転生弁慶、仁王立ちで庇うたびに女装ショタ上司が曇っていく   作:なほやん

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第五部 平泉(二)
第二十一話 二人


 

 安宅の関を越えてから、北の海沿いを歩いた。越後の浜でも出羽の山でも、寺の軒を借りるたびに外の足音を数えて、浅く眠った。強力(ごうりき)の笈(おい)を背負った義経は、人の目のある所では一言も口をきかず、人のいない山道でも笈だけは俺に渡さなかった。

 

 板谷(いたや)の峠を越えれば奥州だ。俺の死に場所だと知っている国に、今度は自分で選んで入る。峠の上で義経が俺の袖を一度だけ引いて、すぐに離した。返事の代わりに、義経の半歩前へ出た。

 

 峠を東へ下りきった夕暮れに、継信(ヒゲ)と忠信(チビ)が生まれた信夫(しのぶ)の里へ着いた。チビとはここで落ち合う約束をしている。北へ回った俺たちの方が先に着いたはずだ。

 

 義経が自分の袖を見下ろして、それから俺を見上げた。

 

「僕たち、どろどろだね」

 

 笑った義経の頬で、乾いた泥がひび割れた。こんな格好でヒゲとチビの母上に会うわけにはいかない。ふと見ると、雪の残る川岸から白い湯気が立ち上っている。岩の間をのぞくと、湯が湧いていた。夕暮れの湯には、誰もいない。山伏の装束を岩に掛けて身を沈めると、安宅から歩き通した足の裏がじんと痺れて、峠からずっとこわばっていた肩がやっと下りた。

 

「入るよ」

 

 振り向きかけた首を岩の方へ戻すと、後ろで帯をほどく音がした。泥で固まった着物を岩に掛ける音まで、やけに大きく聞こえる。

 

「一緒にか」

「今さら隠すとこある?」

 

 声だけはいつもの調子なのに、湯に入ってくる水音はずいぶんゆっくりだった。義経が俺から腕一本ぶん離れた所に沈み、肩まで浸かってから俺の顔を横から覗き込む。

 

「顔、赤いね♡」

「お前も赤いぞ」

「……湯のせいだもん」

 

 義経の目が湯の中へ下りた。

 

「やっぱり、おっきいね♡」

「見んな!」

 

 頭まで湯に潜った。息が続かなくなって浮き上がると、義経は口まで湯に沈んだまま、目だけで笑っていた。それから手が伸びてきて、俺の頭を撫でる。

 

「月が出た」

「お前が剃ったんだろ!」

 

 義経のすくった湯が、俺の頭から額へ、鼻へと流れ落ちた。

 

「何すんだ」

「磨いてる。よく光るように」

 

 義経はけらけら笑いながら、いつの間にか腕一本の間を詰めていた。

 

「チビと会ったら、あの青い小袖、ちゃんと返してもらえよ」

「うん。継ぎ目、ほつれてないといいな」

 

 義経は顎まで湯に沈んだ。

 

「与一がいたら、絶対一緒に入ってきてたね」

「来ても追い出す。今ごろ下野で威張ってんだろ」

「静は?」

「俺がお前を泣かせたら、攫いに来るんだとよ」

「じゃあ、泣かせないでね♡」

 

 義経は湯を掻き分けて、俺の後ろへ回った。

 

「背中、流してあげる」

「頼む」

 

 後ろで湯の音が止んだ。しばらくして、手のひらが肩甲骨のあたりに当たった。ゆっくり、上から下へ動いていく。

 

「ここ」

 

 後ろから義経の指先が左の肩を押した。

 

「京を出た日の山道。初めての矢」

 

 振り返ると、義経が湯の縁から腕を伸ばして、岩に掛けた自分の着物の懐を探っていた。戻ってきた手のひらに、錆びた鏃(やじり)が一つ載っている。

 

「その時の」

「なんでそんなもん持ってんだ!?」

「お守りだもん」

 

 義経が鏃を懐へ戻した。俺が岩へ向き直ると、指がまた背中に置かれ、肩から二の腕へ下りた。

 

