転生弁慶、仁王立ちで庇うたびに女装ショタ上司が曇っていく   作:なほやん

19 / 29
第十九話 一畳

 

 吉野の山寺の門前で、静(しずか)が足を止めた。白い水干に、腰に太刀。烏帽子をかぶり直して山門を見上げる。

 

「この寺なら判官殿を匿ってくれる。けど、ここから先は女人禁制なんだ」

「大丈夫だぞ。こいつらこう見えて男だから」

「違う。ボクが入れないんだ」

「へ?」

 

 静は眉一つ動かさずに俺を見上げた。

 

「ボクは男の装束で舞う白拍子。京の者なら子供でも知っているよ」

 

 俺は静の顔を見て、腰の太刀を見て、もう一度顔を見た。

 

「お前、女だったのか!?」

 

 静が笑い、義経も吹き出した。

 

「気が付いてなかったのー? ざーこ♡」

「お前が言うな、メスガキ!」

 

 美少女かと思えば男、美少年かと思えば女。まったくどうなってんだ、この世界は。

 

 寺では、俺は坊主見習いということになった。チビは寺男に、与一は弓を隠して下働きに。義経は女物の小袖を脱いで、稚児の顔で門をくぐった。静には、坊主たちが判官殿のためならと目をつぶってくれた。

 

 屋島の陣屋では、継信(ヒゲ)の前で南無阿弥陀仏の次が出なかった。腰越では頼朝(兄貴)に、経の一つもまともに上げられない偽坊主と言われた。だから俺は、寺の年寄りの坊主の前に膝をついた。

 

「経を教えてくれ。一つでいいから、最後まで読めるようになりてえ」

 

 坊主は俺の頭をしばらく眺めていた。

 

「頭だけはもう立派な坊主ですな。いいでしょう」

 

 朝は暗いうちに起きて、読めない経に口だけ動かした。夜は宿坊の狭い部屋で灯りの下に経を広げ、一字ずつ書き写して、聞いた読みを横に書きつけていく。

 

 義経が俺の膝に頭を乗せてきた。

 

「ハゲのくせにまじめー♡」

「ちゃんと勉強してるんだよ!」

 

 戸の隙間から三人が覗いていた。

 

「よい雰囲気でございまするな」

「九郎様だけずるーい! 私も膝枕してほしい♡」

「邪魔をしてはいけないよ、与一くん。こういうのは、そっと見守るものさ」

「覗いてる時点で邪魔なんだよ!」

 

 戸が閉まった向こうで、三人分の笑い声がした。義経はくすくす笑って、そのうち膝の上で寝息を立て始める。俺は灯りの油が尽きるまで、膝を動かさないように一字ずつ写経を続けた。

 

 春の晩、坊主たちが寝静まったあとの本堂で、静が板の間に立った。開け放した戸の向こうは、谷の底から尾根の上まで桜で埋まっていて、月を受けて夜なのに白い。風が渡るたびに花びらが戸口を越えて、板の間まで流れてくる。

 

「吉野の山の桜は千本あるそうだよ。数えた者はいないけどね」

 

 静は足元の花びらを一枚拾って、指先で回した。

 義経が錦の袋を静に差し出した。

 

「この鼓あげる。僕は打たないから」

 

 受け取った鼓を肩に構えて静が一つ打つと、ぼすっ、と湿った音がした。

 

「水を吸っているようだね」

「海に落ちたからね」

 

 静は笑って鼓を床に置き、扇を開いて声だけで歌いながら舞った。袖が返り扇が流れるたびに、板の間の花びらがふわりと浮いて、また静の足元へ降りていく。

 

「しづやしづ しづのをだまき くり返し 昔を今に なすよしもがな」

 

 意味は分からないのに、肌が粟立った。

 

「どういう歌だ」

「昔を今に取り戻せたらいいのに、という歌さ」

「……誰の昔だよ」

「聞くキミ次第さ」

 

 静の目が一瞬だけ義経の方へ向いた。義経は静を見ずに、俺の顔を見ていた。

 

 静が本堂を出ていったあと、宿坊の部屋で写しかけの経を広げた。板戸の向こうから、チビのいびきが聞こえる。灯りの向こうで、義経が膝を抱えていた。

 

