転生弁慶、仁王立ちで庇うたびに女装ショタ上司が曇っていく   作:なほやん

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第十四話 十年

 

 一ノ谷の翌朝、陣屋を出ると戸口に義経が立っていた。

 

「髪、ハゲがぐしゃぐしゃにしたんだからね」

 

 あの櫛を、胸に押しつけられた。

 

「ハゲが梳かして」

 

 義経は返事も待たずに、くるりと俺に背を向けて座った。背中まで伸びた髪に櫛を入れると、すぐに引っかかる。腕を上げるたびに、胸に巻いた布の下であばらが軋んだ。

 

「下手くそ♡」

 

 鎧武者なら放り投げられるのに、髪の絡まり一つほどけない。毛先から少しずつほどいていき、やっと最後まで櫛が通ると、義経は振り返った。

 

「明日も、やって」

 

 それが、日課になった。

 

 一ノ谷から京へ戻ると、今度は京の仕事が待っていた。義経は兄貴から町の警固を任され、朝から晩まで人の訴えを聞いていた。荷を奪われた商人、畑を馬に踏まれた百姓。戦に勝った大将のところへ来るのは、祝いを言うやつばかりじゃなかった。

 

 夏の終わりには俺のあばらはすっかり治り、櫛ももう、ほとんど引っかからなくなっていた。

 

「ねえハゲ、午後、市に行こう」

「訴えは」

「町の人の顔を見るのも、仕事だよ」

 

 ヒゲとチビも連れて四人で出た。大通りの人混みで、荷を担いだ男が義経の頭へぶつかりそうになる。俺とヒゲが同時に身を屈めて割り込み、頭をぶつけ合った。

 

「俺の方が先に庇った!」

「拙者の方が先でござる!」

 

 義経が腹をよじって笑っていた。

 

 市では、ヒゲが反物を並べた店の前から動かなくなった。藍と茶、二反を広げては畳み、また広げている。

 

「武蔵坊殿。どちらが母上に似合い申そうか」

「ヒゲの母ちゃん、見たことねえし」

「母上は、拙者にそっくりでござる」

「兄上より拙者の方が似ておりまする」

 

 チビが干し柿をくわえたまま割り込んだ。

 

「どっちに似てるんだよ!」

「では、武蔵坊殿の目で」

「ヒゲにそっくりなら、こっちだろ」

 

 俺は茶色を適当に指さした。

 

 同じ店の奥には、小袖も並んでいた。手柄の褒美が懐にあるから、今度は吉次に借りなくていい。義経にもらった鎧の礼を、まだ何も返していなかった。

 

 薄い青の小袖があった。棚から引き出してもらうと、外の光で、川の浅瀬みたいな色になる。隣で干し柿をかじっている義経に当ててみた。

 

「なに?」

「動くな。分かんなくなる」

 

 兄貴の白みたいな艶はないし、上等かどうかも知らない。ただ、似合っていた。

 

「親父、これくれ」

「へい。思い人への贈り物でございますか」

 

 隣で、干し柿をかじる音が止まった。

 思い人。そんな大層なもんじゃねえ。たぶん。

 包みを受け取って、義経に突き出した。

 

「鎧の礼だ。あれには全然、足りねえけど」

「ふうん」

 

 義経は小袖を広げて、日に透かした。それから自分で畳んで、胸に抱えた。

 

「荷物、持ってやるよ」

「やだ」

 

 出した手の行き場がなくなって、頭を掻いた。

 

 市を歩くあいだ、義経は何度か懐に手をやっていた。

 帰りは五条橋を渡った。ヒゲとチビは先を歩いていく。橋の真ん中で、義経の足が止まった。

 

 俺が薙刀の峰でへし折った欄干は、新しい木に替わっていた。義経がそこに手を掛けた。袂にはもう刀の山はなく、人と荷車が途切れず通っていく。あの夜、こいつはこの欄干の上に立って、俺を見下ろしていた。今は青い小袖の包みを胸に抱えて、橋の下の川を見ている。

 

「ねえ。役目って、何だろうね」

「なんだよ、急に」

 

 義経は包みを片手に持ち替えて、懐から文を出した。

 

「検非違使(けびいし)にならないかって。院から」

「いん? けびいし?」

「院は、法皇様。検非違使は、京の町を守る役。なったら、判官って呼ばれるんだって」

「今やってるやつじゃねえか」

「今は、兄上に京を任されてるだけ。畑を踏まれた人にも、鎌倉の返事が来るまで待てって言うしかない」

「兄貴は、なんて」

「まだ言ってない。僕の名で、引き受けたいんだ」

 

 兄貴に黙って、法皇から役をもらう。

 

「それ、兄貴と揉めねえか」

「揉めると思う。勝手に動くなって、言われてるし」

 

 義経の目は、川から、橋を行き交う人へ移っていた。籠を背負った男。子供の手を引いた女。あの中の誰かが、明日また訴えに来る。

 

「弁慶は自分で決めて五十の前に立った。僕だけ、みんなに待てって言い続けるのは、やだ」

 

 兄貴の顔色より、橋を渡るやつらの顔を見てる。いつの間にか、ちゃんと大将になってやがる。

 

「役目は決まってる。俺が殴られて、お前が殴る。十年前から、そうだろ」

「だから、その言い方!」

 

 義経がけらけら笑った。

 文を懐にしまって、欄干に手を戻した。しばらく俺の顔を見ていた。

 

 川風が吹いて、今朝俺が梳いた髪がひと筋、義経の頬にかかった。指でよけてやると、義経はよけられるままにしていた。

 

「十年だね」

 

 義経は、泣きそうな顔で笑った。俺の口の端も、勝手に上がっていた。

 笑ったまま、義経は懐からもう一通の文を出した。

 

