転生弁慶、仁王立ちで庇うたびに女装ショタ上司が曇っていく 作:なほやん
第十一話 鎧十貫
「
「平泉を発つ朝、武蔵坊殿は『いざ、鎌倉』と申された」
「そして、兵が鎌倉に集まっている。予言でござるか?」
「……まあな」
チビとヒゲがそろって俺に深々と頭を下げた。やめろ。義経は馬の上からじっと俺の顔を見ていた。
川沿いの野原を見渡すかぎり白い旗が埋めていた。煮炊きの煙がいくつも上がり、どこを見ても鎧の男が歩いている。その向こうに富士山が見えた。六年前すぐそこの
兄貴と、揉める。
報せの日に飲み込んだ言葉が、白い旗の海を前にして喉まで戻ってきた。
陣の入口で郎党に止められ、義経が馬を降りた。
「奥州から参りました、九郎と申します。兵衛佐殿にお目通りを」
郎党は俺たちを順に見た。女物の小袖の若いのが一人、荷馬に跨がったハゲの大男が一人、髭面と小柄なのが一人ずつ。
「しばし待て」
待つ間、義経は何度も小袖の襟を直していた。平泉の六年でもこいつがこんなに身なりを気にするのは見たことがなかった。
* * *
幕が上がって男が一人出てきた。三十を少し過ぎたくらいか。背筋が棒みたいにまっすぐで、立っているだけで周りの郎党が一歩下がる。男らしい顔で、義経とはあまり似ていない。目の形だけが同じだった。
「奥州の、九郎か」
低くて、よく通る声だった。義経が頷くより早く、男は歩み寄ってその両肩を掴んだ。
「九郎」
「兄上」
兄貴の目から涙が落ちた。周りの郎党が息を呑む。
「昔、
誰の話だか分からなかったが、周りの郎党は深く頷いていた。兄貴は声を詰まらせた。
「俺の弟だ。よく来てくれた」
義経は兄貴の胸に額をつけて泣いていた。平泉を出る前の晩、俺の手のひらにつけた額だった。
腹の底がざわついて、すぐに引いた。
よかったな、殿。
兄貴は義経の肩から手を離し、今度は女物の小袖の袖をつまんだ。
「似合っているな」
「ありがとうございます」
俺が褒めた時は「ふうん」だったくせに。
揉める、なんて嘘みたいだった。それでも黙っておくことにした。泣いて会えた兄弟の間に家来が割り込むところじゃない。
「だが、もっといいものがある」
兄貴が一声かけると郎党が箱を捧げ持ってきた。蓋が開くと真っ白な女物の小袖が畳まれていた。艶のある絹に金の糸で模様が織り込んであった。陣の外を埋めていた旗と、同じ白だった。
「これにしなさい」
義経はすぐには答えなかった。箱の中の小袖を見て、それから兄貴の肩越しに俺を見た。
兄貴がくれるってんだ。もらっとけ。俺は小さく頷いた。
義経がほっとしたように笑った。
「はい、兄上」
兄貴の目が初めてこっちへ動いた。
「その者は」
「僕の家来です。武蔵坊弁慶」
兄貴の前では、僕、なんだな。
「そうか。九郎が世話になった」
兄貴は軽く頭を下げると、手のひらで郎党たちの並ぶ方を示した。その目は一度も俺の顔に留まらなかった。
俺は黙って郎党の列の端に下がった。殿の隣は、俺の座るとこじゃねえ。
* * *
鎌倉は海の匂いのする町だった。町を歩きながらチビに聞いた。
「大仏、ねえのか」
「鎌倉に大仏でござるか。よいかもしれませぬな」
兄貴は西へは攻め上らず、戦はしばらく起きなかった。義経は兄貴の軍議に呼ばれるようになった。広間では上座のすぐ下に座り、俺は郎党の列の端にいる。兄貴は会うたびに義経へ何かを与えた。太刀、馬、扇。どれも兄貴が選んだものだった。
それでも朝だけは平泉と同じだった。
縁側で寝転がっていると、あいつが隣に座って白い袖をまくり、背中まで伸びた髪に俺のやった櫛を通す。
「今日の軍議、長いんだって」
「さぼれ」
「兄上の前で、できるわけないでしょ」
あいつが笑って、もう一度櫛を髪へ入れた時、廊下の板が鳴った。
兄貴だった。郎党を二人連れている。俺は起き上がって膝をついた。
「九郎。ここにいたか」
「兄上」
あいつは髪から櫛を引き抜いて慌てて立ち上がった。兄貴の目がその手の中の櫛に留まった。何も言わなかった。ただ、櫛から目を離すまでが少しだけ長かった。
「来い。今日はお前の考えも聞く」
「はい」
あいつは櫛を懐にしまって兄貴の後ろについていった。
縁側の板に、櫛からこぼれた髪が一本だけ残っていた。
二年目の冬の朝、縁側で寝転がっていると廊下の向こうを白い小袖が通った。兄貴の郎党三人に挟まれている。あいつはこっちに気づいて足を止めかけた。片手が少しだけ上がった。
郎党に何か言われてそのまま歩き出した。
気づいたら、起き上がって後を追っていた。廊下の角で郎党の一人が振り向いた。
「控えよ」
足が止まった。白い背中が角の向こうへ遠ざかっていく。追いつこうと思えば三歩で追いつける。郎党の三人くらい片手でどかせる。だが、追いついて、それでどうする。
その冬、縁側に出るのは、俺一人になった。
戦が近いと噂が立って、郎党たちは毎日首を取る稽古を始めた。
「組み伏せたら、ここでござる」
ヒゲが組み伏せた相手の顎を押し上げ、木の小刀の先で首の横をとん、と突いた。
「鎧の継ぎ目は、ここしか開いておらぬ。押さえたら、迷わず掻く。首を取らねば、手柄になり申さぬ」
