転生弁慶、仁王立ちで庇うたびに女装ショタ上司が曇っていく   作:なほやん

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第七話 櫛一枚

 

「殿から離れろ、この野郎!」

 

 割って入ると、泰衡(やすひら)はすぐに手を引いた。怒りも身構えもしない。困ったように笑っただけだった。

 

 義経は、まだ固まっていた。泰衡に触れられた髪を、自分の手で押さえている。

 胸のむかむかが、また上がってきた。

 

 義経に、こっちを見てほしい。なんでそう思ったのかは、分からなかった。

 

 薙刀の石突(いしづ)きを地面にどんと突き立て、足を開いて胸を張った。

 

「遠からん者は音にも聞け! 近くば寄って目にも見よ! 我こそは、武蔵坊弁慶なり!」

 

 背中で、義経がぷっと噴き出した。振り返ると、目がやっとこっちを向いていた。固まっていた肩から、力が抜けている。

 

 むかむかが、すっと引いた。

 よし。

 

「弁慶どの。京からここまで、九郎どのをお守りくださったのですね。ありがとうございます」

 

 泰衡は、俺に頭を下げた。

 守ったから、褒められた。前世と同じだ。

 

「ごめんね、次郎どの。こいつ、番犬みたいなものだから」

「番犬ってなんだ!」

 

 泰衡は肩を揺らして笑い、自分では乗らずに、馬を義経の方へ寄せた。

 

「頼もしい忠犬どのですね。九郎どの、どうぞ。長旅でお疲れでしょう。父が館で待っております」

 

 義経は少し迷ってから、ひらりと鞍に上がった。泰衡が手綱を取ろうとする。

 

「手綱くらい、俺が引く」

 

 手を止めた泰衡が、鞍の上の義経を見上げた。

 

「じゃあ、弁慶が引いて」

 

 泰衡には、愛想よく笑ってみせる。手綱が、俺に渡された。

 番犬で、結構だ。

 

 日が落ちかけた町には、もう灯がともり始めていた。

 

「与作、腰はもういいのか」

「おかげさまで、若様」

「おたけ、倅が帰ってきたそうだな」

「へえ、昨日!」

 

 こいつ、町の人間の名前、全部覚えてるのか?

 

 案内された館は、京で見たどの屋敷よりも広かった。広間の上座から、泰衡の父の藤原秀衡(ふじわらのひでひら)が、恰幅のいい身体を乗り出した。奥州でいちばん偉い男だそうだが、声は近所のおっちゃんみたいに大きい。

 

「おお、九郎殿! よう来られた、よう来られた! 何も案ずることはない。ここにおればよい」

 

 秀衡は立ち上がって、義経の両手を取った。

 

 膳が運ばれてきた。

 焼いた鮭。雉(きじ)の汁。鯉(こい)の膾(なます)。見たこともない山のきのこを炊いたもの。どれも素焼きの皿に盛られていて、一皿空けると、すぐに新しい皿で次が来る。

 

 わんこそばかよ。

 

 宴に招いて毒を盛る話なんて、時代劇でいくらでも見た。

 

 義経が箸を取ろうとした。

 その手首を、掴む。

 

「殿、待て。俺が先に食う」

「え」

「毒見だ」

 

 鮭をかじった。脂が乗っていて、皮がぱりっとしている。うまい!

 雉の汁をすすった。骨から出た出汁(だし)が、腹の底まで染みる。うまい!

 鯉も食った。きのこも食った。うまい! うまい!

 

 毒が入っているかもしれない以上、全部の皿を確かめなければならない。脇には、使い終わった皿がみるみる積み上がっていく。

 

「ねえ、それ全部毒見?」

「当たり前だろ」

「僕の分、ないんだけど」

「まだ確かめ終わってねえ」

 

 向かいの席で、泰衡が新しい皿を俺の前へ押し出した。

 

「弁慶どの、こちらもまだ確かめておられませんね」

「おう」

「こちらも」

「おう」

 

 上座で、秀衡が膝を打った。

 

「見事な喰いっぷりじゃ!」

 

 広間がどっと沸いた。

 

「九郎殿は、よい家来をお持ちだ。おい、この御仁に飯をもっと持て!」

 

 義経が、両手で顔を覆っていた。耳まで赤い。

 

 宴の終わりに、秀衡がまた声を張った。

 

「そうじゃ、九郎殿に用意したものがあったな。持ってまいれ!」

 

 膳が下がると、贈り物が並んだ。

 秀衡からは、唐櫃(からびつ)の蓋いっぱいの砂金。燭台の灯を跳ね返して、蓋の中がまぶしい。泰衡からは、さっき義経が乗ってきたあの馬を、そのまま鞍ごと。

 

