転生弁慶、仁王立ちで庇うたびに女装ショタ上司が曇っていく 作:なほやん
切っ先が、まだ小さく揺れていた。
「次郎。なんだよ、それ」
自分の声が間抜けに聞こえた。
「お下がりください。弁慶どのには、何もいたしませぬ」
「何言ってんだ。お前、さっきは戦のない世が来るって聞いて、ならよかったって」
泰衡の目から涙が落ちた。
「その世が来るのでしょう。九郎がいなくなった後に」
「ふざけんな!」
踏み出しかけると、切っ先が義経の喉の方へ寄った。
「お前、こいつの飯食いに来てたじゃねえか。うまいうまいって、おかわりまでしてたじゃねえか」
「……はい」
「義経を頼むって言ったろ。お前、もちろんですって言ったよな!」
「ですから、私の手で」
「それのどこが、頼まれたことになるんだよ!」
泰衡は答えなかった。濡れた目が一度だけ義経の方へ動いて、切っ先に戻った。
義経が、つないでいた俺の手をほどいて、泰衡の前に膝をついた。結った髪を片手で横へ払って、首を差し出す。
「義経!」
泰衡がすまないと呟き、短刀を振り上げた。
刃が、落ちてくる。
踏み込んで、左の前腕を義経の首の上へかざした。刃が腕に食い込んで、骨に当たって止まる。熱い。痛みはまだ来ない。
「だめだよ、弁慶」
義経が顔を上げた。俺の腕から落ちた血が、その白い頬に散って涙と混ざる。義経はそれを拭おうともせずに、腕に食い込んだ刃と俺の顔を何度も見比べた。
聞かずに、右手で泰衡の手首を掴んでひねった。刃が腕から抜けて、草の上に落ちる。そのまま泰衡の腕を背中へねじ上げて、血の流れる左腕を首に巻く。こんなに痩せていたのか、と思うほど軽かった。
——武蔵坊。わしの倅も、頼む。
寺の柱の陰から、林の中から、郎党が出てきた。十、二十。槍の穂先と弓が、こっちを向いている。
「来るな! こいつの首はいつでもへし折れるぞ!」
郎党の足が止まった。弓の列も、矢を番えたまま動かない。
「義経。立て」
義経は膝をついたまま、目だけを揺らして俺を見上げていた。
「立て!」
義経の目が、俺に向いた弓の列をなぞる。それからやっと立ち上がって、俺の後ろについた。泰衡を盾にしたまま、来た道を後ろへ下がる。郎党は間を空けてついてくるだけで、射ることも寄ることもできない。薙刀のある館までの道が、やけに長かった。戦うにしろ逃げるにしろ、それからだ。
「なんでだよ」
泰衡の耳元で言っても、しばらく答えはなかった。首に巻いた腕に、泰衡の涙が落ちてきた。
「頼まれたのです」
「誰にだよ」
泰衡が腕の中で唾を呑んだ。
首だけで振り返ると、衣川の館の門が見えた。あと三十歩。
「弁慶、藪!」
義経の声に顔を前へ戻すと、道の脇の藪から影が飛び出してきた。剃った頭に、伸ばした髭。
「武蔵坊殿! 憧れておりましたのに!」
小太郎が肩から俺の胴へぶつかってきた。下から突き上げられて、泰衡を巻いた腕が浮く。腕の隙間へ手を入れた小太郎が、泰衡の帯を掴んで引き剥がし、抱えたまま後ろへ跳んだ。郎党の弓が、一斉に引き絞られる。
「弁慶、門を!」
義経を前へ押し出し、弓に背を向けて走った。後ろで弦が鳴った。背中に二本、矢が刺さった。だが、義経には一本も届かせない。
「射るな!」
泰衡の声がして、弦の音はそれきり止んだ。門をくぐって、二人で
「これで俺たち、悪者か」
義経が少しだけ笑って、自分の袖を裂き、俺の左腕をきつく縛った。
* * *
日が落ちると、衣川の向こう岸にも、館の裏の山にも、火が並んだ。どこから出ようとしても、どこかの火に見られる。
「夜明けまで、待ちます……それまでは、誰にも門を叩かせませぬ」
門の向こうから泰衡の声がして、外は静かになった。
台所で、義経が
「こんな時にかよ」
「こんな時だから」
飯が炊けるのを待つ間に、義経は竈の湯を桶に汲んできて、俺の背中に回った。一本目の矢が抜かれ、奥歯が鳴る。二本目ではこらえきれずに声が出た。義経の手が俺の肩の上で一度だけ強張る。背中の傷を湯で拭ってから、義経は前へ回って、左腕に巻いた布を解いた。乾きかけた血ごと布が剥がれた傷の奥に、骨の白いのが少しだけ見えた。
腕はまだ痺れて、熱いだけだった。先に震えだしたのは、義経の指だった。その指が、肩から二の腕、肘へと下りていく。
