転生弁慶、仁王立ちで庇うたびに女装ショタ上司が曇っていく   作:なほやん

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第十七話 二十日

 

 京の大路が、人で埋まっていた。

 

「判官様!」

「九郎判官様!」

 

 店先から女たちが袖を振り、屋根へ上った子供が手を叩いている。馬を止めれば、その足元まで人が寄ってきた。

 

「いよっ! 天下の肉壁!」

「誰が肉壁だ!」

 

 弁慶が子供に怒鳴り返すと、周りがどっと沸いた。弁慶も笑い、大きな手を高く上げて振った。手綱を持つもう片方の手は、握りしめすぎて白くなっていた。

 

 後ろから、与一が馬を寄せてきた。屋島で扇を射落とした弓取りにも、歓声が飛んでいる。

 

「平家も滅んだし、九郎様、今度こそ弁慶殿を貸していただけません?」

「行かねえよ」

 

 弁慶は手を振ったまま、与一の方を見もせずに言った。

 俺の口の端が、勝手に上がった。

 

「残念でしたー。弁慶はもう、僕のことが大好きだもんね♡」

 

 与一がむくれて馬を下げた。弁慶は耳まで赤くして、前を向いたままだった。

 

 人垣を片手で割って、一人が進み出た。白い水干に、腰に刀を差している。磯禅師(いそのぜんじ)の娘の静(しずか)、神泉苑の雨乞いで舞ったという白拍子だ。

 静は抱えていた籠から山吹の花びらを取り出して俺と弁慶に振りかけ、片膝をついた。

 

「判官殿、武蔵坊殿。キミたち二人、実にお似合いだよ」

 

 周りが、また沸いた。今度は、顔が熱くなったのは俺の方だった。

 静が立ち上がってきびすを返すと、黄色い声がその背中を追う。静は振り返らずに片手だけ上げて応えた。

 

「なんだあのナルシスト」

「……あれは静。京でいちばんの白拍子」

 

 なるしすと、という言葉は知らないが、弁慶が俺以外を見ているのはなんだか気に食わない。だから、白拍子が男の装束で舞う女だとは、教えなかった。

 

「判官様!」

「軍神様!」

 

 都じゅうが、兄上ではなく俺の名を呼んでいる。

 この声も、いずれ鎌倉へ届く。

 

 鎌倉では、武士の官も所領も、兄上の手を通って配られる。だから坂東の武士は、兄上の下にまとまっている。その手を通さずに、俺は院から位をもらった。平家を討った兵は、兄上ではなく俺の号令で動いた。

 

 去年の正月に宇治川の向こうへ旗を並べていた木曽殿も、先に京へ入り、院から位をもらい、都で持ち上げられた大将だった。兄上は、その木曽殿を討たせた。討ちに上ったのは、俺だ。

 

 並べてみれば、答えは一つしかない。兄上から見れば、俺は、二人目の木曽殿だ。

 

     * * *

 

 五月、壇ノ浦で捕らえた平家の総大将、平宗盛(たいらのむねもり)を連れて鎌倉へ下った。腰越(こしごえ)の浜へ着いたところで、兄上の使いが待っていた。

 

「ここより先へは、お入りにならぬよう」

 

 宗盛だけが連れ出され、道の先へ去っていった。チビが使いへ何か言おうとしたので、止めた。

 

「待つよ」

 

 近くの寺に宿を借りて、兄上に文を書いた。身の置き所のなかった子供のころから、兄上に会うことを願っていた。平家を討ったのも、官を受けたのも、源氏のためだった。二心はない。位が邪魔なら、お返しします、と。

 

 最後には、ただ、お会いしたい、と書いた。

 返事は来なかった。

 

 毎朝、鎌倉へ続く道の木戸まで行って、待った。一日、二日、五日。

 十日目、所領を取り上げるという知らせが届いた。

 

「兄貴ってのは、弟にこういうことすんのかよ」

 

 弁慶の問いに、俺は何も返せなかった。

 

 その夜、床を蹴る音で目が覚めた。戸を開けると、弁慶が起き上がっていた。夜具を跳ねのけ、口を開けて息をしている。自分の両腕を見下ろして、片手で反対の腕を何度も擦っていた。京に戻ってから、この男は薙刀の柄を握ろうとして、指を止めるようになっていた。

 

「弁慶」

 

 俺の方を見た。しばらく、その目が俺を探していた。

 

「悪い、起こしたか。なんでもねえよ。夢見が悪いだけだ」

 

