転生弁慶、仁王立ちで庇うたびに女装ショタ上司が曇っていく   作:なほやん

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第十二話 三十七人

 

 組み伏せる。顎を押し上げる。掻く。

 京へ上る道中、馬の背でその三つを何度も繰り返した。藁で覚えた手だ。人でも、できる。

 

 殺すのは僕がやるだと? 冗談じゃねえ。今度は俺がやる。やってやる。

 

「武蔵坊殿。先ほどから何をぶつぶつと」

 

 継信(ヒゲ)が馬を寄せてきた。

 

「稽古だよ。頭の中の」

「頭の中の敵は、首を差し出してくれますゆえ」

 

 忠信(チビ)が後ろから真顔で言った。

 

     * * *

 

 明けて正月、宇治川(うじがわ)は雪解けの水で膨れていた。白く泡立った流れが岸の石を削るような音を立てている。橋は板を外されて杭(くい)だけが残り、川の中にも杭が打たれて綱が張り渡してあった。対岸には木曽の兵の旗が並んでいる。

 

 岸で馬を降りていると、義経が竹の皮の包みを放ってよこした。開くと握り飯が二つ入っていた。塩を振っただけで、具も何も入っていない。

 

「腹が減ってたら、踏ん張れないでしょ」

 

 二つとも立ったまま平らげた。

 

「これ、渡んのか」

「渡るよ」

 

 義経は馬の上から川を見ていた。上流を見て、下流を見て、また上流を見る。対岸の旗ではなく、水の筋を見ている。

 

「上から斜めに入って、流れに乗って対岸へ寄せる。綱は、杭の間が広いところで切って」

 

 伝令が走っていく。聞いた郎党から順に顔つきが変わった。

 それから、義経は俺を見た。何か言いかけて、一度、口を閉じた。

 

「弁慶は、川の真ん中で止まって。みんなが渡り切るまで、そこにいて」

「おう」

 

 義経にもらった十貫の鎧が肩にずしりと来た。

 

「お先に御免(ごめん)!」

 

 ヒゲの馬が俺の横をすり抜けて水へ入っていく。俺も荷馬の腹を蹴った。

 

 冷たいを通り越して、痛い。流れが腹まで来て荷馬の体ごと横へ持っていかれそうになる。荷馬は首を低くして一歩ずつ川底を踏んだ。

 

 すぐ横を渡っていた郎党の馬が川底の杭に脚を取られた。馬が横倒しになり、人も馬も白い水に呑まれて、それきりどこにも浮かんでこなかった。

 

 昨日の晩、鍋の向かいで笑っていた弥五郎だった。

 

 俺たちが寄せていく対岸の土手に、弓が並んでいた。矢が降ってきた。流れに足を取られた兵はよけることもできない。すぐ前で、胸に矢を受けた男が声も出さずに水へ落ちた。

 手を伸ばした。指の先を鎧の紐が流れていった。

 このままじゃ、みんなこうなる。

 

 ネトゲの画面みたいに、川を真上から見下ろしている気がした。

 敵の射線。味方の位置。カバー。視界。

 

 ——ここだ。

 分かってるぜ、義経!

 

 手綱を引いて荷馬を止めた。流れの真ん中、土手の射手と後ろから渡ってくる味方のちょうど間だ。荷馬は腹まで水に浸かり、首を低くして動かなくなった。その首に覆いかぶさるように、体を大きく広げる。流れが荷馬ごと俺を押す。十貫の重さが俺を鞍に押しつけて離さない。

 肩に、腕に、矢が当たる。胴に来たものは鎧が弾いて、かん、かん、と乾いた音がする。額の上で、がん、と鳴った。首ごと後ろへ持っていかれかけて踏みとどまる。兜の鉢に当たった矢が水に落ちていった。

 

 左の二の腕に一本、深く入った。痛え。超痛え。山道で初めて食らった時と、何も変わらない。

 それでも、荷馬の首を押さえる手は緩めなかった。

 

 あいつのくれた重さが、俺を包んでいる。

 

