戦国爆乳秀吉〜主人公は秀吉を爆乳に育てたい〜 作:星野林(旧ゆっくり霊沙)
数え年で10歳になりました。
逆算して今年は1546年。
主な出来事は河越城の戦いかな?
関東の大名北条氏が関東管領って室町幕府だと偉い役職に就いている2つある上杉家と関東諸侯の連合を夜戦でボッコボコのボコにした戦いである。
ちなみにこの戦で負けた上杉家は片方が滅亡、片方は後に上杉謙信になる長尾景虎って人の元に亡命することに。
戦の規模は北条氏が1万の兵に対して連合軍が10万とかで、関東でも指折りの大戦で、10万側がボコボコにされるんだから……はぁ~乱戦乱戦。
以後北条は巨大化しては上杉謙信に進化した長尾景虎に度々ボコられて勢力を縮小するを20年くらい続けることになる。
あと大きな出来事は第13代将軍足利義輝公が将軍就任だろうか。
数え年11歳で将軍就任は室町時代だと最年少。
そして史実だと足利義輝公が暗殺されたことで室町幕府の権威が失墜して滅亡に向かうので、権威があった最後の将軍ともいえる。
この世界だと男か女か分からないけど、出会えるなら会ってみたい人……いや、剣豪将軍って言われるくらい気性が荒い人らしいから会わなくても良いか。
とりあえず、10歳になって体も出来上がってきたし、萌衣姉さんの武芸の腕前だと上達が頭打ちになってきたことだし、しっかりとした師匠の下で教えを受けたほうが良いんじゃないかって萌衣姉さんと嫁達一同で話し合い、農作業が無い冬の間に月謝を支払って津島近くにある道場で武芸を教えている先生から習うことに。
熱田ではなく津島の方を選んだ理由は熱田の知っている道場よりも津島の方の道場の方が評判が良かっただけである。
片道1時間半、荷物を持って走るので鍛錬になるし、村の人達からも芋羊羹の販路を広げるために売り込んで来てくれって言われたのでちょうど良い。
ちなみに月謝はうちで作った米だったり銭だったり野菜だったり……。
物納可である。
この時代の道場は武士の人が剣術を教えるために開いている場合と、住み込みの弟子を取って一般教養を叩き込む教育機関でもあったりする。
あとはお寺や神社がスポンサーの道場も合ったりと、現代で言う私立の学校に近いかもしれない。
金を支払うか知り合いからの紹介があれば基本誰でも習うことができるため、道場で人材発掘をする武家もあったりする。
後々有名になる戦国のボンバーマンこと松永久秀の家臣なんかは道場出身者が多かったりする。
というわけで津島にある道場の門を叩いた訳であるが、そこの道場の師範は平野氏の一族の女性だった。
平野氏が偉いかって言うと由緒ある家柄ではあるが将軍の家臣の家臣の家臣の更に家臣くらい……現代で言うところよ孫受けとかひ孫受けとかの下っ端役人が平野村に土着して平野と名乗っているだけである。
ただ津島では町役人に何人も平野の一族が居るので、結構金持ちの一族であり、金があるから道場の運用資金も潤沢で何人も師範代や教育係を養えるから質の良い教育ができるのだろう。
「よし、織田家に仕える茂部家の一族と」
「はい!」
「よろしい、うちの道場は門を叩いた者は犯罪者じゃなければ受け入れている。ただ入門時にどれぐらいやれるか試験をしている。なに、門下生と試合をするだけだ。順番にやるぞ」
「「「「「はい!」」」」」
というわけで、入門試験を受けることに。
試験内容は木刀で門下生と試合をすることで、有効打を与えたら勝ち、5回試合をしてその実力によって指導を行う先生が変わるとのこと。
「はじめ!」
「やぁぁ!」
順番に試合が行われていく。
武芸の鍛錬はしていたおかげで、1回戦、2回戦は5人全員突破。
3回戦目で散華さんと美虎が脱落。
4回戦目で秀吉と萌衣姉さんが脱落し、俺だけが5回戦全部勝ち抜くことができた。
「ハァハァ……」
最後の試合に勝てた時は周りの門下生からも拍手をいただいた。
「君、男だけど素晴らしい腕前だな。よし、私自らが教えよう」
俺はこの童女絵の師範の女性に教えてもらうことに決まり、他の皆も教えてもらう先生が決まっていったようだ。
「平野先生、よろしくお願いします」
「うん、よろしく。さてと、私の鍛錬は厳しいよ。まずは鎧を身に着けて木刀の素振り1000本から始めようか!」
「は、はい!」
「いい返事だ」
萌衣姉さんのお母さんとかが教えてくれたので、基礎はできているって平野先生から言われたし、俺が10歳と伝えたら凄い驚いていた。