郎党たちが当たり前の顔で頷いている。組み合う相手を俺はすぐに地面に押さえつけた。相撲で日暮れまで粘ったヒゲより、よほど軽い。周りから「おお」と声が上がった。
「では、武蔵坊殿。首を」
木の小刀を握らされた。押さえつけた男の喉が目の前で上下している。山道で牛若が斬った男の口が浮かんだ。開いたままだった。何か言うのを待ってしまった、あの口だ。
手が、動かなかった。
「武蔵坊殿?」
小刀を置いて男の上から退いた。
「組み伏せるまでは、天下一でござるのに」
誰かが笑って、周りもつられて笑った。俺も笑った。笑っておけば、冗談で済む。
弓の稽古では、藁を束ねた人形が的だった。墨で目と口が描いてある。チビは黙々と矢を番えては誰より多く胴の真ん中に当てていた。俺の矢は腕や足には当たるが、胴と顔には一本も当たらなかった。手が外したのか、俺が外したのか、自分でも分からない。
やっぱ俺、できなくね。
顔を上げると、郎党の列の向こう、兄貴の近くの縁に義経がいた。あの白い小袖を着て、こっちを見ていた。兄貴が義経の方へ少し身を傾けて何か言った。目が合う前に義経の方が顔を背けた。片手が懐に入っていた。
見られた。組み伏せるところまでしかできない家来を、兄貴の隣で。あいつの顔に泥を塗った気がした。
その夜から、稽古場に一人で通った。
月明かりの下に昼の藁人形が並んでいる。墨の目と口がこっちを向いていた。一体を地面に倒して、膝で押さえる。顎のあたりを押し上げ、木の小刀を首の横へ当てる。
掻いた。藁が、がさりと鳴った。
もう一体。もう一度。十体目には手が勝手に動くようになっていた。
なんだ。できるじゃねえか。昼は相手が人だったから止まっただけだ。藁で覚えた手なら、人でもできるはずだ。
* * *
鎌倉に来て三度目の秋、兄貴の命が下った。京へ上れ、相手は
出発の前の晩、戸を叩く音がした。白い小袖のまま義経が俺の寝所の戸口に立っていた。足もとに大きな包みがある。二人きりで話すのは久しぶりだった。
「明日、京へ上るよ」
義経は包みを引きずって敷居の内へ押し込んだ。どさっ、と床が鳴った。自分は敷居をまたがなかった。紐をほどくと、黒い鎧が出てきた。
「これ、着て」
「鎧?」
「兄上の支度とは別。僕から」
紐を結ぶのに手間取りながら着けてみると、肩も胴も測ったみたいにぴったりだった。
「いつの間に測ったんだよ」
「弁慶、でかいから。探すの大変だった」
答えになっていない。義経はそっぽを向いていて、耳だけが赤かった。そういえば一人で縁側に寝転がるようになってからも、目を覚ますと戸口の陰へ白い袖が引っ込むことがあった。
肩の当たるところに、厚い布が縫い付けてあった。十貫が肩に食い込まないように、ということらしい。縫い目が、曲がっていた。冬になると今も着ている、あの上着の継ぎと同じ曲がり方だった。
義経を見た。義経は、まだそっぽを向いていた。
包みの底に兜もあった。かぶってみると、つるつるの頭の上で鉢がくるりと回った。
「擦れるな」
「だと思った」
義経が懐から白い布を出して、敷居の向こうから放ってよこした。
「頭に巻いて。顔だけ出して、後ろで結ぶの」
言われたとおりに巻いた。黒い鎧に、白い頭巾。あとは薙刀を持てば——
本で見た弁慶の姿そのものだ。上から兜をかぶると、今度は回らなかった。
「その鎧、十貫あるって。僕が着たら、立つのがやっとだった」
十貫……何キロだ?
「弁慶じゃないと、動くこともできないよ」
肩を回してみた。重いは重いが、動ける。義経は敷居の向こうから俺を頭から足まで眺めた。
「……重くない?」
「重くねえよ」
義経は少しだけ笑って、戸口の柱にもたれた。
入れよ、と言いかけた。
なんでそう言いたくなったのか、分かっちまった。だから、言わなかった。
「稽古、見てたろ」
「見てた。夜のも」
夜のも。誰もいないと思っていた。
「藁なら、もう取れる。戦になりゃ、人でもやれる」
義経が小さく息を吐いた。
「藁は、怖がらないよ」
「怖がろうが同じだろ。首は首だ」
義経は何も言わずに俺の顔を見ていた。見透かされている気がして、俺は鎧の紐をいじった。
「だから、来なくていいって言ったのに」
「来ちまったもんは、仕方ねえだろ」
義経は柱から背中を離した。それから俺の方を見ずに言った。
「殺すのは、僕がやる」
「は?」
「弁慶は、殺さなくていい」
山道で牛若は、俺を刺そうとした男を目の前で斬った。あの時の小さな背中を思い出した。
またあれを、こいつ一人に背負わせるのか。
「やれる。俺はお前のためなら、なんでもやる」
「できないことまで、やらなくていい!」
「じゃあ、どうしろってんだよ!」
義経の目が俺の手のひらの篝火の痕へ落ちた。それから、こっちを見た。
「考える」
義経はもう一度言った。
「僕が、考える」
義経が背を向けた。
言い返そうとして、自分の声がまだ耳に残っているのに気づいた。お前のためなら、なんでもやる。
肩に、十貫の重さがあった。
「ありがとな」
戸口で義経が振り返った。
「はーげ♡」
「うるせえ」
戸が閉まった。
果たして弁慶は、人を殺せるのか。二人の関係はどうなっていくのか……次回、いよいよ初陣です。
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