「ねえ、弁慶。なんで、北に行きたがらないの」

 

 息が、詰まった。

 

「北には秀衡殿がいる。次郎もいる。弁慶だって、平泉は好きだったでしょ」

「……北は、寒いからだ」

 

 義経は俺を見なかった。

 

「本当のこと、教えて」

 

 答えられなかった。代わりに、写しかけた経の頭の四句を見た。

 

 我昔所造諸悪業(がしゃくしょぞうしょあくごう)。皆由無始貪瞋癡(かいゆうむしとんじんち)。従身語意之所生(じゅうしんごいししょしょう)。一切我今皆懺悔(いっさいがこんかいさんげ)。

 

 昔、俺がやった悪いことは全部、自分の体と口と心から出た。それを今、全部打ち明ける。そんな感じの経だ。

 

 昔を今に取り戻せたらいいのに、と静は歌った。誰の昔か、今なら分かる。

 

 俺は義経の手を取った。

 

「え、なに!?」

「ここじゃ、話せねえ」

 

 片手に灯りを掴み、手を引いたまま寺の奥の一畳ほどの小部屋へ連れていく。肩が両側の壁につかえて、膝と膝がぶつかった。誰にも聞かれず、俺が逃げ出せない部屋をわざと選んだ。

 

「俺は、この世の人間じゃねえ」

 

 義経は少しの間、俺を見ていた。

 

 話した。八百年先から来たこと。五条の橋の上で、気がついたらこの体だったこと。八百年先の世には、もう戦がないこと。

 

「戦が、ないの?」

「ねえよ。少なくとも、俺のいた国には」

「じゃあ、なんで」

 

 義経の目が俺の左肩に落ちた。

 

「なんで、あんなふうに前に立てるの」

 

 どう言えばいいのか、しばらく考えた。

 

「前の世には、戦の真似をする遊びがあった。何十人も集まって、化け物を倒す。誰も本当には死なねえ」

「戦が、遊び……?」

「俺の役目は、一番前に立って、仲間の代わりに殴られることだった。うまく受けると、みんなが褒めてくれた。呼び名は、肉壁だったけどな」

 

 義経は口を半分開けていた。

 

「俺は、その遊びの外じゃ誰からも必要とされなかった。褒められたことなんかねえ。だからずっと、夜が明けるまで遊びの中にいた」

 

 言ってから、喉が痛くなった。

 

「こっちに来たばかりの頃も同じだった。死ぬのはここじゃないと知ってたから、山道でも、宿の廊下でも、怖くても前に出られた」

「……だから、死ぬ場所を知ってるみたいな言い方だったんだ。『俺はまだ死なない』って」

 

 義経の膝の上で、拳が固くなった。

 

「僕が、あんなに怖かったのに。僕、毎回、弁慶が死ぬと思って」

「悪かった」

 

 義経の手が振り上がり、平手が頬で鳴った。

 

 頬が熱くなった。叩いた義経の手のひらの方が、赤くなっていた。

 もう一度謝ろうとして、やめた。まだ、一番悪いことを言っていない。

 

「前の世で知ってた武蔵坊弁慶は、奥州で、主君を庇って、立ったまま死ぬ。誰に殺されるのかは知らねえ。だから、北が嫌だった。西へ行くって言ったのも、それだ。お前を、海に沈めかけた」

 

 そこで一度、言葉が切れた。

 

「奥州で、俺は死ぬ。お前も、だ」

 

 義経は長いこと何も言わなかった。それから、頬を打った手を握って俺の胸を一度叩いた。

 

「怒ってる」

「ああ」

「すごく怒ってる。山道の分も、廊下の分も、篝火の分も、全部!」

 

 もう一度叩かれても避けなかった。拳は胸に当たったまま止まった。

 

「弁慶は、前に立ってる時しか、自分のこと要るって思えないんだね」

 

 言い返せなかった。

 

「僕も、言ってないことがある」

 

 義経が顔を上げた。

 

「僕は……俺(・)は、五条の橋で弁慶を拾った時、駒にしようと思ってた。父上が負けた時、俺の代わりに死んだ人たちがいた。だから、もう誰も連れて行かないって決めてた。でも、奥州へは一人じゃ行けない。だから、失っても構わない駒にした。握り飯二つで買えた。安い買い物だって、思ってた」

