MCU世界で『ただいま』を言えない怪物 作:お砂糖さらさら
夜のマンハッタンは相変わらず雨だった。
ネカフェの個室で、私はスマートフォンの画面を見つめていた。
入金通知が来るはずの時間を、とうに過ぎている。
代わりに届いたのは、無機質な文字だけだった。
『実験体出現通知および報奨金制度、本日をもって廃止。
ニューヒーロー誕生!名乗れ!ファイズ!
ヒーローの秘密基地はここだよ!』
地図情報が添付されている。
ヘルズ・キッチンからそう遠くない、民間の小さな工場。
従業員は数名程度と記されていた。
茶番の終わりか、それとも、次の茶番が始まるのか。
私は生存のための計算を始めた。
何がニューヒーロー誕生だ。
監視ログに残る私の「異変」を、新しいサンプルとして扱い続けるつもりなのだろう。
この茶番がいつまで続くのか。
母親の日常を守る計算が、いつまで成立するのか。まだ答えは出ない。
だが、手がかりを得る機会を捨てるわけにはいかなかった。
私は生体組織を精密に操作した。黒髪のボブを隠し、平凡なウイッグを被る。
赤い瞳を覆うように薄いメガネを形成する。
デアデビルの超感覚には通用しないが、一般人相手の目くらましならやらないよりはマシだろう。
髪色や骨格、顔だちを大胆に変えることもできるが自我同一性の崩壊リスクを抱え込むことはできない。
両手で顔を軽くもみほぐしてエリン・マクカシーの顔立ちを、意識的にぼやかした。
口座の残金はおよそ五千ドル。
複数のATMを回り、現金を引き出していく。
口座が止められる前に可能な限りおろす必要がある
現金なら無理を通してくれる場所もあるはずだ。
次のATMを探しに行こうと店舗を出ると暗がりから声がした。
「少し話せないか」
有無を言わせぬ口調だった。
◆ ◆ ◆
マット・マードック、あるいはデアデビル。
レーダーセンス、その超感覚で日々、大勢の行動を観察している彼は街の「空白地帯」を把握していた。
人間が近くにいても、誰も気にしない意識の死角が重なり合った場所。
彼はエリンの顔をした怪物をそこへ導いた。
雨の路地。
近くに人が通っても誰も視線も向けない、意識が届かない場所。
「最初に言っておくと、君を存在していい生物とは思っていない。
同時に俺だけでは直接殺しきれるような生物ではないとも」
彼の態度は強硬なままだった。
「俺にはレーダーセンスと呼んでいる超感覚がある。それで捉える君の生体反応は、人間のものではない。陳腐な言いかただが異形の生物の感触。
今ですら、筋肉の微細な緊張、心臓の鼓動のリズム――すべてが、本物のエリンからわずかにずれている」
お前は人間じゃない。街の人間じゃない、断言だった。
だが、その声の奥にわずかな理解が混じっていた。
「匿名性が落ちて、潜伏が難しくなっているな。
今ままでのようにネカフェやホテルは使えない。
だが実験体を倒さなければ、エリン・マクカシーの母親に被害が及ぶ可能性がある。
君はどうするんだ?別の姿に擬態するのか?
正体の話とは別にヒーローショーをさせられているのはわかっている」
「ヒーローショー?ヒーローごっこじゃなくて?」
「君は複数の店舗で現金を下ろしていた。エリンの貯金では説明がつかない金額なのがわかる。
そしてあの実験体が現れれば君が即座に処理しているのを考えれば。
君は何者かから情報と資金を受け取っていたと考えるのが自然だ」
「装備と一緒に渡されたスマホに入っているアプリに通知が来て現場に行く、現場で灰にしてお金が入金される。それがルールだった」
私は頷いた、隠す意味を感じなかったからだ。
彼もうなづいて続ける。
「君がヒーローごっこと考えていた理由は想像できる。
君にとって、この戦いは黒幕から資金を得て自分の生存とエリンの母親を守るための戦い。
命がけだが、質的には自分と黒幕の間だけで完結しているクローズドな茶番だと考えているはずだ」
「でも貴方からは違う構図が見えている?」
「そうだ、これはごっこじゃなくてショーなんだよ。
君が知ってるように弁護士もやっている、職業柄『社会の構造』に無関心ではいられないからこそ見えてくるものがある。
ショーには必ず観客がいる、この場合は世間として
観客を熱狂させる演出家、これは黒幕が相当すると考えよう」
デアデビルはバトンでトントンと地面を突きながら言葉を流す。脳裏に赤いコスプレ男が語る姿を幻視してしまった。
「君が先日爆弾型を処理した日の事を思い出そう。
わざわざ見物人がいる大通りで臨界する爆弾を設置し、使えと言わんばかりに装備を支給して使わせた。
装備の性質上、衆目の前でわかりやすく姿を変えざるをえないよう追い込まれたんだろ?
