──ああ、そうだった。
傍目には下らなくってバカバカしい、何処にだってありそうな日常の一幕であったって。
どうしてあたしは、セツナとのこんなに大事な想い出を。
──フェイちゃんが、いつもみたいにあたしの話を快く聞いてくれていて。
なのちゃんとは、指切りげんまんをして交わした筈の約束を──どうしてあたしは、こんなにあっさり忘れちゃっていたんだろう。
セツナ、自分でも分かってはいたけれど。
しーちゃんてば、セツナみたいに頭が良くて立派な子に比べたら、出来の悪くて忘れっぽいダメなお姉ちゃんでごめんね。
まるで、廃墟を貫き荒れる炎を優しく鎮めてくれてるような、淑やかな雨が降っていた。
あの日、正体を隠していてごめんなさいと泣いていた、セツナと約束をした通り。
あの日、海女取島に乗り込んで来た、寄越せという言う意外に脳のないゴミカスみたいな触手野郎はちゃんとぶっ倒してやったけど──。
安直な復讐を果たしたとこで。やられた事をやり返してやったとこで、胸に空いた大きな穴は埋まってくれやしなかった。
仮にあいつがやって来なかったとしても、遅かれ早かれ別の魔人が乗り込んで来たのは目に見えてる。あたしもセツナも、抵抗一つもまともに出来ずただただ無残に殺される、もっと酷い結末を迎えていたのかもしんない。
セツナは普通の子じゃないと、ずっと前から気付いてながら、昔の記憶がないだけの普通の女の子として扱ってきた。だからあたしは、遅かれ早かれ受けるべきな当然の報いを受けた。ただ、それだけの事だったのかもしんない。
どちらにせよ、大事な人を失くしたのだとしても、人生の火は消えたりしない。
『紅蓮』という異能。セツナから受け取った灯火を、簡単に消したりしないよう、空っぽの手であってでも守り続けていかなきゃなんない。
なんないんだって、頭とか理性では分かってた。
だけど、慣れ親しんでいたこの場所には。
瑞穂の端の小さな離島・海女取島。あたしの生まれた、過疎で近年消えるだろう、世界の隅の小さな小さなこの家には──セツナとの、いっしょに過ごした七年間の思い出が、一人じゃ抱えてられないくらいあんまりにも多すぎたんだ。
朝日と朝露に煌めいている、セツナが一生懸命お世話をしてくれていた、庭いっぱいに広がった季節の野菜の豊かな菜園。
海風を浴びながら並んで座って釣りをして、今夜のおかずを見事ゲットにハイタッチで喜んだ、燦々と日の当たる堤防。
銃をこっそり手に取って、わたしの真似して構えてみてた、可愛く勇ましい姿。
近所のおじいちゃんになでられて、嬉しいけれどもちょっぴり緊張もしてた顔。
手を繋いでゆったりと散歩した、引いては寄せる波の音の心地がいい、果てない蒼の海岸線。
冬に備えて編んでいた、しーちゃんにきっと似合うと張り切っていた未完成の焦げ茶のマフラー。
整頓された勉強机。目を輝かせてたテレビアニメ。
山菜やキノコを採りに、リュックを背負って入った裏山。
両手を合わせてお辞儀した、あちこち苔むしたお地蔵様。
転んだセツナをおぶって歩いた、夕焼けに染まる帰り道。
雷が鳴り、強風が吹き荒れて窓がガタガタ軋む夜、怖がるセツナを抱いて眠った十年物の古いベッド。
こんな先の見えない時代でも、誰よりも幸せにしてあげるんだって。
きっと空から見ていてくれる、両親とおじいちゃんへ誓った──心も体も全部をあたしに委ねてくれていた、安らかで愛おしいあの夜の寝顔。
この家には。この島には。
空に繋がってるような、泣けるくらいに蒼く澄んだこの海には。
楽しい事も悲しい事も、辛い事も嬉しい事も、抱いた体の温かさもお日様の香りがする髪の毛も──この場所にはあまりにも、セツナとの思い出が多すぎて。
だからあたしは、耐えきれなくて島を出て、いつかのように寄る辺ないまま本土に降りた。
しーちゃんはしーちゃんらしく、セツナにちゃんと報えるくらい幸せにならなくちゃいけなかったんだけど。
