転生弁慶、仁王立ちで庇うたびに女装ショタ上司が曇っていく   作:なほやん

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鴨長明

 

 寝そべってやろう。

 ああそうだ、出世など誰が望むものか。

 

 七つで位を賜ったこのわしが、三十を過ぎても位はそのまま。祖母から伝わった家にもとうとう住めなくなり、元の屋敷の十分の一の家を結んだ。門を建てる銭はなく、竹を柱にした車宿りだけをこしらえた。

 

 これでよい。いや、これがよい。

 高貴な身に生まれながら、あえて貧しく世を捨てたように暮らす。なんと雅なことか。

 

 元暦二年(1185年)の七月、都が大地震に揺れた。皆が世の儚さを口にするのを聞いて、わしも今こそ山里へ身を寄せる時だと思った。移り住む山里を探しに、津の国まで下る。車の簾越しに青い山が見えたところで、牛飼童を谷川沿いの道端に待たせ、丸木橋を渡って一人で山道を上った。

 

 半刻で、足が棒になった。烏帽子の下を、汗が伝う。

 

 ——かりに来て見るだにたえぬ山里に、誰つれづれと明け暮らすらん。

 

 若い頃に詠んだ自分の歌を、これほど身に沁みて思い出すとは思わなかった。

 

 峠を越えると、谷あいに村があった。畑の真ん中を、牛が犂(すき)を引いている。

 いや、牛ではない。

 頭を青々と剃り上げた大男が、自分の胸に縄をかけて、犂を引いていた。

 

 畑の縁には子供が鈴なりで、女たちがはやし立てている。大男が引き終えると、小柄な女房が縁から駆け寄って、竹筒の水を差し出した。日に焼けもせぬ白い頬に、汗で後れ毛が張りついている。

 

「旦那様、お水ですよー♡」

「やめろ、その呼び方」

 

 こんな山奥に、なぜあんな女房がいる。都の女房でも、あれほどの顔はそうおらぬ。

 

「旅の者だが、水を一杯所望できぬか」

 

 声をかけたのは、喉が渇いていたからだ。決して女房の顔をもう少し近くで見たかったからではない。

 七つの折に高松院(たかまついん)様から賜った扇を、懐から抜いてぱっと広げた。都でこれを広げれば、誰もが、おお、と声を上げる。

 

 振り向いた大男は扇とわしの顔を見比べて、首をかしげた。

 

「暑いのか?」

「いや、そういうことではないが……」

 

 女房だけが、扇の金の地をじっと見ていた。

 

 大男が、顎で村の奥をしゃくった。

 

「いいぜ、ついてきな」

 

 案内されたのは、村長の家の裏にある納屋だった。

 

「納屋ではないか」

「家だよ♡ 旦那様が直したんだから」

 

 女房が胸を張った。

 床はなく、土の上に藁が敷いてある。壁の隙間には泥が詰めてあり、屋根の所どころに色の違う板が打ちつけてある。隅には、筵に巻いた長い物が立てかけてある。戸口には、野の花が一輪挿してあった。

 

「壁も屋根も、ぜんぶ自分たちで直したの。すごいでしょ?」

 

 わしの家は、大工に頼んだ。

 

 出された水はうまかった。欠けた椀ばかりの中から、女房はわしにだけ、欠けていないものを選んで寄越した。

 

「そなたら、牛は持たぬのか」

「ない。だから俺が引いてる」

「車は」

「車? あるわけねえだろ」

 

 大男は笑った。何がおかしいのか、わしにはわからない。

 

 わしの家には、竹の柱とはいえ、車宿りがある。牛もいる。

 ……もしや、わしの暮らしは別に質素ではないのか?

