。
脳内CPUが即座に算定プロファイリングを開始する。
アスガルドの王は、キリアンのようなハリボテの邪悪とは格が違う。
私の皮膚の下にある化け物の構造を最初から計算式に組み込んだ上で
「お前の武力を我が王宮の前線で使え」
と、フューリーと同じ冷徹な取引を仕掛けてきているのだ。
『――エリン! 待ってくれ、今ロンドン市警の上層部を』
インカムから流れるコールソンの実務的な声を、私は親指の操作だけでサイレント遮断した。
「事後報告になります、コールソンさん。予定の仕様変更が発生。
これより、フォスター博士の隔離、および宇宙由来の外敵を迎撃するため、ソーさんの地元であるアスガルドへの移動を開始します。フォレスター博士の助手をアジトに保護してください。
博士の管理は、そのまま継続。もし事態を打開できるような機材が完成したら精度の上昇と量産を視野に入れてください」
「さあ、二人とも、俺の腕を掴め! アスガルドへ行くぞ!」
ソーが力強く差し出してきた、現代の油の匂いとは違う神の筋肉の温もり。
私は迷わず跳躍し、ジェーンと共にソーの逞しい前腕へとガシッと強硬に掴まった。
ジェーンが恐ろしい何かを見たような顔をする
ドンッ!!!!!
ブンッ、とムジョルニアが大回転した次の瞬間、世界からすべての「音」と「雨」が一瞬で消滅し、私たちはビフレストの幾何学的な光の濁流に包まれて、ロンドンの廃棄倉庫から一瞬にして最高速度を置き去りにした。
そして――光のトンネルの向こう、神々の住まう黄金の宮殿の床へと滑り込むようにして着陸した、まさにそのコンマ01秒の刹那。
私の脳内CPUは、これまでに経験したことのない絶対的なシステムフリーズの警告アラートを、網膜の最深部に激しくスパークさせた。
――【警告:最優位プロトコル『日常の連続性』に深刻なパケットロスを検知】――
――【現在地:地球の座標圏外。単独即時エスケープ確率:0.00%】――
私の論理回路は、100%正しく状況を認識していた。
ビフレストという高次次元インフラは健在であり、ソーという往還実績のある案内人もいる。
頭では「後で問題なく地球へ帰還できる」と分かっていた。
だが、私の全身を構成するチタウリの生体金属や流体光子神経――その精密極まる生体センサーが叩き出した現実は、冷酷そのものだった。
ニューヨーク、ヘルズ・キッチンのアパート。
生体サーバーにより管理された監視ドローンによる通信の途絶。
古い換気扇の低い唸りの奥で、24時間絶え間なく傍受し続けていた、あの背中の丸いお母さんの微弱な心音。
私の生存演算のすべてを黒字として支え、この化け物の肉体を「エリン・マクカシー」の形に繋ぎ止めていた唯一のセーフティネットが、何光年という圧倒的な次元の壁に遮断され、一瞬にして完全に消失したのだ。
理屈は分かる。だが、肉体がそれを完全に拒絶した。
どれだけ「大丈夫だ、後で帰れる」と論理的なセーフティを流し込もうとしても、肉体の最深部に楔として打ち込まれた本物のエリンの死に際の呪い――「お母さんのいる家に帰りたい」というミクロな願望は、大人の高度な言い訳を理解しない。
日常の絶対的な決壊。
J.A.R.V.I.S.の自動フィルターも、トニーの組んだ欺瞞のインフラも存在しない異世界の中心で、制御パルスを失ったフォトンブラッド生成系が瞬時に臨界点を突破し、体内で破滅的に過負荷逆流を始めた。
エリン・マクカシーとしての仕草、呼吸の間、皮膚のハリを維持していたアクティブ擬態の維持費が、一瞬でせき止め限界を迎えてパンクする。
「が、はっ……っ、あ、ぁぁあああああっ!!!!」
私は着地と同時に、目から、鼻から、エリンの皮の内側でドロドロに溶け出した漆黒の生体組織の血を黄金の大理石の床へ盛大にぶちまけながら、その場へ膝をついて激しく吐血した。
人間を辞めた計算機が、死んだ少女の夢という最も脆いバグによって、内側から完全にクラッシュしていく。
