転生弁慶、仁王立ちで庇うたびに女装ショタ上司が曇っていく   作:なほやん

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第二部 平泉
第六話 八百年


 

「殿! 足元がぬかるんでますぜ!」

 

 鏡宿を発って三日。旅は平和だった。

 道の両脇で、刈り入れ前の稲が重たそうに頭を垂れている。踏み固めた土の街道には、舗装も標識もない。すれ違うのは荷を背負った行商人と、たまに馬に乗った侍くらいのもので、車の音の代わりに鳥がやかましい。

 女物の小袖の背中が、俺の少し前を跳ねるように歩いている。短くなった髪が、歩くたびに揺れていた。

 

 その背中がぴたりと止まって、次の瞬間にケラケラ笑い出した。

 

「吉次、聞いたー? ハゲが『殿!』だって!」

「笑うな! まだどう呼べばいいか迷ってるんだよ!」

「他はー?」

「メスガキ!」

「結局それ?」

「なら……九郎様?」

「うわ、背中かゆい」

 

 また笑われた。

 

「じゃあ……義経」

 

 後ろで、吉次の荷ががたんと鳴った。どうやら、失礼な言い方だったらしい。

 義経の方は、怒らなかった。

 

「……ふうん」

 

 それだけ言って、前を向いて歩き出す。さっきより足取りが軽い。だが、吉次の顔を見る限り、二度と言わない方がいいようだ。

 

「今のは無しだ!」

「えー」

 

 殿は笑われる。様はかゆい。名前を呼べば、吉次が荷を落としかける。

 あぁ、なんと呼べばいいんだ。

 

 悩みながら幾日も歩き、駿河(するが)に入ったあたりで木立が切れた。

 

 富士山があった。

 

 田んぼの向こうから、裾野(すその)が空へ向かってまっすぐに伸び上がっている。電線も看板もないせいで、左右の裾の端から端まで、何にも遮られずに見える。家も、道も、行き交う人の着物も、この世界のものは何ひとつ見覚えがない。それなのに、この形だけは知っていた。

 

 小学生のころ、親の車の後部座席で見た。父がハンドルを握ったまま「ほら、富士山だぞ」と言って、俺はゲーム機から顔を上げて、「ふうん」とだけ返した。たぶん、あれが最後の家族旅行だった。そのあと俺はネトゲに潜ったきりで、親とどこかへ出かけることは一度もなかった。

 

 その親にも、もう会えない。こっちへ来てから、一度も思い出さなかったのに。

 

 八百年前でも、この山だけは変わらないのか。

 

 気づいたら、頬が濡れていた。

 

 隣で、義経が足を止めていた。

 何か言われると思った。ハゲが泣いてる、とか。

 だが、義経は何も言わず、俺の顔と山を見比べていた。

 

「何ぼーっとしてるの、はげ。いくよー」

 

 いつもより、少しだけ遅い声だった。

 

     * * *

 

 その夜は、黄瀬川(きせがわ)の宿に泊まった。宿の裏を川が流れていて、夜になると水の音と虫の声ばかりが耳につく。吉次はさっさと寝てしまい、俺は縁側で夜風に当たっていた。縁側の端で、蚊遣りの煙が細く上っている。月が出ていて、富士山の影が昼よりも大きく見えた。

 

 床板が鳴る。

 義経が、隣に腰を下ろしていた。

 

「昼間、泣いてたでしょ」

「泣いてねえ。目にゴミが入っただけだ」

 

 虫の音だけが響いていた。

 

「僕ね、母上の顔をもうあんまり覚えてないんだ」

 

 義経は、富士山の方を見たまま、ぽつりと言った。

 

「七つで鞍馬に入れられて、それっきり。母上は今、別の家の人だし」

 

 こいつも、会えないのか。

 親がいて、生きているのに。

 

 また、目の奥が熱くなった。

 昼間泣いたばかりなのに、まだ出るらしい。慌てて袖で拭おうとした。

 

「……いいんだよ、弁慶」

 

 義経は、こっちを見ないまま言った。

 月明かりで、その頬が濡れているのが見えた。

 

 何も話していない。それでも、こいつには分かったらしい。

 

「……ありがとな、義経」

 

 義経は袖で目元をこすると、それ以上は何も訊かず、南の暗がりを指さした。

 

「あの山の向こう、伊豆にね、兄上がいるんだって。会ったことないけど」

 

 兄貴。

 義経について俺が知っている、数少ないことの一つだ。兄貴と揉める。

 会ったこともない兄を、どこか楽しみにしている義経には、そんなことは言えなかった。

 

