転生弁慶、仁王立ちで庇うたびに女装ショタ上司が曇っていく   作:なほやん

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第二十三話 閏四月

 

 相撲のあとも衣川の館の朝は何も変わらなかった。義経(俺)が飯を炊いて、弁慶がおかわりをする。三日に一度は泰衡(やすひら)が来て、黒に金の筋の椀を空にしていく。変わったのは、夕方の縁側で弁慶の隣に座ると、肩がくっつくようになったこと。それから、好き、と言うと、弁慶が耳まで赤くして、俺も好きだ、と返すようになったことくらいだ。

 

「来年の相撲も、出るの」

「出る。再来年もな」

 

 退屈でいい、と与一へ送った通りの日々が続いた。十月の終わり、秀衡(ひでひら)殿が倒れた。

 

 俺たちが枕元に呼ばれた時には、秀衡殿はもう細い声しか出せなくなっていた。俺の手を取って、泰衡と並んだ息子たちを順に見る。

 

「九郎殿を大将軍として、国の政(まつりごと)をさせよ。兄弟、九郎殿のもとでひとつになれ」

 

 俺の手を握る秀衡殿の手を、泰衡はずっと見ていた。秀衡殿はそれから俺の後ろに座っていた弁慶へ目を移した。

 

「武蔵坊。わしの倅も、頼む」

「……任せてください」

 

 秀衡殿は笑って目を閉じた。俺の手を握ったその指が、夜が明ける前に冷たくなった。ほどいて顔を上げると、泰衡はまだ、その手を見ていた。

 次の晩から、弁慶はまた薙刀を抱えて戸口で眠った。

 

 その年の暮れ、梶原(かじわら)がまた来た。

 

 自分の耳で聞きたいと頼んで、俺と弁慶は広間の隣の間に隠れていた。襖は指一本ぶんだけ開けておいた。

 広間の上座には、秀衡殿の代わりに泰衡が座っていた。喪の色の衣の襟が首から浮いている。梶原は二通の文を順に広げた。

 

「宣旨を伝える。陸奥の藤原泰衡は、前伊予守(さきのいよのかみ)源義経(みなもとのよしつね)を、すみやかに召し進ずべし。鎌倉殿の仰せも、同じにござる」

 

 梶原は文を巻くと、帳面を開いて筆を構えた。

 

「さて。御館(みたち)がご健在のうちは改めるわけにも参りませぬ、と申し上げましたが。御館亡き今は、この平泉を隅々まで改めさせていただいても、よろしゅうございますな」

 

 泰衡の膝の上で、手が握られた。

 梶原は筆を止めて、声だけを和らげた。

 

「判官殿を差し出されれば、陸奥と出羽は御館の跡のまま泰衡殿にお任せすると、鎌倉殿は仰せでござる。鎌倉殿が後ろに立たれるお方の下になら、御兄弟も立ちましょう」

 

 握られていた手が、開いた。もう一度、握られた。

 

「一門の者と、評定(ひょうじょう)いたします」

「承った。だが、鎌倉殿もそう長くはお待ちになりますまい」

 

 梶原が帰っても、泰衡は上座から立たなかった。

 

 襖の陰で、隣の弁慶が長い息を吐いた。

 

 その夜、喪に入ってから初めて、泰衡が衣川の館へ来た。俺の炊いた飯をいつもの椀で食べはじめて、半分ほどのところで箸が止まる。椀を見たまま、泰衡は何も言わなかった。

 

「兵をまとめよう。次郎とご兄弟と、僕で。南の山に堀を切って、鎌倉をそこで止める」

 

 顔を上げた泰衡は、頬が痩せて、目だけが強かった。

 

「大将軍は次郎がやって。僕は次郎の下で兵を動かす」

 

 泰衡の目が一瞬揺れた。

 

「私が九郎の上に」

「うん。秀衡殿の跡を継いだのは、次郎でしょ」

 

 泰衡は自分の手を見下ろして、やがて首を振った。

 

「……それは、できぬ」

 

 弁慶が箸を置いた。

 

「なら、逃げるぞ。義経は俺が担いで連れていく」

「逃げたら、次郎が僕を逃がしたって言われて、平泉が焼かれるよ」

 

 弁慶の拳が膝の上で握られたまま動かなかった。

 泰衡は残りの飯をかき込もうとしてやめ、椀を置いた。

 

「また来る。その時は、残さず食べるから」

 

 口の端だけで笑って帰っていき、それきり泰衡は館へ来なくなった。黒に金の筋の椀は、棚に伏せたまま、ずっとそこにあった。

 

     * * *

 

 年が明けた正月二十日、雪の降る夜に、泰衡に毛越寺の常行堂(じょうぎょうどう)へ呼ばれた。松明の列が、大根や餅を担いだ男たちの掛け声と一緒に堂へ上っていく。中は煙と人の熱で、外より温かかった。

 

「九郎に見てほしい舞があるのだ。見ていってくれ」

 