そしてそもそもの話、匿名性を考慮していない顔が露出するシステム
総合して考えるとこれは君と組織の泥仕合や我慢大会じゃない。
君という主演女優を世間に売り出すために、舞台を整え、観客を集めてカメラを回している
『お披露目公演会(ヒーローショー)』だと考えるのが自然だ」
「…私は生存を目指しているのに、実は最初から派手な主役として舞台に立たされていた?」
あの夜以降、私の戦闘時の動画はもちろん、オリジナル・エリンの不慣れな戦闘すら流出して拡散されている。あれもメディア戦術の一環なのだろうか。
私はこの構造を見抜いたデアデビルに感嘆せざるを得なかった。
「匿名性が下がったのが本質的な問題じゃない。
組織…と呼んでいるけれど、向こうから資金と情報の提供の終了の連絡が来た。
その次は
『実験体出現通知および報奨金制度、本日をもって廃止。
ニューヒーロー誕生!名乗れ!ファイズ!
ヒーローの秘密基地はここだよ!』
だって。」
声に出すも不快な文面だがデアデビルは全盲だ、声に出して読んでやる。
「ショーとしての体制を強化する気だろう、新たな支援体制と引き換えに首輪をつけられるリスクがある」
「……ホームレス生活でも構わない。だが、組織を潰すための手がかりは必要だ。指定された場所へ行く」
「街を守るなら協定は結べる。だが母親を巻き込むな」
「母親の日常を守ることが、私の条件だ。一定の距離を保つ」
「彼女の日常についてはかなり手遅れ感があるが、俺も表で助力できるなら手を貸そう」
彼から差し出された手を握り返す。
合意が成立した。
デアデビルと別れ、工場の近くまで歩くと、作業服の男が手招きをした。
「エリンちゃん!待ってたよ、こっちこっち」
異様なまで名馴れ馴れしさに面食らうが招かれるまま中へ入る。
表向きは、ただの民間工場だった。機械音と油の匂い。
何かが普通じゃないが、その異質さを言語化できないまま
従いスタッフオンリーの部屋に通され、床が揺れる。
エレベーターだ、ボタンをおさずとも地下に下がっていく遠くなっていく天井を見ながら「墓穴」の言葉が頭をよぎった。。
そこには、ヒーローとして問題なく活躍できる「それらしい」施設が用意されていた。
モニターが並ぶ指令室。衣食住に関わる部屋。小規模な図書室。
ファイズフォン、ファイズアクセル、ファイズエッジ、ファイズポインターの複製品がそれなりのセットで並ぶ保管庫。
バイクや自転車、乗用車の駐車場。
そして――自宅の自室を再現した部屋。
初見の不気味さは、言語化しにくかった。
模倣された自室の蛍光灯の下で、私はわずかに立ち止まる。
使い古された家具。薄いカーテン(窓の外はコンクリで固められいる)、デスクの上にはノートや筆記用具が記憶にあるように置かれている。
自宅から直接持ってきたわけじゃない。
記憶にあるはずの細かい傷や配置が微妙に違う
いつもの見覚えのある風景なのに、何かが「違う」。
不快感が、胸の奥で小さく脈打つ。
「到着をお待ちしていました。エリンさん」
部屋の中に、平凡すぎて逆に顔の特徴が分からない男が待機していた。
平均的な身長、平均的な体型、どこにでもいそうな作業着。
目鼻立ちも、記憶に残らないほど平板だった。
視線を向けても、すぐに輪郭がぼやける。
まるで「顔」という概念そのものを意識的に薄くした存在のようだ。
「フォノグラファーです。アシスタントを務めることになりました。Fと呼んでくださってもよいですよ」
男は淡々と名乗った。声にも抑揚がない。私は一歩も動かず、ただ視線を向けた。
「自分が言うがままに動くとでも思っているのか」
男は少しだけ首を傾げ、すぐに同じ平板な声で返した。
「このヒーローショーから降りたいのなら、降りればよろしい。
あなたの戦闘力は表でも裏でも希少です。
あの世界を救う専門家を自称しているS.H.I.E.L.D.なら喜んで飼い犬にしてくれると思いますよ。
あるいはどこぞの犯罪組織にでも加入して暴力で成りあがるのも夢がある選択肢です」
どうやら私の現状を打破してくれる都合のいい正義の味方はいないらしい。
肩をすくめると私は何も言わず、そのまま指令室へ向かった。
壁一面のモニターが静かに点灯し、白い文字が浮かび上がる。
『実験体出現予告 場所:〇〇 時刻:午後3時22分 アクセルフォーム:非推奨 正規装備を使用せよ』
背後から、フォノグラファーの印象に残らない平坦な声が続いた。
「現場への送迎は私にお任せください。バイクで向かいます。
戦闘が終われば、車で回収しますので、時間ごとの位置を覚えておいてください。
新装備の開発の為のデータが足りないので申請書を書いたうえで装備を持ち出してください。
口頭で言ってくだされば私が代筆しますが」
