転生弁慶、仁王立ちで庇うたびに女装ショタ上司が曇っていく   作:なほやん

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第十三話 一ノ谷

 

 平家は京を追われ、西の海沿いの一ノ谷に陣を張っている。義経は俺たち搦手(からめて)を連れて裏の山へ入った。二月の山は、夜になると息が白かった。

 

 崖の上の窪地で松明を囲んでいると、忠信(チビ)が斥候から戻ってきた。

 

「北の山道を、平家の援軍が上ってまいります。数は五十に届きませぬ。明け方には峠を越えまする」

 

 義経は枝で地面に線を引いた。

 

「ここが一ノ谷の陣。前は海で、背中は崖。浜からは本隊が攻めるけど、平家の陣は固い。山を回って横から行けば、この援軍とぶつかる」

 

 言い終えると、義経は黙って崖を見ていた。正面も横も塞がっていて、空いているのは陣の背中の崖だけだった。

 

 平泉の馬場で、こいつは急な坂を馬ごと駆け下りた。死ぬぞと叫んだ俺に、馬は四つ足だもん、と笑っていた。

 

「崖、馬で下りりゃいいんじゃねえか?」

 

 つい、口から出ていた。郎党たちが笑った。年かさの一人が、笑いながら首を振った。

 

「崖を馬で下りるなど、聞いたこともござらぬ」

 

 笑い声の中で、義経だけが枝の先を地面に引いた崖の線に当てたまま動かなかった。

 

「下りられる」

 

 笑い声が止んだ。

 

「弁慶の荷馬だって、あの坂を下りた」

 

 義経がこっちを見た。

 

「夜明けに、この崖から馬で下りる。七十騎で、陣の背中を突く」

 

 今度は、誰も笑わなかった。

 

「でも、崖を下りても、チビが見てきた山道から援軍が出てきたら、横から挟まれる。だから——」

 

 枝が山道の上で止まり、そのまま動かなくなった。

 

 なぜ言い淀むのかは、分かった。

 

「殿。言ってくれ」

 

 義経が顔を上げた。

 

「誰かがこの山道を塞げば、勝てる」

 

 枝の先が、峠の向こうの道のいちばん細いところを叩いた。狭間(はざま)だ。

 

「塞がっていれば、援軍は遠回りになる。着く前に、僕が陣を落とす」

「なら、俺が——」

 

 言いかけて止まった。山道を塞いでいる間、崖を下りる義経の隣に俺はいない。

 

「拙者が参りましょう」

 

 継信(ヒゲ)が一度こっちを見てから、膝を進めた。

 

「待ってくれ」

 

 あいつの隣で要るのは、斬れるやつだ。

 山道で要るのは、殺さずに立っていられるやつだ。

 

「殿。時間稼ぎでいいんだろ」

「うん」

「なら、俺がやる」

 

 ヒゲが、進めた膝を戻した。

 

「いいのでござるか」

 

 こいつなら、信用できる。

 

「殿の隣、今日はお前に任せるぞ、ヒゲ」

「承知つかまつった。必ず、お守り申す」

 

 義経はしばらく黙ってから、枝を置いた。

 

「時間を稼ぐだけ。少しでも足を止めたら引いていい。絶対に、死なないで」

「死なねえよ」

 

 弁慶が死ぬのは、奥州だ。こんな山道じゃない。

 もう関係ねえと思っていたのに、こういう時だけ、その理屈に頼っている。

 

 義経はチビを呼んだ。

 

「弁慶について」

「かしこまりまする」

 

 俺はチビに言った。

 

「旗を、あるだけ持ってこい。狭間の上に、ばらばらに立てる。お前は射ったら場所を変えろ。上に何人いるか、敵に分からせるな」

 

 ヒゲがまじまじとこっちを見た。

 

「武蔵坊殿。どこでそのような兵法を」

 

 ゲームだよ。とは言えなかった。

 

 皆が馬の支度をしている間に、義経が荷馬の陰に来た。

 

「崖の向こうは、僕がやるから。前だけ見てて」

 

 義経は自分の馬へ戻っていった。俺は荷馬の首を峠の方へ向けた。

 

     * * *

 

 峠を越えて北へ少し下ると、山道は急に細くなった。狭間は馬が二頭並べば塞がる幅だ。夜のうちに倒木を三本担ぎ下ろして斜めに渡し、尖った枝を敵の来る下手へ向けた。くぐれるのは、一度に二人がやっとだ。荷馬を岩陰につなぎ、倒木の奥に俺が立った。

 