「俺の後ろに付け!」

 

 後ろから渡ってきた郎党が、荷馬の陰に身を寄せた。

 土手の弦が、そろって鳴った。矢が来る。俺に当たる。止む。射手が次の矢を番える間、川には流れの音しかない。また鳴る。

 大技の後には、隙がある。弦が鳴った。矢が鎧を叩いた。止んだ。

 

「今だ! 行け!」

 

 俺の陰から郎党が飛び出し、流れを突っ切って向こう岸へ上がっていく。次の弦が鳴る前に、後ろの連中がまた俺の陰へ入ってくる。俺の陰から出た者は、それきり一人も水に落ちなかった。

 

 向こう岸の土手の下に、味方が固まっていく。ヒゲが刀を抜き、チビはその後ろから矢を射返した。

 

 何度目かの陰に入ってきたのは、義経の黒い馬だった。

 義経が俺を見上げた。何か言いかけたところで弦が鳴り、矢が俺の肩で跳ねた。止んだ。

 俺が口を開く前に、黒い馬は俺の陰から飛び出していた。向こう岸へ駆け上がった義経が、太刀を抜いた。

 

「押せ!」

 

 義経が先頭で駆けた。敵が槍を突き出す前に、もうその脇にいる。太刀が一度光るたびに敵の列に穴が一つ開いた。穴が広がって敵の列が崩れると、あとは坂を転がる石みたいだった。

 

 俺はまだ川の真ん中にいた。後ろからは、まだ渡ってくる。

 しんがりの最後の一人が、俺の陰を抜けていった。それを見届けてから荷馬の首を対岸へ向けた。

 

 矢を生やしたまま岸へ上がった時には、もう勝っていた。

 

 最初に来たのは匂いだった。血と泥と、腹の中身の匂いが川風に混ざっている。川原が人で埋まっていた。立っている者は少ない。倒れて動かない者と、倒れてまだ動いている者の方がずっと多い。あちこちで呻(うめ)き声がして、誰かが母親を呼んでいた。流れの淀(よど)みには鎧を着たまま浮いている者もいる。

 

 喉の奥に酸っぱいものがせり上がってきた。山道で人が死ぬのを見た時も、こうなった。あの時はこの世界に来てまだ何日目かで、死んだ男がどこの誰かなんて考えもしなかった。十年近く、ここで飯を食ってきた。母親を呼んでいるあの声の先にも、どこかのおたけがいる。

 

 飲み込んだ。吐かねえ。今日は、やるって決めて来たんだ。

 

 ヒゲが倒れた敵の間を歩いていた。まだ息のある者の前で膝をつき、短く念仏を唱えてから刀を動かす。次の者へ行く。顔色ひとつ変えない。

 

「武蔵坊殿も、御慈悲を」

 

 短い念仏がまた聞こえた。

 

 川原の端に木曽方の若い兵が倒れていた。元服したばかりくらいの年だ。腹が割けていて、押さえた手の間から、見ちゃいけないものが見えていた。

 

 目が合った。

 

「頼む」

 

 かすれた声だった。

 

「とどめを」

 

 腰の刀を抜いた。組み伏せる必要はない。顎を押し上げるだけでいい。藁なら、何十回もやった。

 

 刀の先が若い兵の喉の上で止まった。そこから先へ、一寸も進まない。

 藁の目は、頼んでこなかった。

 

「頼む」

 

 若い兵がもう一度言った。それから、自分で顎を上げた。

 

 ——頭の中の敵は、首を差し出してくれますゆえ。

 

 差し出されている。顎も押し上げなくていい。あとは、掻くだけだ。

 刀の先が震えた。

 

 横から義経が俺の前に出た。膝をつき、若い兵の目を見て小さく頷く。それから、刀を一度だけ動かした。

 

 若い兵の手から力が抜けた。義経は立ち上がり、刀を拭って鞘に納めた。一度もこっちを振り返らなかった。

 

 喉までせり上がったものを、もう一度飲み込んだ。あいつにもらった握り飯だった。

 

     * * *

 

