転生弁慶、仁王立ちで庇うたびに女装ショタ上司が曇っていく 作:なほやん
「殿から離れろ、この野郎!」
割って入ると、
義経は、まだ固まっていた。泰衡に触れられた髪を、自分の手で押さえている。
胸のむかむかが、また上がってきた。
義経に、こっちを見てほしい。なんでそう思ったのかは、分からなかった。
薙刀の
「遠からん者は音にも聞け! 近くば寄って目にも見よ! 我こそは、武蔵坊弁慶なり!」
背中で、義経がぷっと噴き出した。振り返ると、目がやっとこっちを向いていた。固まっていた肩から、力が抜けている。
むかむかが、すっと引いた。
よし。
「弁慶どの。京からここまで、九郎どのをお守りくださったのですね。ありがとうございます」
泰衡は、俺に頭を下げた。
守ったから、褒められた。前世と同じだ。
「ごめんね、次郎どの。こいつ、番犬みたいなものだから」
「番犬ってなんだ!」
泰衡は肩を揺らして笑い、自分では乗らずに、馬を義経の方へ寄せた。
「頼もしい忠犬どのですね。九郎どの、どうぞ。長旅でお疲れでしょう。父が館で待っております」
義経は少し迷ってから、ひらりと鞍に上がった。泰衡が手綱を取ろうとする。
「手綱くらい、俺が引く」
手を止めた泰衡が、鞍の上の義経を見上げた。
「じゃあ、弁慶が引いて」
泰衡には、愛想よく笑ってみせる。手綱が、俺に渡された。
番犬で、結構だ。
日が落ちかけた町には、もう灯がともり始めていた。
「与作、腰はもういいのか」
「おかげさまで、若様」
「おたけ、倅が帰ってきたそうだな」
「へえ、昨日!」
こいつ、町の人間の名前、全部覚えてるのか?
案内された館は、京で見たどの屋敷よりも広かった。広間の上座から、泰衡の父の
「おお、九郎殿! よう来られた、よう来られた! 何も案ずることはない。ここにおればよい」
秀衡は立ち上がって、義経の両手を取った。
膳が運ばれてきた。
焼いた鮭。
わんこそばかよ。
宴に招いて毒を盛る話なんて、時代劇でいくらでも見た。
義経が箸を取ろうとした。
その手首を、掴む。
「殿、待て。俺が先に食う」
「え」
「毒見だ」
鮭をかじった。脂が乗っていて、皮がぱりっとしている。うまい!
雉の汁をすすった。骨から出た
鯉も食った。きのこも食った。うまい! うまい!
毒が入っているかもしれない以上、全部の皿を確かめなければならない。脇には、使い終わった皿がみるみる積み上がっていく。
「ねえ、それ全部毒見?」
「当たり前だろ」
「僕の分、ないんだけど」
「まだ確かめ終わってねえ」
向かいの席で、泰衡が新しい皿を俺の前へ押し出した。
「弁慶どの、こちらもまだ確かめておられませんね」
「おう」
「こちらも」
「おう」
上座で、秀衡が膝を打った。
「見事な喰いっぷりじゃ!」
広間がどっと沸いた。
「九郎殿は、よい家来をお持ちだ。おい、この御仁に飯をもっと持て!」
義経が、両手で顔を覆っていた。耳まで赤い。
宴の終わりに、秀衡がまた声を張った。
「そうじゃ、九郎殿に用意したものがあったな。持ってまいれ!」
膳が下がると、贈り物が並んだ。
秀衡からは、
「
義経が頭を下げるたびに、広間から拍手が起きる。
俺は皿の山の横で、並んだ贈り物を眺めていた。
砂金。馬。飯。
俺、義経に何もやったことねえな。
握り飯も、干し柿の半分も、もらいっぱなしだ。
* * *
平泉に着いて四日目の朝、義経の部屋の前で薙刀を抱えていると、戸が開いた。
「また夜通し起きてたの?」
「寝ずの番だ」
「三日続けて?」
「おう」
義経が目を細めた。
「もしかして、僕の寝顔が見たいとか?♡」
「見えねえよ! 戸の外だぞ!」
屋敷は広く、夜具は分厚く、衣は新しい。朝も夕も膳が出る。泰衡は毎朝顔を出して、不便はないかと聞いていく。義経の部屋の前で番をしている俺にまで、夜食の握り飯を届けてくる。うまい。けど、橋の翌朝の二つには負ける。
何もかも、行き届きすぎていた。
おかしい。
ここは、俺が死ぬ場所のはずだ。なのに、何も起きない。何も起きないのが、いちばんおかしい。
「ねえ。そんなに警戒しないでよ」
「するだろ。ここは——」
「次郎どのは、いい人だよ」
義経は、ごく当たり前のことを言う顔をしていた。
胸のむかむかがぶり返す。
まだ三日前の毒見が残っているらしい。
腕を引かれた。
「今は僕が起きてる。昼まで寝て」
「けど——」
「寝ないなら、今夜は僕も起きてるから」
それは困る。
俺が縁側に横になると、義経は部屋から夜具を持ってきて掛けてくれた。離れかけた袖を掴むと、にやっとされた。
「なに。一人じゃ眠れないの?♡」
「お前が勝手に出歩くと困るんだよ」
「はいはい」
頭のそばに、義経が腰を下ろした。俺は袖を掴んだまま、目を閉じる。こいつが動けば、すぐ分かる。
「何かあったら、起こせよ」
「うん。おやすみ、弁慶」
目が覚めると、日が傾いていた。義経は、まだ隣にいた。俺が袖を放すと、引っ張られていたところを指で伸ばす。
それから、短くなった髪を指で梳いた。
庭の向こうから、泰衡が手を振って歩いてきた。
「九郎どの。夕日を見に行きませんか。よい池があるのです」
