転生弁慶、仁王立ちで庇うたびに女装ショタ上司が曇っていく   作:なほやん

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第四部 吉野
第十八話 一本道


 

 腰越を出て三日、追っ手の影は見えなかった。

 二人きりで逃げたつもりが、後ろの足音が二つ多い。

 

「付いてくんなって言ったろ」

「兄上なら、黙って付いてまいりまする」

「弁慶さんのいるとこが、私の行くとこだもん♡」

 

 チビと与一は、何度断っても、振り返ると後ろを歩いている。義経は、困ったように笑うだけだった。

 

 宿は取らず、寺の軒や百姓の納屋を借りた。朝になると、義経は俺の前に背中を向けて座り、櫛を寄越す。

 

「梳かして」

「おう。殿」

 

 義経が首をひねって、こっちを見上げた。

 

「名前で呼んで!」

「いや、ずっと殿って呼んでたから、まだ慣れなくてよ」

「言うまで、梳かさせてあげない」

 

 櫛を取り上げられた。横で忠信(チビ)が干し柿を出して、見物する気でかじり始めた。与一は弓の弦を張りながら、にやにやしている。

 

「……義経」

「声が小さい」

「義経!」

「はい、よくできました♡」

 

 返ってきた櫛を握ると、顔が熱かった。

 

「兄上にも、お見せしとうござりました」

 

 チビが干し柿をかじる手を止めて、ぽつりと言った。

 

 海沿いの道を西へ歩いた。六月の風は潮の匂いがして、田んぼでは蛙がうるさい。

 義経が俺の手を取った。

 

「はぐれないように」

 

 田んぼの間の見通しのいい一本道で、はぐれようがない。ほどこうとしたら、義経の指に力がこもった。

 

「振りほどいたら、泣くよ?」

 

 指の中にまだ、教経の首の脈が残っている。それでも、義経と繋いだ手は離さなかった。

 

 京を避けて半月歩いた摂津の山あいの村で、村長(むらおさ)が裏の納屋を貸してくれた。床のない納屋に藁を敷き、壁の隙間に泥を詰め、雨漏りの所には板を打って、三日かけて人の住める形にした。

 

「ここ、僕らの家だね♡」

「納屋だぞ」

「家だよ。弁慶が直したんだから」

 

 義経は戸口に、どこかで摘んできた花を挿した。それだけで、本当に家に見えた。

 薙刀は、筵で巻いて隅に立てかけた。

 

 牛がいないと聞いて家の礼にと犂(すき)を自分で引くと、三往復目で見物の子供が五人に増え、十往復目には村じゅうの女が畑の縁に並んでいた。

 

「別嬪さんに囲まれて羨ましいねえ、色男さん」

「で、どの子が本命なんだい?」

 

 女の一人が、畑の縁で見ていた三人を指さした。義経と、与一と、チビ。

 

「私だよ♡」

「僕でしょ!?」

 

 義経が与一を押しのけて、前に出た。女たちが、どっと沸いた。

 

「……もしかして、拙者も数に入っておりまするか?」

「入る入る。ちゃんと可愛くしたら、チビも絶対似合うよ♡」

 

 眉を八の字にしたチビの頬を、与一が指でつついた。

 

「似合いとうありませぬ!」

 

 畑の縁が、また笑いに包まれた。女たちが、籠に菜や芋を盛って、代わる代わる義経に押しつけてくる。

 

「じゃあ奥方様、旦那様にはお昼をたんと持っていってあげなされ」

「奥方様?」

 

 義経の目が、ぱっと輝いた。

 

「はーい。旦那様、お昼ですよー♡」

「やめろ! 訂正しろ!」

「えー。だって奥方様って言われたもん」

 

 女たちがまた笑って、訂正はとうとうされなかった。

 

 飯の支度は、俺がやるつもりだった。けれど、菜を刻もうと包丁を握ったら、指が震えた。壇ノ浦から、薙刀も包丁も、刃物はみんなこうだ。それなら僕が炊く、と奥(・)方(・)様(・)が言い出した。

 

「炊いたことあんのか」

「ないよ。でも、見てたから」

 

 かまどの前にしゃがんだ義経が、火吹き竹を吹いた。火が小さいと言っては薪を足し、まだ小さいと言っては、また足す。

 

「おい、強すぎねえか」

「強い方が、早く炊けるでしょ」

 

 鍋の蓋の隙間から上がる湯気が、白から、だんだん黒くなっていった。納屋じゅうに、焦げた匂いが広がる。蓋を開けた義経は、真っ黒な鍋の底を見下ろして、耳まで赤くなっていた。

 

 杓子で底から剥がして口へ入れると、苦くて、じゃりっと鳴った。

 

「うめえ!」

「うそつき」

 

 そう言いながら、義経は笑った。

 

「菜の汁も、できておりまする」

「こっちもうめえ!」

「母上に仕込まれましたゆえ」

 

 チビも与一も、笑った。

 

 納屋に住んでひと月もすると、頭に毛が伸びていた。

 剃刀(かみそり)を取って、頭に当てようとした。

 

 また、指が震えた。

 

「僕がやる」

 

 義経が俺の手から剃刀を取った。

 戸口に座らされて、後ろに義経が膝立ちになった。

 

「動かないで」

「動いてねえ」

「肩が上がってる」

 

 肩を下ろすと、刃がゆっくり滑っていった。

 

「ここ、傷ある」

「どっかでぶつけたんだろ」

「ここも」

「数えんな」

 

 義経が笑って、その息が剃ったばかりの所に当たった。

 

