転生弁慶、仁王立ちで庇うたびに女装ショタ上司が曇っていく   作:なほやん

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第十話 四人

 

 六年、何も起きなかった。

 

 平泉に着いた頃は三晩寝ずに身構えていたのに、今では縁側で昼寝までしている。継信(ヒゲ)とは会うたびに、どっちが先に前へ出たかで揉めている。荷馬は相変わらず一歩ずつしか歩かない。

 寝ている間に頭へ墨で「番犬」と書かれた時は、三日洗わなかった。あいつの字だったから。

 

 変わったことも、ある。人前では、あいつを「殿」としか呼ばなくなった。

 

 きっかけは、たぶんあの上着だ。「主君として」と言われて押しいただいた時、ありがたく頂戴します、と言った自分の声は、知らない男の声だった。継ぎの曲がったその上着を、今も冬になると着ている。

 

 篝火の夜から、館の連中は俺を「忠臣」と呼ぶ。最初は背中がむずがゆかった。でも、褒められるのは悪くなかった。正直、調子に乗った。俺がしゃんとしていれば、殿はよい家来をお持ちだ、と皆が言う。

 

 俺(・)の(・)行(・)い(・)で(・)、(・)あ(・)い(・)つ(・)が(・)褒(・)め(・)ら(・)れ(・)る(・)。だ(・)か(・)ら(・)、(・)ち(・)ゃ(・)ん(・)と(・)し(・)た(・)か(・)っ(・)た(・)。

 

 前世のことは夢で見た話みたいに遠くなった。ギルドの連中の名前はもう一人も思い出せない。覚えているのは、チャット欄に流れた『ナイスカバー!』の文字だけだ。その文字と「さすが武蔵坊殿」の声がいつの間にか同じものに聞こえるようになった。

 

 三年目の正月、広間で「ハゲ、こっち」と呼ばれた時は、郎党の列で腰を浮かせかけた。殿の隣は俺の座るとこじゃねえ、と断ると、隣の男が感心したように頷いた。俺も頭を下げた。

 顔を上げると、あいつが俺のために空けていた席に、干し柿が一つ置かれていた。

 

 宴のあいだ、あいつが笑うたびに顔を上げた。俺の知らない話で笑っていた。一度こっちを向きかけたので、先に目を逸らした。干し柿は宴が終わるまでそこにあって、誰も座らなかった。俺も、座らなかった。

 

 皆が広間を出てから、あの席へ行って、干し柿を懐に入れた。

 

 湯殿に誘われて、メスガキ、と言いかけて飲み込んだ時、あいつは続きを待っていた。それきり、誘ってこなくなった。

 

 それでも二人きりなら、まだ「うるせえ」が口から出る。あいつも笑って、俺の肩を枕にする。重いぞ、と言えば、ハゲの頭ほどじゃないよ、と返ってくる。

 廊下に人の足音がすると、俺は先に起き上がった。あいつの頭を肩から下ろして、殿、と呼ぶ。何の用だか知らねえが、もう少し遅く来ればよかったのに。

 

 この夏の初めの朝も、縁側で寝転がっていた。隣で、あいつが背中まで伸びた髪に、俺のやった櫛を何度も通していた。小袖は、今年も女物だった。六年かけて、ショートカットの美少女はロングヘアの美少女になっていた。

 

 あいつは櫛を置いて、俺の隣に寝転んだ。肩に頭が乗って、長い髪が俺の腕にまで広がる。いい匂いがした。

 

「ねえ。僕、もう子供じゃないんだよ?」

 

 知ってる。知ってるから困ってるんだろうが。

 子供じゃないなら、この肩の重さは何だ。この匂いは何だ。どう返せば、殿と家来のままでいられる。

 

 結局、「はいはい」で逃げた。いつもの「ざーこ♡」が返ってきて、ほっとした。

 

 奥州で死ぬという話も、前世と一緒に遠くなった。未来が、変わったのかもしれない。俺がいたから、なのか?

 

 その夏の終わり、縁側で昼寝をしていたら、足音で目が覚めた。

 

「九郎(くろう)様!」

 

 吉次(きちじ)だった。いつも腰の低い男が息を切らして、草鞋(わらじ)の紐もほどけている。京の噂を運んできた男がこんな顔をしているのは初めて見た。

 

「伊豆の兵衛佐(ひょうえのすけ)殿が——兄君が、兵を挙げられました!」

 

 吉次はそこで一度唾を飲んだ。

 

「ですが、石橋山というところで平家方に敗れ、今は、行方が知れぬと」

 

 隣を見ると、義経(よしつね)が立ち上がって南を向いていた。富士山の夜、黄瀬川の縁側であいつが暗がりを指さした方角だった。あの時と同じ顔をしていた。負けた、行方が知れない、と聞いた後でも。

 

 なのに、義経は何も言わなかった。しばらく南を見て、それから縁側に座り直した。

 