「10歳でその体格か……こりゃ武将に成れる器かもしれんな! 私がみっちり教えてやるから頑張ろうな!」
「はい!」
冬の間みっちり鍛えてもらうのだった。
道場に通うようになっての日課はこんな感じ。
朝日の出と共に起きて風呂場で体を洗ったりして体を清めたり、朝食を手分けして作り、ご飯をかきこんでいく。
料理が一番上手なのは俺なので、俺が料理を担当することが多い。
お米を炊くのは散華さんが一番上手で、俺を除いた女性陣で料理上手は美虎だったり。
6時半くらいまでに体を清めてご飯を食べ終えて、俺の母さんが経営している芋羊羹工房に向かう。
そこには既に芋羊羹が作られているので、津島に持っていく分を貰って、販売係りの人と合流して荷車を引いて、運んでいく。
1時間半かけて津島に到着すると、販売係りの人は商品を商人に卸して、販路を広げることをしているので、俺達は道場に顔を出して、謝礼品を渡して、剣術や槍術、弓術を習っていく。
馬術も習えるコースがあるけれど、馬術を習う人は自前の馬を連れてこいって言われているので、このコースは習うことができない。
「始め!」
「やぁぁあ!」
鍛錬の内容は素振り、丸太に藁を巻いて人に見立てた目標への打ち込み、槍の場合も素振りと丸太に溝が掘られて的にされているので木で作られた練習用の槍で突いたり、叩いたり。
面白い鍛錬だと物干しから糸の先端に銭を吊るして、銭の穴に槍の穂先に取り付けた針を通す……という練習方法があった。
一文銭通しとも言われる練習方法で、達人だとこれが百発百中なのだとか。
槍の長さは普通二間半(約4.5メートル)とされていて、俺も道場では二間半の槍で練習している。
4.5メートルも長さのある穂先に取り付けた針を銭の穴差し込むというのは本当に難しい。
達人である師範の平野先生でも2回に1回しか成功しないほど技量がいる練習方法で、これは家に帰ってからも、俺は練習していたりする。
午前中にそれを行って、昼食をいただく。
昼食は道場に住み込んでいる下人と呼ばれる人達……お金が無いけど、道場で働かせてもらっている人達がご飯を作って道場にいる人達に振る舞う。
お金を多めに支払っている人や人に教える実力を認められた人はお代わりが許され、俺や嫁達もお金を多めに支払っている側なので沢山ご飯を頂いていた。
午後からは組手。
1対1の試合形式の訓練になり、刀や槍だけでなく、相撲もやらされる。
武器を失った時に最後に頼れる物は己の体のみ。
だから相撲の鍛錬をして、立ち向かえる様にしなさいってのがここの道場の教えだった。
俺は相撲の鍛錬で柔道の技をよく使っていた。
相撲と言っても禁止技は無いし、大外刈、小内刈とか足技が結構決まる。
転ばせて押し倒してしまえば、戦場では致命傷になるし、柔道の初歩的なのは中学、高校の体育の授業で習ったことを案外覚えていたので、練習を繰り返せば使えるようになった。
受け身は俺が嫁達に教えていたので、相撲の鍛錬で怪我することはなかったけど、激しい肉体のぶつかり合いなので、怪我人が出ることもしばしば。
まぁ実力が近い人と組手はするので、それで怪我する確率を低くするように道場側もしていたけど。
あとは弓道場で弓の練習。
弓道場と入っても、的を置いて、そこに矢を射る場所があるだけであるが……。
そんな感じで道場の1日が終われば、夕方に買い物を終えた行きに一緒に来ていた芋羊羹販売組の村人達と一緒に中村へ帰るのだった。
「うっぷ……おぇ……」
「大丈夫? 萌衣姉さん」
「うん、最近ちょっと気持ち悪くなることが多くて……」
ここ最近萌衣姉さんが朝食後に嗚咽をすることがあり、病気を疑ったがもしかしてと思い、ネット通販で妊娠検査キットを使って確認してみると……
『陽性』
はい、孕ませ確定。
数え年で10歳、実年齢9歳でパパとか倫理観終わっとる。
しかもつわりが来ているってことは妊娠1ヶ月から2ヶ月くらい。
たぶん新築で盛り上がった時に孕ませたな……。
「萌衣姉さん、妊娠してるよ……」
「本当! 嬉しい! 私が一番最初に子供産めるね!」
戦国時代の世の中なのと女性が丈夫な世界故にこれぐらいは普通。
逆に滅茶苦茶喜ばれた。
現代の考えで動いてはいけない。
俺もこの世界に適応しないと……。
とりあえず今年中なら大きな戦は無かったはずだし、戦に駆り出されることは無いはず。
