転生弁慶、仁王立ちで庇うたびに女装ショタ上司が曇っていく   作:なほやん

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第二十二話 一番

 

 泰衡(やすひら)は俺たちの十歩ほど手前で足を止めると、強力の着物を着た義経を頭から爪先まで目で二度なぞってから両腕を伸ばした。

 

「おかえり、九郎」

 

 義経は残りの十歩を駆けていって泰衡の胸に飛び込み、そのまましばらく動かなかった。

 

「ただいま、次郎」

 

 泰衡の手が義経の背から上がって、短くなった襟足の上で止まった。

 

 ——殿が疲れて帰ってきたら、その時は頼むぜ。

 

 七年前、平泉を発った朝の自分の声が、まだ耳に残っていた。

 義経の肩越しに目が合うと、泰衡は何も言わずに、小さく一度うなずいた。

 

 俺が兜巾(ときん)を取ると、泰衡の目が頭のてっぺんへ上がって、ほっと緩んだ。

 

「前と変わらぬ見事な坊主頭ですね」

「どういう安心の仕方だ」

 

 手を差し出したのは、前世の癖だった。泰衡は俺の手を見下ろして、何かの作法だと思ったのか、両手でがっしりと握り返してきた。

 

 その夜、昔と同じ広間で宴があった。上座の秀衡(ひでひら)殿は頬が少しこけて、盃を持つ手に筋が浮いている。それでも声だけは、冬じゅう臥(ふ)せっていたとは思えないほど広間の端まで届いた。

 

「よう戻った! よう戻った、九郎殿! 武蔵坊も、よう戻った!」

 

 膳が来るなり、俺は飯をかっこんだ。また毒見? と覗き込んでくる義経に、腹が減ってるだけだと返して、空になった椀を上座へ掲げる。

 

「うまい! もう一杯!」

「変わらぬ見事な喰いっぷりじゃ! もっと持ってこい!」

 

 秀衡殿が膝を叩いて笑い、広間じゅうが笑った。泰衡まで袖で口を隠して肩を震わせている。笑いが引くと、秀衡殿は盃を置いた。

 

「夏の終わりに、毛越寺(もうつうじ)の法会がある。延年(えんねん)の舞が済んだら、庭で相撲じゃ。武蔵坊、出るな?」

 

 秀衡殿の痩せた手が、灯りの下でまた目に入った。奥州は、俺が死ぬ国だ。殺しに来るなら鎌倉で、それを今止めていられるのは、この手しかない。

 

「おう、出ます!」

「それでこそじゃ! 九郎殿もいかがかな?」

「えー。どうしようかな」

 

 義経が横目で俺を見た。

 

「よいよい、ゆっくり考えるがよい! 今宵はよう休め! 泰衡、二人を館へ案内してやれ!」

「はい、父上」

 

 宴のあと、泰衡が案内してくれたのは、衣川のほとりの館だった。部屋が三つと、厩(うまや)と、床下の蔵。泰衡が台所の奥の床板を一枚上げると、石を組んだ段が暗がりへ降りていて、下には甕が並んでいた。奥州の蔵は火が回っても中までは燃えぬのでござる、といつかヒゲが自慢げに笑っていたのを思い出す。

 

 台所の棚に、漆の椀が三つ並んでいた。黒と、朱と、黒に金の筋。

 

「お二人に一つずつと思ったのですが。どれがよいか、決めきれませんで」

 

 義経が噴き出した。

 

「次郎、変わんないね」

 

 泰衡は困ったように笑うと厩へ回って、壁に立てかけてあった薙刀を両手で持ってきてくれた。

 

「父が、武蔵坊にはこれがなくては、と」

 

 受け取った柄が、手のひらにずしりと沈んだ。

 

「ありがてえ。秀衡殿によろしく言っといてくれ」

「はい。では、私はこれで。今夜はゆっくりお休みください」

 

 泰衡を門まで見送って閂(かんぬき)を落とし、二度確かめてから、薙刀を抱えて戸口に腰を下ろす。安宅を越えてから、軒を借りるたびにこうしてきた。

 

「今夜は寝ていいんだよ」

「何かあったらどうすんだ」

「前に平泉に来た時も、三晩寝ずの番したよね。今は大丈夫だから、弁慶」

 

 義経が袖を引いた。

 

「薙刀は枕元だぞ」

「はいはい」

 

 引かれるまま夜具まで連れていかれて横になり、その夜は外の足音を一つも数えずに眠った。

 

 川の音で目を覚ますと、隣の夜具から手が伸びてきて俺の袖を引いた。

 

「梳かして」

 

 起き上がって櫛を取った。吉野で切った髪は、櫛を入れるとすぐに毛先へ抜けてしまう。それでも同じところを何度も梳いているうちに、義経は俺の膝へ頭を落とした。

 

「ありがと」

 