「ここは宇治川……ここは、無量光院」
数える声が途中で割れた。義経はそれきり黙って、新しい布を巻いた。結び目を作る指が、何度もしくじった。
棚へ伸びた義経の手が、黒に金の筋の椀の前で一度迷ってから、黒と朱の二つだけを取っていった。囲炉裏の端で、向かい合って食った。
「死ぬ気だったのか」
義経が椀を置いた。
「そう」
「あいつ、泣いてたぞ」
「……次郎にしか、頼めなかったの」
壁の薙刀が、目に入った。
「薙刀を置いてけって言ったのも、そのためか!」
囲炉裏を回り込んで、椀から離れた義経の手首を掴んだ。義経はまっすぐ俺の目を見返してきた。
「弁慶だって、ずっと教えてくれなかったでしょ。奥州で死ぬって」
掴んだ手から力が抜けた。
「それとは違う!」
「どう違うの!」
言い返す言葉が、一つも出てこなかった。
「だから、池には僕だけで行くって言ったのに」
「お前が俺のいないとこで死ぬのを、黙って待ってろってのか!」
布の下で、斬られた腕がやっと痛みだした。
「夜が明ける前に、門を開けて衣川の浅瀬を渡るぞ。火がいちばん細くなった時だ。宇治川と同じだ」
前の世で知っていた弁慶の最期が頭をかすめても、ほかの手は思いつかなかった。
「俺が前で矢を受ける。お前は、俺の陰から出るな」
「やだ」
「やだじゃねえ。二人で抜けるんだよ!」
「抜けたら、次郎はどうなるの。秀衡殿に次郎を頼まれたの、弁慶でしょ」
抜いたばかりの背中の傷が、うずいた。
「次郎に何を頼んだ。全部言え」
「……天狗が死んだら、鬼は山へ帰してって」
「鬼って、俺か」
喉が、詰まった。
「それで次郎は、射るなって言ったのか」
布を巻いた腕を、見下ろした。
「だから、言いたくなかったの!」
義経の声が裏返った。
「
その先は言わせなかった。義経の両肩を掴んだ。
「兄貴も奥州もどうでもいい! 義経、お前はどうしたいんだ!」
両手の下で、義経の体が強張った。
「弁慶に、死んでほしくないの! 庇う主君がいなかったら、弁慶は死なないでしょ! だから、僕が先に死ぬの!」
一息に言い切った義経の肩が、大きく上下していた。
弁慶は奥州で主君を庇って死ぬ、そう話したのは、俺だ。
俺のせいで、義経は死を選んだのだ。
目の奥が熱くなって、義経の顔がにじんだ。肩から手を離して、胸に抱き込んだ。腕の中の荒い息に、俺の鼻をすする音が混じった。
「お前のいねえとこで、俺だけ生きてどうすんだよ」
義経はしばらく答えなかった。それから腕の中から身を起こし、俺の目を見たまま、結った髪を片手で横へ払った。
「弁慶が僕を殺して。首を持って次郎のところへ行って」
気がつけば、布を巻いた方の手が出ていた。乾いた音が
「……悪かった」
「謝らないで」
義経は打たれた頬を俺に向けたまま動かなかった。
「ヒゲも、チビも、与一も静も、お前を生かすために体張ったんだぞ」
「……ずるいよ、それ」
「お前に言われたかねえ」
拭いもしない涙が、俺の手の形の上を伝っていく。それでも目は、俺から逸れなかった。
囲炉裏の薪が一本崩れて、火の粉が上がった。それが落ちきるまで、俺も義経も黙っていた。椀に残った飯は、とうに冷めていた。
「本当に死にたかったら、意地でも俺を置いてったはずだ。そうだろ」
義経の唇が一度開いて、何も言わずに閉じた。
「……死にたくない」
小さな声だった。
「死にたくないよ。弁慶と、歳を取りたい……守ってよ、弁慶」
「やっと言ったな」
言った俺の声の方が、震えていた。
「俺はな、この世界に来て、初めて見つけたんだよ。一緒に飯食って、一緒に歩いて、昼寝して、髪梳いてやりたい奴を」
義経は黙って、俺の顔を見ていた。
「だから、死ぬな、義経」
義経の指が俺の袖を掴んだ。
「弁慶も死なないで。約束して」
「ああ!」
義経は少しだけ待ってから笑った。
「うそつき」
「嘘じゃねえ! お前も約束しろ。生きろ」
「うん」
返事が早すぎる気がした。聞き返す代わりに、義経の手首を握った。
義経の目の中で、囲炉裏の火が揺れていた。
「ねえ、弁慶。今夜は、戸口で寝ないで」
「……おう」
義経が火箸を取って、火に灰をかぶせた。