転生弁慶、仁王立ちで庇うたびに女装ショタ上司が曇っていく 作:なほやん
「拙者が、九郎様になりまする」
チビは義経が灰に描いた地図の、京の上に指を置いた。
「九郎様の小袖を着て、京へ下りまする。判官が京に出たと聞けば、追っ手はそちらへ寄りましょう。その間に、本物の九郎様が北へ抜ける」
「だめだ、チビ! 囮なら俺がやる!」
「武蔵坊殿が離れて、誰が九郎様の隣に立つのでござるか」
返す言葉を探しているうちに、与一が灰の地図を覗き込んだ。
「囮役は多い方がいいね。私は東。伊賀を抜けて、そのまま下野まで逃げちゃう。那須の家の者に、鎌倉もそう簡単には手を出せないよ」
「与一、なんでお前まで!?」
「私の方が九郎様より可愛いって、証明してあげる♡」
与一が笑うと、静が扇の先で、残った吉野の奥をとんと突いた。
「なら、ボクも行こう。捕まったら、鎌倉殿の前だろうと舞ってみせよう」
「だめだよ! 静がなんで!」
静は義経を見て、それから俺に目をやった。
「ボクの好きな人が、好きな人と生きていく。十分な理由だろう?」
義経が俺の方を見かけて、慌てて目を逸らした。俺も、何も言い返せなかった。
与一が、明るい声で付け足した。
「それに、偽物だって分かれば殺されはしないでしょ」
嘘だ。判官を名乗って逃げた者を鎌倉が生かしておくはずがない。義経の膝の上の拳が白くなっていた。
「
「存じておりまする。兄上の手を握っておりましたのは、拙者にござりますゆえ」
チビは灰から指を上げて、まっすぐ義経を見た。
「兄上は、半歩前に立ちました。拙者も九郎様の前に立ちとうござりまする」
前に立つな、と言いかけて、やめた。俺が何度そう言われて、何度聞かなかったか。
義経は長いことチビの顔を見ていた。やがて拳をほどくと、チビの前に膝をついた。
「生きて帰って」
それから与一と静にも向き直って、深く頭を下げた。
「三人とも、本当にありがとう。でも、死ぬのは許さないからね。これは、命令だよ」
顔を上げた義経の頬は濡れていた。
「けどよ、判官だけでうろついてたら、かえって怪しまれるぞ。俺役はどうする」
板戸の向こうで聞いていたらしい寺の年寄りが、顔を出した。
「それは私どもにお任せくだされ。南都の大仏を焼いた平家を討ってくだすったのは、判官殿でございます。これくらいの功徳は、積ませてくだされ」
義経と並んで、年寄りに深く頭を下げた。
年寄りは偽の弁慶になる坊主を三人と、俺の分の山伏の
義経が櫛を持ってきた。
「最後に、梳かして」
一ノ谷の翌朝から毎朝そうしてきたように、背中を向けて座った義経の髪に櫛を入れた。
櫛はもうどこにも引っかからない。引っかからないのに、手が止まらなかった。毛先まで通しては、また頭のてっぺんから入れる。
「もういいよ、弁慶」
渡された小刀を持ち、うなじの上で髪をひとつにまとめて握って、刃を当てる。刃物を握れなかった手は、今日は震えなかった。それなのに、刃が動かなかった。目の前が滲んだ。
「泣いてる?」
「泣いてねえ」
切った。
手の中に残ったひと束は、思っていたより軽かった。
義経が短くなった頭を一度振ると、うなじが急に白く見えた。それから、さっき俺が床に置いた櫛を拾って、懐にしまった。
「似合う?」
「ああ。似合う」
大丈夫。ベリショの美少女だ。
まだ暗いうちに、義経は宿坊の行李から俺が京の市で買った青い小袖を出して、壇ノ浦で裂けた袖を継いだまま畳み、チビの膝に置いた。
「これ、貸すだけだからね。奥州で返して」
「お預かりいたしまする」
切った髪の束は、義経が自分の手でチビの髷に結わえつけた。化粧をして青い小袖を着せてみれば、チビも女にしか見えなかった。
義経はチビの脱いだ男物を着て、顔に泥を塗った。俺は大薙刀を偽の弁慶の一人に預け、兜巾をかぶって篠懸を着る。山伏と
夜明け前、寺の門で四手に分かれた。
「奥州の
義経の指が、俺の袖の端を掴んだ。
チビが懐から、ヒゲが奥州の母上に届けたがっていた茶色の反物を出して、俺の手に押しつけた。
「お前が持ってけ。お前の母ちゃんには、お前が渡せ」
そう言って押し返そうとした俺の手を、チビは両手で包んで止めた。その指は震えていた。
「拙者は手ぶらの方が、九郎様らしく逃げられまする。必ず、会いましょう」
「……わかった。待ってるぞ。必ず生きて奥州に来い!」
静は白い水干を脱いで女物の小袖を着て、腰にあの湿った鼓を提げていた。
「どう、判官殿。ボクに似合ってる?」
「うん。似合ってる」