「俺も行く!」
口が先に出た。泰衡は、嫌な顔ひとつしなかった。
「もちろん弁慶どのも、ぜひ」
町外れの林を抜けると、空をそのまま映した池があった。向こう岸のさらに先に、低い山が一つ、ぽつんと座っている。
「
赤い日が山の頂に吸い込まれていき、池がまるごと同じ色に染まった。
「父は、いつかここに寺を建てたいと申しております。極楽浄土を、この世に写したような。私はただ、千年たっても蓮の花が咲き続ける池にしたいのですが」
「どうして?」
義経が聞いた。
「戦のない世が訪れるとき、そのしるしになるように」
戦のない世。俺はそれを知っている。八百年後の、この国だ。
「そういう世の中は、必ず来る」
泰衡が、まじまじとこちらを見た。
「まるで見てきたように仰いますね、弁慶どの」
「……まあな」
静かに頷いて、泰衡が懐に手を入れた。
——刃物か。
俺は義経の前へ半歩出た。泰衡の手が抜き出したのは、小さな袋だった。
「蓮の実です。京の寺から分けていただいたもの。いつか、九郎どののお好きな場所に植えてください」
……種かよ。
また贈り物だ。砂金、馬、今度は種。
半歩出た足を、そっと戻した。
義経の目が、戻した俺の足へ落ちた。それから、差し出された袋を受け取った。
「九郎どのの夢は、何ですか」
袋を両手で持ったまま、義経が泰衡の方を向いた。
「僕は……源氏の子だから。兄上に会って、それで、父上の——」
そこで、途切れた。義経は手の中の袋を見たまま、動かない。
俺が言葉を探しているうちに、泰衡が先に口を開いた。
「ここでは、九郎どのは九郎どのでおられればよいでしょう」
「……何もしなくても?」
「ええ」
義経は蓮の実の袋をそっと懐にしまい、それきり夕日の方ばかり見ていた。
「弁慶どのの夢は?」
急に振られた。
義経が笑ってれば、それでいい。
なんて、言えるか。
「飯が、うまけりゃいい」
「弁慶どのらしい」
話は、それで終わった。泰衡に笑いかけられて、義経が笑い返す。
泰衡は、義経に言葉をやって、種をやった。
俺は、飯の話をしただけだ。
なら、こいつに任せた方が、いいんじゃないのか?
* * *
一晩寝ても、答えは出なかった。任せた方がいいのかもしれない。
けど、借りっぱなしで引っ込むのは、性に合わねえ。握り飯の分くらいは、返してからだ。
翌日、義経と吉次を連れて、市へ出た。
問題は、銭がないことと、目利きができないことと、本人が隣を歩いていることだ。
「吉次、銭貸してくれ」
「……はい?」
「あとで返す」
吉次は何も聞かずに、小さな革袋を出してくれた。開けると、砂金だった。こいつはやっぱり、すごいやつだ。
平泉の市は、京より騒がしかった。砂金を
押し合う人の中で、義経が俺の袖をつまんだ。
「逢い引きみたいだね♡」
「吉次もいるだろうが!」
吉次が、黙って目を逸らした。
ところが、それきり義経は静かになった。
袖はつまんだまま、店先ばかり見ている。見ているのに、何も手に取らない。太刀を並べた店の前では足が止まって、柄へ伸びかけた手が、途中で下りた。隣の店では、子供の遊ぶ
「俺は、どうしたら」
口の中で転がしたような声が、聞こえてしまった。
俺!?
「ごめん。聞かなかったことにして」
こっちを見ないまま、早口だった。
なら、聞かなかったことにする。
少し歩いてから、いつもの声が戻ってきた。
「ねえ、弁慶。何もしないって、どうやるの?」
昨日の縁側で俺が寝ているあいだ、こいつは日が傾くまで袖を掴まれて座っていた。
あれでいいじゃないか。
「殿が何かするなら、俺が前に立つ。何もしねえなら、俺は殿の隣で一緒に昼寝する」
義経が、こっちを見上げた。
「ほんと、単純」
「うるせえ」
今度は声を立てて、義経が笑った。
並んで歩きながら、俺は店先を一つずつ覗いていった。反物は、本人の方がよっぽどいいのを着ている。刃物は、もう持っている。食い物は、食ったら終わりだ。
残るものがいい。ずっと手元に置いておけるもの。
小間物を並べた店の隅に、
「殿、ちょっと向こう向いてろ」
「なんで」
「いいから!」
義経を反対側へ向かせて、小間物屋の前にしゃがみ込んだ。
「親父、これくれ!」
革袋ごと差し出すと、店の親父はぎょっとしてから、秤を出して砂金をひとすくい載せた。釣りの銅銭が、じゃらりと重い。
「殿! もうこっちを見ていいぞ!」
振り向いた義経に、櫛を突き出す。受け取った手が、それをひっくり返したり、歯を指でなぞったりした。
「九郎様、それは——」
「いいの」
義経は吉次の方を見もせず、泰衡が触れたひと房に、その櫛を一度だけ通した。
……待て。
櫛って、女に贈るもんじゃないのか?
男に、しかも主君に。俺、今、ものすごく変なことをしたんじゃないか。
吉次の顔が、青くなっていた。
俺の顔が、熱くなった。
「ありがと、弁慶」
礼を言われた。庇ってもいないのに。
義経だけが、にっこり笑った。
次回、義経のこの笑顔を曇らせますので、ぜひお気に入り・高評価で応援お願いします。
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