転生弁慶、仁王立ちで庇うたびに女装ショタ上司が曇っていく 作:なほやん
寝そべってやろう。
ああそうだ、出世など誰が望むものか。
七つで位を賜ったこのわしが、三十を過ぎても位はそのまま。祖母から伝わった家にもとうとう住めなくなり、元の屋敷の十分の一の家を結んだ。門を建てる銭はなく、竹を柱にした車宿りだけをこしらえた。
これでよい。いや、これがよい。
高貴な身に生まれながら、あえて貧しく世を捨てたように暮らす。なんと雅なことか。
半刻で、足が棒になった。烏帽子の下を、汗が伝う。
——かりに来て見るだにたえぬ山里に、誰つれづれと明け暮らすらん。
若い頃に詠んだ自分の歌を、これほど身に沁みて思い出すとは思わなかった。
峠を越えると、谷あいに村があった。畑の真ん中を、牛が
いや、牛ではない。
頭を青々と剃り上げた大男が、自分の胸に縄をかけて、犂を引いていた。
畑の縁には子供が鈴なりで、女たちがはやし立てている。大男が引き終えると、小柄な女房が縁から駆け寄って、竹筒の水を差し出した。日に焼けもせぬ白い頬に、汗で後れ毛が張りついている。
「旦那様、お水ですよー♡」
「やめろ、その呼び方」
こんな山奥に、なぜあんな女房がいる。都の女房でも、あれほどの顔はそうおらぬ。
「旅の者だが、水を一杯所望できぬか」
声をかけたのは、喉が渇いていたからだ。決して女房の顔をもう少し近くで見たかったからではない。
七つの折に
振り向いた大男は扇とわしの顔を見比べて、首をかしげた。
「暑いのか?」
「いや、そういうことではないが……」
女房だけが、扇の金の地をじっと見ていた。
大男が、顎で村の奥をしゃくった。
「いいぜ、ついてきな」
案内されたのは、村長の家の裏にある納屋だった。
「納屋ではないか」
「家だよ♡ 旦那様が直したんだから」
女房が胸を張った。
床はなく、土の上に藁が敷いてある。壁の隙間には泥が詰めてあり、屋根の所どころに色の違う板が打ちつけてある。隅には、筵に巻いた長い物が立てかけてある。戸口には、野の花が一輪挿してあった。
「壁も屋根も、ぜんぶ自分たちで直したの。すごいでしょ?」
わしの家は、大工に頼んだ。
出された水はうまかった。欠けた椀ばかりの中から、女房はわしにだけ、欠けていないものを選んで寄越した。
「そなたら、牛は持たぬのか」
「ない。だから俺が引いてる」
「車は」
「車? あるわけねえだろ」
大男は笑った。何がおかしいのか、わしにはわからない。
わしの家には、竹の柱とはいえ、車宿りがある。牛もいる。
……もしや、わしの暮らしは別に質素ではないのか?
いや、待て。質素とは物の多い少ないではなく、心のありようだ。わしは、心が質素なのだ。
「腹、減ってない? お昼、僕が炊いたの」
女房が抱えてきた鍋の蓋を開けると、焦げた匂いが立った。底のほうは、炭のように黒い。
「……これは」
「ちょっと焦げただけ」
大男が杓子で黒いところを剥がして、口に入れた。じゃりっ、と音がした。
「うめえ!」
「うそつき♡」
女房は大男の肩を叩いて笑い、大男も笑った。わしは椀を持ったまま、二人を見ていた。
炊く者を雇っているから、わしの家の飯は焦げたことがない。焦げた飯をうまいと言って食う男も、それを笑う女も、わしの家にはいない。
わしも黒いところを一口食べた。
「……うまい」
「でしょ!」
女房の顔が、ぱっと輝いた。
「わしは、鴨長明と申す。都で歌と琵琶を少々」
名を聞いた大男が、目を剥いた。
「鴨長明!? 方丈記の!?」
「ほうじょうき?」
「なんか日記みたいな! 書いてないのか?」
何を言っているのか、さっぱりわからぬ。
「わしは、そんなもの書いてはおらぬが」
「あっ」
大男は口を押さえて、女房の方を見た。女房は首をかしげて、大男の脇腹をつついた。
「弁慶、また変なこと言ってる」
「言ってねえ」
弁慶という名には聞き覚えがあった。京でも噂の、判官殿の盾を務める荒法師の名だ。その判官殿は、女と見紛う顔立ちだと聞く。
わしは女房の顔を見た。
「そなたは、もしや」
女房は唇に人差し指を当てて、片目をつむった。
「ただの奥方様だよ♡」
わしは、男の顔に見とれていたのか。
平家を西の海に沈めた大将が、床もない納屋で飯を焦がし、それをうまいと言う家来と笑っている。
懐の扇が、急に重くなった。
わしは扇を取り出して、判官殿の前に差し出した。
「飯の礼だ。売れば、米の一俵にはなろう」
差し出したはずの指が、扇から離れない。
その時、戸口から弓を担いだ娘と小柄な若者が入ってきた。
「あれ、お客さん?」
「旅の御方でございまするか」
娘のほうも、判官殿に負けず劣らずの顔立ちだった。美しい女……と思いかけて、やめた。この一行は、見た目ではもう分からぬ。
「いらないなら、矢の的にちょうだい? いいでしょ?♡」
「やめろよ与一、もったいねえぞ」
「与一殿は、扇と見れば射たがりまするゆえ」
若者が、困ったように笑った。
判官殿は、扇から離れないわしの指を見て、静かに言った。
「大事な人にもらったんでしょ、持ってなよ。僕にもあるから、わかるよ」
そう言って、懐から飴色の木の櫛をのぞかせる。その横で、弁慶が剃り上げた頭を掻いて、そっぽを向いた。
「……かたじけない」
日が傾く前に、わしは納屋を辞した。納屋を出て少し歩いてから振り返ると、判官殿が弁慶の袖を引いて、しおれかけた戸口の花を挿し直させていた。大きな指が細い茎を、何度もつまみ直している。
谷川に架かった丸木橋の上で懐から扇を出すと、褪せた金の地に日が光った。この扇を広げるたびに、わしは七つの子に戻っていた。院に頭を撫でられ、皆に褒めそやされた、あの頃の子に。
流れの上に差し出し、指を緩めかけて、また握る。
人に渡すことも、捨てることもできぬ、か。
「わしも、まだまだだな!」
声に出すと、存外清々しかった。
扇一本手放せぬ男が、家も牛も車も捨てて、山里に住めるはずがない。
まあよい、今日のところは都の家へ帰るとしよう。
扇を懐にしまい、道端で居眠りしていた牛飼童を起こし、わしは車に乗り込んで簾を下ろした。
いつか小さな庵を結ぼう。手放せぬ物だけを抱えて入れるほどの小さな庵を。
ほうじょうき。方丈、一丈四方の庵か。そうだ。その暮らしを書き記す日が来たら、名はそれがよい。
牛がのそりと歩き出し、ごとりと車が動く。
谷川のせせらぎが車輪の軋みに混じって少しずつ遠ざかっていく。
その音を聞きながら、わしはただ、寝そべった。
なんかランキングを見たら歴史x男の娘物が流行していて素敵ですね!
次回は与一視点の予定です!