転生弁慶、仁王立ちで庇うたびに女装ショタ上司が曇っていく 作:メスガキ(♂)
たくさんの応援ありがとうございます!
嬉しいので朝に更新してみました!
朝風呂の湯に肩まで沈むと、身体中が悲鳴を上げた。
「いってえ……」
湯の中で右腕を持ち上げてみる。昨夜は紫だった痣が、もう黄色く
回復力まで極振りか、この身体。
ただ、背中だけは別だった。棒を三本まとめて受けたところが、湯に浸かっただけで脈を打つように痛む。自分では見えない。見えないが、ろくなことになっていないのは分かる。
「おはよ、ハゲ」
戸が開いた。
牛若だった。手拭い一枚で前を隠して、当たり前のような顔で湯殿へ入ってくる。
湯気の向こうの肩は、白くて細かった。首も腕も、枝のように頼りない。脱げば少しは男らしく見えるかと思っていたが、何も変わらなかった。
むしろ悪化している。男だと主張しているのは、浮いた鎖骨の角ばり方くらいだ。
「なんで入ってくんだよ! 男風呂だぞ!」
「僕も男だよ?」
「知ってる! 知ってるけど目が納得しねえんだよ!」
付き合っていられない。湯から立ち上がった。
牛若の視線が、下がった。
「……おっきいね♡」
「見んな!」
湯に沈み直すと、飛沫が牛若の顔まで跳ねた。
牛若は咳払いを一つして、何事もなかったような顔を作った。
「昨日、背中流すって言ったでしょ」
「断っただろ!」
「なに、意識したの? ざーこ♡」
牛若は湯を
「うおっ」
「動かないで。洗ってあげる」
小さな手が、頭のてっぺんをごしごし
「おお。つるつるで洗いやすい」
「人の頭を皿みたいに……」
文句を言いながら、俺は大人しく頭を差し出していた。出会った夜から散々こちらの頭を叩いていた手なのに、洗い方は意外なほど丁寧だった。
「じゃあ次、背中」
「いい。自分でやる」
背中は、湯船の縁に押しつけたままにした。
牛若の目が細くなった。
「……背中、見せて」
「だから、いいって」
「見せて」
答えるより早く、牛若が俺の脇へ身体をねじ込み、背中を覗き込んだ。止める間もなかった。
牛若の手から、手拭いが落ちた。
しばらく、湯の滴る音しかしなかった。
牛若が見ているのは、棒三本分が一か所に重なったところだ。昨夜より腫れて、たぶん黒に近い色をしている。
牛若は何も言わなかった。落ちた手拭いを拾い、湯に浸して、そっと背中へ当てた。擦らなかった。当てて、離して、また当てた。
「……これ、残るかな」
「残ったって別にいいだろ」
「よくない」
声が小さかった。昨夜、布を巻きながら聞いた声と同じだった。
振り返らなくても、どんな顔をしているかは分かった。
「ガキがそんな顔すんな」
「……ガキじゃないし」
「はいはい」
牛若はそれきり黙って、俺の背中を流し続けた。
風呂を出て縁側に腰を下ろすと、湯上がりの肌を朝の風が撫でていく。痣の痛みまで少し引いた気がした。
「武蔵坊殿。
吉次が
「おう、ありがとな」
受け取ってから、つい口が滑った。
「コーヒー牛乳はねえかな」
「こーひー……?」
「いや、なんでもない」
白湯を
コーヒー牛乳は、あと八百年ばかり待つことにした。
「そういや、牛若は?」
風呂から先に上がったきり、姿を見ていない。
「少し歩いてくる、と。池の方へ」
「池?」
「宿の裏手に、小さな池がございます。鏡池と申しまして」
吉次はそれだけ言って、椀を下げていった。
小道を抜けると、木立の中に池があった。
風のない水面が空と木の枝をそのまま映している。鏡池とはよく言ったものだ。
そのほとりに、牛若がいた。
足が止まった。
女物の小袖ではない。地味な色の
なんだ、これ。
声を掛けようとして、掛けられなかった。
牛若の前の平たい石に、太刀と脇差が並べて置かれている。
その二振りへ向かって、牛若は深く頭を下げた。
