転生弁慶、仁王立ちで庇うたびに女装ショタ上司が曇っていく 作:なほやん
吉野の山寺の門前で、
「この寺なら判官殿を匿ってくれる。けど、ここから先は女人禁制なんだ」
「大丈夫だぞ。こいつらこう見えて男だから」
「違う。ボクが入れないんだ」
「へ?」
静は眉一つ動かさずに俺を見上げた。
「ボクは男の装束で舞う白拍子。京の者なら子供でも知っているよ」
俺は静の顔を見て、腰の太刀を見て、もう一度顔を見た。
「お前、女だったのか!?」
静が笑い、義経も吹き出した。
「気が付いてなかったのー? ざーこ♡」
「お前が言うな、メスガキ!」
美少女かと思えば男、美少年かと思えば女。まったくどうなってんだ、この世界は。
寺では、俺は坊主見習いということになった。チビは寺男に、与一は弓を隠して下働きに。義経は女物の小袖を脱いで、稚児の顔で門をくぐった。静には、坊主たちが判官殿のためならと目をつぶってくれた。
屋島の陣屋では、
「経を教えてくれ。一つでいいから、最後まで読めるようになりてえ」
坊主は俺の頭をしばらく眺めていた。
「頭だけはもう立派な坊主ですな。いいでしょう」
朝は暗いうちに起きて、読めない経に口だけ動かした。夜は宿坊の狭い部屋で灯りの下に経を広げ、一字ずつ書き写して、聞いた読みを横に書きつけていく。
義経が俺の膝に頭を乗せてきた。
「ハゲのくせにまじめー♡」
「ちゃんと勉強してるんだよ!」
戸の隙間から三人が覗いていた。
「よい雰囲気でございまするな」
「九郎様だけずるーい! 私も膝枕してほしい♡」
「邪魔をしてはいけないよ、与一くん。こういうのは、そっと見守るものさ」
「覗いてる時点で邪魔なんだよ!」
戸が閉まった向こうで、三人分の笑い声がした。義経はくすくす笑って、そのうち膝の上で寝息を立て始める。俺は灯りの油が尽きるまで、膝を動かさないように一字ずつ写経を続けた。
春の晩、坊主たちが寝静まったあとの本堂で、静が板の間に立った。開け放した戸の向こうは、谷の底から尾根の上まで桜で埋まっていて、月を受けて夜なのに白い。風が渡るたびに花びらが戸口を越えて、板の間まで流れてくる。
「吉野の山の桜は千本あるそうだよ。数えた者はいないけどね」
静は足元の花びらを一枚拾って、指先で回した。
義経が錦の袋を静に差し出した。
「この鼓あげる。僕は打たないから」
受け取った鼓を肩に構えて静が一つ打つと、ぼすっ、と湿った音がした。
「水を吸っているようだね」
「海に落ちたからね」
静は笑って鼓を床に置き、扇を開いて声だけで歌いながら舞った。袖が返り扇が流れるたびに、板の間の花びらがふわりと浮いて、また静の足元へ降りていく。
「しづやしづ しづのをだまき くり返し 昔を今に なすよしもがな」
意味は分からないのに、肌が粟立った。
「どういう歌だ」
「昔を今に取り戻せたらいいのに、という歌さ」
「……誰の昔だよ」
「聞くキミ次第さ」
静の目が一瞬だけ義経の方へ向いた。義経は静を見ずに、俺の顔を見ていた。
静が本堂を出ていったあと、宿坊の部屋で写しかけの経を広げた。板戸の向こうから、チビのいびきが聞こえる。灯りの向こうで、義経が膝を抱えていた。
「ねえ、弁慶。なんで、北に行きたがらないの」
息が、詰まった。
「北には秀衡殿がいる。次郎もいる。弁慶だって、平泉は好きだったでしょ」
「……北は、寒いからだ」
義経は俺を見なかった。
「本当のこと、教えて」
答えられなかった。代わりに、写しかけた経の頭の四句を見た。
昔、俺がやった悪いことは全部、自分の体と口と心から出た。それを今、全部打ち明ける。そんな感じの経だ。
昔を今に取り戻せたらいいのに、と静は歌った。誰の昔か、今なら分かる。
俺は義経の手を取った。
「え、なに!?」
「ここじゃ、話せねえ」
片手に灯りを掴み、手を引いたまま寺の奥の一畳ほどの小部屋へ連れていく。肩が両側の壁につかえて、膝と膝がぶつかった。誰にも聞かれず、俺が逃げ出せない部屋をわざと選んだ。
「俺は、この世の人間じゃねえ」
義経は少しの間、俺を見ていた。
話した。八百年先から来たこと。五条の橋の上で、気がついたらこの体だったこと。八百年先の世には、もう戦がないこと。
「戦が、ないの?」
「ねえよ。少なくとも、俺のいた国には」
「じゃあ、なんで」
義経の目が俺の左肩に落ちた。
「なんで、あんなふうに前に立てるの」
どう言えばいいのか、しばらく考えた。
「前の世には、戦の真似をする遊びがあった。何十人も集まって、化け物を倒す。誰も本当には死なねえ」
「戦が、遊び……?」
「俺の役目は、一番前に立って、仲間の代わりに殴られることだった。うまく受けると、みんなが褒めてくれた。呼び名は、肉壁だったけどな」
義経は口を半分開けていた。