「そう」

 

 それだけだった。吉次が戸惑った顔で俺を見た。六年前のこいつなら、誰より先に走り出していたはずだ。

 

 兄貴。義経について俺が知っている、数少ないことの一つだ。あの夜、言えなかったこと。

 

 ——兄貴と、揉める。

 

 いや。六年、何も起きなかったんだ。兄貴とだって、きっと上手くやる。それに、あの夜のこいつの顔を、俺は覚えている。会ったことない、と言いながら、暗がりの向こうをずっと見ていた。

 

「行けばいいじゃねえか」

 

 義経がこっちを見た。

 

「会いたかったんだろ、兄貴に」

 

 義経はしばらく俺の顔を見ていた。何か言いかけて、やめた。

 

「うん」

 

 それから立ち上がって、もう一度南を向いた。

 

「兄上のところへ行く」

 

 その日のうちに義経は館の広間で秀衡(ひでひら)殿の前に座った。

 

「今はまだ早い。平家の世は、そう簡単には崩れぬ。兵衛佐殿は石橋山で敗れたばかりだ。負ければ、源氏の子は皆、首を刎ねられる」

 

 秀衡殿はそこで一度息をついた。

 

「九郎殿。ここにおればよい」

 

 六年前、宴の夜に聞いたのと同じ言葉だった。

 

 秀衡殿の後ろに控えた泰衡(やすひら)は、一言も口を挟まず、膝の上で手を握ったり開いたりしていた。

 

 義経が口を開いた。

 

「六年、何もしないでいさせていただきました。ありがとうございました。でも、兄上が戦っているのに、俺だけここにはいられません」

 

 義経は両手をついて頭を下げた。

 

「行きます」

 

 顔を上げてからは一度も目を逸らさなかった。

 

 俺は何も言わなかった。殿が何かするなら、俺が前に立つ。何もしねえなら、隣で昼寝する。市で、そう言った。

 

 六年、昼寝をした。

 今度は、前に立つ番だ。

 

 広間が静かになった。秀衡殿は長いこと黙っていた。

 

「拙者も、お供つかまつる」

 

 ヒゲが進み出ると、その隣に、いつもヒゲの後ろで黙って稽古を見ていた小柄な若者が並んだ。弟の忠信(ただのぶ)だ。背はヒゲの肩までしかなく、色が白くて、顎はつるりとしていて、目鼻がやけに整っている。義経の隣に立たせたら、姉妹と間違われそうだ。

 

「兄上が行くなら、拙者も」

「……並ぶと、ますます兄弟に見えねえな」

「よく言われまする」

 

 兄弟の声が揃った。

 

「殿のお供なら、俺一人で十分だ!」

「武蔵坊(むさしぼう)殿お一人では、心許(こころもと)のうござる」

「なんだと!?」

 

 秀衡殿が目を閉じた。それから、ゆっくりと開けて、目を逸らさずにいる義経を見た。

 

「……止めて聞く顔では、ないな」

 

 そう言って、秀衡殿は少しだけ笑った。

 

「継信、忠信。九郎殿に従え」

 

 出発の前の晩、荷馬の世話をしに厩へ行くと、先に来ていた泰衡が灯りを一つだけ柱に掛けて、義経の馬の鬣(たてがみ)を撫でていた。干し草と馬の匂いの中で、そこだけ静かだった。平泉に着いた宴の夜に、こいつが義経に鞍ごと渡した馬だ。

 

「弁慶(べんけい)どの」

 

 昔と同じ、丁寧な声だった。毎日のように顔を合わせてきたのに、こいつと二人きりで話すのは、たぶん初めてだ。

 

「父は、九郎どのを留めたい。九郎どのは、行きたい」

 

 泰衡は鬣を撫でる手を止めなかった。

 

「私は、父の顔も立てたい。九郎どのの望みも叶えたい。行かせたくない、とも思う」

 

 そこで少し笑った。

 

「私は、何ひとつ選べないのです」

 

 馬三頭を連れてきた時と同じ顔だった。ただ、今度のは笑えなかった。

 

 こいつは完璧な男だと思っていた。六年、嫌なところが一つも見つからなかった。だからどこか信じきれなかった。

 なんだ。こいつも、迷うのか。

 

「選ばなくていいんじゃねえの」

「え?」

「殿は、どうせ自分で選ぶ。お前は、見送ってりゃいい」

 

 泰衡は少し驚いた顔をした。それから、声を立てずに笑った。

 

     * * *

 

 厩からの帰り、義経の部屋の前を通ると灯りがついていて、あいつが旅の支度をしていた。

 

「ねえ、弁慶」

「なんだよ」

「一緒に寝る?♡」

 

 誘われたのは、あの湯殿の時以来だ。

 ……一緒に。

 寝る。

 

 いや、明日から旅だ。旅の夜は寒い。固まって寝る。それだけだ。……たぶん。

 