 京の大路で、子供へ向けたのと同じ顔で、弁慶は笑った。

 殺すのは、僕がやる。鎌倉を発つ前の晩、俺はそう言った。

 

 なのに、枝の先の芋虫ひとつで悲鳴を上げて逃げ回った男に、俺は人を殺させた。

 

「殿も寝ろよ。明日も行くんだろ」

 

 弁慶は俺を戸口へ追いやろうとした。その手が伸びかけて、膝へ戻った。

 俺は敷居をまたいだ。弁慶の前に座って、擦っていた方の腕を、両手で取った。

 

「ここにいるよ」

 

 弁慶の腕から、少しずつ力が抜けていった。

 

 次の夜も、その次の夜も、同じ音がした。そのたびに敷居をまたいで、腕を取った。ここにいるよ、と言った。言うたびに、弁慶の息が深くなった。

 

 眠った顔を見ていたら、昔の声が出た。

 

「はーげ♡ ざーこ♡」

 

 返事はなかった。

 

「芋虫一匹で逃げ回ったくせに。夢くらいで夜泣き? ざーこ、ざーこ♡」

 

 十年前ならすぐに返ってきた。うるせえ、メスガキ。五条の橋で、平泉の縁側で。

 

「……答えてよ」

 

 弁慶は、眠ったままだった。

 涙が、弁慶の腕に落ちた。拭わずに、腕を擦り続けた。

 

 どうすれば、兄上に消されずに済む。

 

 兄上は、二人目の木曽殿を放っておかない。頭を下げて許されなければ、いずれ鎌倉から兵が来る。兄上が悪いんじゃない。坂東を一つにまとめておくには、兄上の手を通らない大将はいてはいけない。俺がいるだけで、兄上の国にひびが入る。分かっている。

 

 ならばこちらから兄上を討つか。院は、頼めば兄上を討てという文を出すだろう。京の兵は、俺の号令なら動く。勝てるかもしれない。

 

 握った腕の先で、弁慶がまたうなされた。

 兄上と戦になれば、この男はまた俺の前に出る。また、殺す。

 なら、できない。残ったのは、頭を下げることだけだった。

 

 弁慶の腕を取った手を、朝まで離さなかった。

 

 二十日目の昼、兄上の使いが箱を持ってきた。中には、黄瀬川で頂いたものと同じ白の小袖が入っていた。新しく仕立てたらしく、折り目が硬くついていた。黄瀬川で頂いた方は、一ノ谷で裂いて、継いだまま行李の底にある。

 

「今宵、こちらへお忍びでお会いになるとの仰せです。鎌倉の内には、お入れできませぬゆえ」

 

 箱の前へ膝をついた。ようやく会える。胸が高鳴って、すぐに自分の袖が目に入った。京の市で弁慶が買った、薄い青の小袖だった。壇ノ浦で矢が裂いた袖は、自分で継いだ。

 

 兄上の小袖へ手を掛けた。箱の端から片袖を出したところで、手が止まった。

 着替えなきゃ、と思うたびに、指が動かなかった。日が落ちても、俺はまだ青を着ていた。髪も、今朝弁慶が梳いたままだった。

 

     * * *

 

 日が落ちてから、寺の門の外に馬が来た。兄上は供を外に待たせ、一人で部屋へ入ってきた。俺が頭を下げる間、何も言わなかった。

 

「九郎」

 

 顔を上げた。

 

「兄上。平家は——」

「官を受けたな」

 

 言葉が止まった。

 弁慶は俺の斜め後ろで膝をついていた。

 

「京を預かるには、役目が必要でした。兄上のお留守を、守るために」

「必要かどうかを、お前が決めるのか」

「位はお返しします。文にも、そう書きました」

「そうすれば、京の兵はお前の号令で動かなくなるのか」

 

 答えられなかった。

 兄上は開いた箱を見た。中には、昼間出しかけたままの小袖があった。次に、俺の着ているものへ目を移した。

 

「その服は何だ」

 

 俺は青い袖を膝へ揃えた。

 

「俺が送ったものではないな」

「……弁慶にもらいました」

「家来の選んだ服か」

 

 兄上が初めて弁慶を見た。顔より先に、膝に置かれた大きな手を見た。

 

「九郎。お前は、俺の選ぶ妻を娶り、俺の選ぶ領地に住み、俺の選ぶ服を着ていればよかったのだ」

 

 気味が悪いほどに、優しい声だった。

 

