転生弁慶、仁王立ちで庇うたびに女装ショタ上司が曇っていく 作:なほやん
「殿から離れろ、この野郎!」
割って入ると、
怒りも身構えもせずに目を丸くして、それから困ったように笑った。
「これは失礼いたしました。従者どの」
「従者どのじゃねえ!」
薙刀の
「俺の名は、武蔵坊弁慶だ!」
横で、義経がぷっと噴き出した。さっきまで固まっていた肩から、力が抜けている。
よし。
「弁慶どの」
泰衡は、俺にまで頭を下げた。
「京からここまで、九郎どのをお守りくださったのですね。ありがとうございます」
見得を切った勢いの、行き場がなくなった。
「ごめんね、次郎どの。こいつ、番犬みたいなものだから」
「番犬ってなんだ!」
泰衡が、肩を揺らして笑った。
「頼もしい忠犬どのですね。さあ、父が待っております。館へご案内しましょう」
泰衡は馬の手綱を取ると、自分は乗らずに、義経の方へ差し出した。
「九郎どの、どうぞ。長旅でお疲れでしょう」
「え、でも」
「私は歩きたい気分なのです」
義経は少し迷ってから、ひらりと鞍に上がった。泰衡が手綱を引いて歩き出す。吉次は荷を背負い直して、後を追った。
手綱くらい、俺が引くのに。
そう思いながら、泰衡の横に並んだ。
日が落ちかけた町には、もう灯がともり始めていた。通りの両側の店先で、
「与作、腰はもういいのか」
「おかげさまで、若様」
「おたけ、倅が帰ってきたそうだな」
「へえ、昨日!」
……こいつ、町の人間の名前、全部覚えてるのか?
秀衡の館は、京で見たどの屋敷よりも広かった。
「おお、九郎殿! よう来られた、よう来られた!」
広間の上座から、恰幅のいい男が身を乗り出していた。泰衡の父、
「長旅であったろう。何も案ずることはない。ここにおればよい」
秀衡は立ち上がって、義経の両手を取った。子供の帰りを待っていた親みたいな顔だった。
膳が運ばれてきた。
焼いた鮭。
わんこそばかよ。
いや、待て。
宴に招いて毒を盛る話なんて、時代劇でいくらでも見た。
義経が箸を取ろうとした。
その手首を、掴む。
「殿、待て。俺が先に食う」
「え」
「毒見だ」
鮭をかじった。脂が乗っていて、皮がぱりっとしている。うまい!
雉の汁をすすった。骨から出た
鯉も食った。きのこも食った。うまい! うまい!
毒が入っているかもしれない以上、全部の皿を確かめなければならない。脇には、使い終わった皿がみるみる積み上がっていく。
「……ねえ、それ全部毒見?」
「当たり前だろ」
「僕の分、ないんだけど」
「まだ確かめ終わってねえ」
向かいの席で、泰衡が新しい皿を俺の前へ押し出した。
「弁慶どの、こちらもまだ確かめておられませんね」
「おう」
「こちらも」
「おう」
上座で、秀衡が膝を打った。
「見事な喰いっぷりじゃ!」
広間がどっと沸いた。
「九郎殿は、よい家来をお持ちだ。おい、この御仁に飯をもっと持て!」
義経が、両手で顔を覆っていた。耳まで赤い。
宴の終わりに、秀衡がまた声を張った。
「そうじゃ、九郎殿に用意したものがあったな。持ってまいれ!」
今度は、膳に代わって贈り物が並んだ。
秀衡からは、
「
泰衡は、すまなそうに眉を下げた。
俺は皿の山の横で、並んだ贈り物を眺めていた。
砂金。馬。屋敷。飯。
どれも、俺には一つも用意できないものだ。
俺、義経に何もやったことねえな。
* * *
「また夜通し起きてたの?」
「寝ずの番だ」
「三日続けて?」
戸が開いて、義経が顔を出した。
俺は義経の部屋の前の縁側に、薙刀を抱えて座っていた。
「もしかして、僕の寝顔が見たいとか?♡」