 あいつは首を傾げてこっちを見ている。返事を待っている顔だった。

 

「……誘惑すんな」

 

 あいつはいつものけらけらより少しだけ短く笑い、それから俺の手を取った。手のひらを上に向けて、篝火の痕を親指でなぞる。

 

「まだ残ってる」

「もう痛くねえよ」

「知ってる」

 

 知ってると言ったくせに、指は離れなかった。

 

「弁慶は、来なくていいよ」

 

 手のひらを見たまま、あいつが言った。

 

「戦になったら、今度は相手を殺さなきゃいけない。弁慶にはできないでしょ」

 

 橋の上でも、山道でも、宿でも、俺は一人も殺していない。こいつは全部、隣で見ていた。でも、殺さずに済んだのは、どれも相手が逃げてくれたからだ。戦で来る相手は、逃げない。この六年、薙刀は稽古でしか振っていない。

 

 心配されている。殿に、俺が。

 逆だろ。

 

「だから——」

「守るだけだ。どこへ行ったって、俺が殿の前に立つ」

 

 あいつが口を閉じた。答えになっていない、という顔だった。

 なってるだろ。なってる、はずだ。

 

 手のひらに、あいつの額が触れた。ほんの一瞬だった。

 

 胸のあたりが妙に落ち着かない。

 

 ……もう、相撲のせいにはできない。

 それでも、こいつは殿だ。

 

 あいつが顔を上げた。

 

「ざーこ♡」

「うるせえ」

 

 部屋を出てから、自分の手のひらを見た。火傷の痕の上に、あいつの額の熱がまだ少し残っていた。

 

     * * *

 

 出発の朝はよく晴れていて、門の外には人が集まっていた。六年前、泰衡に「腰はもういいのか」と聞かれていた与作が、腰をさすりながら手を振っている。倅(せがれ)が帰ってきたと喜んでいたおたけが握り飯の包みを義経の鞍に押し込んでいる。

 

「九郎様、お達者で」

「武蔵坊様の分も、握り飯を多めに入れときましたで!」

 

 秀衡殿は門まで来なかった。来れば止めてしまうから、と吉次が言った。館の高いところに人影が一つ見えたが、こっちを見ているのかどうかは遠くて分からなかった。代わりに泰衡が立っていた。

 

 泰衡は義経の前に進み出て、六年前、衣川(ころもがわ)のほとりで初めて会った日と同じように、深く頭を下げた。

 

「九郎」

 

 どの、が付いていなかった。

 

「疲れたら、いつでも帰ってこい」

 

 義経は何も言わずに泰衡を見つめたまま、懐に手を入れた。何かに触れて、そのまま止まった。

 

「うん。次郎も、元気で」

 

 義経の方も、どの、を付けなかった。

 

 ああ。こいつは、いいやつだ。

 

「泰衡」

 

 初めて名前で呼んだ。奥州で死ぬ、という話が一瞬だけ頭をよぎった。もう関係ねえ。

 

「殿が疲れて帰ってきたら、その時は頼むぜ」

「もちろんです」

 

 泰衡は少しだけ困ったように笑った。

 

 義経が馬に乗り、ヒゲと忠信がその後ろについた。俺も荷馬に跨(また)がる。六年前は歩いてここへ来た。鞍の後ろには、継ぎの曲がった上着が括(くく)りつけてあった。俺が括った覚えはない。

 

 義経が馬上から俺たちを見比べた。

 

「ハゲと、ヒゲと、チビだね」

「……ちび、でござるか」

 

 忠信が真顔で自分の頭の上に手をやった。兄とまったく同じ顔だった。

 

 義経が一度だけ振り返った。平泉の屋根の向こうに、朝日を跳ね返す川が見えた。

 

 俺は荷馬の腹を軽く蹴った。

 

「こういう時は、こう言うんだろ? ——いざ、鎌倉!」

「……いや、兄上がいるの、鎌倉じゃないけど」

 

 義経が呆れた顔でこっちを見た。

 

「よう分からぬが、威勢がよいでござるな!」

「お、分かるかヒゲ。さすがだな」

 

 ヒゲが拳を突き上げると、忠信もつられて上げた。義経は呆れた顔のまま、それでも、小さく拳を上げた。

 

「いざ、鎌倉!」

 

 四人の声が、平泉の朝に揃った。

 

 

                    第二部 完

 





 四人で出発!? と思われるかもしれませんが、『吾妻鏡』では兄・頼朝のもとに着いた義経は「弱冠一人」。まさかの「総勢一名参陣!!」です。ちなみに佐藤兄弟は、秀衡があとから追いかけさせたそうです……

 第二部、お付き合いいただきありがとうございました! いよいよ源平の戦いが始まります。
 第三部もよろしくお願いします!

 お気に入り、高評価をしていただけるととっても嬉しいです!

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