 

 いや、待て。質素とは物の多い少ないではなく、心のありようだ。わしは、心が質素なのだ。

 

「腹、減ってない? お昼、僕が炊いたの」

 

 女房が抱えてきた鍋の蓋を開けると、焦げた匂いが立った。底のほうは、炭のように黒い。

 

「……これは」

「ちょっと焦げただけ」

 

 大男が杓子で黒いところを剥がして、口に入れた。じゃりっ、と音がした。

 

「うめえ!」

「うそつき♡」

 

 女房は大男の肩を叩いて笑い、大男も笑った。わしは椀を持ったまま、二人を見ていた。

 

 炊く者を雇っているから、わしの家の飯は焦げたことがない。焦げた飯をうまいと言って食う男も、それを笑う女も、わしの家にはいない。

 

 わしも黒いところを一口食べた。

 

「……うまい」

「でしょ!」

 

 女房の顔が、ぱっと輝いた。

 

「わしは、鴨長明と申す。都で歌と琵琶を少々」

 

 名を聞いた大男が、目を剥いた。

 

「鴨長明!? 方丈記の!?」

「ほうじょうき?」

「なんか日記みたいな! 書いてないのか?」

 

 何を言っているのか、さっぱりわからぬ。

 

「わしは、そんなもの書いてはおらぬが」

「あっ」

 

 大男は口を押さえて、女房の方を見た。女房は首をかしげて、大男の脇腹をつついた。

 

「弁慶、また変なこと言ってる」

「言ってねえ」

 

 弁慶という名には聞き覚えがあった。京でも噂の、判官殿の盾を務める荒法師の名だ。その判官殿は、女と見紛う顔立ちだと聞く。

 

 わしは女房の顔を見た。

 

「そなたは、もしや」

 

 女房は唇に人差し指を当てて、片目をつむった。

 

「ただの奥方様だよ♡」

 

 わしは、男の顔に見とれていたのか。

 

 平家を西の海に沈めた大将が、床もない納屋で飯を焦がし、それをうまいと言う家来と笑っている。

 懐の扇が、急に重くなった。

 

 わしは扇を取り出して、判官殿の前に差し出した。

 

「飯の礼だ。売れば、米の一俵にはなろう」

 

 差し出したはずの指が、扇から離れない。

 

 その時、戸口から弓を担いだ娘と小柄な若者が入ってきた。

 

「あれ、お客さん?」

「旅の御方でございまするか」

 

 娘のほうも、判官殿に負けず劣らずの顔立ちだった。美しい女……と思いかけて、やめた。この一行は、見た目ではもう分からぬ。

 

「いらないなら、矢の的にちょうだい? いいでしょ?♡」

「やめろよ与一、もったいねえぞ」

「与一殿は、扇と見れば射たがりまするゆえ」

 

 若者が、困ったように笑った。

 判官殿は、扇から離れないわしの指を見て、静かに言った。

 

「大事な人にもらったんでしょ、持ってなよ。僕にもあるから、わかるよ」

 

 そう言って、懐から飴色の木の櫛をのぞかせる。その横で、弁慶が剃り上げた頭を掻いて、そっぽを向いた。

 

「……かたじけない」

 

 日が傾く前に、わしは納屋を辞した。納屋を出て少し歩いてから振り返ると、判官殿が弁慶の袖を引いて、しおれかけた戸口の花を挿し直させていた。大きな指が細い茎を、何度もつまみ直している。

 

 谷川に架かった丸木橋の上で懐から扇を出すと、褪せた金の地に日が光った。この扇を広げるたびに、わしは七つの子に戻っていた。院に頭を撫でられ、皆に褒めそやされた、あの頃の子に。

 

 流れの上に差し出し、指を緩めかけて、また握る。

 

 人に渡すことも、捨てることもできぬ、か。

 

「わしも、まだまだだな!」

 

 声に出すと、存外清々しかった。

 扇一本手放せぬ男が、家も牛も車も捨てて、山里に住めるはずがない。

 まあよい、今日のところは都の家へ帰るとしよう。

 

 扇を懐にしまい、道端で居眠りしていた牛飼童を起こし、わしは車に乗り込んで簾を下ろした。

 

 いつか小さな庵を結ぼう。手放せぬ物だけを抱えて入れるほどの小さな庵を。

 ほうじょうき。方丈、一丈四方の庵か。そうだ。その暮らしを書き記す日が来たら、名はそれがよい。

 

 牛がのそりと歩き出し、ごとりと車が動く。

 谷川のせせらぎが車輪の軋みに混じって少しずつ遠ざかっていく。

 

 その音を聞きながら、わしはただ、寝そべった。

 





 なんかランキングを見たら歴史x男の娘物が流行していて素敵ですね!

 次回は与一視点の予定です!
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