あたしには、海女取島とはかけ離れた環境で、乱れた心を整理する孤独な時間が必要だった。
多分二ヶ月間前後くらい、人っ子一人近付かない朽ちた廃墟にテントを立てて、侵略種の駆除のバイトを請け負ってその日暮らしの生活をした。
生まれてきてから十七年、あたしは人が大好きで、人と触れ合っていなくっちゃ寂しくて生きていけない人間だと思ってた。
島内のおじいちゃんやおばあちゃん。出張先で協力をしたハンターさん。忘れた頃にぽつりぽつりと訪れてくる観光客。学校のやんちゃなちびっ子達に同年代の中高生。人と仲良くなるなんて、あたしにとって誰相手でも当然で呼吸みたいにごく簡単な事だった。
けれどそんな性質は、とんだ勘違いにして思い違いだったのかもしれない。
本土に来て以来、駆除のバイトをするのにも、何処のどんなハンターとも組もうという気がしなかった。食料品や生活用品を買い込む以外、最低限の最低限しか話すという必要性を覚えなかった。
島に残っていてもいなくても、あたしは何にも変わらなかった。仕事をする以外には、テントに籠もってぼんやりとして、セツナとの思い出を一つ一つなぞってた。
セツナの笑顔。セツナの寝顔。機嫌を損ねてぷりぷり怒った不機嫌な顔。とてとてと駆け寄ってきて、ぎゅっと抱きしめた時の感触。長年ずっと親しんできた、あたし好みにカスタマイズされたセツナの極上料理の味。
誰もいない朽ちた廃墟の中ででも、ただ、目をつぶって思い返しているだけで、胸が甘く満たされて笑えるくらいに幸福だった。
でも同時に、セツナの事を思い返せば返すほど、罪の意識もあたしの裡に絶える事なく返ってくる。
どうして守ってあげられなかった。どうしていっしょに逝ってあげられなかった。あの子の本当の本心は、あたしの事を愚鈍で駄目なバカ姉貴って責め立てたかったんじゃないのか。セツナの事はちゃんと知ってるんだって、もっと早く素直に伝えさえしていたら、何かを変えられたんじゃないかって。
そんな思いが、頭を洗濯機にでも入れられてぐるぐるかき回されてるみたいに巡ってて、吐き気がずっと止まらなくなっていて。
思い出なんてもう、一つ残らず全部かなぐり捨てたい気持ちにまでなってるのに。
だけどそう思う度、一つたりとも絶対捨ててなんかやるもんかって強く強く壊れるくらいに抱きしめて、それでも無理ならテントから着の身着のまま飛び出して八つ当たりそのものに侵略種を駆除していって。
──そんな、拷問みたいなきつくてたまらない日々だったけど、巷でよく聞く時間が解決してくれるという言説もまた本物だったのだというか。
死にたい日々を、狭いテントに引きこもって歯を食いしばりながら耐え抜いて、ようやく気持ちがちょっとだけでも持ち直してきたとこで──あたしの頭に本格的に、ガツンと喝が入り直す、ある事件が巻き起こった。
本土で生活をするのなら、こっちの他のハンターとも、一回くらいは組んだ上で戦ってみた方がいいのかな。
分かっていても、まだまだそこまでの気分にはとてもなれそうにはなかったけれど。
買い物中にレジ係の店員さんと、二言三言雑談出来るくらいなら自分を取り戻せ出していて。
とりあえずは今日も単身廃墟の中に乗り込んで、正規のバイトを平和的かつ順調に終わらせた。余裕はまだまだ残っているし、帰り際ちょうど一体大物を見かけた。最後に一丁狩ってからテントに帰る事にしようかなーと考えてたら。
あれは一体どういうつもりなのか。
離れた距離は二、三百メーターほど先か。青と白とを基調にしたジャケットに、茶色の髪をサイドテールにまとめ上げた小柄な女の子が一人。
あたしのテントのすぐそばに佇んで、中も外も実に興味深げに堂々覗き込んでいた。
──え、泥棒? こんな、侵略種だらけの危険すぎる廃墟区画に、セツナとあんまり変わらない子が単独で?