 空が白んでくると、斜面の上に白い旗が五本、ばらばらに見えた。崖の方を振り返った。あいつはもう崖の縁にいる頃だ。

 下から、鎧の音が上ってきた。先頭の武者が曲がり角から顔を出し、倒木を見て馬を止めた。

 

「貴様、何者だ」

 

 倒木の奥で足を開き、薙刀の石突きを地面にどんと突き立てた。

 

「武蔵坊弁慶! 通りてえなら、俺を越えてけ!」

 

 倒木の向こうの目が、残らず俺に向いた。挑発、成功だ。

 

 枝の間を二人ずつくぐってきた。太刀を柄で押し返し、石突きで脛を払う。槍は持ち主ごと倒木の向こうへ投げ返す。投げ返しても、また来る。倒木の枝が、一本ずつ折れていく。

 隊でいちばん大きな武者が組みついてきた。鎧ごと抱え上げて、倒木の向こうへ放り込んだ。大男は枝に引っかかって、仰向けにもがいていた。顎が上がって、喉が薙刀の届くところにあった。

 

 手が止まった。

 ここを抜かれたら、崖を下りる義経が横から挟まれる。

 なら。

 

 薙刀を返し、峰を大男の膝へ打ち下ろした。骨の折れる音が、柄から手に返ってきた。大男が吠えた。手が震えた。それでも、次にくぐってきた二人の腕を、一本ずつ折った。折られた者は、這って下がるしかない。下がる者を、後ろの兵が二人がかりで担ぐ。担いだ兵は、もう槍を持てない。

 

 殺せない俺の甘さが、足を止めるのには正しかった。

 這っていく大男の膝は、変な方へ曲がっていた。あの武者はこの先、一生あの脚で歩く。殺すより、ひどいことをしたのかもしれない。

 

 笑えねえ。

 

 それきり、くぐってくる者はいなくなった。

 

 斜面に取りついた敵の頭へ、右の旗の下から石が転がった。登る向きを変えると、今度は左の旗の下から矢が来た。射るたびに、矢の来る向きが変わる。

 

「上に幾人潜んでおる!」

 

 敵の大将が、旗を一本ずつ見上げた。倒木を見て、担がれていく手負いを見て、東の空を見た。それから黙って片手を上げた。隊が向きを変え、山道を下りていく。最後の一人が曲がり角に消えるまで、俺は薙刀を下ろさなかった。

 

 引かせた。

 

 旗を五本抱えて、チビが斜面を下りてきた。

 

「お見事にございました。手負いを担がせて、足を奪うとは」

 

 チビが深々と頭を下げた。やめてくれ。手に、骨の音がまだ残っていた。

 

「殿のとこへ行くぞ」

 

 荷馬を引いて峠を越え、尾根を戻ると崖の上に出た。七十騎の蹄の跡が、崖の縁からまっすぐ下へ続いている。はるか下で平家の陣が燃えていた。陣の中を駆ける騎馬に、横から襲いかかる兵はいない。

 

 燃える陣屋の間を一騎が駆け抜けていた。遠くても分かった。鎧の下で白い小袖が火にひるがえり、背中まで伸びた髪が舞う。その馬の前で、平家の兵が次々に切り倒されていく。

 

 生きてる。勝ってる。

 

 その一騎の前に、大きな影がひとつ立ちはだかった。馬が棹立ちになり、白い小袖が鞍から跳んで地に下りた。それきり、長い髪は前へ進まなかった。

 

 あいつが危ない。

 

 荷馬に飛び乗り、崖の縁へ向けた。

 

 荷馬は一度だけ首を振ってから、斜面へ蹄を下ろした。坂ではいつも一歩ずつだったこいつが、駆けていた。十貫の鎧ごと、体が前へ放り出されそうになる。鞍の前にしがみついた。足もとの石が崩れて、先に転がり落ちていく。後ろ脚が滑って、荷馬の尻が斜面についた。ずるずると滑りながら、それでも荷馬は脚を止めなかった。

 

 下りきると、崖の下は煙と火の粉でいっぱいだった。荷馬から飛び降りて走ると、煙の向こうで太刀の打ち合う音がした。

 

 義経が、大太刀の武者と斬り結んでいた。義経が身を翻して打ち込んでも、男は大太刀一本で真正面から受け止めて、崩れない。その足もとで、ヒゲが太刀を杖に膝をついている。

 

「殿!」

 

 義経の目がちらりとこっちを見て、すぐ男に戻る。隣まで駆けて、薙刀を構えた。

 兜の緒が切れたのか、男の顔がむき出しになっている。若い。左の眉から頬へ、古い刀傷が一本走っていた。負け戦のさなかなのに、笑っている。

 

 その目が一度だけ、隣に並んだ俺を見た。

 

