転生弁慶、仁王立ちで庇うたびに女装ショタ上司が曇っていく   作:なほやん

5 / 29

 たくさんの応援ありがとうございます!
 嬉しいので朝に更新してみました!


第五話 源九郎義経

 

 朝風呂の湯に肩まで沈むと、身体中が悲鳴を上げた。

 

「いってえ……」

 

 湯の中で右腕を持ち上げてみる。昨夜は紫だった痣が、もう黄色く褪(あ)せ始めていた。左肩の矢傷も、牛若が巻き直した布の下で塞がりかけている。

 

 回復力まで極振りか、この身体。

 

 ただ、背中だけは別だった。棒を三本まとめて受けたところが、湯に浸かっただけで脈を打つように痛む。自分では見えない。見えないが、ろくなことになっていないのは分かる。

 

「おはよ、ハゲ」

 

 戸が開いた。

 

 牛若だった。手拭い一枚で前を隠して、当たり前のような顔で湯殿へ入ってくる。

 

 湯気の向こうの肩は、白くて細かった。首も腕も、枝のように頼りない。脱げば少しは男らしく見えるかと思っていたが、何も変わらなかった。

 むしろ悪化している。男だと主張しているのは、浮いた鎖骨の角ばり方くらいだ。

 

「なんで入ってくんだよ! 男風呂だぞ!」

「僕も男だよ?」

「知ってる! 知ってるけど目が納得しねえんだよ!」

 

 付き合っていられない。湯から立ち上がった。

 牛若の視線が、下がった。

 

「……おっきいね♡」

「見んな!」

 

 湯に沈み直すと、飛沫が牛若の顔まで跳ねた。

 牛若は咳払いを一つして、何事もなかったような顔を作った。

 

「昨日、背中流すって言ったでしょ」

「断っただろ!」

「なに、意識したの? ざーこ♡」

 

 牛若は湯を桶(おけ)で汲むと、断りもなく俺の頭へかけた。

 

「うおっ」

「動かないで。洗ってあげる」

 

 小さな手が、頭のてっぺんをごしごし擦(こす)る。

 

「おお。つるつるで洗いやすい」

「人の頭を皿みたいに……」

 

 文句を言いながら、俺は大人しく頭を差し出していた。出会った夜から散々こちらの頭を叩いていた手なのに、洗い方は意外なほど丁寧だった。

 

「じゃあ次、背中」

「いい。自分でやる」

 

 背中は、湯船の縁に押しつけたままにした。

 牛若の目が細くなった。

 

「……背中、見せて」

「だから、いいって」

「見せて」

 

 答えるより早く、牛若が俺の脇へ身体をねじ込み、背中を覗き込んだ。止める間もなかった。

 

 牛若の手から、手拭いが落ちた。

 

 しばらく、湯の滴る音しかしなかった。

 

 牛若が見ているのは、棒三本分が一か所に重なったところだ。昨夜より腫れて、たぶん黒に近い色をしている。

 

 牛若は何も言わなかった。落ちた手拭いを拾い、湯に浸して、そっと背中へ当てた。擦らなかった。当てて、離して、また当てた。

 

「……これ、残るかな」

「残ったって別にいいだろ」

「よくない」

 

 声が小さかった。昨夜、布を巻きながら聞いた声と同じだった。

 

 振り返らなくても、どんな顔をしているかは分かった。

 

「ガキがそんな顔すんな」

「……ガキじゃないし」

「はいはい」

 

 牛若はそれきり黙って、俺の背中を流し続けた。

 

 風呂を出て縁側に腰を下ろすと、湯上がりの肌を朝の風が撫でていく。痣の痛みまで少し引いた気がした。

 

「武蔵坊殿。白湯(さゆ)でございます」

 

 吉次が椀(わん)を差し出してきた。

 

「おう、ありがとな」

 

 受け取ってから、つい口が滑った。

 

「コーヒー牛乳はねえかな」

「こーひー……?」

「いや、なんでもない」

 

 白湯を啜(すす)る。うまい。

 コーヒー牛乳は、あと八百年ばかり待つことにした。

 

「そういや、牛若は?」

 

 風呂から先に上がったきり、姿を見ていない。

 

「少し歩いてくる、と。池の方へ」

「池?」

「宿の裏手に、小さな池がございます。鏡池と申しまして」

 

 吉次はそれだけ言って、椀を下げていった。

 

 小道を抜けると、木立の中に池があった。

 風のない水面が空と木の枝をそのまま映している。鏡池とはよく言ったものだ。

 

 そのほとりに、牛若がいた。

 

 足が止まった。

 

 女物の小袖ではない。地味な色の直垂(ひたたれ)を着て、長い髪を背へ下ろしている。結っていない髪は、思っていたよりずっと長かった。

 

 なんだ、これ。

 

 声を掛けようとして、掛けられなかった。

 