「俺は、その遊びの外じゃ誰からも必要とされなかった。褒められたことなんかねえ。だからずっと、夜が明けるまで遊びの中にいた」
言ってから、喉が痛くなった。
「こっちに来たばかりの頃も同じだった。死ぬのはここじゃないと知ってたから、山道でも、宿の廊下でも、怖くても前に出られた」
「……だから、死ぬ場所を知ってるみたいな言い方だったんだ。『俺はまだ死なない』って」
義経の膝の上で、拳が固くなった。
「僕が、あんなに怖かったのに。僕、毎回、弁慶が死ぬと思って」
「悪かった」
義経の手が振り上がり、平手が頬で鳴った。
頬が熱くなった。叩いた義経の手のひらの方が、赤くなっていた。
もう一度謝ろうとして、やめた。まだ、一番悪いことを言っていない。
「前の世で知ってた武蔵坊弁慶は、奥州で、主君を庇って、立ったまま死ぬ。誰に殺されるのかは知らねえ。だから、北が嫌だった。西へ行くって言ったのも、それだ。お前を、海に沈めかけた」
そこで一度、言葉が切れた。
「奥州で、俺は死ぬ。お前も、だ」
義経は長いこと何も言わなかった。それから、頬を打った手を握って俺の胸を一度叩いた。
「怒ってる」
「ああ」
「すごく怒ってる。山道の分も、廊下の分も、篝火の分も、全部!」
もう一度叩かれても避けなかった。拳は胸に当たったまま止まった。
「弁慶は、前に立ってる時しか、自分のこと要るって思えないんだね」
言い返せなかった。
「僕も、言ってないことがある」
義経が顔を上げた。
「僕は……
義経の言葉は止まらず、声だけが途中から細くなっていった。
灯りの火が、一度だけ揺れた。
「最初の握り飯二つ、あれはこの世界に来て初めて食ったもんだ。忘れるわけがねえ。お前の腹の音もな」
「だから、あんなにがっついてたんだ」
義経が噴き出した。噴き出したまま、目から涙が落ちた。
「僕が見てた弁慶はね、僕の前に立ってる弁慶じゃない。一緒にご飯を食べて、一緒に歩いて、一緒にお昼寝して……そして、髪を梳いてくれてる弁慶だよ」
小さな手のひらが、俺の胸に当たった。
「まだ、すごく怒ってるんだからね」
そう言いながら、義経は俺の胸に額を押しつけてきた。腕を回すと、細い背中も、俺の腕も、一緒に震えていた。
「チビたちには、言うなよ。お前の
「うん。僕と弁慶だけの秘密」
* * *
男が、眠っていた。
一畳の部屋で俺を腕に抱えたまま、口を半分開けている。全部しゃべり終えたら、子供みたいにすとんと眠ってしまった。
懐から
死なないと知っていたから前に立てた、とこの男は言った。だが、それだけであの痛さの前に立てるのか。
寝顔に手を伸ばして、俺が打った方の頬に触れた。まだ少し熱かった。
その腕の中に潜り直して目を閉じた。一畳の部屋は、二人で横になるには狭すぎた。それで、よかった。
帳面を持った鎌倉の侍を見たという噂は、遠くの村から、だんだん近くの村へと移ってきた。鏃を懐に入れたまま吉野で二度目の年を越し、山の雪が固くなった頃、斥候に出ていたチビが戻ってきた。雪を払いもせずに、囲炉裏の前の俺に膝をつく。
「九郎様。西の浜も、熊野の道も、囲まれておりまする」
チビが報告を終え、麓で手に入れてきた干し柿を一つずつ皆に配った。弁慶が立って、受け取った柿を板の間に置いた。
「ヒゲの分だ。今日で、二年だろ」
チビが顔を上げた。
「覚えておいででしたか」
「忘れるかよ」
弁慶は干し柿の前に座って、頭から経を上げ始めた。低い声が板の間に広がり、経は一度もつかえずに続いていく。囲炉裏の火がはぜても、声は止まらない。チビが鼻をすすっていた。ヒゲがいたら、さすが武蔵坊殿、と顎を撫でただろう。
経が終わった時、俺は泣いていた。伸びてきた弁慶の腕に引き寄せられると、弁慶も泣いていた。
泣き止んだあと、囲炉裏の灰に指で国の形を描いた。
西には何もない。平家を討った判官を、鎌倉に逆らってまで匿う者はいない。九州の浜で、いずれ誰かに売られる。この寺に籠もっていれば、坊主たちごと焼かれる。兄上と並ぶだけの兵と金を持ち、院にも鎌倉にも首を振れるのは、奥州の秀衡殿だけだ。
——奥州で、俺は死ぬ。お前も、だ。
一畳の部屋で聞いた声が、灰の上の指を止めた。
弁慶が俺の手元を覗き込み、北で止まった指を見て、それから俺を見た。
「義経。言ってくれ」
奥州で死ぬと最初から知っていたのは、この男の方だ。知っていて、言えと言っている。
懐の鏃を着物の上から押さえて、息を吸った。
「北へ行こう」
弁慶が頷いて、灰の上の俺の指に自分の指を重ねた。
だが、囲まれている山からどう行けばいい。重ねた指が、灰の上でまた止まった。
チビが膝を進めた。
「拙者に、いい考えがございまする」
モデルは吉水神社の弁慶思案の間。当時は吉水院というお寺だったようです。