転生弁慶、仁王立ちで庇うたびに女装ショタ上司が曇っていく 作:なほやん
第十八話 一本道
腰越を出て三日、追っ手の影は見えなかった。
二人きりで逃げたつもりが、後ろの足音が二つ多い。
「付いてくんなって言ったろ」
「兄上なら、黙って付いてまいりまする」
「弁慶さんのいるとこが、私の行くとこだもん♡」
チビと与一は、何度断っても、振り返ると後ろを歩いている。義経は、困ったように笑うだけだった。
宿は取らず、寺の軒や百姓の納屋を借りた。朝になると、義経は俺の前に背中を向けて座り、櫛を寄越す。
「梳かして」
「おう。殿」
義経が首をひねって、こっちを見上げた。
「名前で呼んで!」
「いや、ずっと殿って呼んでたから、まだ慣れなくてよ」
「言うまで、梳かさせてあげない」
櫛を取り上げられた。横で
「……義経」
「声が小さい」
「義経!」
「はい、よくできました♡」
返ってきた櫛を握ると、顔が熱かった。
「兄上にも、お見せしとうござりました」
チビが干し柿をかじる手を止めて、ぽつりと言った。
海沿いの道を西へ歩いた。六月の風は潮の匂いがして、田んぼでは蛙がうるさい。
義経が俺の手を取った。
「はぐれないように」
田んぼの間の見通しのいい一本道で、はぐれようがない。ほどこうとしたら、義経の指に力がこもった。
「振りほどいたら、泣くよ?」
指の中にまだ、教経の首の脈が残っている。それでも、義経と繋いだ手は離さなかった。
京を避けて半月歩いた摂津の山あいの村で、
「ここ、僕らの家だね♡」
「納屋だぞ」
「家だよ。弁慶が直したんだから」
義経は戸口に、どこかで摘んできた花を挿した。それだけで、本当に家に見えた。
薙刀は、筵で巻いて隅に立てかけた。
牛がいないと聞いて家の礼にと
「別嬪さんに囲まれて羨ましいねえ、色男さん」
「で、どの子が本命なんだい?」
女の一人が、畑の縁で見ていた三人を指さした。義経と、与一と、チビ。
「私だよ♡」
「僕でしょ!?」
義経が与一を押しのけて、前に出た。女たちが、どっと沸いた。
「……もしかして、拙者も数に入っておりまするか?」
「入る入る。ちゃんと可愛くしたら、チビも絶対似合うよ♡」
眉を八の字にしたチビの頬を、与一が指でつついた。
「似合いとうありませぬ!」
畑の縁が、また笑いに包まれた。女たちが、籠に菜や芋を盛って、代わる代わる義経に押しつけてくる。
「じゃあ奥方様、旦那様にはお昼をたんと持っていってあげなされ」
「奥方様?」
義経の目が、ぱっと輝いた。
「はーい。旦那様、お昼ですよー♡」
「やめろ! 訂正しろ!」
「えー。だって奥方様って言われたもん」
女たちがまた笑って、訂正はとうとうされなかった。
飯の支度は、俺がやるつもりだった。けれど、菜を刻もうと包丁を握ったら、指が震えた。壇ノ浦から、薙刀も包丁も、刃物はみんなこうだ。それなら僕が炊く、と
「炊いたことあんのか」
「ないよ。でも、見てたから」
かまどの前にしゃがんだ義経が、火吹き竹を吹いた。火が小さいと言っては薪を足し、まだ小さいと言っては、また足す。
「おい、強すぎねえか」
「強い方が、早く炊けるでしょ」
鍋の蓋の隙間から上がる湯気が、白から、だんだん黒くなっていった。納屋じゅうに、焦げた匂いが広がる。蓋を開けた義経は、真っ黒な鍋の底を見下ろして、耳まで赤くなっていた。
杓子で底から剥がして口へ入れると、苦くて、じゃりっと鳴った。
「うめえ!」
「うそつき」
そう言いながら、義経は笑った。
「菜の汁も、できておりまする」
「こっちもうめえ!」
「母上に仕込まれましたゆえ」
チビも与一も、笑った。
納屋に住んでひと月もすると、頭に毛が伸びていた。
また、指が震えた。
「僕がやる」
義経が俺の手から剃刀を取った。
戸口に座らされて、後ろに義経が膝立ちになった。
「動かないで」
「動いてねえ」
「肩が上がってる」
肩を下ろすと、刃がゆっくり滑っていった。
「ここ、傷ある」
「どっかでぶつけたんだろ」
「ここも」
「数えんな」
義経が笑って、その息が剃ったばかりの所に当たった。
「はい、つるつる」
手のひらが、頭のてっぺんを何度も撫でた。
「いつまで撫でてんだ」