萌衣姉さんには道場に通うのも控えた方が良いんじゃないかって言うが、
「何言ってるの? 妊娠しても皆働くし、戦場で出産する剛の者もいるくらいだし、鍛錬くらい普通だよ」
「常識が違う……」
流産することが殆ど無いらしく、というか男の子種が弱くて、なかなか孕むことが無いとのこと。
一度孕んでしまえば刀で腹を切り裂かれるとか槍で突き刺されるとかでもない限り流れない。
なんなら妊婦は矢が当たっても弾力で弾かれるので、弓矢や投擲攻撃に関しては妊婦の方が良いとして前面に出す倫理観終わってる兵の運用をするヤバい大名もいるらしい。
聞いたら尼子って言う中国地方の大名がしているとのこと。
ドン引きである。
「というか私がこの家で一番偉いから私が戦に出陣しないわけいかないじゃん」
孕ませる時期は気をつけようと俺は思うのだった。
週6で道場に通っているけど、道場も住み込みの弟子をみっちり鍛える日があり、その日は外部の弟子は休みとなる。
そういう日は家でDIYするのが趣味になっていた。
最近だと鳥小屋と柵を作って、鶏を飼育する準備を整えていたり、将来馬も必要になるだろうと馬小屋を皆に協力してもらって、1日かけて建てたりとかそんな感じ。
鶏に関しては俺が最初肉団子の鍋を作って、それを食べさせ、次に焼き鳥、最後に親子丼と順番を踏んで嫁達に鶏肉と卵を慣れさせた結果……
「こんなに美味しい食べ物を禁止しているなんて!」
「何で鶏は食べちゃダメってなったでーす?」
秀吉と美虎も憤っていたが鶏を食べてはいけないと最初に法令に出てきたのは675年……平安時代より前の飛鳥時代の肉食禁止令まで遡る。
時の天皇が仏教的な観点から狩猟をしてはいけない時期を決めただけなのであるが、これが貴族達の間で曲解されて肉食を禁止する風に広まっていった。
ただ鎌倉時代になると肉を食べる忌避感は薄れていったのだが、平和な時代が長く続くと、狩れる動物の数が少なくなるとして、武士と僧侶が結託して農民に牛や馬、鶏とかの一部動物は食べてはいけないと広めたのである。
食料が少ない東北や雪国には浸透しなかったが、畿内を中心に鶏を食べてはいけないとして広まった結果、今の鶏を食べてはいけないという文化ができてしまったのである。
「じゃあ偉い人が自分の食い扶持が減らないように鶏を食べちゃダメって言ってるの?」
「そうだよ。仏教の本場の大陸だと鶏だけじゃなくて馬や牛も普通に食べるし……」
「じゃあ私達が食べてもバチは当たらないってこと?」
「そうだし、鶏肉は体の血肉を作るのにとても良い食べ物何だよ。例えばこれとか」
俺は焼き鳥のレバーを囲炉裏で焼いて豪快に食べる。
現代だと苦手な人も多いレバーであるが、食が乏しいこの時代の人達にとっては癖がある味もアクセントである。
塩をふって焼いて食べれば、皆美味しい美味しいってご飯と一緒に食べるし、最初は何の肉かよく分かってなかったし。
「ふわふわの卵料理は滅茶苦茶美味しい……そっか、雌の鶏だったら卵を一日一個産むから……」
「毎日卵が食べられるでーす? それは素晴らしいでーす!」
嫁達に了承を貰ったので、熱田で鶏を売っているかな〜って見に行ったけど、刻鳥として大切にされていた為に、1羽1貫とかべらぼうに高かった。
買えなくはないけど、だったらネット通販で有精卵を買ってうかさせたほうが良いと思い、有精卵と卵の孵化器を購入した。
1回で2ダース……24個の卵を孵化できる優れもので、有精卵も1ダース1000円のが売っていたので2ダース購入。
風呂沸かしと夜の明かりに使っているバッテリーは孵化器に繋いでおく分の電力は十分に賄える。
一応怖いので予備バッテリーも購入しておいて、孵化作業を開始。
毎日道場に行く前と帰ってきてから卵の様子を確認すること20と少し……ピヨピヨと24個の卵から22羽のひよこが生まれてきてくれた。
ひよこが死なない様に鳥小屋の一部を暖かくする(ヒーター設置)必要があったけど、それも無事に冬を越して、1ヶ月半でオスメスが分かるようになり、春になる頃には十分な大きさの鶏になっていた。
卵を産み始めるのはもう少しかかりそうであるが、野菜くずとか質の悪いカスの米、米糠、津島で安売りしている日が経って腐り始めてしまった小魚を砕いて全部混ぜて餌として与えた。
夏前には卵を産み始めてくれるだろう。