 その夜、京の宿所で木曽の大将が近江で討たれたと聞いた。勝ち戦の酒が回って、表の方が騒がしい。広間を覗くと酒の輪は鎌倉を出た時より小さく、鍋を囲む顔がいくつか足りなかった。

 

 俺は部屋に戻って、抜いたままの刀を膝に置いていた。刃には何もついていない。矢はまだ七本とも刺さったままだった。手当てする連中は、歩けもしない負傷者につきっきりだ。俺は後回しでいい。

 

 戸が開いた。義経は敷居の前で止まらなかった。またいで、俺の前に座った。白い袖に乾いた血が残っていて、湯の入った桶と布を提げていた。

 

「抜いてないね」

「勝手に抜くなって、言われたからな」

 

 義経は俺の肩に手を当てて、一本目の矢を握った。抜けた。息が詰まった。超痛え。義経はすぐに布で傷を押さえた。

 

「やってやるって、決めてたんだけどな」

 

 義経は答えずに、二本目を握った。

 

「決めてたんだよ。稽古もした。お前にだけ、やらせねえって」

「知ってる」

 

 二本目が抜けた。義経は俺の膝の刀を見ていた。

 

「三十七人」

「……何がだよ」

「今日、弁慶が守ってくれた人の数」

 

 顔を上げた。

 

「僕が数えてた間だけで、それだけ。みんな、今夜ちゃんと生きてる」

 

 表の騒ぎが急に耳に入ってきた。笑い声の中に、ヒゲにからかわれているチビの声が混じっていた。

 あいつも今日、俺の後ろを渡った。

 

 もっと早く川の真ん中に立っていれば。もっと前に出ていれば。俺が止まる前に矢を受けて沈んだあいつらも、今夜あの輪にいたんじゃないのか。

 

「次は、もっと前に出る。そしたら、もっと守れるだろ」

 

 七本目の矢は、二の腕の深いやつだった。それを握った義経の手が、一度止まった。握り直して、抜いた。

 

「そうじゃない——」

 

 そこで、口が閉じた。続きは出てこなかった。

 布で押さえた上から、あいつの額が俺の腕に触れた。熱かった。布が少し湿った。泣いていた。離れないまま、声がした。

 

「弁慶が川の真ん中にいたから、僕は向こう岸で斬れた」

 

 俺は、最後の一人が渡るまで川にいる。岸に上がる頃には、もう勝っている。

 

 ——僕が、考える。

 

「お前、最初から」

 

 喉が詰まった。

 

 俺は頭を下げた。膝の刀に額がつくほど、深く。

 義経は少しだけ声を落とした。

 

「僕の作戦の中で、盾でいて」

「ああ」

 

 俺が止めて、こいつが斬る。鎌倉の稽古場で笑われたやり方は、今日、川の真ん中で回っていた。

 

 傷を押さえた義経の手は、それきり離れなかった。

 

     * * *

 

 半月ほどして、矢の傷はほとんどふさがっていた。縁側で腕を回していると、義経が後ろから覗き込んだ。

 

「もう硬くなってる」

 

 義経は、傷の跡を指先でさすった。

 

「回復早すぎ♡」

「言い方!」

 

 義経はけらけら笑った。

 こんな声で笑うのは、久々に聞いた気がした。

 

 その昼、鎌倉から兄貴の文が届いた。広間で文を開いた義経の顔がぱっと明るくなった。

 

「よくやった、って」

 

 郎党たちが沸いた。ヒゲは目を潤ませて、兄君が殿を、と言ったきり後が続かない。そのまま皆、酒を取りに散っていった。

 

 広間に残った義経は、まだ続きを読んでいた。明るかった顔がそのままの形で止まった。

 

「どうした」

「京では、勝手に動くな、ってさ」

 

 義経は同じところをもう一度読んだ。肩が少しだけ落ちた。何て声をかければいいのか分からなくて、俺はふさがりかけた二の腕の傷を指で掻いた。

 

 義経は文を繰った。

 

「それと、次は平家。一ノ谷だって」

 





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