「エリン!? おい、どうした!!」
ソーの驚愕に満ちた叫び声が遠くに聞こえる。
だが、私の視界は真っ赤な警告ログの濁流で完全にホワイトアウトし、筋肉の繊維がパキパキと音を立てて硬直していく。エリン・マクカシーという虚像の連続性が、完全に途絶しかけていた。
エリンへの擬態の維持費がパンクし、原初的な生存本能だけの獣へと退化しかねない極限のデッドライン。
その全損寸前の私の視界の先、光の霧の向こうから、どこまでも深く、慈愛に満ちた本物の「母親」としての絶対的な精神波長あるいはバイタルサインを漂わせながら、静かに歩み寄ってくる一人の高貴な女性の影があった。
壊れかけた私の生体プロセッサが、生き残るための代替バッファとして、最悪の『母性レジストリの強制置換エラー』をオート執行するのを、私はただ深い昏睡の底へと滑り落ちながら聴き進めるのだった。
ジェーン・フォスター博士と共に重力異常の裂け目へ突入し、そこからアスガルドへビフレストでデリバリーされる――その物理的な座標移動のタイムライン自体は、私の脳内CPUにとっても事前に算定された想定内の範疇だった。
高次次元インフラが再建され、ソーが問題なく往還している以上、一時的な通信途絶が生じても最終的な帰還率は維持できる。
頭では、確かにそう理解していた。
だが、人間の皮を被った生体兵器の、その本能の最深部に楔として打ち込まれた「帰宅への呪い」は、そんなロジックの甘い見通しを無慈悲に両断した。
完全に地球から離れたという現実は、私の生体システムに限界負荷の超巨大なバックファイアを叩きつけた。本能の檻が発狂し、防壁が決壊する。
それは、笑わない怪物の計算機を内側から完全にクラッシュさせるのに、十分すぎる大天災だった。
「……ぁ……ガ、はっ……っ!」
黄金の輝きに満ちたアスガルドの王宮、高位の医療魔術インフラが敷かれた「治癒の室」
豪奢な寝台の上に仰向けに寝かされた私は、脳内CPUの過負荷によるバーストエラーで全身の有機光ファイバーを狂ったように痙攣させ、衣服を黒く汚しながら生体組織の血を激しく吐き出し続けていた。
「――静かに。抵抗を辞めなさい、ミッドガルドの戦士」
白い衣服を纏ったアスガルドのヒーラーたちが、戦烈を帯びた手つきで透過型の医療魔術障壁、ソウル・フォージを私の身体へと一斉に走らせ、その内側の精査を開始した。
だが、次の瞬間、光のレイヤーに浮かび上がった肉体構造の未加工ログを目にした瞬間、神々の医師たちの眸が、一斉に恐怖と驚愕に大きく見開かれた。
『……信じられん。この華奢な少女の形をした生物の内側は……一体どうなっているんだ』
光のカルテに刻まれた、この惑星の文明の良識を遥かに置き去りにした悍ましい変造履歴。
骨格の結合角を強硬に歪曲させたハニカム構造の生体衝撃吸収ダンパー。
人間を辞めた超高密度な人工筋肉アクチュエータ。
回路を脈打つ血の代わりのフォトンブラッド循環系。
それだけではない。
体内の最深部には、チタウリの生体装甲機械、エクストリミスの熱マトリクス、そして先代クウガとゴウラムの黄金の霊石の中枢が、ドロドロに融合して自己組織化を繰り返している。
地球のテクノロジーと宇宙の遺物、そして超古代の異能が最悪の形でドッキングした複数の技術による肉体改造の履歴。
それは、神々が管理する世界樹のどのレジストリにも存在しない、完結したバケモノの証明そのものだった。
「ひどい拒絶反応を起こしているわ。彼女の魂の核が、この世界のすべてを拒絶して自壊しようとしている……!」
夫であるオーディンの指示によって居合わせたアスガルドの王妃――フリッガはその手を伸ばし――。
気がついた時、豪奢な寝台の上に仰向けに寝かされていた。
衣服を黒く汚しながら痙攣を続ける私の身体へ、アスガルドの医師たちが光のレイヤーを走らせ、その内側に蠢く骨格の異常増殖やチタウリの生体装甲機械、エクストリミス炉の残渣という化け物の改造履歴を目にして、恐怖にその眸を大きく見開いているのが、死に体のセンサーに引っかかる。