「ここは宇治川。七本の最後の一本で、いちばん深かった」

 

 右手を取られて、手のひらを上に向けられた。

 

「ここは、平泉の篝火」

 

 後ろから腕が回ってきて、背中いっぱいに湯より熱いものがくっついた。息を詰めると、指があばらの上で止まった。

 

「ここは一ノ谷。骨だから、見えないけど」

 

 腕がほどけて、指が背中の真ん中へ戻った。

 

「ここは、鏡宿(かがみのしゅく)の痣があったとこ」

 

 声が少しだけ小さくなった。

 

「なんで、全部覚えてんだよ」

「僕が覚えてないと、消えちゃうでしょ」

 

 息を吸ったら、湯気が喉に詰まった。

 

「はい、交代」

 

 振り向くと、義経はもう背中を向けていた。湯気の中の白い背中に、俺が錫杖(しゃくじょう)で打った痕が三本、黄色く褪(あ)せて残っている。その両肩に、笈の負い紐の擦れた跡が赤く食い込んでいた。

 

 指で、触れた。

 

「これは、俺のだ」

 

 義経は何も言わずに肩越しに笑った。

 

 岩に掛けた手拭いを取って湯に浸し、絞って、三本の痕にそっと当てた。擦らずに、当てて、離して、また当てた。義経の肩が一度だけ小さく跳ねて、それから力が抜けた。

 

「振り返らなくても分かるよ。弁慶がどんな顔してるか」

 

 手拭いを当てる手が、止まった。

 

「ハゲがそんな顔しないの♡」

 

 それきり義経は黙って、俺に背中を流させた。

 

     * * *

 

 湯から上がり、乾いた泥を叩き落とした着物を着直して、その足で信夫の佐藤の館を訪ねた。縁側に出てきた女の人を見て、一目で分かった。目元はヒゲで、口元はチビだ。縁側の下に膝をついて、茶色の反物を差し出した。

 

「武蔵坊弁慶と申します。こちらは、九郎様。継信(つぐのぶ)殿の残したものを、お届けに上がりました」

 

 受け取った反物を広げて、母上は端の黒ずんだ穴を指でなぞってから肩に当てた。

 

「似合いまするか」

「はい」

 

 額を地面につけた。

 

「忠信(ただのぶ)殿は、まだ着いておりませんか」

 

 母上の手が反物の上で止まった。

 

「忠信は、京で討たれました。判官様の青い小袖を着たままだったそうでございます。十日ほど前に、知らせが」

 

 ——必ず、会いましょう。

 地面についた手の下で、砂を握りしめた。

 

 顔を上げると、隣で義経が笈を背負ったまま地面に両手をついていた。俯いた首に短くなった襟足が見えた。

 

「死ぬのは許さないって、言ったのに。命令だって、言ったのに」

 

 母上は縁側から下りてきた。

 

「あの子らは、文に九郎様と武蔵坊殿のことばかり書いてよこしました。力比べで負けた、次は負けぬ、と。武蔵坊殿は九郎様の髪を梳かれる、拙者もやってみたい、と」

 

 横で義経が袖で顔を覆って、肩を震わせていた。

 

「楽しそうでございました。ずっと」

 

 母上はそれから義経の方を向いた。

 

「あの子は、九郎様のお役に立てましたか」

「僕の代わりに、京へ行ってくれました。僕の前に、立ってくれました」

 

 義経は地面に額をつけた。

 

「僕が、行かせました」

 

 母上は長いこと黙っていて、それから深く頭を下げた。

 

「あの子の望んだことでございましょう」

 

 翌朝、母上に連れられて佐藤家の菩提寺(ぼだいじ)である医王寺(いおうじ)へ行き、兄弟の供養を頼んだ。本堂でチビのために上げた懺悔(さんげ)の経は、一句目で声が割れた。後ろから伸びてきた義経の手のひらが背中に当たって、押しも撫でもしないで、ただそこに置かれていた。二句目からは声が割れず、最後まで上げた。

 