 

 義経の言葉は止まらず、声だけが途中から細くなっていった。

 

 灯りの火が、一度だけ揺れた。

 

「最初の握り飯二つ、あれはこの世界に来て初めて食ったもんだ。忘れるわけがねえ。お前の腹の音もな」

「だから、あんなにがっついてたんだ」

 

 義経が噴き出した。噴き出したまま、目から涙が落ちた。

 

「僕が見てた弁慶はね、僕の前に立ってる弁慶じゃない。一緒にご飯を食べて、一緒に歩いて、一緒にお昼寝して……そして、髪を梳いてくれてる弁慶だよ」

 

 小さな手のひらが、俺の胸に当たった。

 

「まだ、すごく怒ってるんだからね」

 

 そう言いながら、義経は俺の胸に額を押しつけてきた。腕を回すと、細い背中も、俺の腕も、一緒に震えていた。

 

「チビたちには、言うなよ。お前の俺(・)も、黙っとく」

「うん。僕と弁慶だけの秘密」

 

 

 

     * * *

 

 

 

 男が、眠っていた。

 

 一畳の部屋で俺を腕に抱えたまま、口を半分開けている。全部しゃべり終えたら、子供みたいにすとんと眠ってしまった。

 

 懐から鏃(やじり)を出した。京を出た日の山道で、この男の肩から抜いたものだった。

 死なないと知っていたから前に立てた、とこの男は言った。だが、それだけであの痛さの前に立てるのか。

 

 寝顔に手を伸ばして、俺が打った方の頬に触れた。まだ少し熱かった。

 

 その腕の中に潜り直して目を閉じた。一畳の部屋は、二人で横になるには狭すぎた。それで、よかった。

 

 帳面を持った鎌倉の侍を見たという噂は、遠くの村から、だんだん近くの村へと移ってきた。鏃を懐に入れたまま吉野で二度目の年を越し、山の雪が固くなった頃、斥候に出ていたチビが戻ってきた。雪を払いもせずに、囲炉裏の前の俺に膝をつく。

 

「九郎様。西の浜も、熊野の道も、囲まれておりまする」

 

 チビが報告を終え、麓で手に入れてきた干し柿を一つずつ皆に配った。弁慶が立って、受け取った柿を板の間に置いた。

 

「ヒゲの分だ。今日で、二年だろ」

 

 チビが顔を上げた。

 

「覚えておいででしたか」

「忘れるかよ」

 

 弁慶は干し柿の前に座って、頭から経を上げ始めた。低い声が板の間に広がり、経は一度もつかえずに続いていく。囲炉裏の火がはぜても、声は止まらない。チビが鼻をすすっていた。ヒゲがいたら、さすが武蔵坊殿、と顎を撫でただろう。

 

 経が終わった時、俺は泣いていた。伸びてきた弁慶の腕に引き寄せられると、弁慶も泣いていた。

 

 泣き止んだあと、囲炉裏の灰に指で国の形を描いた。

 

 西には何もない。平家を討った判官を、鎌倉に逆らってまで匿う者はいない。九州の浜で、いずれ誰かに売られる。この寺に籠もっていれば、坊主たちごと焼かれる。兄上と並ぶだけの兵と金を持ち、院にも鎌倉にも首を振れるのは、奥州の秀衡殿だけだ。

 

 ——奥州で、俺は死ぬ。お前も、だ。

 

 一畳の部屋で聞いた声が、灰の上の指を止めた。

 弁慶が俺の手元を覗き込み、北で止まった指を見て、それから俺を見た。

 

「義経。言ってくれ」

 

 奥州で死ぬと最初から知っていたのは、この男の方だ。知っていて、言えと言っている。

 懐の鏃を着物の上から押さえて、息を吸った。

 

「北へ行こう」

 

 弁慶が頷いて、灰の上の俺の指に自分の指を重ねた。

 

 だが、囲まれている山からどう行けばいい。重ねた指が、灰の上でまた止まった。

 

 チビが膝を進めた。

 

「拙者に、いい考えがございまする」

 







 モデルは吉水神社の弁慶思案の間。当時は吉水院というお寺だったようです。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。