転生弁慶、仁王立ちで庇うたびに女装ショタ上司が曇っていく 作:メスガキ(♂)
前方の
それだけではない。背後に二人、左右の斜面にも人影がある。
「知り合いか?」
「知らない。僕の名は知ってるみたいだけど」
牛若の声から、さっきまでの軽さが消えた。
先頭の男が長刀を構えた。背後でも砂利を踏む音がする。振り向くと、二人が横に広がって退路を塞いでいた。
「誰に頼まれたの?」
牛若が腰の太刀へ手を掛けた。
「まあ、答えるわけないか。弁慶、手を出さなくていいよ。僕の問題だから」
僧兵が踏み込んだ。長刀が牛若の喉へ突き出される。
うわ。
こいつ、本当に刺す気だ。
牛若の身体が沈む。
最初の長刀を半身で潜り、
五人が地に伏すまで、十息とかからなかった。
「俺、いらなくね?」
昨夜も思ったが、こいつは強い。
ただ速いのではない。相手が何をしようとしているのかを見て、その一歩先へ入っている。しかも太刀は一度も抜いていない。
牛若は、長刀を拾おうとした僧兵の手首を鞘で押さえた。
そのとき、木の葉が鳴った。
斜面の上に、弓を引き絞った男がいた。
「牛若!」
考えるより先に身体が動いた。
牛若の胸を突き、俺の背後へ下がらせた。斜面の射手と牛若の間に、肩をねじ込む。俺一人なら横へ跳べる。だが、それでは矢がこいつに届く。
——ドッ!
「があっ!?」
左肩に衝撃が走った。
痛い。
何だこれ。
超痛い。
肩へ焼けた杭でも打ち込まれたようだった。身体の奥まで響き、膝から力が抜ける。ゲームなら赤い数字が浮かんで、すぐにヒーラーが緑の数字で埋めてくれた。ここにヒーラーはいない。肉が裂けた感触も、流れ出す血の熱さも、身体を動かすたび、刺さった矢が傷口を
「弁慶!」
怖い。
急に怖くなった。
こんなものを何本も食らったら死ぬ。当たり前だ。俺はゲームキャラじゃない。いくら身体が馬鹿みたいに頑丈でも、矢が刺されば血が出るし、血が出続ければ死ぬ。
だが、武蔵坊弁慶が死ぬのは、ここじゃない。
俺が死ぬのは奥州だ。ここは京の山道だ。山道で矢を一本もらって終わった弁慶なんて、聞いたことがない。
なら、この一発では死なない。
「……っ、は」
震えていた膝へ力を入れた。
立てた。
なんだ。
本当に立てるじゃないか。
「弁慶、退いて!」
牛若が腕を掴む。
その顔を見た瞬間、前世の記憶が一つだけ
『ナイスカバー! 助かった!』
前世では運動はできなかったし、人付き合いも苦手だった。仕事で誰かに褒められた記憶も、すぐには思い出せない。
それでもゲームの中では、仲間より先に殴られると褒めてもらえた。
「大丈夫だ」
「どこが!」
痛い。
超痛い。
それでも俺は、牛若の前へ戻った。
倒れていた僧兵が起き上がり、新手が斜面から駆け下りてくる。いくら牛若でも、多勢に無勢だ。だが全員を倒す必要なんてない。
敵の前に立つ。攻撃を受ける。後ろへ通さない。
それだけなら、何千時間もやってきた。
「おらァ! こっちだ!」
腹の底から
「弁慶、右!」
長刀が来る。
俺が止めて、牛若が倒す。
数の差が、見る間に消えていく。
「これだ」
思わず笑った。
「俺が殴られて、お前が殴る!」
「言い方!」
弓を持った男が斜面の上へ逃げ出した。それを見て、立てる連中も武器を捨てて走り出す。這っていた男まで、仲間の袖にすがって引きずられていった。
あとには、先頭にいた男だけが残った。片膝をつき、空の右手をこちらへ見せている。
牛若が太刀に手を掛けたまま、男へ近づいていく。
俺はその前へ柄を差し出した。
「待て、牛若。あとはこいつだけだ。縛っとこうぜ」
男の長刀を足で遠ざけ、腕を取ろうと手を伸ばす。
「弁慶、下がれ!」
左の袖から、短い刃が俺の腹へ伸びた。牛若が太刀を抜いた。男が横へ崩れる。喉を押さえた指の間から血が溢れ、土を蹴っていた足が止まった。
俺は、差し出した手を引っ込められずにいた。
死んだ。
さっきまで喋っていた人間が、目の前で死んだ。
男の口がまだ開いている。何か言うのを待ってしまった。もう動かないのだと分かった途端、握り飯が喉までせり上がってきた。
「お前……」
牛若が男の手から刃を蹴り離す。その小さな背中が怖かった。
なんで殺した、と言いかけて、落ちた刃を見た。
武器を落としたら、もう終わりだと思っていた。
こいつはまだ、俺を殺すつもりだった。
牛若が斬らなければ、俺の腹に刺さっていた。俺がここで死ねば、こいつはまた一人だ。
まだ舐めていた。
これは、マジの命のやり取りだ。
