転生弁慶、仁王立ちで庇うたびに女装ショタ上司が曇っていく   作:なほやん

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第二部 平泉(一)
第六話 八百年


 

 鏡宿を発って三日。旅は平和だった。土の街道を、鳥が呑気につついている。

 なにしろ行き先は平泉だ。弁慶が死ぬのは奥州で、平泉ではない。

 

「吉次、平泉まであとどれくらいだ?」

「奥州ですからねえ。まだしばらくかかります」

 

 吉次が、荷を背負い直しながら答えた。

 

「……奥州?」

「え、知らなかったのー?」

 

 前を歩いていた義経が、心底呆れた顔で振り返った。

 

「おいおいおい、死ぬとこじゃねーか!」

 

 吉次と義経が、そろってこっちを見た。義経の首が、こてんと傾く。

 

「死ぬ……?」

 

 やべ、声に出てた。

 

「なあ。平泉はやめて、他の場所行こうぜ?」

「なんでー?」

「いや、なんとなく」

 

 義経が、少し長く俺を見た。

 

「行くとこ、平泉しかないもん」

 

 前は、俺が死ぬのが怖かった。今は、こいつが死ぬ方が怖い。

 俺は、義経を守って死ぬ。義経も、最後は奥州へ逃げて死ぬ。——今、まさに逃げてる最中じゃねえか。

 ……俺が守ったのに、死ぬのか? それとも、俺が死んだ後なのか?

 順番なんて、覚えていない。

 ええい、とにかく!

 

「俺が、死んでもお前を守るからな!」

 

 義経はきょとんと目を瞬いて、それから、困ったように眉を下げた。

 

「……死んじゃいやだよ」

 

 返事をする前に、義経はぷいと前を向いて、すたすたと歩き出した。

 少し先で、足が止まった。こっちに背中を向けたまま、動かない。

 

 何か言わなきゃと思うのに、足も口も動かない。なんて声をかければいい。

 

 迷っているうちに、義経が、くるりとこっちを向いた。ずんずん戻ってきて、俺の胸を指でつついた。

 

「ねーえ」

 

 いつもより大げさに、にやにや笑っている。

 

「そんなに硬くならないで♡」

「言い方ぁ!」

 

 義経は満足そうに、また俺の少し前を跳ねるように歩いていく。女物の小袖の背中で、短くなった髪が揺れていた。

 

「殿! 足元がぬかるんでますぜ!」

 

 その背中がぴたりと止まって、次の瞬間にけらけら笑い出した。

 

「吉次、聞いたー? ハゲが『ますぜ!』だって!」

「笑うな! 家来らしくしてんだよ!」

「似合わなーい。人前は殿でいいけど、しゃべり方は今まで通りでいいよ」

「今まで通りって言われてもな。メスガキ?」

「結局それ?」

「じゃあ……義経」

 

 後ろで、吉次の荷ががたんと鳴った。

 義経の方は、怒らなかった。

 

「ふうん」

 

 それだけ言って、さっきより軽い足取りで先を行く。

 吉次の顔が、真っ青だった。

 

「今のは無しだ!」

「えー」

 

     * * *

 

 幾日か歩いて、駿河(するが)の黄瀬川(きせがわ)の宿に着いた。宿の裏を川が流れていて、水の音と虫の声ばかりが耳につく。吉次は宿の者と話し込んでいて、俺は縁側で夕風に当たっていた。端の方で、蚊遣りの煙が細く上っている。

 

 川の向こうに、富士山があった。

 

 電線も看板もない空へ向かって、裾野(すその)がまっすぐに伸び上がっている。家も、道も見覚えがないのに、この形だけは知っていた。

 

 子供のころ、親の車の後部座席で見た。父がハンドルを握ったまま「ほら、富士山だぞ」と言って、俺はゲーム機から顔を上げて、「ふうん」とだけ返した。たぶん、あれが最後の家族旅行だった。そのあと俺はネトゲに潜ったきりで、親とどこかへ出かけることは一度もなかった。

 

 その親にも、もう会えない。こっちへ来てから、一度も思い出さなかったのに。

 

 八百年前でも、この山だけは変わらないのか。

 

 気づいたら、頬が濡れていた。

 

 床板が鳴った。

 慌てて、袖で顔をこすった。

 何か言われると思った。ハゲが泣いてる、とか。

 だが、義経はそれには触れず、俺の顔と山を見比べていた。

 