「今日、鎌倉からも来たんだ。兄上が、僕のお嫁さんを決めたって」

 

 こいつが、嫁をもらう。考えたこともなかった。勝手に、この先もずっと俺が髪を梳くもんだと思っていた。

 

「嫁、どんなやつなんだ」

「知らない。会ったこともないし。興味ない」

 

 その一言にほっとした自分が、嫌だった。

 

「僕が誰かと結婚しちゃっても、いいの?」

 

 答えられなかった。義経は川の方へ顔を向けて、待っていた。橋の下で、水の音だけがしている。

 

 義経の片手は、鎌倉の文を握っている。欄干に置かれたもう片方の手へ、指を伸ばした。

 嫁を兄貴が決めた。判官だけでも揉めるのに、俺まで揉め事の種になってどうする。

 指は、あと一寸のところで止まった。引っ込めて、頭を掻いた。

 

「帰るぞ、殿」

「明日も、髪梳かしてね」

「……おう」

 

 それなら、家来のままでもできる。

 

     * * *

 

 判官の宣旨を受けに行く朝、門の前で義経が振り返った。袖を継いだ兄貴の白ではなく、市で俺が選んだ青を着ている。両手を広げて、袖を垂らしてみせた。

 

「どう?」

「似合ってる」

 

 両手がゆっくり下りて、袖が口元を隠した。

 

「ふうん。すぐ戻るから、これ持ってて」

 

 懐から出した櫛を、俺の手に押しつける。そのまま、門を出ていった。

 ついていきたかったが、院の御所に、薙刀を担いだ坊主は上げられないらしい。

 

 櫛を手の中で転がす。嫁が来たら、こいつの出番もなくなるのかもしれない。

 転がしては眺め、眺めては転がしているうちに、日が西へ傾いていた。

 

 門の方で、砂利が鳴った。もう戻ったのかと顔を上げると、見慣れない若いのが一人で庭へ入ってくるところだった。

 

「那須与一(なすのよいち)と申します!」

 

 与一は義経よりも背が低く、十六、七に見えた。桜色の小袖に、白い頬のえくぼ。細い指の付け根に硬い弓だこがなければ、どこの姫が迷い込んだのかと思っただろう。

 

 長年、殿を見てきたから分かる。こいつも、男だ。

 

「下野(しもつけ)から、九郎様にお仕えしに来ました!」

 

 庭の隅で弓の手入れをしていたチビが、すっと進み出た。

 

「弓の名手と聞き及びまする。腕前を見せていただきとうござりまする」

 

 言うなり、松の枝に扇を挿して射た。矢は要を割り、扇は枝から落ちる。郎党たちがどよめいた。

 

「やるね」

 

 与一も新しい扇を挿して、弓を引いてすぐ放した。

 扇は落ちなかった。矢が要の真ん中を貫いて、枝へ縫い留めている。今度は、誰もどよめかなかった。

 

「……そなたも、やりまするな」

 

 チビは干し柿を一つ出して乱暴にかじった。

 

 与一はまっすぐこっちへ歩いてきて、俺の前で止まった。

 

「見てた? 今の」

「なかなかだな」

「でしょー。あなたが弁慶さん? 腕、太いね♡」

 

 両手で俺の腕を取って、しなだれかかってくる。

 

「一人で百人追い返したって、京じゃもっぱらの噂だよ?」

「五十だ。それに、俺一人じゃねえ」

「ねえ、盾が得意なんでしょ? 私の前に立ってよ。受けるたびに、いっぱい褒めてあげるから♡」

 

 守るたびに、褒めてもらえる。前世からずっと、俺が欲しかったものだ。

 

 義経は守っても嬉しそうな顔はしない。

 宇治川では泣かれて、一ノ谷では叱られた。

 褒めてくれたのは、俺が生きて戻ったことだけだ。

 

 なのに、俺はあいつを守りたい。

 

 そうだ。もうわかっている。

 俺が今あいつを守りたいのは、褒められたいからじゃない。

 

 毎朝あいつの髪を梳いてきた櫛を、与一に取られていない方の手で握った。

 

「くっつくな」

 

 腕を引き抜くと、与一は目をぱちぱちさせて俺の顔を見上げた。それから、にっこり笑った。

 

「九郎様が戻ったらお願いしてみようかな、弁慶殿を私にくださいって」

「行かねえよ」

 

 与一が目を丸くした。郎党たちも、こっちを見た。

 

「俺は殿の盾だ。褒めてもらえなくたって、殿が誰を嫁にもらったって、ほかの誰のもんにもならねえ。だいたい——」

 

 止まらなかった。

 

「殿の方が、お前よりかわいい!」

 

 ヒゲが手を打った。

 

「よくぞ申された!」

「よくぞ申された」

 

 チビまで、干し柿をかじりながら真顔で頷いた。

 

「ちぇー。ケチ」

 

 与一は唇を尖らせて、郎党たちの方へ戻っていった。

 

 門の方で、砂利を踏む音がした。

 振り返ると、門の下に青い小袖が立っていた。

 

「殿!? 聞いてたのかよ!?」

 

 義経は答えなかった。袖で口元を隠したまま、耳まで赤くなっていく。

 それから、ぱっと駆け出した。俺の横をすり抜けて、縁側の奥へ。

 

「おい、殿!」

 

 櫛を握ったまま、追いかけた。郎党たちの笑い声が、背中の方で大きくなった。

 廊下の角を曲がると、義経が背を向けて立っていた。

 

「……殿、どこから聞いてた」

「盾のとこから」

 

 全部、聞かれてた。

 髪を揺らしながら義経がくるりと振り向いた。

 

「僕の方が、かわいいんだ♡」

 

 その顔は赤いまま、にんまり笑っていた。

 






 次回、このにんまり笑顔を曇らせます。
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