唾と一緒に吐き気を飲み込んだ。次は、武器を落としただけで気を抜かない。守ると言った相手に、俺の油断の尻拭いまでさせてたまるか。
「助かった」
「……うん」
牛若は死んだ男の顔を見下ろしていた。
「こいつら、鞍馬の坊さんか?」
「違う。鞍馬の人なら顔を知ってる」
「じゃあ誰だよ」
「たぶん、平家」
平家。
義経がやっつける側だ。俺が知っているのは、そのくらいしかない。
その平家が、源氏の子供一人のために、坊主の格好をさせた男を何人も山へ伏せていた。
そうか。
こいつはもう、命を狙われているんだ。
何年も先の歴史の話じゃない。今日の、この山道の話だ。
道を外れ、木立の陰で腰を下ろす。荷物を置いた拍子に矢が揺れ、肩に痛みが走った。動くたびに傷口を抉られる。早く抜いて、傷を塞がなければ。
矢へ手を掛けた。
「待って! 勝手に抜くな!」
牛若が俺の手首を掴んだ。さっき男を斬ったときより、ずっと怖い顔をしている。
「でも、刺さったままじゃ傷が広がるだろ」
「血がもっと出たらどうするんだよ!」
血を止められるか、と言われれば分からない。俺は矢から手を離した。
「分かった。どうすればいい」
「動かないで。まず、傷を見せて」
言われるまま襟を開けた。牛若が布を取り出す。その手に任せてじっとしていると、小さな声がした。
「なんで避けなかったの」
「避けたらお前に当たるだろ」
「僕なら避けられた!」
「それでも、万一があるだろ」
牛若が黙った。
視線が、俺の肩へ落ちる。
「弁慶は。弁慶が痛いのは、いいの?」
「よくねえよ。めちゃくちゃ痛かったぞ」
「だったら!」
「でも、俺はまだ死なない」
牛若が顔を上げた。
「それに、俺が受けると昔から褒めてもらえたんだ」
「……褒める?」
「ああ。俺が攻撃を受けると、助かったって言ってもらえた。だから、まあ……これでいいんだよ」
牛若は何も言わなかった。
ただ、俺の傷を見ていた。
それから顔を伏せ、ぽつりと言う。
「僕は、褒めない」
「え?」
「こんなの、褒めないから」
声が震えていた。
「もう、やらないで」
困った。
それは約束できない。
「努力はする」
「絶対やるじゃん!」
ようやく牛若がいつもの顔に少しだけ戻ったので、俺は笑った。
* * *
男が眠っている。
肩の傷は縛った。血は止まった。矢は抜いた。焚火の向こうで、山が崩れるような音を立てて息をしている。俺はその顔を見ていた。
「ざーこ」
返事はない。
誰も聞いていないときに、僕と言う必要はない。
平家の世で、源氏の遺児は目に付く。だから、この姿を選んだ。
奥州へ抜けるには、駒が要った。あの夜、九百九十九本の太刀の前に立っていた大男を見て、俺が考えたのはそれだけだ。
身元がない。後ろ盾がない。法師の形をしているのに寺の名を言わない。頭の中身は軽く、腕は化け物じみている。
——使える。
囮になる。盾になる。追っ手の目はまず大きい方へ行く。失っても惜しくない。握り飯二つで買えた。安い買い物だった。
父が敗れたとき、俺は生まれたばかりだった。俺が生きているのは、俺の代わりに死んだ者がいたからだ。
寺へ入れられてから、俺は決めた。
もう誰も連れて行かない。
それでも、一人では奥州へ行けない。だから、失っても構わない駒にした。
試すつもりで、行き先を言った。渋れば、笑って一人で行けばいい。
この男は、渋りもしなかった。
「どこへ行っても、俺がお前を守る」
何が欲しい。何を売りつけるつもりだ。いくら勘定しても、答えが出ない。人は得のあるほうへ動く。それだけで、ずっと人を読んできた。
この男だけが、読めない。
矢を受けた直後、この男は確かに一度怯えた。それなのに立ち上がり、あとでこう言った。
「俺が受けると昔から褒めてもらえたんだ」
誰がそんな値をつけた。
俺は、
「でも、俺はまだ死なない」
まだ、と言った。血を流しながら、そこだけは疑ってもいなかった。
いつまで、死なないつもりでいる。
そんな男に俺は、ありがとう、と言いかけたのだ。血が止まったとき。布を縛る俺に、この男が大人しく肩を預けてきたとき。
飲み込んだ。礼を言えば、この傷までよかったことにされる。
褒めてしまったら、この男は止まらない。
この男が前へ出るより先に、射手を取る。庇う暇もないほど早く、全部を終わらせる。
——それでも足りなければ。
俺の前に立てないよう、この男の膝を砕いてでも止める。
駒に壊れられては困る。ただそれだけだ。
焚火が
「おやすみ、弁慶」
明日になれば、俺はまた僕に戻る。