「はい、つるつる」

 

 手のひらが、頭のてっぺんを何度も撫でた。

 

「いつまで撫でてんだ」

「僕が剃ったから、僕の頭」

 

 夜は、納屋の藁の上で義経と並んで寝た。チビと与一は、外で交代に見張りに立った。

 

 夢の中で、暗い水の底の首が、腕の中で脈を打っていた。指を緩めかけて、緩めずに締めると、太い枝の折れる音で目が開いた。目を開けても、指はまだ首を抱えている形のままだった。

 

 その指を、小さな手がほどいていた。

 

「ここにいるよ」

 

 義経が、俺の腕を両手で抱えて擦っていた。

 

「くっつくな」

「えー、意識してるの? ざーこ♡」

「誘惑すんな、メスガキ!」

 

 口から勝手に出た言葉に、義経は目を丸くして、それから腹を抱えて笑い出した。

 

「言った! 今、メスガキって言った! 何年ぶり? ねえ、何年ぶり?」

 

 戸の外から、やれやれでございまする、とチビの声がして、与一の笑い声が続いた。

 

     * * *

 

 けれど、そんな暮らしは長くは続かなかった。

 

 義経の炊く飯が焦げなくなったある朝、納屋の戸を開けると、男が一人膝をついていた。

 

「判官様、お裁きを」

 

 隣の村と、田の水の取り合いで揉めているのだという。俺は戸口に立って、男の前を塞いだ。

 

「人違いだ。判官なんかここにはいねえ」

「いいよ、弁慶」

 

 義経は男の前にしゃがんで、土に枝で二つの田と堰を描かせた。水は半日ずつ。堰の板は、両方の村から一人ずつ出して見張る。男は口を開けたまま、何度も頷いた。

 

「さすがは判官様じゃ」

 

 次の日は二人、その次の日は五人。稲が刈り取られる頃には、納屋の前に朝から列ができていた。判官様、判官様、と並んだ口が言う。そのうち、訴えではないものを持ってくる者も混じるようになった。

 

「判官様! さあ、あの頼朝を討ちましょう! 院も内々にお力添えくださいますぞ!」

 

 膝をついたのは百姓の列には似合わない、身なりのいい男だった。男は錦の袋を、義経の前に置いた。

 

「院より、こちらの鼓を」

 

 義経は、袋に手を伸ばさなかった。男が帰ってから、俺は袋を覗き込んだ。

 

「なんで鼓なんだ」

「打て、ってこと。頼朝(兄上)を」

 

 義経が黙って首を横に振っても、次の朝には、別の顔が同じことを言いに来る。

 

 いつの間にか、戸口の花はしおれていた。

 

「僕、ここでならただの義経になれると思ったのにな」

 

 声が小さかった。

 何も言えない代わりに、背中を向けた義経の髪を指で梳いた。

 

 刈り田に霜の降りた朝、村長が青い顔で来た。

 

「隣の郡で、判官様を匿うたという村が焼かれました。鎌倉から来た、帳面を持ったお侍が焼け跡を書きつけておったそうで」

 

 帳面。壇ノ浦の舟で筆を走らせていた、頼朝(兄貴)の目付。

 ——梶原景時(かじわらかげとき)か。

 

 義経が、立ち上がった。

 

「出よう。この村も、焼かれる」

「どこへ」

「秀衡殿のところへ。北へ」

 

 北は、奥州だ。

 

「西だ」

 

 口が、先に動いていた。

 

「船で九州へ渡る。鎌倉から一番遠い。秀衡殿を巻き込むこともねえ」

 

 言いながら、理屈を後から足していた。義経は長いこと俺の顔を見ていて、何か言いかけて、やめた。

 

「弁慶が、そう言うなら」

 

 夜の内に大薙刀を担いで村を出て、次の朝に摂津の大物(だいもつ)の浜に出た。村長が話をつけてくれた船頭は、黒い空を不安げに見上げていた。

 

「待つ?」

「待てば、追いつかれる」

 

 義経の問いに、船頭より早く俺が答えた。ここで足を止めたら、義経はまた北へ行こうと言う。

 

 沖へ出たところで、嵐が来た。

 

 波が舷を越えて、頭から降ってくる。義経を舟底へ押し込んで、波の来る側に立った。船頭の手からもぎ取られかけた櫓(ろ)に飛びついて、舳先を波へ向け続ける。稲光で白くなった海から、見上げるような波が押し寄せ、櫓が根元から折れた。

 

 咄嗟に大薙刀を掴んで櫓の代わりに漕いだ。刃物なのに、指は震えなかった。

 

 次の波で舟が浮き、裏返った。

 

 水の中で、青い袖を探した。掴んだ。離さなかった。

 気がつくと、元の浜に打ち上げられていた。

 

 舟は半分に割れて砂に刺さり、船頭が波打ち際で手を合わせていた。チビが砂の上で海水を吐いている。その横で、与一が濡れた弓を抱えて咳き込んでいた。俺の手には、まだ薙刀が握られていた。腕の中で目を閉じている義経の頬を叩くと、冷たかった。

 

「義経!」

 

 義経が咳き込んで水を吐き、目を開けた。

 北が怖くて選んだ海で、こいつを沈めかけた。

 

「また、俺のせいだ!」

「違うよ、弁慶……」

 

 義経の顔が見られなくて、濡れた砂に目を落とした。そこへ、頭の上から声が降ってきた。

 

「判官殿御一行。キミたちまとめて、このボクが預かろう」

 

 顔を上げると、ナルシストがこっちを見て笑っていた。

 

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