「でけえのが来たな」

 

 それだけ言うと、また義経だけを見た。

 

「俺の名は能登守(のとのかみ)教経(のりつね)! 覚えておけ!」

 

 胸の奥が、焼けた。殿をそんな目で見ていいのは——

 

 沖の舟から、法螺貝が長く鳴った。

 燃える陣のあちこちで、平家の兵が背を向けた。我先に浜へ走り、沖の舟へ漕ぎ出していく。

 

「時間切れか」

 

 教経は大太刀を肩に担ぐと、浜へ下りていった。追いかけた郎党が次々に弾き飛ばされる。

 義経の目が、膝をついたヒゲへ落ちた。

 

「待て、教経!」

 

 義経が駆け出す。考えるより先に、俺も走り出していた。

 

 教経は舟に飛び乗ると、足もとから長い柄の得物を拾い上げた。岸を離れていく舟の上で、それを振りかぶって、体を大きく反らせた。

 

「殿、下がれ!」

 

 俺は義経の前へ回り込んだ。

 

「義経ぇ!」

 

 吼えると同時に教経の腕が振り下ろされ、長い柄の得物が飛んだ。

 

 何かが、胴の真ん中に当たった。

 十貫の鎧の板が内側へ凹み、あばらにめり込んだ。体の中で骨の折れる音がした。息が、吸えなかった。

 

 舟の上で、教経が義経を指さした。

 

「テメェは俺が殺す! それまで、他の奴に殺されるなよ!」

 

 海じゅうに響く声と共に、舟は沖へ漕ぎ去っていった。

 

 そこで膝が抜けて、砂に手をついた。足もとに銛が転がっていた。

 義経が転げるように駆け寄ってきた。鎧の紐を解く指が何度も滑った。外した胴は、真ん中が深く窪んでいた。

 

「この鎧のおかげで、助かった」

 

 答える代わりに、義経は唇を噛んで自分の白い袖を裂いた。

 

「それは兄貴の——」

「いいの」

 

 義経は裂いた袖で、折れたあばらの上をきつく巻いていく。

 俺が息を詰めるたびに、手が止まり、また巻いた。

 巻き終えて、やっと言った。

 

「前だけ見ててって、言ったのに」

 

 声が震えていた。俺の顔は見なかった。義経の目から涙がこぼれて、顎を伝い、砂に落ちた。拭いもしなかった。

 

     * * *

 

 勝ち戦の夜、宴の隅で飲んでいると、足を引きずったヒゲが酒の瓶を提げて、隣に腰を下ろした。

 

「あの教経ってやつ、強かったな」

「平家一の剛の者と、聞き及んでおり申す」

 

 ヒゲは瓶を膝に置いたまま、しばらく黙っていた。

 

「殿の隣、お返し申す。拙者はやはり先駆けの方が性に合い申す」

 

 それから、瓶の口を俺の方へ向けた。酒を受けた。

 ヒゲが少しだけ笑い、自分の杯を一息で空けて宴の輪へ戻っていった。

 

 入れ替わりに、郎党たちが俺を囲んだ。山道のことは、チビが話して回ったらしい。

 

「旗五本で五十を追い返したとか!」

「さすが武蔵坊殿!」

 

 背中を叩かれるたびに、折れたあばらに響いた。奥歯を噛んで、笑ってみせた。

 

 輪の外で一人、杯に口もつけずに座っていた義経が、立ち上がって輪の中へ入ってきた。郎党たちが道を空けた。義経は俺の前にしゃがんで、胸に巻いた白い布に触れた。指が布の上で止まった。布の端で、金の糸がほつれていた。郎党たちも、その白が誰の贈り物かは知っている。輪が、しんとした。

 

「僕が、追いかけたからだ」

「違う」

 

 布の上の指に力が入った。しばらくそのまま離さず、それから顔を上げた。目が赤かった。

 

「ちゃんと生きて帰ってきた。それは、えらかったよ」

 

 杯を持ったまま、動けなかった。

 こいつに褒められたのは、十年ぶりだった。

 

「褒めねえんじゃなかったのか」

「これだけは、褒めていいやつ」

「……ありがとな」

 

 空いた手を、義経の頭に置いた。髪がぐしゃぐしゃになるまで撫で回した。

 こいつの頭を撫でるのも、十年ぶりだった。

 

「わっ、ちょっと!」

 

 やめてよ、と言いながら、義経は声を上げて笑った。赤い目のまま、笑っていた。

 






 ※過去話の一部を調整しました。弁慶の前世知識を整理し、頼朝と義経が後に対立することは知らない設定に変更しています。物語の大筋は変わっておりませんので、ご安心ください。 

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