だが、その全損寸前の私の加熱した前髪の隙間へ、そっと、これまでにないほど深く、澄み切った絶対的な慈愛の熱を帯びた手のひらが触れ、その頭を優しく撫でた。
――【致命的なバグ:母性レジストリの強制置換エラーを執行】――
フリッガが体現する、非合理的なまでに完璧な「母親」としてのバイタルパルス。
脳内プロセッサは、失われたニューヨークの母親の空白のデータ領域を埋めるため、目の前の王妃の波形を強硬に上書きコピーした。
フリーズを回避するための、最も悲しいの承認。
「……お母さん……? ごめんなさい、遅くなって……ただいま戻りました……」
掠れた、子供のような声音が静寂に落ちる。
怪物の紅い瞳から涙がボロボロと溢れ出るのを、女性は痛みを堪えるような複雑な表情で見つめ、ただ母親として、その化け物の頭を優しく撫で続け、過負荷の濁流を凪がせていった。
数時間後。
仮初の意識を脳内で再構築したエリンは、ボロ雑巾のような身体を気合で従わせ、寝台の上に上体を起こしていた。
視線の先。
隣の寝台でエーテルの発赤を明滅させているジェーンの傍らに、重厚な黄金の甲冑を纏い、威厳に満ちた一本の大きなソーに匹敵、それ以上の『神の質量』が直立していた。
オールファザー。あるいはオーディン。
「――目覚めたか、ミッドガルドの戦士よ」
オーディンは、片目だけの一切の揺らぎのない鋭い眸を向け、低く、重々しい衣服の擦れる音を響かせて語りかけてきた。
「フォスターがその身に宿した流体状の不定形物質。
あれは数千年前、光の世界を拒絶した闇の軍勢――ダーク・エルフが、自らの欲望ために世界樹のすべてを暗黒の虚無へ還元するために加工・開発した彼らの秘宝『エーテル』だ」
王の言葉が、私の復調した脳内CPUへとリアルタイムでインデックス化されていく。
「エーテルは生き物の肉体を苗床にして寄生し、その生命を燃料にして出力を増大させる特性を持っている。そして何より、ダーク・エルフの首領マレキスとその兵隊たちの肉体、感覚は、このエーテルの波長と深く同調しているのだ。
封印が解け、この世界に放たれた以上、エーテルが9つの世界のどこにあろうとも、彼らはその引力を辿るように位置を捕捉し、この王宮へ向けて強襲を仕掛けてくる」
オーディンは一歩前に出ると、寝台の上の私を、ただの華奢な少女ではなく、かつて自分の息子と互角に殴り合ってみせた戦士として、最大級の戦術的敬意を眸に灯して見下ろした。
「私の父ボー王は、かつてダーク・エルフを根絶やしにしたと言い残されたが……私はその言葉を完全には信用しきれてはおらんかった。
この世に完全なものはなくエーテルの封印もいつか解かれ連中は必ず復活する未来は来ると。
ダーク・エルフは、王宮の防衛網を突破しジェーンの身柄を奪いにやってくる。
……ミッドガルドの戦士よ。
お前がその内側にどれほど悍ましい異能を隠していようが、私は問わん。お前が母親を守りたいというなら、これからここへ攻め込んでくる軍勢を蹂躙するため、我が王宮の盾として、その力をふるってほしい」
そのオーディンの言葉、そして彼がミッドガルドの存在である私を切り捨てるのではなく「共に戦え」と戦士としての席を用意した佇まいを、傍らでムジョルニアを握り締めていたソーは、静かに見つめていた。
ダーク・エルフと祖父の系譜に因縁に、彼女の帰るべき日常を守るために巻き込もうとするその背中に、ソーはアスガルドの全生命を背負って戦い続けてきた慈悲深い『オールファザー』の、影の側面を見ざるを得なかったのだ。
「……了解しました、オーディン王。私の生存演算において、この場所はお母さんのいる我が家と100%同期されています」
私はオッドアイの瞳を冷たく細め、完璧なエリンの無表情のまま、血の通わない平坦な声を滑り込ませた。