何の意味があるのか、俺には分からない。ただ、ふざけているのではないことだけは確かだった。
牛若が水際に膝をつき、両手で池の水を
ためらわなかった。
切れた髪が指の間から水面へ落ち、浮いて、ゆっくりと流れていく。
そこで、牛若がこちらに気づいた。
小刀を持つ手が、止まった。
見開いた目が俺を見ていた。見られた、という顔だった。橋の上でも湯殿でも、一度もしなかった顔。
だがそれは、ほんの一瞬だった。
牛若は、やめなかった。
ゆっくりと立ち上がり、池を背にして俺の方へ向き直る。目を逸らさなかった。そのまま、続きを始めた。
背に流していた髪を両手で集め、うなじのところで一つに握る。そこへ、小刀を当てた。
背中まであった髪が、束のまま手に残った。
牛若はその束を、太刀の隣へそっと置いた。それから短くなった髪を頭の上へ掻き上げ、根元を白い紐で巻いていく。一巻き、二巻き。俺の方を見たまま、指先だけが迷いなく動いた。
そして懐から、黒いものを取り出した。
烏帽子だ。先を左へ折ったそれを結い上げた髪へ静かに被せ、顎の下で紐を結ぶ。
最後に一度だけ、牛若は池を見下ろした。
顔を上げた時には、もう稚児ではなかった。
元服だ。
俺でも、そのくらいは分かった。
立ち会う大人は、一人もいなかった。烏帽子を被せてやる人間も、髪を結ってやる人間も。牛若はそれを全部、自分の手でやった。見ていたのは、石の上の刀と、俺だけだった。
何か言わなければいけない気がした。
「……名前は?」
牛若が、こちらを見た。
「
源義経。
知っている名前だ。この世界に来た最初の夜から、ずっと知っていた。
なのに、初めて聞いたような気がした。
ついさっきまで、湯の中で「ざーこ♡」と笑っていた。脱いでも美少女のままだった。人の頭を皿みたいに洗っていた。俺の背中を見て、手拭いを落とした。
それと、目の前に立っている男が、同じ人間だと思えなかった。
違う顔になったんじゃない。
俺が、この顔を知らなかっただけだ。
——ああ。
この人が、源義経なんだ。
義経は石の上の二振りを取り、腰に差した。俺の横を通り過ぎるとき、ほんの少しだけ足を止めた。
何も言わなかった。
俺も、何も言えなかった。
石の上には、切った髪の束だけが残っていた。
* * *
昼前に、宿を
薙刀を担いで表へ出ながら、俺は妙に背筋が伸びていた。
源九郎義経。俺の主君。
昨日までみたいに「こいつ」呼ばわりしていいのか。いや、よくないだろう。何と呼べばいい。義経様か。九郎様か。
「おまたせー」
その声に振り返ると、女物の小袖を着た義経が立っていた。
烏帽子はない。結い上げた髪も解いて、肩にも届かない短い髪が風に揺れている。
「…………」
「なに?」
「なんでその格好なんだよ!」
「旅するには、こっちの方が便利だから」
「お前、元服しただろ!」
「したよ?」
メスガキはいつものようにけらけら笑った。
「源九郎義経になっただろ!」
「なったね」
「じゃあなんで女装なんだよ!」
「道中、見つかりにくいし」
義経は袖を広げて、くるりと回ってみせた。短い髪が、ふわりと広がる。
「それに、髪が短いのも似合うでしょー?」
ショートカットの美少女にしか見えない。
「……似合うけどよ」
「ざーこ♡」
「元に戻ってんじゃねえか!」
吉次が、黙って目を逸らした。
三人で、また街道を歩き出す。
俺の少し前を、女物の小袖が揺れている。見た目も態度も、昨日までと何も変わらない。
「はやくはやく、平泉に行くよー」
「へいへい」
薙刀を担ぎ直して、その背中を追う。
二歩進んでから、思い直した。
「——承知しました、殿」
義経が振り返った。
目を丸くして、それから、少しだけ笑った。
「……遅いよ、弁慶」
第一部 完