「いつか会えるといいな」

「うん」

 

 しばらく、二人で富士山の影を見ていた。

 月が、ゆっくりと山の肩へ寄っていく。蚊遣りの煙が細くほどけて、どちらへ行くでもなく夜の中へ溶けていった。

 川の音と虫の声だけが、いつまでも途切れなかった。

 

     * * *

 

 関東の野は、どこまでも平らだった。前世なら、このあたりは家とビルで埋まっているはずだ。今は見渡すかぎり、背丈より高い萱(かや)の原と沼しかない。その原を何日も抜け、大きな川は渡し舟で越えて、北へ歩いた。だんだん山が近づき、朝晩の風が冷たくなっていった。

 

「この白河(しらかわ)の関を越えれば、奥州でございます」

 

 吉次が指さした先で、山あいの細い道を、木の柵と番小屋が塞いでいた。

 

「奥州!? 俺たちは平泉に向かってたんじゃなかったのか?」

「知らないの? 平泉は奥州にあるんだよ?」

 

 義経が、心底呆れた顔でこちらを見上げた。

 

 奥州。

 

 京の橋の上で、俺はたしかにこう考えた。俺が死ぬのは奥州だ。平泉ではない。なら平泉は安全だと。その平泉が、奥州にあった。

 

「おいおいおい、死ぬとこじゃねーか!」

 

 吉次と義経が、そろってこっちを見た。

 

「死ぬ……?」

 

 義経は、首を傾げたまま俺を見ていた。

 

 いや、待て。

 最初は、俺がいつ死ぬかばかり気にしていた。

 今は違う。俺は、義経を守って死ぬ。義経も、最後は奥州で死ぬ。

 ……俺が守ったのに、死ぬのか? それとも、俺が死んだ後なのか?

 順番なんて、覚えていない。

 ……ええい、とにかく!

 

「俺が、死んでもお前を守るからな!」

 

 義経が、きょとんと目を瞬いた。

 それから、困ったように眉を下げる。

 

「……死んじゃいやだよ」

 

 小さな声だった。

 返事をする前に、義経はぷいと前を向いて、すたすたと関の方へ歩き出した。

 柵の手前で、ぴたりと止まる。こっちに背中を向けたまま、動かない。

 ……怖がらせちまったか。

 なら、なおさら俺がしっかりしねえと。

 

 俺は義経の前へ回り込んで薙刀を担ぎ直した。番小屋の男を睨みつける。男は吉次の顔を見るなり、愛想よく頭を下げた。油断させる気だな?

 

 背中を、指でつつかれた。

 

「ねーえ」

 

 やけに明るい声だった。

 振り向くと、義経がいつもより大げさに、にやにや笑っていた。

 

「そんなに硬くならないで♡」

「言い方ぁ!」

 

 奥州に入ると、山が深くなり、道も細くなった。

 俺は、目に入るものを片っ端から疑った。

 

 弓を背負った男が藪から出てくれば義経の前に飛び出した。男はただの猟師だった。丘の上の館では門の前で薙刀を構え、門番に深々と頭を下げられた。子供が駆け寄ってくれば受け止めた。

 

「安全確認、ヨシ!」

「なにそれ」

 

 義経が、子供からもらった栗を剥きながら横目でこちらを見た。

 

「なんかハゲが急に真面目になっちゃった」

「真面目じゃねえよ。ここは危ねえんだ」

「どうして?」

「……勘だ」

「ふうん」

 

 義経は栗を口へ放り込んで、前を向いた。

 

「つまんないの」

 

 峠道に差しかかったところで、藪が一斉に鳴った。

 

 男たちが、ばらばらと道へ飛び出してくる。五人、いや六人。錆びた刀に、棍棒に、竹槍。どう見ても堅気ではない。

 

「ほら来たぞ!」

 

 思わず声が出た。

 白河の関を越えてから、どこから来るか分からない何かに、ずっと身構えていた。目の前に出てきてくれるなら、その方がずっといい。こいつらなら、殴れば済む。

 

「殿は下がってろ!」

 

 義経を背中へ押しやり、道の真ん中に足を開いて立つ。薙刀を横に構えれば、この狭い峠道はそれで塞がる。ヘイトは全部、俺が持つ。

 

「身ぐるみ置いていけ!」

 

 先頭の髭面が刀を振り上げて——そのまま止まった。

 視線が、俺の肩越しに後ろへ向いている。

 

「……吉次どの?」

「おや、ご無沙汰しております」

 