フリッガを母親と誤認した脳のバグは、私のなかで完全に「アスガルドの防衛」を最優先の黒字ルートとして確定させていた。
「我が家のドアを壊し、お母さんの明日を奪おうとする害獣。……私の全てを出し切り、完全に引き算することを約束します」
ドレスの裾の幻影を翻すようにして、私は寝台から大理石の床へと、ふわりと移動し、王の前に跪いてみせた。
トニーの隠蔽プログラム、サブルーチン555を気にする必要のない、制限を100%撤廃した神々の戦場。
お母さんの笑顔を守るという狂気的な呪いに突き動かされ、世界を救うために、怪物の最大出力の解禁のカウントダウンが今ここに始まったのだ。
治癒の室からジェーンとエリンの身柄を王宮の最深部へと移送した直後。
重厚な黄金の意匠が施された謁見の間の長机を両手で叩きつけ、ソーは、その碧い眸に烈しい怒りと悲痛の熱を灯して、玉座に座る老いた王に真正面から物申していた。
「父上!!! 正気なのですか!!! あのミッドガルドの戦士――我が同盟者エリンの姿をご覧になったはずだ!!」
ソーの、胸を抉るような生真面目な怒号が、大気を震わせる。
彼の脳裏には、先ほど治癒の寝台の上で目や鼻から黒い血を流し、明らかに前後不覚に陥っていた少女の、あの凄惨な姿が焼き付いて離れなかった。
「彼女は世界樹の引力の歪みに脳を引き裂かれ、その衝撃で完全に狂ってしまっている! 目の前にいる母上を自分の母親だと誤認して縋り付くほどに、彼女の心は内側から破綻を起こしているのですよ!!」
ソーはムジョルニアを握る指先を白くさせ、父オーディンの冷徹極まる算定の眸を真っ直ぐに睨みつけた。
「彼女はこれまで、ただの一度も『大義』や『正義』のためには戦っていない! 故郷に残してきたたった一人の母親の日常を守るためだけに、自らの身体を武器として鍛え上げた誇りある戦士だ!
その願いを逆手に取り、母上を人質にするかのようにして戦列の最前線へ並べるのが……これほどの精神の機能不全に付け込んで使い潰すのが、誇り高きアスガルドの王の、オールファザーの姿なのですかッ!!」
息子の、青臭い理想論。
だが、玉座に座るオーディンは、片目だけの一切の揺らぎのない冷酷な現実主義者の視線で息子を射抜いたまま、微動だにしなかった。
王の纏う深紅のロングコートの裾がアスガルドの風に僅かに揺れる。
「……ソー。お前は確かに、数々の戦場を駆け抜け、戦いというものを知っている」
オーディンは低く、しかし王宮そのものを震わせるような絶対的な重々しい声を滑り込ませた。
「だがな、我が息子よ。お前はまだ、世界が滅びるかどうか、あるいは一切合切を滅ぼさんとする邪悪との戦いを知らん」
「……何ですと?」
「ボー王がダーク・エルフを根絶やしにしたという言葉を、私は最初から信用していないと言ったはずだ。
かつてわが父が戦い、滅ぼしたとされるマレキス、あるいはその遺志を継ぐ者がエーテルの気配を辿ってこの王宮を強襲しに来るのはわかりきっている。
それほどまでに宇宙が誕生する前の、何も光がない暗黒の時代から存在していたダークエルフはエーテルが持つ力を使い、世界を暗黒の時代へ巻き戻そうとしている。
5000年ぶりに九つの世界が一直線に重なり、世界の境界線次元の壁が最も薄くなる瞬間にならば、その全ての世界を闇に包むことが可能になるのだ」
オーディンは玉座から音もなく立ち上がり、ソーの前に一歩、踏み出した。
「綺麗事を言っている間に、アスガルドのみならず9つの世界が滅ぶ。」
王は冷たい視線で、治癒の室の方角を見据えた。
「アスガルドに飛んだ彼女が心を壊したのは想定外だった、だがフリッガを守るべき母親と誤認したのなら、それは使える。
彼女は我が家を壊しにくる害獣を処理すると言った。
世界が滅びなければ彼女をミッドガルドに送ろう、彼女に謝罪もしよう、だがすべては生き残ってからだ」