予告時間の少し前。
私はバイクの後部座席に跨がった。
足の位置が定まらずフラフラさせえているとFから指導と注意を受ける。
エンジンが低く唸り、風を切り裂いて走り出した。
風が冷たく、黒髪を乱す。
現場近くで降りる。
「健闘を祈ります」
平坦な声で言い捨ててフォノグラファーはすぐに離脱した。
◆ ◆ ◆
「ギ、ギギィィ――ッ、ゴボッ、オ、ガ、ァァァァッ!!」
遠くから、電子ノイズが混じったような咆哮が聞こえてくる。
方向は明確だった。即座に変身を敢行する。
ファイズフォンに555と入力しENTERを入力。
『STANDING BY』
次に本物のベルトにフォンをセットしてやる。
『COMPLETE』
ベルト側が正規の認証を行い、体内の埋め込みフォトンブラッド系に「起動信号」を送る
衣服が粒子状に分解され、システムに収納されて消える。
拘束具のように身体を圧迫する黒いライダースーツが体を包み
その上にコートが生成され腰回りから太腿の後ろにかけて伸びた黒いコートの裾が風に揺れる
胸部や肩、前腕に装甲が生成され、最後に赤いフォトンブラッドのラインが黒を切り取るように流れる。
「出てきてもらって悪いけど、さっさと消えてもらう」
右脛にポインターを装着しベルトからミッションメモリーを引き抜き叩き込む。
『Ready』
待機状態になったのを確認し一跳び35mの脚力を活かし、足跡をつけながらビルを駆け上がる。
目標が見えたところでドッ!と蹴り飛ばして急接近する。
視界が爆発的に切り替わる中で腹部のファイズフォンを開き、エンターを叩く。
いつもの動作が、よどみなく遂行された。
『Exceed Charge』
空中で回転し右足を実験体に向ける赤い円錐状のマーカーが展開され、クリムゾンスマッシュが直撃!!
即座に灰にする――はずだった。
「効きが悪い!!」
「ガァ、アァッ……、パ、パギィィィィン――――ッ!!」
半ばまで焼けたあたりで、眼が眩むほどの紅い光を生み出した実験体は腕に赤い光が収束させる
その横殴りでクリムゾンスマッシュを阻止されてしまった。
まさかグランインパクト相当の攻撃を繰り出してきたのか?装備を使わずに?
「質を上げるにもしても加減を知らない!」
体が弾かれるままに、地面に手を突き側転からのバク転の要領で立て直す。
前を向けば腕を輝かせながら迫ってくる姿を確認し、ボディにキックを叩き込んだ。
「ガァッ!!!キィイイイ!!」
「腕力に自信がありそうな君だ、当然そうする」
がっしりと体全体を使って掴まれる。
その圧力に右足から異音がした。
それを無視して再びファイズフォンのエンターを押し込む。
『Exceed Charge』
本日二度目のチャージ音声を聞き流し、こちから右足を押し付けてやる
ポインターが問題なく起動し赤い円錐状のエネルギーで拘束。
「いつまで女性の足を抱きしめているつもりだ変態野郎」
「ガァアアアァアアァアア!!!!」
クリムゾンスマッシュを直撃させ赤い閃光が実験体を焼く。
たまらず投げ出され衝撃で距離が離れる。
まだ死なない。
右足から異臭がする――が無視する。
「がんばって!黒い少女ヒーロー」「もう一回赤いキックだせ!それで沈めろ!」
野次馬の無責任な声を聞き流しながら、ポインターからミッションメモリーを引き抜き、腰から外したファイズショットに装填する。
「君の望んだ接近戦に付き合ってあげる」
『Ready』
ベルトのエンターを叩き込み、チャージ状態に移行。
『Exceed Charge』
右手のグランショットに赤い光が伝達される。
腰を落とし、全速力で走り寄る。
馬鹿の一つ覚えのように組みつこうとする手を左足で跳ね飛ばし、姿勢を低くして腹部にグランインパクトを叩き込む。
これが致命打となった。
「おやすみなさい」
この段階で、やっと灰となった。赤い粒子が空気の中に溶けて消えていく。
「すごい!!」「ああやって戦うんだ!」
野次馬の称賛を無視して飛び上がる。
一般人が使っているドローンを振り切り、視界の外に流していく、
フォノグラファーが待機している近場の駐車場で、車に乗り込んだ。
「お疲れさまでした。いい戦いでしたよ」
「…本気でそう言ってそうで気持ち悪い」
座席を倒して横になる。
車体色が静かに変わり、私を乗せた車に街に溶けていった。
目を閉じ右足の感触を確認した。
圧迫と軽度の火傷を確認し意識して修復する、だが、まだ完璧ではない。
母親の日常を守る計算は、まだ成立しているだろうか。
この茶番がいつまで続くのか――答えは、まだ出ない。
だが、組織の「支援」を受けた以上、次の段階が始まったのは確かだった。
「早く帰りたい」
そのつぶやきはタイヤが砂利を飛ばす音に隠れて消えた。