 吉次が、荷の陰からにこやかに会釈した。髭面の顔から、みるみる血の気が引いていく。

 

「き、吉次どのの連れとは知らず、とんだご無礼を!」

 

 六人が、揃って道端に平伏した。

 

「秀衡(ひでひら)様のお客人に手ぇ出したとあっちゃ、この国じゃ生きていけねえんで……!」

「お、おう……?」

 

 振り上げた薙刀の、下ろしどころがない。

 髭面は懐から干し柿を取り出し、震える手で差し出してきた。

 

「よ、よろしければ、道中の足しに……」

 

 山賊は、そのまま峠の下まで道案内をしてくれた。

 道々、吉次は髭面と世間話をしていた。今年の砂金の出がどうだの、どこの沢が荒れているだの。髭面はそのたびに「へい」「へい」と腰を折っている。

 

 ……吉次って、もしかして、すごいやつなのか?

 京からずっと、腰が低いだけの商人だと思っていた。

 

「よかったね、ハゲ」

 

 義経が、干し柿をかじりながら言った。

 

「安全確認、ヨシ?」

「……ヨシ」

 

     * * *

 

 平泉は京より派手だった。京が都じゃなかったのか?

 

 木立のあちこちから寺の屋根がのぞき、どこからか読経(どきょう)の声が流れてくる。通りには荷を積んだ馬が行き交い、その数が京とは比べものにならない。軒先には、干した鮭がずらりと吊るされていた。吉次によれば、山の上の寺には、中まで全部金でできたお堂があるらしい。

 

 町の北を、川が流れていた。

 

「あれが衣川(ころもがわ)にございます」

 

 川幅はそれほど広くない。浅瀬が夕方の光を跳ね返して、川面も、向こう岸の林も、同じ赤に染まっていた。

 

 奥州に入ってから、ずっと肩に力が入っていた。それが、ここに立っていると、なぜか抜けていく。

 少なくともここは、人が死ぬような場所には見えなかった。

 

「きれいだな……」

 

 その時、蹄の音がした。

 

 川沿いの道を、馬が一頭、まっすぐこちらへ駆けてくる。京で見た馬よりひと回り大きい。速い。止まる気配がない。

 

「下がれ!」

 

 義経の前へ踏み出し、薙刀を構える。馬ごと来るなら、馬ごと止める。

 

 蹄が、目の前で土を跳ね上げて止まった。

 乗っていた若い男が、身軽に飛び降りる。義経より四つ五つ上だろうか。毛皮の上着を羽織り、日に焼けた顔で笑っていた。

 

 後ろで、吉次が慌てて膝をつく気配がした。

 そして、俺の脇の下から、義経がするりと前へ出た。

 

「おい!」

「いいから」

 

 止める間もなかった。義経は男の前まで歩いていき、きちんと頭を下げた。

 

「源九郎義経にございます。お世話になります」

「お待ちしておりました、九郎どの。藤原泰衡(ふじわらのやすひら)と申します。次郎とお呼びください」

 

 男——泰衡は、義経よりも深く頭を下げた。

 顔を上げると、目尻を下げて笑う。

 

「父から、お話はかねがね。長い道中、お疲れだったでしょう」

「いえ……次郎どのこそ、わざわざお出迎えを」

 

 九郎どの。次郎どの。

 俺が何日かけても決められなかった呼び方を、こいつらは一瞬で決めやがった。

 

「待ちきれなかったのです。つい馬を飛ばしてしまいました」

 

 泰衡がこちらを見て、すまなそうに眉を下げた。

 

「驚かせてしまいましたね、従者どの」

 

 従者どの!?

 ……いや、合ってはいる。合ってはいるが。

 構えたままの薙刀が、急に間抜けに思えた。

 

 それから泰衡は、義経の短くなった髪へ、そっと手を伸ばした。

 ひと房を指ですくって、柔らかく笑う。

 

「元服されたばかりと聞きました。よくお似合いですね」

「……え。あ、はい……どうも」

 

 義経は固まっていた。払いのけもせず、笑いもせず、目だけが泰衡と俺の間を行ったり来たりしている。

 

 いつもの憎まれ口が、どこにもない。

 俺が似合うと言った時は、「ざーこ♡」だったくせに。

 

 胸のあたりが、むかむかする。

 これはあれだ。勘だ。俺の勘が、こいつは危ないと言っている。

 

 奥州に入って、初めて殿に触れた男。距離が近すぎる。笑顔が優しすぎる。

 こいつが怪しいに違いない!

 

 俺は二人の間に割って入った。

 

「殿から離れろ、この野郎!」

 





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