ソーは唇を烈しく噛み締め、父の裏にある、自らの故郷を守り抜くための度し難い頑固な執念の前に、それ以上の言葉を繋げることができなかった。
◆ ◆ ◆
前髪の隙間から鮮血のような赤い瞳を虚ろに灯した私は、衣服の下の生体超伝導アクチュエータを最大稼働の励起状態へとアジャストし、ファイズブラスターの設計図を体内で静かに再現し始めていた。
お母さんの明日を奪う害獣は、1体残らず消滅させる。
完璧なエリンの無表情の裏側で、宇宙誕生以前から存在するダーク・エルフ蹂躙の数式が、冷酷に牙を研ぎ澄ましていくのだった。
カツンカツンと接近する気配のある巨大な『神の質量』
オーディンは腰にマウントしていたアスガルドの重厚な古剣を引き抜いた。
キィィン、と冷たい金属音が室内に響く。
王は一切の躊躇なく、自らの頑強な右手の掌へと、その鋭利な刃の先端を無造作に滑らせた。
ザシュッ、と肉組織が裂ける鈍い音が聞こえ、神王の掌の傷口から、オーディン・フォースが込められた清廉な『黄金の血液』が、ドロリと重く溢れ出た。
オーディンはその黄金に濡れた掌を、見上げるエリンの顔面へと翳し、その指先から溢れる神血を、唇の奥へと容赦なくダイレクトに滴らせ、流し込んだ。
――ジュルリ、ドク、ドクドクッ……!
口腔をせき止められた泥流のように満たしたのは、溢れ出た生温かい神の血と、そして、網膜を内側から焼き焦がすような、臨界寸前の魔術エネルギーの強烈な「熱」と「味」だった。
それは、チタウリの鉄屑やサヴィンの肉とは完全に格が違う、宇宙特級の生命ソースコード。
「が、あ、あ、ああああああああっ!!!!」
全身の全細胞が悲鳴を上げて沸騰を開始する。
オーディン・フォースの圧倒的な質量が流体光子神経の最深部へと流入し、これまで私を苛んでいた地球から隔離されたことによる精神破綻のエラーパルスを、上から強硬に圧殺・封印していく。
フリッガを母親と誤認した脳のねじれ状態を完全にベースにしたまま、生体クロックが前線戦闘が可能な完全な状態へと、強引に固定・アジャストされる感覚。
それだけではない。
神の血に刻まれていた「暗黒魔術の時空間転送パス」が、脳内CPUへ100%デコードされ、世界樹の直列が終わった後でも自力で地球へ次元跳躍できる帰宅インフラが恒久的に確立されていく。
バチバチパチパチッ!!!
前腕の装甲の隙間から、黄金のルーン火花が噴き出し、体内で再編成されるファイズブラスターの設計図へと、物質の分子間結合を両断する神殺しの魔力が接ぎ木ハックされていく。
私の網膜の端に、無機質なシステムログがポップアップした。
【生体インフラの更新を確認:全能の父の神血コードおよび魔術の同化完了を確認】
【仮初の名:『ラーズグリーズ』のレジストリ上書きを承認】
「お前のミッドガルドでの武力は、このアスガルドの地では通用せん。
これより我が戦列の最前線へ並ぶ間、お前を計画を壊す者の名を持つ戦乙女『ラーズグリーズ』として扱う」
「……了承しました、オーディン王。」
私はゆっくりとオッドアイの瞳を開き、大理石の床へと音もなく立ち上がった。
衣服が消滅し、髪色は金髪に変わり、全身から垂れ流される青いフォトンブラッドの残光が、全身を優美に包み込む純白とピンクのフリルドレスへと羽化。
右目に青空のクリアブルー、左目に怪物の業を灯した深く冷たい赤の虹彩。
オーディンとの血の盟約により得た空間さえ歪める輝きがゆらゆらと蜃気楼のように姿を包む。
「お母さんのいる我が家を壊しにくる害獣。
……私がこの世界からすべて、残さず引き算して消滅させてあげますよ」
完璧なエリンの無表情の裏側で、世界樹のすべてを巻き込む最終決戦フォームの蹂躙の数式が、冷酷に、完璧に牙を研ぎ澄ますのだった。
オーディンが自ら血液を与えるとかアスガルドの歴史においてめちゃくちゃヤバいと気が付いたのは書き終わった後だったりする。
あとアズガルドなのか、アスガルドなのか、ミッドガルドなのか、ミッドガルズなのか今も覚えられていない。