「厩(うまや)のどれを差し上げるか、決めきれませんで。結局、今日乗っていた一頭を」

 

 義経が頭を下げるたびに、広間から拍手が起きる。

 

 俺は皿の山の横で、並んだ贈り物を眺めていた。

 

 砂金。馬。飯。

 

 俺、義経に何もやったことねえな。

 握り飯も、干し柿の半分も、もらいっぱなしだ。

 

     * * *

 

 平泉に着いて四日目の朝、義経の部屋の前で薙刀を抱えていると、戸が開いた。

 

「また夜通し起きてたの?」

「寝ずの番だ」

「三日続けて?」

「おう」

 

 義経が目を細めた。

 

「もしかして、僕の寝顔が見たいとか?♡」

「見えねえよ! 戸の外だぞ!」

 

 屋敷は広く、夜具は分厚く、衣は新しい。朝も夕も膳が出る。泰衡は毎朝顔を出して、不便はないかと聞いていく。義経の部屋の前で番をしている俺にまで、夜食の握り飯を届けてくる。うまい。けど、橋の翌朝の二つには負ける。

 

 何もかも、行き届きすぎていた。

 

 おかしい。

 ここは、俺が死ぬ場所のはずだ。なのに、何も起きない。何も起きないのが、いちばんおかしい。

 

「ねえ。そんなに警戒しないでよ」

「するだろ。ここは——」

「次郎どのは、いい人だよ」

 

 義経は、ごく当たり前のことを言う顔をしていた。

 

 胸のむかむかがぶり返す。

 まだ三日前の毒見が残っているらしい。

 

 腕を引かれた。

 

「今は僕が起きてる。昼まで寝て」

「けど——」

「寝ないなら、今夜は僕も起きてるから」

 

 それは困る。

 俺が縁側に横になると、義経は部屋から夜具を持ってきて掛けてくれた。離れかけた袖を掴むと、にやっとされた。

 

「なに。一人じゃ眠れないの?♡」

「お前が勝手に出歩くと困るんだよ」

「はいはい」

 

 頭のそばに、義経が腰を下ろした。俺は袖を掴んだまま、目を閉じる。こいつが動けば、すぐ分かる。

 

「何かあったら、起こせよ」

「うん。おやすみ、弁慶」

 

 目が覚めると、日が傾いていた。義経は、まだ隣にいた。俺が袖を放すと、引っ張られていたところを指で伸ばす。

 それから、短くなった髪を指で梳いた。

 庭の向こうから、泰衡が手を振って歩いてきた。

 

「九郎どの。夕日を見に行きませんか。よい池があるのです」

「俺も行く!」

 

 口が先に出た。泰衡は、嫌な顔ひとつしなかった。

 

「もちろん弁慶どのも、ぜひ」

 

 町外れの林を抜けると、空をそのまま映した池があった。向こう岸のさらに先に、低い山が一つ、ぽつんと座っている。

 

「金鶏山(きんけいさん)と申します。春と秋のちょうど今ごろだけ、日があの頂に沈むのです」

 

 赤い日が山の頂に吸い込まれていき、池がまるごと同じ色に染まった。

 

「父は、いつかここに寺を建てたいと申しております。極楽浄土を、この世に写したような。私はただ、千年たっても蓮の花が咲き続ける池にしたいのですが」

「どうして?」

 

 義経が聞いた。

 

「戦のない世が訪れるとき、そのしるしになるように」

 

 戦のない世。俺はそれを知っている。八百年後の、この国だ。

 

「そういう世の中は、必ず来る」

 

 泰衡が、まじまじとこちらを見た。

 

「まるで見てきたように仰いますね、弁慶どの」

「……まあな」

 

 静かに頷いて、泰衡が懐に手を入れた。

 

 ——刃物か。

 俺は義経の前へ半歩出た。泰衡の手が抜き出したのは、小さな袋だった。

 

「蓮の実です。京の寺から分けていただいたもの。いつか、九郎どののお好きな場所に植えてください」

 

 ……種かよ。

 また贈り物だ。砂金、馬、今度は種。

 半歩出た足を、そっと戻した。

 

 義経の目が、戻した俺の足へ落ちた。それから、差し出された袋を受け取った。

 

「九郎どのの夢は、何ですか」

 

 袋を両手で持ったまま、義経が泰衡の方を向いた。

 

「僕は……源氏の子だから。兄上に会って、それで、父上の——」

 

 そこで、途切れた。義経は手の中の袋を見たまま、動かない。

 俺が言葉を探しているうちに、泰衡が先に口を開いた。

 