 牛若の前の平たい石に、太刀と脇差が並べて置かれている。

 その二振りへ向かって、牛若は深く頭を下げた。

 

 何の意味があるのか、俺には分からない。ただ、ふざけているのではないことだけは確かだった。

 

 牛若が水際に膝をつき、両手で池の水を掬(すく)って、額に掛かる前髪を濡らす。懐から小刀を取り出し、濡れた前髪をつまんで、刃を当てた。

 

 ためらわなかった。

 

 切れた髪が指の間から水面へ落ち、浮いて、ゆっくりと流れていく。

 

 そこで、牛若がこちらに気づいた。

 小刀を持つ手が、止まった。

 

 見開いた目が俺を見ていた。見られた、という顔だった。橋の上でも湯殿でも、一度もしなかった顔。

 だがそれは、ほんの一瞬だった。

 

 牛若は、やめなかった。

 ゆっくりと立ち上がり、池を背にして俺の方へ向き直る。目を逸らさなかった。そのまま、続きを始めた。

 

 背に流していた髪を両手で集め、うなじのところで一つに握る。そこへ、小刀を当てた。

 背中まであった髪が、束のまま手に残った。

 

 牛若はその束を、太刀の隣へそっと置いた。それから短くなった髪を頭の上へ掻き上げ、根元を白い紐で巻いていく。一巻き、二巻き。俺の方を見たまま、指先だけが迷いなく動いた。

 

 そして懐から、黒いものを取り出した。

 烏帽子だ。先を左へ折ったそれを結い上げた髪へ静かに被せ、顎の下で紐を結ぶ。

 

 最後に一度だけ、牛若は池を見下ろした。

 顔を上げた時には、もう稚児ではなかった。

 

 元服だ。

 

 俺でも、そのくらいは分かった。

 

 立ち会う大人は、一人もいなかった。烏帽子を被せてやる人間も、髪を結ってやる人間も。牛若はそれを全部、自分の手でやった。見ていたのは、石の上の刀と、俺だけだった。

 

 何か言わなければいけない気がした。

 

「……名前は?」

 

 牛若が、こちらを見た。

 

「源九郎義経(みなもとのくろうよしつね)」

 

 源義経。

 

 知っている名前だ。この世界に来た最初の夜から、ずっと知っていた。

 なのに、初めて聞いたような気がした。

 

 ついさっきまで、湯の中で「ざーこ♡」と笑っていた。脱いでも美少女のままだった。人の頭を皿みたいに洗っていた。俺の背中を見て、手拭いを落とした。

 

 それと、目の前に立っている男が、同じ人間だと思えなかった。

 

 違う顔になったんじゃない。

 俺が、この顔を知らなかっただけだ。

 

 ——ああ。

 

 この人が、源義経なんだ。

 

 義経は石の上の二振りを取り、腰に差した。俺の横を通り過ぎるとき、ほんの少しだけ足を止めた。

 

 何も言わなかった。

 俺も、何も言えなかった。

 

 石の上には、切った髪の束だけが残っていた。

 

     * * *

 

 昼前に、宿を発(た)つことになった。

 薙刀を担いで表へ出ながら、俺は妙に背筋が伸びていた。

 

 源九郎義経。俺の主君。

 

 昨日までみたいに「こいつ」呼ばわりしていいのか。いや、よくないだろう。何と呼べばいい。義経様か。九郎様か。

 

「おまたせー」

 

 その声に振り返ると、女物の小袖を着た義経が立っていた。

 烏帽子はない。結い上げた髪も解いて、肩にも届かない短い髪が風に揺れている。

 

「…………」

「なに?」

「なんでその格好なんだよ!」

「旅するには、こっちの方が便利だから」

「お前、元服しただろ!」

「したよ?」

 

 メスガキはいつものようにけらけら笑った。

 

「源九郎義経になっただろ!」

「なったね」

「じゃあなんで女装なんだよ!」

「道中、見つかりにくいし」

 

 義経は袖を広げて、くるりと回ってみせた。短い髪が、ふわりと広がる。

 

「それに、髪が短いのも似合うでしょー?」

 

 ショートカットの美少女にしか見えない。

 

「……似合うけどよ」

「ざーこ♡」

「元に戻ってんじゃねえか!」

 

 吉次が、黙って目を逸らした。

 

 三人で、また街道を歩き出す。

 俺の少し前を、女物の小袖が揺れている。見た目も態度も、昨日までと何も変わらない。

 

「はやくはやく、平泉に行くよー」

「へいへい」

 

 薙刀を担ぎ直して、その背中を追う。

 

 二歩進んでから、思い直した。

 

「——承知しました、殿」

 

 義経が振り返った。

 

 目を丸くして、それから、少しだけ笑った。

 

「……遅いよ、弁慶」

 





 お気に入り、評価よろしくお願いします!
 応援いただけると、とっても嬉しいです!
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。