義経にそう言われて、静は少しだけ笑った。
「武蔵坊殿。判官殿を泣かせたら、ボクが攫いに来るよ」
最後に、与一が俺の袖を引いた。
「弁慶さん。九郎様と喧嘩したら、いつでも私のとこに来てね♡」
「行かねえよ」
「知ってるよ。お幸せにね♡」
与一が背伸びをして、俺の頬に唇を当てた。
「なっ——」
「何してんの——」
俺と義経の声が重なって、与一は声を立てて笑った。
チビは京へ、静は吉野の奥へ、与一は東の伊賀へ。三組は一度も振り向かずに、三方の坂へ消えた。見えなくなっても、義経は俺の袖を離さなかった。手の中の反物が急に重くなった。
俺と義経は北へ歩き出した。
* * *
吉野を出て、北へひたすら歩いた。追っ手の目をよけて山道ばかり選んだので、近江の湖の東を抜けて越前の山を越えるまでに、半月かかった。一歩ごとに、俺が死ぬと知っている奥州が近くなる。三人の消息はどこからも聞こえてこなかったが、歩きながら三人の無事をずっと祈っていた。
加賀の
踏み固めた雪の上に柵が立ち、その前に兵が並び、
「次の者、前へ」
「我らは、東大寺の大仏の勧進に回る山伏にござる。通していただきたい」
「勧進なら、勧進帳があろう。読んでみよ」
勧進帳なんて、持っていない。あるのは、吉野で写経に使った紙の残りだけだ。義経の背の笈から、まっさらな写経の紙の巻を掴み出して広げると、白い紙が雪の光を返した。吉野の門前で毎日聞いた口上を、腹の底から引っ張り出した。
「それ、つらつら
唱え終えた俺を、富樫はしばらく見ていた。
「問う。その
「五つの智慧を、頭に戴くしるし。仏の冠にござる」
「錫杖は」
「鳴らして、山の獣を退け、眠る者の迷いを覚ます」
錫杖を一度鳴らすと、雪の上に澄んだ音が広がった。
「見事。通られよ」
富樫の声に、兵たちが柵の前から退いて道を空けた。
重い笈に振られて、踏み出した義経の足が凍った雪に滑った。
俺の手が、勝手に出ていた。倒れかけた義経を支え、肩からずれた笈を受け止めて、そのまま自分の肩に担いでいた。
「待て。山伏が荷を担いで、強力が手ぶらか?」
帳面の男が床几から立ち上がり、歩いてくる。義経の顔を見られたら終わりだ。ならば荷も担げない下男を叱りつける主人に見せなければいけない。
「荷も満足に担げねえのか、この役立たずが!」
支えたばかりの義経へ、腹の底から怒鳴りつける。
笈を地面に放ると、義経が雪の上に膝をついた。
「お許しを」
義経は顔を雪の方へ伏せたまま、差し出すように俺に背中を向けた。
三歩先から帳面の男がこっちを見ている。
打つしかない。打たなきゃ、ここで二人とも終わる。
錫杖を振り上げた。
吉野で俺が髪を切ったうなじと、毎朝その髪を梳いてきた背中が、錫杖の下にあった。
振り抜いた錫杖が鈍く鳴った。義経は声を上げなかった。
男は、まだ見ている。
さっきより強く振り抜くと、痺れが柄から手に返ってきた。
目の奥が熱くなって、奥歯を噛んだ。泣くな。ここで泣いたら、全部ばれる。
男がもう一歩前に出る。
三度目を振り下ろした。義経の肩が、雪の上で一度だけ震えた。
「お見苦しいところを、お見せいたした」
俺は笈を拾って義経の背中に担がせ、富樫に深く頭を下げた。
「もうよい。行け」
「待て」
帳面の男が、なおも一歩踏み出した。
「坊主が下男を打つのを見てまだ疑うか。鎌倉殿の目はずいぶん暇と見える」
富樫が片手を振った。
「通られよ」
* * *
山の中で見つけた無人の炭焼き小屋に転がり込み、囲炉裏に火を入れた。戸の外では、雪の落ちる音ばかりがしていた。義経の背中には、打った痕が三本、赤く腫れている。布を濡らして黙って当てても、義経は声も上げなかった。
「悪かった。本当に、悪かった」
「謝らないで」
手が止まった。
「よく泣かなかったね、弁慶。ありがとう」
「違う! それは、俺の台詞だ!」
言った途端に、関でこらえていた涙が、全部こぼれた。義経がこっちを向いて座り直すと、短くなった髪が火の色に光った。
謝る代わりに俺が言うべきことはなんだ。
わかっている。守る、じゃ足りない。ずっと足りなかった。
「義経、お前が好きだ」
義経が濡れた目を細めて笑った。
「……遅いよ、弁慶」
その頭を正面から胸に抱き寄せた。背中まであったはずの髪を探した手が、短くなった髪の下のうなじに触れた。
第四部 完
皆様からのコメントを見返して毎日一人でニヤニヤしております! 本当にありがとうございます!
次章はとうとう奥州再び。二人の行く末をぜひ見届けてください!