「何ぼーっとしてるの、ハゲ。ごはん、できたって」

 

 そう言ったくせに、義経は黙って隣に腰を下ろした。

 しばらく、どちらも何も言わなかった。暮れていく富士を、二人で見ていた。

 

「僕ね、母上の顔をもうあんまり覚えてないんだ」

 

 ぽつりと言って、義経は膝を抱えた。

 

「七つで鞍馬に入れられて、それっきり。母上は今、別の家の人だし」

 

 こいつも、会えないのか。

 親がいて、生きているのに。

 

 義経は、南の暗がりを指さした。

 

「あの山並みの向こう、伊豆にね、兄上がいるんだって。会ったことないけど」

 

 兄貴がいたのか。

 

「兄貴のとこじゃ、駄目なのか」

「兄上は、平家に見張られてるから。僕が行ったら、兄上が困るでしょ」

 

 それから、少しだけ笑った。

 

「どんな顔してるのかな」

「いつか会えるといいな」

「うん」

 

 行くとこ、平泉しかないもん。

 こいつの行くとこは、死ぬとこしかないのか。

 

 また、目の奥が熱くなった。今度は、富士山ではなく、義経を見ていた。

 慌てて袖で拭おうとすると、その袖を義経が押さえた。こっちを見上げた目から、涙がこぼれていた。

 

「いいんだよ、弁慶」

「……ありがとな、義経」

 

     * * *

 

 関東の野を何日も抜け、大きな川は渡し舟で越えて、北へ歩いた。朝晩の風が冷たくなっていった。

 

「この白河(しらかわ)の関を越えれば、奥州でございます」

 

 吉次が、関の門を見上げて言った。

 

 いよいよだ。薙刀を担ぎ直して、義経の前に出た。

 京の山道で矢を食らった時は、ここで終わる弁慶なんて聞いたことがない、と思えたから立てた。関の向こうでは、もうそれが言えない。どこで、何が来るのかは知らない。知らないから、全部が危ない。

 

 関を越えて少し行くと、藪が鳴った。

 

「殿、下がれ!」

 

 薙刀を構えて飛び込むと、兎が一羽、俺の股の下を抜けていった。

 

「兎だよ、ハゲ」

 

 義経が腹を抱えて笑った。吉次まで肩を震わせている。

 

 次に藪が鳴った時も、体が先に出た。山鳥が、羽音を立てて飛び立った。

 振り返ると、義経は笑っていなかった。俺の背中を見ていた。

 

 三度目の藪は、鳴らなかった。鳴る前に、小袖の背中が俺の前を歩いていた。追い越しても、いつの間にかまた前にいる。

 

 峠道に差しかかったところで、その小袖を追い越し、道の先へ指をまっすぐ突き出す。

 

「安全確認、ヨシ!」

「なにそれ」

 

 その時、藪が一斉に鳴った。

 

 男たちが、ばらばらと道へ飛び出してくる。五人、いや六人。錆びた刀に、棍棒に、竹槍。どう見ても堅気ではない。

 

「来たぞ! 殿は下がってろ!」

 

 言い終わる前に、小袖の背中が俺の前に出ていた。

 

「弁慶こそ、下がってて」

 

 太刀に手が掛かっている。低い構えだった。

 

 一人が竹槍を突き出してきた。穂先が、まっすぐ義経の胸へ伸びてくる。

 義経の膝が沈んだ。鞘が、男の手首へ走る。橋の上で俺を転がした時と同じ速さだ。こいつなら、間に合う。

 分かっていたのに、体が先に出ていた。

 

 義経の前へ身体をねじ込んで、左腕を回す。

 

「ふんっ!」

 

 前腕で穂先を払った。竹槍は横へ弾かれて、ぺきりと折れた。

 パリィ、成功。

 

「ほら、こっちだ! そんな突きじゃ、傷もつかねえぜ!」

 

 折れた竹槍ごと男を掴んで、藪の中へ放り込んだ。

 

 次が来る。薙刀を構え直して待った。

 来なかった。竹槍の折れ口と俺の腕を見比べて、残りの五人が、その場で動かなくなった。

 

「腕で……竹を……」

 

 先頭の髭面は、刀を振り上げたまま固まっていた。その目が、俺の肩越しに後ろへ滑った。

 

 振り返ると、吉次が荷の陰からにこやかに会釈していた。髭面の顔から、みるみる血の気が引いていく。

 

「吉次どのの連れとは知らず、とんだご無礼を!」

 

 五人が、道端に平伏した。髭面が、震える手で干し柿を差し出してくる。横から義経がひったくって、かじった。

 

 吉次って、もしかして、すごいやつなのか?

