転生弁慶、仁王立ちで庇うたびに女装ショタ上司が曇っていく 作:メスガキ(♂)
武蔵坊弁慶。
源義経に仕えた怪力無双の
「俺、死ぬじゃん」
「何が?」
「うおっ!?」
顔を上げると、牛若丸がいた。
昨夜、俺を散々に打ち負かした女装美少年は、橋の欄干に腰掛け、何がおかしいのかにやにやしながらこちらを見ている。
夜が明けてみれば、ここが俺の知っている時代ではないことは嫌でも分かった。川沿いには板や
俺はどうやら、本当に武蔵坊弁慶になったらしい。
問題は、弁慶についてほとんど知らないことだった。
橋で牛若丸に負けて家来になる。最後は、さっきの立ったまま死ぬやつ。場所は……たしか奥州だった。
以上。
俺、歴史知識なさすぎない?
日本史の試験で習った記憶もない。前世の俺にとって弁慶とは、ゲームに出てくれば大柄な僧兵で、だいたい筋力と防御力が高く設定されている人だった。まさか自分がなるとは思わなかった。
「朝からぶつぶつ言って、気持ち悪いハゲ」
「お前は朝から口が悪いな!」
「昨日は『あなた様』だったのに」
「あれは気の迷いだ」
ついでに橋の
刀の山が、低い。
昨夜は九百九十九本あったはずの太刀が、どう見ても半分を切っている。橋を渡っていく物売りの腰に、やけに立派な太刀が差さっていた。
「盗られてるね、ハゲ」
「盗品だしどうせ持ち歩けないし、まあいいさ」
千本目どころか、一晩で五百本は減った。実績はリセットである。
牛若が欄干から飛び降りた。
昨夜と同じ、女物の派手な
「それで、何が死ぬの? 毛根?」
「剃ってんだよ!」
牛若は俺の頭をしげしげと眺めると、何を思ったのか手を伸ばしてきた。そのまま遠慮なく頭頂部を
「おお。つるつる」
「人の頭で遊ぶな」
「朝日が反射してる」
「やめろ!」
手を払おうとすると、するりと逃げられた。昨日から俺を完全に
だが、その牛若丸も最後には死ぬ。
源義経についてなら、弁慶よりはいくらか知っていた。平家をやっつけた英雄で、なぜか兄貴と仲が悪い。最後は奥州あたりへ逃げて死ぬ。順番も年代も知らないが、終わり方だけは有名だ。
「じろじろ見ないでよ。いやらしい」
「お前から人の頭を撫でてきただろうが!」
牛若はけらけら笑った。
まだ十五、六。
歴史上の人物として知っていたときには、何とも思わなかった。
「さっきからじろじろ見て、変なの」
牛若は首を
匂いがした。
竹の皮ごしでも分かる、米の匂いだった。
「食べる?」
「くれるのか」
手を伸ばす。
引っ込められた。
「僕の家来になるなら」
「お前なあ!」
「いらない?」
腹が鳴った。
転生してから何も食べていない。しかも、この巨体である。昨夜から腹の底が空っぽになったような感覚はあったが、食べ物を目の前に出されると急に耐え難くなった。
「卑怯だぞ」
「じゃあ、いらないんだ」
「いる」
「家来になる?」
どうせ歴史は、そうなると決まっている。
それに、腹が減っていた。
「なる」
牛若は満足そうに笑って竹の皮を寄越した。
開けば、中には握り飯が二つ入っている。塩を振っただけの簡素なもので、具も何も入っていない。
一つ目を口へ運んだ瞬間、頭の芯が痺れた。
うまい。
米の甘さと塩気だけが、腹の底まで真っ直ぐ落ちていく。前世で食ったどんな飯よりも確実にうまかった。気がつけば二つ目にも手が伸びていて、味わう間もなく飲み込んでいた。
「お前の分は?」
「もう食べたよ。その身体なら二つでも足りないでしょ」
そうか、と頷きかけたところで、小さな音がした。
きゅう、と。
音の出どころは、目の前の腹である。
牛若はぴたりと動きを止め、それから何事もなかったような顔で明後日の方を向いた。耳まで赤い。
「今の、川の音だから」
「川はそんな音しねえだろ」
「川の音なの」
そういうことにしておいてやることにした。
「そういえばムキハゲ、名前は?」
前世の名前を名乗るべきなのかとも思ったが、俺が本当にあの武蔵坊弁慶なら、答えは一つしかない。
「武蔵坊弁慶」
口にすると、妙にしっくりきた。昨日まで一度も名乗ったことがないはずなのに、昔から自分の名前だったように舌へ馴染む。
「ハゲの方が覚えやすいね」
また笑う。
腹立たしいのだが、不思議と嫌ではなかった。
「ねえ、本当に家来になるの?」
「握り飯食っちまったからな」
「僕がどこへ行っても?」
「どこ行くんだよ」
「平泉」
平泉……?
知らんな。
俺が死ぬのは、たしか奥州だ。平泉ではない。
なら平泉は安全だな!
「どこだ、それ」
「遠いよ。歩いてひと月くらい」
握り飯の礼を言おうとしていた口が、そのまま止まった。
新幹線はない。つまり歩きでひと月か。
「遠くね?」
「うん。だから聞いてるんだけど」
牛若はこちらを見ずに言った。
声が平たかった。さっきまで人の頭を叩いて笑っていた子供と、同じ喉から出ているとは思えない。
試されている、と気づくのに少しかかった。ここで俺が渋れば、こいつはたぶん笑って、一人で行く。
お前はいずれ死ぬ、と言ったところで、こいつは行くのをやめないだろう。俺が未来から来たと言って通じる相手が、この世にいるとは思えなかった。
言えることはないが、できることは一つだけある。
敵の前に立つことだ。
どうせ当分は死なないのだ。死なない奴が殴られ役をやるのが、パーティーとして一番効率がいい。
「どこへ行っても、俺がお前を守る」
「え、急に真面目で怖いんですけど」
「うるせえ」
少し間があった。
「弁慶、ありがとう」
牛若が初めて、名を呼んだ。
俺はため息をつき、その小さな頭へ大きな手を置く。昨日散々こちらの頭を叩いた仕返しに、髪がぐしゃぐしゃになるくらい撫で回してやった。
「わっ、ちょっと! やめろ!」
牛若が俺の腕を振りほどこうとする。もちろん本気を出されたら逃げられるのだろうが、今は本気で嫌がっているわけでもないらしい。
なら、まあ。
このクソ生意気な女装ショタ上司に付き合ってやるのも悪くない。
「で、いつまで女の格好なんだ?」
家来になって最初の仕事は、主人の荷物持ちだった。京の町外れを抜けると家並みはまばらになり、道は山へ向かって細くなっていく。
俺の肩には
「変?」
牛若が足を止め、両手を広げた。
山道だというのに、色鮮やかな裾が少しも乱れていない。石を踏んでも、ぬかるみを跨いでも、足音がほとんどしなかった。昨夜、俺をいいように転がした足である。見た目だけなら、どう見ても姫君の山歩きなのだが。
「変じゃねえよ。似合ってる」
両手が、ゆっくり下りた。
そのまま袖で口元を隠し、牛若はぷいと前を向いて歩き出す。
「ふうん」
何か気に障ったのだろうか。褒めたつもりだったのだが。
ふと、背後で砂利の擦れる音がした。振り返りかけると、今度は道の脇で枝が鳴る。牛若も足を止めていた。俺たちのほかに、誰かいる。それも、一人じゃない。
「——