「ここでは、九郎どのは九郎どのでおられればよいでしょう」

「……何もしなくても?」

「ええ」

 

 義経は蓮の実の袋をそっと懐にしまい、それきり夕日の方ばかり見ていた。

 

「弁慶どのの夢は?」

 

 急に振られた。

 義経が笑ってれば、それでいい。

 なんて、言えるか。

 

「飯が、うまけりゃいい」

「弁慶どのらしい」

 

 話は、それで終わった。泰衡に笑いかけられて、義経が笑い返す。

 

 泰衡は、義経に言葉をやって、種をやった。

 俺は、飯の話をしただけだ。

 なら、こいつに任せた方が、いいんじゃないのか?

 

     * * *

 

 一晩寝ても、答えは出なかった。任せた方がいいのかもしれない。

 けど、借りっぱなしで引っ込むのは、性に合わねえ。握り飯の分くらいは、返してからだ。

 

 翌日、義経と吉次を連れて、市へ出た。

 問題は、銭がないことと、目利きができないことと、本人が隣を歩いていることだ。

 

「吉次、銭貸してくれ」

「……はい?」

「あとで返す」

 

 吉次は何も聞かずに、小さな革袋を出してくれた。開けると、砂金だった。こいつはやっぱり、すごいやつだ。

 

 平泉の市は、京より騒がしかった。砂金を秤(はかり)にかける店があり、毛皮を山と積んだ店があり、海の向こうから来たという青白い焼き物を並べた店がある。人の肩と肩の間を、荷を積んだ馬が割って通っていく。

 

 押し合う人の中で、義経が俺の袖をつまんだ。

 

「逢い引きみたいだね♡」

「吉次もいるだろうが!」

 

 吉次が、黙って目を逸らした。

 

 ところが、それきり義経は静かになった。

 袖はつまんだまま、店先ばかり見ている。見ているのに、何も手に取らない。太刀を並べた店の前では足が止まって、柄へ伸びかけた手が、途中で下りた。隣の店では、子供の遊ぶ独楽(こま)の前で止まって、やっぱり何も取らずに歩き出す。

 

「俺は、どうしたら」

 

 口の中で転がしたような声が、聞こえてしまった。

 

 俺!?

 

「ごめん。聞かなかったことにして」

 

 こっちを見ないまま、早口だった。

 なら、聞かなかったことにする。

 

 少し歩いてから、いつもの声が戻ってきた。

 

「ねえ、弁慶。何もしないって、どうやるの?」

 

 昨日の縁側で俺が寝ているあいだ、こいつは日が傾くまで袖を掴まれて座っていた。

 あれでいいじゃないか。

 

「殿が何かするなら、俺が前に立つ。何もしねえなら、俺は殿の隣で一緒に昼寝する」

 

 義経が、こっちを見上げた。

 

「ほんと、単純」

「うるせえ」

 

 今度は声を立てて、義経が笑った。

 

 並んで歩きながら、俺は店先を一つずつ覗いていった。反物は、本人の方がよっぽどいいのを着ている。刃物は、もう持っている。食い物は、食ったら終わりだ。

 

 残るものがいい。ずっと手元に置いておけるもの。

 

 小間物を並べた店の隅に、飴(あめ)色の木の櫛があった。博物館のガラスケースに、飾られていたものとよく似ている。それに、指で梳くより、櫛の方がましだろ。

 

「殿、ちょっと向こう向いてろ」

「なんで」

「いいから!」

 

 義経を反対側へ向かせて、小間物屋の前にしゃがみ込んだ。

 

「親父、これくれ!」

 

 革袋ごと差し出すと、店の親父はぎょっとしてから、秤を出して砂金をひとすくい載せた。釣りの銅銭が、じゃらりと重い。

 

「殿! もうこっちを見ていいぞ!」

 

 振り向いた義経に、櫛を突き出す。受け取った手が、それをひっくり返したり、歯を指でなぞったりした。

 

「九郎様、それは——」

「いいの」

 

 義経は吉次の方を見もせず、泰衡が触れたひと房に、その櫛を一度だけ通した。

 

 ……待て。

 櫛って、女に贈るもんじゃないのか?

 男に、しかも主君に。俺、今、ものすごく変なことをしたんじゃないか。

 

 吉次の顔が、青くなっていた。

 俺の顔が、熱くなった。

 

「ありがと、弁慶」

 

 礼を言われた。庇ってもいないのに。

 

 義経だけが、にっこり笑った。

 






 次回、義経のこの笑顔を曇らせますので、ぜひお気に入り・高評価で応援お願いします。
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