転生弁慶、仁王立ちで庇うたびに女装ショタ上司が曇っていく   作:なほやん

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第十六話 八艘飛び

 

 屋島から、義経とはあまり口をきかなくなった。櫛だけは毎朝寄越される。黙って髪を梳いて、黙って返す。うそつき、と言われた時の顔が、櫛を通すたびに浮かんだ。

 

 平家は屋島を捨てて西へ逃れ、長門の壇(だん)ノ浦(うら)という海峡に舟を集めた。そこで決着をつける、と義経は言った。

 

 決戦の前の晩、舟の上で眠れずにいると、義経が隣に来て座った。忠信(チビ)は舳先で一人、弓の弦を張り替えている。いつもなら隣で兄が茶々を入れている時刻だ。

 

 ヒゲは前に立って、少し笑って死んだ。

 その誉れの横で、こいつは泣いていた。

 

「前に出ないでって言っても、どうせ出るんでしょ」

 

 返事をしないでいると、義経は膝を抱えて、暗い海の方を向いた。

 

「でも、死なないで」

 

 義経は俺の袖の端を掴んで、そのまま放さなかった。

 

     * * *

 

 夜明けに、義経が舟の上の郎党たちへ言った。

 

「朝のうちは、潮が平家の味方をする。舟を寄せ合って、潮が変わるまで耐えて。変わったら、一気に押すよ」

 

 後ろでは、鎌倉から付いてきた目付が、帳面を広げて聞いていた。

 梶原景時(かじわらかげとき)という名だと聞いた。頼朝(兄貴)の目と耳だそうだ。

 

 向こう岸が見えるほど狭い海峡なのに、水は川より速く流れていた。平家の舟はその流れに乗って矢を浴びせ、こっちの舟の脇を抜けていく。

 

 舟の真ん中に、チビと与一が並んで膝をついた。二人の間に、俺も膝をついた。ヒゲがいつもいた場所だ。

 箙から矢を抜いて、チビの手へ渡す。次は与一の手へ。二人が身を起こして射るたびに、その前へ腕を出して、飛んでくる矢を籠手で払った。払い損ねた一本が、肩の鎧で跳ねた。

 

 全員守る。俺も死なない。

 屋島では一本も通さないと得意になった。今日は、得意にならない。

 与一は矢を受け取るたびに、一度だけこっちを見た。何も言わずに、次を番えた。

 

 昼が近づくと、流れてきた折れ矢が船縁の横で止まり、やがて逆へ滑り始めた。

 

「潮が変わるよ!」

 

 義経が舳先に立った。

 

「舵取りを射って。それから、漕ぎ手も」

「漕ぎ手まで……?」

 

 後ろで、梶原の筆が止まった。

 郎党たちの手も止まった。漕ぎ手は、鎧も着ていない。

 

 義経は、海から目を離さなかった。

 

「長引けば、こっちの漕ぎ手がもっと死ぬ。今日で終わらせる。射って」

 

 二度目は、誰の手も止まらなかった。

 

 矢が平家の舟の艫へ降った。舵を失った舟が流れに回されて横腹を見せ、そこへ味方の舳先がぶつかっていく。義経が指す方へ、次々に道が開いた。

 

 足を止めてから叩く。ネトゲなら、俺だってこうしただろう。それでも、櫓を握ったまま倒れていく男たちからは、目を逸らさなかった。

 

 後ろで、梶原が帳面に筆を走らせた。

 義経は振り返らなかった。

 

 向こうの大きな舟で、年寄りの女が子供を抱き上げている。その頬へ顔を寄せた次の瞬間、二人とも舟から消えた。赤い袖が水に広がり、波に引かれて沈んでいった。

 

「見つけたぞ! 義経ぇ!」

 

 声に振り向くと、横付けにした舟から教経が乗り込んできていた。

 チビと与一の矢が飛んだ。教経は一本を太刀で払い、肩に刺さったもう一本には目もくれずに、こっちへ向かってくる。二の矢を番えるより早く、大太刀がもう目の前にあった。

 

 振り下ろされた大太刀を薙刀の柄で受けると、重みで足が床板を踏み割った。

 こいつが、ヒゲを殺した。

 

「受け止めるかぁ!」

 

 教経は笑って、もう一度大太刀を振りかぶった。

 咄嗟に身を沈めると、刃が頭の上の風を裂いて船縁に食い込む。

 

 瞬間、背後で軽い足音が床を蹴った。

 

「弁慶、僕を投げて」

 

 振り向かなくても、義経が何をしたいのかが分かる。

 薙刀を床へ突き立て、半身になって両手を組んだ。小さな足が、そこへ乗る。

 

「殿、今だ!」

 

 放り上げた。

 青い小袖が教経の頭を越えざまに、太刀の峰で兜を一つ叩き、隣の舟の舳先へ下りた。

 

「こっちだよ、教経」

「ようやく俺の名を呼んだな! 義経ぇ!!」

 

 教経が、声を立てて笑った。

 俺には目もくれず、追って跳ぶ。

 

 一艘。義経が跳んだ後の舳先を、教経の大太刀が叩き割る。二艘。傾いた船縁を駆け上がる。三艘目で、横から来た矢が青い袖を裂いた。四艘、五艘、六艘、七艘。触れた舟が揺れ始める前に、もう次へ移っている。