 隣に座った泰衡が、目まで笑っていた。

 

 鉦(かね)が鳴って、一番が始まった。

 

 鬼の面をつけた男が、薙刀を担いで橋の上に立つ。通る者から刀を巻き上げては、背中の籠へ放り込んでいく。九百九十九本目を取ったところで、笛の音がした。天狗の面をつけた稚児が、ひらりと出てきた。鬼が薙刀を振るたびに跳んで、欄干に乗り、鬼の頭を越える。最後に、笛で鬼の頭を、ぽこん。

 

「これ、俺らじゃねえか」

 

 弁慶のつぶやきに重なって、鬼と天狗の掛け合いが始まった。

 

「やあ、そこな天狗! 名を名乗れ!」

「ざーこ、はーげ♡」

「はげじゃない! 剃っとるんじゃ!」

 

 堂じゅうがどっと沸いた。

 

「なんでそこまで知ってるんだよ!」

 

 隣で泰衡が袖で口を隠して肩を震わせていた。弁慶の顔が松明に負けないくらい赤くなっている。俺は膝を抱えて、涙が出るまで笑った。

 

 鬼は天狗に負けて家来になり、天狗を肩に乗せて山を越えていく。坂で転び、川で濡れ、天狗に頭を笛で叩かれながら、最後まで肩から下ろさなかった。

 

 舞が終わると、弁慶は鬼をつかまえに行って、面をむしり取った。剃った頭に、伸ばした髭。

 

「小太郎、お前かよ!」

「武蔵坊殿の役なら、拙者しかおりませぬ!」

 

 二人で騒いでいるうちに、天狗役の稚児と見物の子供たちが弁慶の背中によじ登りだす。肩に一人、両腕に二人ずつぶら下げて、今度は弁慶が鬼の真似をしながら堂の中を歩き回る。

 

 俺は泰衡の袖を引いて、堂の外へ出た。戸口で振り返ると、子供を肩に乗せた弁慶が、吠えていた。

 雪はいつの間にかやんでいた。

 

「いい舞だったね。見せてくれて、ありがとう」

「礼を言うのは、私の方だ。来てくれて、ありがとう」

 

 言い終えると、泰衡の顔から笑みが白い息と一緒に消えた。

 

「鎌倉からの文が、月ごとに来る。評定で延ばせるのも、もう長くはない」

「ご兄弟で、まとまれないの?」

「秀衡(父)は私を跡継ぎに決めたが、兄上は納得しておらぬ。だから……兄上を討つ」

 

 泰衡の声は低く、少しも揺れなかった。

 

「兄弟で殺し合うの?」

 

 兄と弟で刃を向け合うのは、俺と頼朝(兄上)だけでたくさんだ。

 泰衡の手が俺の手首を掴んだ。

 

「では、どうしろというのだ! 与作もおたけも、私の顔を見るたびに、戦にはならぬのでしょう、と聞く。私はそのたびに、ならぬと答えてきた。私は何を守ればいい! 民か、父の最後の言葉か!」

 

 手首が痛かった。堂の方のざわめきから、弁慶の声だけが届いた。

 

「鬼だぞー! 逃げねえと、食っちまうぞー!」

 

 戦になれば、弁慶はまた俺の前に立つだろう。

 逃げることもできない。秀衡殿に頼まれている弁慶は、次郎を見捨てられない。

 どうすれば戦を避けられる。

 

 ちがう。ど(・)う(・)す(・)れ(・)ば(・)弁(・)慶(・)が(・)生(・)き(・)延(・)び(・)ら(・)れ(・)る(・)。

 

 一つしかない。

 次郎が俺の首を鎌倉へ差し出すことだ。そうすれば陸奥と出羽は次郎に残り、兄弟たちは次郎の下に立つ。

 

 そうだ。

 庇う相手(俺)がいなければ、弁慶は死なない。

 

「次郎。天狗が死んだら、鬼はどうなると思う?」

 

 泰衡の白い息が、止まった。

 

「……山へ帰るのだろう」

「うん。それがいい」

 

 遠くから、また弁慶の笑い声が聞こえた。

 

「天狗はね、逃げないよ。最後まで、ちゃんと舞う」

 

 俺の手首から、泰衡の指がほどけた。

 

「九郎! 自分が言っていることの意味がわかっているのか!」

「うん、わかっていて、言ってるんだよ」

 

 泰衡は俺の顔を見て、堂を見て、もう一度俺を見た。

 

「ならぬ! 弁慶どのにも頼まれたのだ。自分が死んだら、九郎を頼むと!」

「知ってるよ」

 

 泰衡の袖をもう一度握り直した。

 

「だから、次郎にしか頼めないの。天狗が死んだら、鬼は山へ帰して」

 

 長い間黙ったあと、泰衡は空いた方の手を胸の前で開いた。

 

「梶原が陸奥と出羽をと言った時、この手は一度、開いたのだ」

「うん。見てた」

「九郎は、ずるい」

「ごめんね」

 