 京からずっと、腰が低いだけの商人だと思っていた。

 

 義経が、俺の袖を掴んだ。もう片方の手が、竹槍を払った左腕を、手首から肘までなぞっていく。傷はない。それでも、手は離れなかった。

 袖を掴んだ拳の中で、干し柿が潰れていた。指が、震えている。

 

「……僕が、先に出たのに」

 

 俺の顔は見なかった。

 歩き出す義経の前へいつものように出しかけた足を、俺は半歩引いた。

 

     * * *

 

 峠を越えてから、俺は義経の半歩後ろを歩いた。藪が鳴るたびに、出かかる足を止めた。

 

 平泉は京より派手だった。京が都じゃなかったのか?

 

 木立のあちこちから寺の屋根がのぞき、軒先には干した鮭がずらりと吊るされている。吉次によれば、山の上の寺には、中まで全部金でできたお堂があるらしい。

 

 町を抜けるあいだも、義経はあまり笑わなかった。

 

「あれが衣川(ころもがわ)にございます」

 

 川幅はそれほど広くない。浅瀬が、夕方の光を跳ね返している。川面も、向こう岸の林も、同じ赤に染まっていた。

 

 川べりで、義経が振り返った。俺がまだ後ろにいるのを見て、懐から峠で潰れた干し柿を出した。まだ持っていたのか。半分にちぎって、寄越した。

 笑っていた。峠を越えて、初めて見る顔だった。

 

 奥州に入ってから、ずっと肩に力が入っていた。それが、すっと下りた。

 少なくともここは、人が死ぬような場所には見えなかった。

 

「きれいだな」

 

 言い終わらないうちに、蹄の音がした。川沿いの道を、馬が一頭、まっすぐこちらへ駆けてくる。京で見た馬よりひと回り大きい。速い。止まる気配がない。

 

「下がれ!」

 

 義経の前へ踏み出し、薙刀を構えた。

 馬ごと来るなら、馬ごと止める。

 

 蹄が、目の前で土を跳ね上げて止まった。若い男が、身軽に飛び降りる。義経より四つ五つ上だろうか。毛皮の上着を羽織り、日に焼けた顔で笑っていた。

 

 後ろで、吉次が慌てて膝をつく気配がした。

 義経が、俺の脇の下をするりと抜けて、前へ出た。

 

「おい!」

「下がってて」

 

 止める間もなかった。義経は男の前まで歩いていき、きちんと頭を下げた。

 

「源九郎義経にございます。お世話になります」

「お待ちしておりました、九郎どの。藤原泰衡(ふじわらのやすひら)と申します。次郎とお呼びください」

 

 泰衡は、義経よりも深く頭を下げた。

 顔を上げると、目尻を下げて笑う。

 

「父から、お話はかねがね。長い道中、お疲れだったでしょう」

「いえ、次郎どのこそ、わざわざお出迎えを」

 

 九郎どの。次郎どの。

 俺があんなに悩んだ呼び方を、こいつらは一瞬で決めやがった。

 

「待ちきれなかったのです。つい馬を飛ばしてしまいました」

 

 泰衡がこちらを見て、すまなそうに眉を下げた。

 

「驚かせてしまいましたね、従者どの」

 

 従者どの!?

 ……いや、合ってはいる。合ってはいるが。

 構えたままの薙刀が、急に間抜けに思えた。

 

 それから泰衡は、義経の短くなった髪へ、そっと手を伸ばした。

 ひと房を指ですくって、柔らかく笑う。

 

「吉次どのの文で、元服されたばかりと聞きました。よくお似合いですね」

「……え。あ、はい……どうも」

 

 義経は固まっていた。払いのけもせず、笑いもせず、目だけが泰衡と俺の間を行ったり来たりしている。

 

 俺が似合うと言った時は、「ざーこ♡」だったくせに。

 

 胸のあたりが、むかむかする。

 これはあれだ。勘だ。俺の勘が言っている。

 

 距離が近すぎる。笑顔が優しすぎる。こいつが怪しいに違いない!

 

 俺は二人の間に割って入った。

 

「殿から離れろ、この野郎!」

 





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