 そう言って起き上がると、義経は縁側に紙を広げた。

 

「与一への返事」

「なんて書くんだよ」

 

 覗き込むと、表書きには『もう一人のメスガキさんへ』とあった。

 

「ばれないように、ね」

「中身は」

「メスガキは、ハゲと二人で暮らしてます♡」

「……与一が怒るぞ」

「いいの。自慢だもん」

 

 義経が筆をこっちへ差し出した。

 

「弁慶も、なんか書いて」

 

 筆を受け取って、一行だけ足した。

 

『退屈でいい。退屈なら、死なねえ』

 

 墨が乾くのを待っていると、門の方で蹄(ひづめ)の音がした。馬を飛び下りた泰衡が、庭を突っ切って縁側まで駆けてくる。

 

「九郎、弁慶どの。奥へ」

「何事だ」

「お早く!」

 

 義経が俺の手を引いて台所へ駆け込み、床板を上げた。先に段を下りた義経に続いて、肩をすぼめて穴をくぐる。頭の上で、泰衡が板を戻した。真っ暗な中で足音が近づいてきて、俺たちの真上で止まる。上がり框(かまち)が軋んで、誰かが腰を下ろした。紙をめくる音がする。

 

「梶原殿、遠いところを」

 

 梶原(かじわら)だ。

 

「判官殿を匿う者がおると聞き申した」

「この館に住んでおりますのは、坊主とその供の者だけでございます」

 

 泰衡の声が真上から降ってくる。暗がりで、義経の指が俺の袖を握った。握られて初めて、自分の息が浅くなっているのに気づいた。床板の軋む音の後、帳面より薄い紙の鳴る音がした。

 

「もう一人の、メスガキさんへ。……これは」

「近くの童(わらべ)の悪戯でございましょう。よう遊びに来ますので」

 

 しばらく何の音もしなかった。それから帳面に筆の走る音がして、閉じる音がした。

 

「御館(みたち)がご健在のうちは、改めるわけにも参りませぬな」

 

 梶原の声は平坦だった。

 

 足音が床を渡って、遠ざかっていく。蹄の音が聞こえなくなっても、板はなかなか上がらなかった。やっと上がった板の向こうで、泰衡が与一への文を膝に載せたまま、框に腰を落としていた。

 

「聞いていたか」

「うん」

「よく来るのだ」

 

 義経は泰衡の前に膝をついた。

 

「守ってくれて、ありがとう」

 

 泰衡は黙って首を振った。

 

「次郎、お昼まだでしょ」

 

 義経が台所へ立った。飯の炊ける匂いに汁の匂いが混じったころ、三つの椀によそって戻ってきて、黒に金の筋の椀を泰衡の前に置く。泰衡はその椀を両手で持って、一口食べたところで目を上げた。

 

「九郎は飯までうまいのか!」

「村で覚えたの」

「最初は鍋の底まで真っ黒だったけどな」

「言わないでよ!」

「汁も見事だ。もう一杯」

 

 空の椀を差し出す泰衡の横で俺もすすってみると、菜の切り方も塩の加減も、納屋でチビが作ってくれたのと同じだった。

 

 食べ終えた泰衡を、義経と二人で厩まで送った。義経が与一への文を頼むと、泰衡は下野へ行く商人の荷に紛れさせますと言って、それを懐にしまった。

 

「さっきの、助かった」

「秀衡(父)がいるうちは、何度来ても同じことです」

 

 泰衡は馬の首を撫でた。

 父がいるうちは、か。

 

「なあ、次郎。俺がもし死んだら、義経を頼むぜ」

 

 右の脛(すね)に、横から蹴りが入った。

 

「いってえ!」

 

 声と一緒に涙がこぼれると、義経だけが笑った。

 

「縁起でもないこと言うハゲは、こうだから!」

「すまねえ……」

「弁慶の泣き所、だね♡」

 

 ……その言葉、俺が元かよ。

 泰衡もやっと笑って、馬の首を二度撫でた。

 

「もちろんです」

 

 それから、三日に一度は泰衡が館へ来て義経の飯を食っていくようになった。

 

     * * *

 

 夏の終わり、毛越寺の庭に縄が張られた。延年の舞が済み、見物はそのまま縄の周りへ流れてくる。上座の秀衡殿は脇息(きょうそく)に肘を預け、盃を手にしたままこっちを見ている。俺は縄をくぐって、真ん中に立った。

 

「おい! 俺の相手はいねえのか!」

 

 見物の輪がしんと静まった。

 

「拙者が!」

 

 輪の中から、一人が縄をくぐってくる。若いくせに、頭をつるりと剃り上げて顎には髭を伸ばしている。背は俺の肩ほどだが、首が太く、腿が張っていて、一目で強いと分かった。組んだ途端に、ずしりと重さが来る。

 