「俺は、お前を困らせたいわけではない」

 

 兄上が膝を進め、俺の肩に手を置いた。

 

「奥州から来たお前を、誰が迎えた。兵を与え、働く場所を与えたのは誰だ」

「……兄上です」

「ならば、分かるだろう」

 

 手は温かかった。

 

「今からでも遅くない。鎌倉に入れてやる。所領も返す。お前に必要なものは、俺がすべて与える」

 

 俺は顔を上げた。

 

「……弁慶は?」

「もっといい護衛をつけてやろう」

 

 兄上は、俺の後ろへ目もやらなかった。

 

「経の一つもまともに上げられない偽坊主ではなく」

 

 兄上の目は、屋島にまで届いていたのか。

 

「弁慶は、僕の命を何度も守ってくれました」

「命を守る家来なら、いくらでもいる」

 

 肩の手に力がこもった。

 

「明日から、お前のそばには俺の者をつける。その男は、奥州へ帰せ」

 

 兄上に会いたかった。顔も知らないうちから、ずっと会いたかった。泣いて迎えてくれた日のことを、一度だって忘れたことはない。

 

 それに、奥州へ帰せば弁慶はもう誰も殺さなくていい。

 弁慶のためだ。答えは一つしかない。頭を下げろ。

 

 兄上の指が、俺の青い袖をつまんだ。

 

「まずは、その似合わぬ袖を脱げ」

 

 俺の指が、襟に掛かった。

 襟を開くと、目の前が滲んだ。袖から、片腕が抜けかけた。

 

 その時、後ろから声が落ちてきた。

 

「似合ってるぞ、殿」

 

 振り向いた。弁慶は膝に手を置いたまま、俺を見ていた。

 この男だけは、昔から、いくら勘定しても分からなかった。

 

 弁慶のためなら、離れられると思っていた。違った。

 俺が、この男と一緒にいたいんだ。

 

 抜けかけた袖に腕を通し直し、弁慶の手を掴んだ。

 それから、兄上に向き直った。

 

「弁慶は、人を殺したくなかった。それでも、僕のために殺しました。そして、僕を離しませんでした」

「それが家来の役目だろう」

 

 兄上の声は、静かだった。

 

「今度は、僕が離しません」

 

 掴んだ手の中で、弁慶の指が動いた。

 俺は、箱から出ていた袖を戻し、兄上の前へ押した。

 

「この袖は、お返しします」

 

 兄上はしばらく俺を見てから立ち上がった。俺も目を逸らさなかった。

 

「坂東の者は皆、お前の名を呼ぶ京を見ている。俺の手を通らぬ者を一人許せば、明日には十人になる」

 

 戸口まで歩き、振り向かずに言った。

 

「残念だ」

 

 戸が閉まった。

 

 開け放した窓の向こうから、急に海が聞こえた。この二十日、鎌倉へ続く道しか見ていなかった。その道へは、もう行かなくていい。

 

 振り返ると、弁慶が泣いていた。

 俺と目が合うと顔を伏せた。それでも涙が膝へ落ちた。

 

「死ぬな、殿。兄貴に背いたら、追われるんだぞ。どこへ行っても。兄貴のとこへ行けって言ったのも、官のことも、今のだって、全部、俺のせいだ」

 

 大きな手が俺の袖を掴んだ。

 

「いいんだよ、弁慶」

「よくねえよ!」

 

 弁慶が顔を上げた。俺はその頬に手を当てた。

 

「死ぬために選んだんじゃない」

 

 泣いている顔を両手で挟むと、弁慶は逃げなかった。

 

「一緒にいたいの。弁慶と」

 

 俺の手に弁慶の手が重なった。指はまだ少し震えていた。

 弁慶は一度目を伏せて、長く息を吐いた。それから、顔を上げた。

 

「じゃあ、逃げるぞ」

 

 弁慶の声は、もう震えていなかった。さっきまで泣いていたくせに。

 

 ほんと、単純。こういうところが、好きだったんだ。

 

「どこへ?」

 

 その問いに弁慶はすぐには答えなかった。窓の外を、長いこと見ていた。

 

「……北じゃなきゃ、どこでもいい」

「生き延びるよ、弁慶。二人で」

 

 弁慶は俺の顔を見たまま頷いた。

 

「ああ、義経」

 

 返事をしようとして声が出ず、俺はその首へ腕を回した。

 






 ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます!
 第四部も、どうぞよろしくお願いいたします!
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