 振り向くと、義経は膝の上で両手を握っていた。

 

「チビを行かせたのは、僕だよ。弁慶じゃない」

「俺も、待ってるって言った。必ず生きて来いって言って、行かせた」

 

 義経は答えずに、灯明(とうみょう)の方を見ていた。俺が膝を進めて義経の背の負い紐に手を掛けると、義経の手が俺の手ごと紐を押さえて一度だけ強く握り、そしてほどけた。二人で笈を下ろし、中の荷を包みに移して、空になった笈を兄弟の仏前に置く。

 

「いいの?」

「もう、お前には担がせねえ」

 

 義経は笈を見て、それから俺を見た。

 

「僕も弁慶には担がせない」

 

 本堂を出ると、先に出ていた母上が懐から文を出し、俺の頭に一度目をやってから義経に差し出した。

 

「下野(しもつけ)から、商人の荷に紛れて届いたのですが、宛名がなにやら、わけの分からぬもので」

 

 『メスガキさんとハゲさんへ』とだけある表書きを、義経が指でなぞった。

 

「与一だ」

 

 その場で封を切って、読み上げる。

 

『私はおうちまで逃げ切ったよ。偉いでしょ♡ でも家の周りにお侍がずっと張りついてて、門から一歩も出られないの。退屈で死にそう』

 

 読むのを止めて、泣きそうな顔のまま噴き出した。

 

 退屈で死にそう、か。退屈なら、死なねえ。

 

『なるしすとさんは、山の奥で捕まって、鎌倉で舞ったんだって。しづやしづ、って。今は、どこかに閉じ込められてるみたい』

 

「攫(さら)いに来るんじゃなかったのかよ、静。閉じ込められてんじゃねえか」

 

 義経は文の端を握ったまま、何も返さずに続きを読んだ。

 

『チビとはもう会えたかな。落ち着いたら、みんなでいつか会いに来てね』

 

 そこで声が止まった。義経は文を持つ手を下ろし、鼻をすすってから、最後の一行を読んだ。

 

『もう一人のメスガキより』

 

 それから文を畳んで、懐にしまった。

 

 母上は寺の門の外の道へ目をやった。

 

「平泉へ行かれるなら、うちの者を先に走らせて、お着きを知らせておきます」

 

 それから少し声を落とした。

 

「秋口から鎌倉の使いが幾度も平泉へ通っております。秀衡(ひでひら)様も、この冬は長く臥せっておられたとか」

「次郎は、どうしてるの」

「次郎……ああ、泰衡(やすひら)の若様でしたら、鎌倉の使いのお相手をなさっていると聞きます」

 

 鎌倉の使い、と聞いて隣を見た。義経も黙ってこっちを見ていた。頼朝(兄貴)の手は、もう平泉まで届いている。

 

 母上に向き直った義経が、深々と頭を下げた。

 

「継信と忠信を、僕に預けてくださって、ありがとうございました」

「こちらこそ。継信の反物を、ここまで届けてくださって。どうか、お気をつけて」

 

 北へ四日歩くと、平泉の町の屋根が道の先に見えてきた。

 

 義経が隣で足を止め、俺の顔を見上げた。

 

「最初に平泉へ向かった時、弁慶、道の真ん中で叫んでたよね。死ぬとこじゃねーか! って」

「覚えてんのかよ」

「あの時は意味わかんなかったけど、今ならわかる」

 

 義経は俺から目を逸らさなかった。

 

「怖い?」

 

 嘘をつく理由は、もうない。

 

「ちょっとな」

「大丈夫。僕が一緒だから」

 

 その時、道の先から蹄の音が近づいてきた。錫杖を握り直して、義経の前へ出る。一騎で来た男がこっちを見るなり馬を飛び下りて、駆けてきた。

 

「九郎!」

 

 泰衡は、息を切らしながら十三年前と同じように目尻を下げて笑っていた。

 






 第五部「平泉(二)」に合わせて、第二部を「平泉」から「平泉(一)」に直しました。
 いよいよ運命の地。最後までよろしくお願いいたします!
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