「僕が剃ったから、僕の頭」
夜は、納屋の藁の上で義経と並んで寝た。チビと与一は、外で交代に見張りに立った。
夢の中で、暗い水の底の首が、腕の中で脈を打っていた。指を緩めかけて、緩めずに締めると、太い枝の折れる音で目が開いた。目を開けても、指はまだ首を抱えている形のままだった。
その指を、小さな手がほどいていた。
「ここにいるよ」
義経が、俺の腕を両手で抱えて擦っていた。
「くっつくな」
「えー、意識してるの? ざーこ♡」
「誘惑すんな、メスガキ!」
口から勝手に出た言葉に、義経は目を丸くして、それから腹を抱えて笑い出した。
「言った! 今、メスガキって言った! 何年ぶり? ねえ、何年ぶり?」
戸の外から、やれやれでございまする、とチビの声がして、与一の笑い声が続いた。
* * *
けれど、そんな暮らしは長くは続かなかった。
義経の炊く飯が焦げなくなったある朝、納屋の戸を開けると、男が一人膝をついていた。
「判官様、お裁きを」
隣の村と、田の水の取り合いで揉めているのだという。俺は戸口に立って、男の前を塞いだ。
「人違いだ。判官なんかここにはいねえ」
「いいよ、弁慶」
義経は男の前にしゃがんで、土に枝で二つの田と堰を描かせた。水は半日ずつ。堰の板は、両方の村から一人ずつ出して見張る。男は口を開けたまま、何度も頷いた。
「さすがは判官様じゃ」
次の日は二人、その次の日は五人。稲が刈り取られる頃には、納屋の前に朝から列ができていた。判官様、判官様、と並んだ口が言う。そのうち、訴えではないものを持ってくる者も混じるようになった。
「判官様! さあ、あの頼朝を討ちましょう! 院も内々にお力添えくださいますぞ!」
膝をついたのは百姓の列には似合わない、身なりのいい男だった。男は錦の袋を、義経の前に置いた。
「院より、こちらの鼓を」
義経は、袋に手を伸ばさなかった。男が帰ってから、俺は袋を覗き込んだ。
「なんで鼓なんだ」
「打て、ってこと。
義経が黙って首を横に振っても、次の朝には、別の顔が同じことを言いに来る。
いつの間にか、戸口の花はしおれていた。
「僕、ここでならただの義経になれると思ったのにな」
声が小さかった。
何も言えない代わりに、背中を向けた義経の髪を指で梳いた。
刈り田に霜の降りた朝、村長が青い顔で来た。
「隣の郡で、判官様を匿うたという村が焼かれました。鎌倉から来た、帳面を持ったお侍が焼け跡を書きつけておったそうで」
帳面。壇ノ浦の舟で筆を走らせていた、
——
義経が、立ち上がった。
「出よう。この村も、焼かれる」
「どこへ」
「秀衡殿のところへ。北へ」
北は、奥州だ。
「西だ」
口が、先に動いていた。
「船で九州へ渡る。鎌倉から一番遠い。秀衡殿を巻き込むこともねえ」
言いながら、理屈を後から足していた。義経は長いこと俺の顔を見ていて、何か言いかけて、やめた。
「弁慶が、そう言うなら」
夜の内に大薙刀を担いで村を出て、次の朝に摂津の
「待つ?」
「待てば、追いつかれる」
義経の問いに、船頭より早く俺が答えた。ここで足を止めたら、義経はまた北へ行こうと言う。
沖へ出たところで、嵐が来た。
波が舷を越えて、頭から降ってくる。義経を舟底へ押し込んで、波の来る側に立った。船頭の手からもぎ取られかけた
咄嗟に大薙刀を掴んで櫓の代わりに漕いだ。刃物なのに、指は震えなかった。
次の波で舟が浮き、裏返った。
水の中で、青い袖を探した。掴んだ。離さなかった。
気がつくと、元の浜に打ち上げられていた。
舟は半分に割れて砂に刺さり、船頭が波打ち際で手を合わせていた。チビが砂の上で海水を吐いている。その横で、与一が濡れた弓を抱えて咳き込んでいた。俺の手には、まだ薙刀が握られていた。腕の中で目を閉じている義経の頬を叩くと、冷たかった。
「義経!」
義経が咳き込んで水を吐き、目を開けた。
北が怖くて選んだ海で、こいつを沈めかけた。
「また、俺のせいだ!」
「違うよ、弁慶……」
義経の顔が見られなくて、濡れた砂に目を落とした。そこへ、頭の上から声が降ってきた。
「判官殿御一行。キミたちまとめて、このボクが預かろう」
顔を上げると、ナルシストがこっちを見て笑っていた。