よりにもよって、二ヶ月ずっと使いっぱなしですっかりあちこち薄汚れた、我ながらどーにもこーにも見すぼらしいぼろぼろテントにまで泥棒??
──いやいや、落ち着けあたし。ここは海女取島みたいなど田舎とは違う。全然あり得なくなんてないから。
こんなご時世、本土の安全な区域ほど地価は高まり続けていってるし。
結果、そこから炙り出された人がやむなく廃墟に住み着いて、生きる為に犯罪に手を染めざるを得ないケースも多々あるって知識じゃちゃんと知っている。
だから別に、侵略種でいっぱいな危険区域にあの子ぐらいの泥棒が存在しても、別になんにもおかしくない。
──そう、全然おかしくないんだけれどもさ。それにしたってアレはなんか、毛色が色々違わない?
一介の泥棒としては、身なりは綺麗にしすぎているし切羽詰まった様子もなし。家主に見つからないかという、緊張感とか罪悪感の類だって殊更皆無に見えるというか。
むしろあればただ単に、都会出身の子が野外生活というものに興味津々というだけで。
自分も是非是非キャンプを体験してみたい。そういうキラキラ好奇心オーラがもんのすごい分かりやすく立ち昇ってて実害要素が全く以って皆無というか、もうあの子はあの子のお気の済むまで放置して、飽きてどっかに行っちゃうまで路端でのんびり見守ってても一切構わないんじゃないかなーという微笑ましい気持ちまで覚え出してたんだけどそんな事は全然なかった!
そう、ちょうどさっき発見した環形動物門貧毛網。
平たく言えばミミズ型の超大型侵略種が、今まさにあたしのテントを張っている地点までズイズイ進撃してんだよ! 何をのん気に癒されてんだ久瀬シイナ! ミミズの野郎、得体のしれない茶髪の子までガッツリ巻き込んじゃうルートを取って、ズイズイ這い進んでいるんだよ!
あの子の正体がなんであれ、ちっちゃい子供を見捨ててなんておけるもんか! うあああああああ待ってなよ正体不明の茶髪の子──!
おかげ様でこの二ヶ月、萎えて乾いていた頭へと、一気に激しい炎が灯った。あちらこちらがヒビ割れていて、場所を選ばず逞しく生えてきてる、雑草だらけの幹線道路を文字通りに全力疾走。
異能を見られるのは嫌だけどこの際もう仕方がない。距離を詰め、ライフルを構え、ミミズ野郎を確実かつ一撃でぶち抜こうとしていたら──。
なんか茶髪の女の子が、何処からかマシーナリーな短杖を取り出した。
彼女はそれに組み込まれてた桃色の球体から、同じく桃色に発光する巨大な光弾を生み出して。
それをふいっと、杖といっしょにかるーくジャブみたいな感覚で振るったら。
頭部に一閃、あたしが手を出す暇もなく、超大型のミミズ野郎をノックアウトしちゃってた。
セツナと大して変わらない、小学生みたいにちっちゃな子が、よりにもよって超大型の侵略種をかるーいジャブみたいな一撃で。
──ずずん。
ミミズが盛大な音を立て、土煙を共として幹線道路の上に沈む。
「──え、え、え? ええええええええええええー!!?」
それに負けず、あたしも思わず驚愕の絶叫を、文明の跡地にまで高らかに響かせる。
こちらを向いて、ほんわかとした笑顔を見せる、謎の最強魔法少女。
それが今、可愛いらしいのに怖い顔でわたしに壁ドンをしてきてる、国連災害対策本部EXCEEDZの調査員──なのちゃんこと、高町なのは先輩との衝撃的な出会いだった。