「お前、どっかで会ったか?」

「拙者の名は、小太郎。今は泰衡様にお仕えしておりまする。十三年前の夜、篝(かがり)の下から助けていただいた者にございます」

 

 篝の下で、義経の首にしがみついて震えていた子供を、覚えている。

 

「あの時の子か! でかくなったな!」

「体だけではございませぬ。あの夜から、お三方に学びました。武蔵坊殿のように立ち、九郎様のように抱え、継信殿のように——起こす!」

 

 小太郎の足の裏が地面を噛み、腕が俺の胴を巻く。下から突き上げられて、踵が浮きかけた。見物から悲鳴まじりの声が上がる。

 

「強えな、小太郎! だが、足りねえ!」

 

 浮いた踵を地面へ叩き戻し、帯を掴んで腰を落とす。突き上げてくる力をそのまま横へ流してひっくり返すと、小太郎は土の上で大の字になって空を見上げた。

 

「さすがですな、御坊」

「お前もな。押しても動かねえのは、ヒゲ以来だ」

 

 手を差し出すと小太郎はそれを掴みかけて、俺の手のひらの火傷を見た。

 

「これは、あの夜の」

「もう痛くねえよ」

 

 小太郎は俺の手を両手で握って立ち上がり、そのまま顔を伏せた。握った手の甲に、涙がぽたりと落ちた。

 

「小太郎、強くなったね」

 

 顔を上げれば、縄の外で義経が手を振っていた。

 

「覚えておいでで!」

「ヒゲはいいけど、ハゲにはならないでね」

 

 見物がどっと笑った。義経は笑いながら、帯に手を掛けた。

 

「じゃあ、僕も出ようかな」

 

 着物を脱ぎ捨てて褌一つになると、見物の輪がざわっと揺れた。

 

「ひ、姫君……?」

「いや、男だ。……男だよな?」

 

 十三年たっても、見物の目は納得していないらしい。上座で秀衡殿が盃を掲げた。

 

「よく出てくれた! 相手は!」

「もちろん、そこの坊主」

 

 義経が俺を指さして、縄をくぐってきた。

 

「じゃあ、負けた方が言うってことで」

「何をだよ」

「わかってるくせに」

 

 縄の内側をぐるりと歩きながら、義経が俺を見上げた。

 

「僕に勝ったことないもんね♡」

「今日勝ってやるよ!」

 

 見物の輪から囃す声が飛ぶ中で、義経が舌を出した。

 

「ざーこ、はーげ♡」

「このメスガキが! わからせてやる!」

 

 踏み込んだ。

 義経の身体が、ふわりと浮いた。

 

 俺の腕が足元を通り過ぎるより先に、義経は跳んで頭の上を越えていく。振り向けばもういない。五条の橋の夜は、かすりもしなかった。

 

 二度目に跳ぶ前、義経の右の爪先が少しだけ沈む。降りてくる所へ先に手を出すと、義経の褌に指が掛かった。

 

「わ」

 

 見物がどよめいた。

 義経は褌を掴まれたまま身をひねり、俺の手首を蹴って抜けると、着地して笑う。

 

「なんで分かったの」

「ずっと見てたからな」

 

 義経の顔が少し赤くなった。組んでは離れ、また組んだ。義経が跳び、俺が掴み、義経が抜ける。払えば潜り、潜れば抱え、抱えれば肩を蹴られる。

 

 いつの間にか、周りの声は聞こえなくなっていた。聞こえるのは、お互いの息と、足の裏が土を掘る音だけだった。

 

 どちらの肩も大きく上下しはじめたころ、縄の端まで下がった義経が、腰を落として俺をまっすぐ見る。跳ばずに、正面から飛び込んできた。両腕で受け止めて、そのまま抱え上げた。軽い。

 

 こつん、と頭のてっぺんを指で叩かれた。

 

「はい、僕の勝ち」

「相撲に、頭叩いたら勝ちなんてねえよ」

 

 抱えたまま縄際まで二歩運び、腕を伸ばして外の土に義経の足を下ろした。

 

「え」

 

 上座で秀衡殿が盃を置いて立ち上がった。

 

「この一番、坊主の勝ちじゃ!」

 

 見物の輪が割れるように沸いた。見事じゃ、見事な勝負じゃ、と四方から声が飛ぶ。義経は縄の外に立ったまま、自分の足を見下ろしていた。

 

「約束だぞ。負けた方が言うんだろ」

「ずるい」

 

 義経が俺の首に両腕を回してしがみついてきた。顔を肩に埋めて、上げようとしない。汗で濡れた額と春より伸びた髪の先が、俺の顎をくすぐった。

 

 歓声は鳴りやまないのに、それがだんだん遠くなっていく。

 そして耳元で、俺にしか聞こえない声がした。

 

「……好き」

 

 篝火の痕の残る手のひらを、義経の背中に当てた。首に回った腕が、ぎゅっと締まった。

 

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