 

 義経がヘイトを引いてやがる。それは俺の仕事だろうが。

 

 漕ぎ手の手から櫓をもぎ取って、漕いだ。舟が跳ねるように前へ出る。舳先でチビと与一が弓を引くが、矢は跳ぶ教経の背中の後を追うばかりだった。

 

 教経が舟の端で止まった。次の舟との間が、潮に引かれて開いていく。その向こうに、義経が立っている。朝から潮を見ていたあいつが、最後に選んだ舟だ。

 

「そこかぁ!」

 

 教経は、それでも跳んだ。縁に届きかけた手を、義経の太刀が打ち払う。教経の体が、開いた潮の間へ落ちた。水柱が上がり、泡が流れに引かれていった。

 

 漕ぎ寄せた舟の縁から、義経の舟へ跨いだ。

 

「八艘も跳ぶやつがあるか」

「だって、追いかけてくるんだもん」

 

 隣で、泡の消えた水を見下ろした。義経が、長く息を吐いた。

 

 見回すと、平家の舟はもう散り散りだった。舵を失って回る舟の上から、武者たちが次々に海へ飛び込んでいく。その間を、白旗の舟が埋めていく。

 

 勝った、のか。

 

 その瞬間、水が盛り上がった。

 

 船縁に濡れた手が掛かる。這い上がった教経が、両腕で義経と俺を抱えた。

 

「何を……!」

「死出の山の供をしやがれ!!」

 

 天地がひっくり返った。

 視界が濁ってから、水中に引き摺り込まれたのだと気がついた。

 

 水が鼻へ入る。冷たい。耳の奥で泡が鳴る。

 

 泡の向こうに青い袖。義経が教経の腕を押している。脇差へやったその手が、腕ごと胴へ締めつけられた。

 

 指をねじ込む。剥がせない。刀は、締められた腕の下で抜けない。

 三人で回る。光が遠ざかっていく。

 

 義経の口から、泡が一つこぼれた。

 押し返す手が、弱くなる。

 

 死ぬ。

 義経が。

 

 義経の指が、俺の袖を弱く掴んだ。

 その細い腕を、教経の手が上から掴み直して深みへ引いた。

 

 止められない。どうしたら。

 違う。止められる。

 

 殺す。

 

 教経を、ここで。

 

 身をよじり、教経の首へ両手を回した。

 篝火の痕の残る手のひらの下で、脈が打っている。

 

 両手に力を入れた。

 手の中で、骨が軋んだ。砕けていく。それでも、緩めなかった。

 

 太い枝が折れるような音がした。

 

 教経の指がほどけ、腕が開く。義経が脇差で鎧の紐を切り、脱ぎ捨てた。青い袖が、上へ離れていく。

 浮かびながら、義経がこっちへ手を伸ばした。指先が、届かなかった。

 

 水面が、遠い。

 あいつのくれた重さが、俺を下へ引いていく。

 

 腰の刀を抜いて、鎧の肩紐に当てた。

 紐を切った。胴の紐も切った。黒い鎧が、暗い方へ沈んでいく。

 

 上から、白い手が伸びてきた。

 その手を、掴んだ。

 

 引かれる。頭が水の外へ出た。

 息を吸ったつもりが咳になった。喉から海水が逆流し、また波をかぶる。

 

「掴まられよ!」

 

 声がして、チビと与一の手で二人まとめて舟へ引きずり上げられた。

 

 義経を見た。毎朝俺が梳いている髪が、頬と首に張りついている。その下で、紫の唇が咳のたびに震えていた。

 

 抱き寄せようと伸ばした自分の手を見て、指が止まった。

 俺はついさっき、この手で人を殺した。

 

 そう思った瞬間、義経の方から俺にしがみついてきた。

 

「弁慶」

 

 返事ができなかった。喉が、海水で焼けていた。

 

 義経の額が、俺の胸に当たった。髪も、頬も、首に回ってきた腕も、海と同じに冷たい。なのに触れ合ったところだけがじわりと温かくなっていく。止まったままの俺の手の先で、薄い背中が膨らんでは、しぼみ、また膨らんだ。

 

 息をしている。

 

 顔が熱かった。目から出るものが、頭からかぶった海水と混ざって、顎から落ちていく。胸に埋まった義経の顔のあたりからも、しゃくり上げる音がした。

 

 冷えきった指が、首を締めていた俺の手を探り当てた。手のひらの篝火の痕を、親指で一度なぞった。それから、その手を自分の背中へ押し当てる。

 

「離さないで、弁慶」

「ああ。離すかよ、義経」

 

 背中に置かれた手に、力を入れた。今度も、緩めなかった。

 それから義経の指が、俺の頬に触れた。

 

「……あったかい」

 

 横から腕が俺たちの肩に回ってきた。チビと与一だった。チビは声も立てずに泣いていて、与一も鼻をすすった。波が来るたびに、舟が四人を持ち上げては下ろした。

 

 周りで赤い旗が倒れ、白旗の舟から鬨の声が上がる。あの女が抱いて沈んだのは八歳の帝だったと、あとで聞いた。

 

 こうして、平家は滅んだ。

 






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