 泰衡は袖を掴んでいた俺の手を外して、自分の両手で包んだ。冷えた指が少しずつ俺の手を締めていく。

 

「……わかった。天狗は私が討つ。そのかわり、鬼は私が生き延びさせる」

「うん。ありがとう、次郎」

 

 白い息を一つ吐いて、泰衡は堂の灯りの方へ顔を上げた。

 

「鬼と天狗の舞は、毎年ここで舞わせる。千年先まで。必ず」

 

     * * *

 

 それからの日々は、何もしないまま過ぎていった。朝は弁慶に髪を梳かせ、昼は縁側でその肩を借りて眠り、夜は戸口で薙刀を抱いて眠る弁慶の寝息を聞いた。夏の終わり、縄の中の弁慶がまた勝つのを、見物に交じって手を叩いて見た。上座の泰衡は、盃を持ったまま一度もこっちを向かなかった。秋の終わり、二度目の宣旨が来たと市で聞いた日も、帰って飯を炊き、弁慶の椀を山盛りにした。正月の二十日には、常行堂でまた鬼と天狗が舞った。弁慶はまた子供を肩に乗せて、吠えていた。

 

 閏四月の終わりの夕方、池まで来てほしいと、泰衡から使いが来た。

 

 ああ、とうとうか。

 

 懐から櫛を出して、弁慶に差し出した。

 

「梳かして」

「今からか。夕方だぞ。珍しいな」

「いいの」

 

 最後だから、とは言わなかった。

 

 弁慶は首を傾げながら、俺の後ろに座った。ようやく結べるほどに伸びた髪に、櫛がいつもよりゆっくり入ってくる。

 根元から毛先まで、一度。また根元から。絡んだ所に来ると、太い指が先にほどいてから、もう一度櫛を通す。薙刀を振り回す手が、俺の髪の時だけこんなにのろい。

 一回ずつ、数えた。数えているうちは、まだ終わらない。

 

 髪を結い終えると、弁慶は櫛を俺の懐へ戻して、頭をぽんと叩いた。

 

「よし。かわいい」

 

 振り向いて、もう一回言わせたかった。今振り向いたら、顔で全部ばれる。

 背中を向けたまま立ち上がって、戸口で言った。

 

「池へは、僕だけで行く」

「俺も行く」

「なんで」

「なんでもだ。ずっと一緒だろ、俺ら」

 

 来ないで、と言おうとして、声が出なかった。最後まで隣にいてほしいのは、俺の方だった。

 振り返ると、弁慶は壁の薙刀に手を伸ばしていた。

 

 こんな時だけ、勘がいいんだから。

 

「持っていかなくていいよ。次郎のとこでしょ」

「……そうか」

 

 弁慶の手が、薙刀から離れた。

 

 林の入り口で待っていた泰衡は、弁慶に目を留めてから前を向いた。泰衡と弁慶に挟まれて歩いていると、隣の弁慶の指が俺の指に引っかかってきたので、握り返した。

 

 木が切れて空が急に広くなる。池のほとりに、寺が建っていた。

 

「無量光院(むりょうこういん)という。秀衡(父)が建てたものだ。九郎と、ここへ来たかった」

「決めるのに、時間がかかったんだね」

「……九郎ほど、潔くはなれぬ」

 

 朱の柱と金の飾りが、まだ明るい空ごと水に映っている。向こう岸で、金鶏山がぽつんと座っていた。

 

「あの時、夢を語ったな」

 

 泰衡は蓮の丸い葉が並ぶ池を見たまま言った。

 

「千年たっても、蓮の花が咲き続ける池。覚えているか」

「覚えてるよ。蓮、本当に植えたんだね」

 

 懐に入れたままの蓮の実の袋に触った。どこに植えるか、まだ決めていない。

 泰衡が弁慶の方へ顔を向けた。

 

「弁慶どの。戦のない世が来るというのは、本当ですか」

「ああ」

「そうですか。なら、よかった」

 

 それから、泰衡は俺を見た。

 

「あの時、九郎は夢を言えなかっただろう」

「うん」

「今は?」

「できるなら……弁慶と、歳を取りたいな」

 

 隣で、弁慶が咳き込んだ。

 

「お、お前、急に何言い出すんだよ」

「いいでしょ? 弁慶」

 

 つないだ弁慶の手が、少しだけ強く握られた。

 泰衡は少しの間俺の顔を見てから、池の方へ目を戻した。

 

「……いい夢だな」

 

 池の上を風が渡って、蓮の葉が一斉に裏を見せた。

 

 十五年前、蓮の実の袋を出した時と同じように、泰衡が懐に手を入れる。

 あの時は弁慶が俺を庇って半歩前へ出た。今日は、つないだままの弁慶の手は、動かなかった。

 

 泰衡の手が、懐から抜ける。

 震える指の中で、夕日を受けた切っ先が俺の胸を向いていた。

 

「すまない、九郎。死んでくれ」

 

 泰衡は、泣いていた。

 

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