「見えねえよ! 戸の外だぞ!」
屋敷は広く、夜具は分厚く、衣は新しい。朝も夕も膳が出る。泰衡は毎朝顔を出して、不便はないかと聞いていく。義経の部屋の前で番をしている俺にまで、夜食の握り飯を届けてくる。
何もかも、行き届きすぎていた。
おかしい。
ここは、俺が死ぬ場所のはずだ。なのに、何も起きない。何も起きないのが、いちばんおかしい。
「ねえ。そんなに警戒しないでよ」
「するだろ。ここは——」
「次郎どのは、いい人だよ」
義経は、ごく当たり前のことを言う顔をしていた。
胸のあたりが、むかむかした。
まだ三日前の毒見が残っているらしい。
義経が、俺の腕を引いた。
「今は僕が起きてる。昼まで寝て」
「けど——」
「寝ないなら、今夜は僕も起きてるから」
それは困る。
俺が縁側に横になると、義経は部屋から夜具を持ってきて掛けてくれた。離れかけた袖を掴むと、にやっとされた。
「なに。一人じゃ眠れないの?♡」
「お前が勝手に出歩くと困るんだよ」
「はいはい」
義経が頭のそばに腰を下ろした。俺は袖を掴んだまま、目を閉じる。こいつが動けば、すぐ分かる。
「何かあったら、起こせよ」
「うん。おやすみ、弁慶」
目が覚めると、義経はまだ隣にいた。俺が袖を放すと、引っ張られていたところを指で伸ばした。
庭の向こうから、泰衡が手を振って歩いてきた。
「九郎どの。夕日を見に行きませんか。よい池があるのです」
「俺も行く!」
口が先に出た。
泰衡は、嫌な顔ひとつしなかった。
「もちろん弁慶どのも、ぜひ」
町外れの林を抜けると、池があった。
風がなく、水面が鏡みたいに空を映している。岸には
「
三人で、岸に並んで立った。
言われて見ていると、本当にそうなった。赤い日が、山の頂に吸い込まれるように降りていく。池がまるごと、同じ色に染まった。
「父は、いつかここに寺を建てたいと申しております。極楽浄土を、この世に写したような」
泰衡は、少し照れたように笑った。
「私はただ、千年たっても蓮の花が咲き続ける池にしたいのですが」
「どうして?」
義経が聞いた。
「戦のない世が訪れるとき、そのしるしになるように」
戦のない世。
俺はそれを知っている。八百年後の、この国だ。
「そういう世の中は、必ず来る」
口から出ていた。
泰衡が、目を丸くしてこちらを見た。
「まるで見てきたように仰いますね、弁慶どの」
「……まあな」
泰衡は静かに頷くと、懐に手を入れた。
——刃物か。
俺は義経の前へ半歩出て、薙刀の柄を握り直した。
「蓮の実です。京の寺から分けていただいたもの。九郎どのにも、少し」
出てきた小さな袋が、義経の手に乗せられた。
「いつか、九郎どののお好きな場所に植えてください」
……種かよ。
半歩出た足を、そっと戻した。
「九郎どのの夢は、何ですか」
義経は袋を両手で持ち直し、泰衡へ向き直った。館で秀衡に挨拶したときと、同じ顔になっていた。
「俺は……」
俺!?
今、俺って言ったか?
俺の前では、ずっと「僕」だ。橋の上で会った夜から、一度も崩したことがない。
「源氏の子だから。兄上に会って、それで、父上の——」
そこで、途切れた。
義経は手の中の袋へ目を落とした。しばらく待っても、続きは出てこなかった。
「ここでは、九郎どのは九郎どのでおられればよいでしょう」
義経が顔を上げた。
「……何もしなくても?」
「ええ」
義経は蓮の実の袋をそっと懐にしまい、それきり何も言わずに夕日の方を向いたまま動かなかった。
俺は、泰衡のことを源氏の子を狙うやつだと思っていた。
……こいつ、もしかして、いいやつなのか?
日が、山の向こうへ沈みきった。池の赤が、ゆっくりと引いていく。
「弁慶どのの夢は?」
急に振られた。
俺の夢。
前世なら、レイドの完全攻略とか。今は——死なないこと? いや、それも違う気がする。
義経が笑ってれば、それでいい。
……なんて、言えるか。
「飯が、うまけりゃいい」
「弁慶どのらしい」
泰衡は、それ以上は聞かなかった。
かわりに、義経に笑いかけた。義経が、小さく笑い返した。
義経を今、笑わせてるのが、こいつなら。
こいつに任せた方が、いいんじゃないのか?
胸が、またむかむかした。
しつこい食あたりだ。
* * *
翌日、義経と吉次を連れて、市へ出た。
義経に何か贈る。そう決めていた。
泰衡は種をやった。秀衡は砂金をやった。俺も何かやる。
問題は、銭がないことと、目利きができないことと、本人が隣を歩いていることだ。
「吉次、銭貸してくれ」
「……はい?」
「あとで返す」
吉次は、何も聞かずに小さな革袋を出してくれた。こいつはやっぱり、すごいやつだ。
中身は銭ではなく砂金だった。
平泉の市は、京より騒がしかった。砂金を
押し合う人の中で、袖を引かれた。
義経が、俺の袖をつまんでいた。
「逢い引きみたいだね♡」
「吉次もいるだろうが!」
吉次が、黙って目を逸らした。
ところが、それきり義経は静かになった。
袖はつまんだまま、店先ばかり見ている。見ているのに、何も手に取らない。太刀を並べた店の前では足が止まって、柄へ伸びかけた手が、途中で下りた。隣の店では、子供の遊ぶ
「ねえ、弁慶……何もしないって、どうやるの?」
義経は、独楽の店の方を見たまま言った。
難しいことを聞く。
前世の俺が休みの日に何をしていたかといえば、ネトゲだ。参考にならねえ。
「知らねえな」
「……だよね」
そういや、昨日は義経に寝かしつけられたんだった。
「殿が何かするなら、俺が前に立つ。何もしねえなら、俺は殿の隣で一緒に昼寝する」
義経が、こっちを見上げた。
「……ほんと、単純」
「うるせえ」
今度は、声を立てて笑った。
笑いながら歩く義経の横で、俺は店先を横目で見ていった。
反物は、義経の方がよっぽどいいのを着ている。刃物は、義経はもう持っている。食い物は、食ったら終わりだ。
残るものがいい。義経が、ずっと持っていられるもの。
小間物を並べた店の隅に、木の櫛があった。
歯の細かい、
……これ。
見たことがある。博物館だ。ガラスケースの中に、歯の欠けたのが一枚だけ、大事そうに飾ってあった。平安時代の、なんとか遺跡から出たとか。
八百年後なら超お宝だぞ、これ。
「殿、ちょっと向こう向いてろ」
「なんで」
「いいから!」
義経を反対側へ向かせて、小間物屋の前にしゃがみ込んだ。
「親父、これくれ!」
革袋ごと差し出すと、店の親父は匙を持つ手を一瞬止めてから、砂金をひとすくい秤に載せた。
釣りは、穴の四角い銅の銭で返ってきた。紐に通して、じゃらりと重い。
「殿! もうこっちを見ていいぞ!」
振り向いた義経に、櫛を突き出す。
義経は櫛を受け取って、ひっくり返したり、日に透かしたりした。
吉次が、口を開きかけた。
「九郎様、それは——」
「いいの」
義経は、短くなった髪に、その櫛を一度だけ通した。
吉次の顔が、青くなっていた。
……待て。
櫛って、女に贈るもんじゃないのか?
男に、しかも主君に。俺、今、ものすごく変なことをしたんじゃ……
俺の顔が、熱くなった。
「ありがと、弁慶」
義経だけが、にっこり笑った。
低評価が入ってしまい悲しいです……
次回、義経のこの笑顔を曇らせますので、ぜひ高評価で応援お願いします。
既に応援してくれている皆様、本当に本当にありがとうございます!