セツナとの思い出は、誰にも話さなくていい。ただ、あたしの胸の中にだけ、大切にしまっておけばそれでいい。
だって、あの子の話をしようにも、人に触れられたくない事が多すぎる。
どうしてセツナは魔人なのか。どうして貴女は、魔人なんかを保護しようと思ったのか。どうして貴女はそれと知っていながらも、人として育てようと思ったのか。そんな事は、言葉でなんかじゃ何一つ、伝える事なんて出来はしない。
七年前。両親も、おじいちゃんをも亡くして、島から本土の養護施設にまで移り住もうとして、大規模な侵略種災害に巻き込まれた日。
建造物が崩れ落ち、人と獣の死の臭いが入り混じる、赤く黒く焼け爛れた地獄みたいな光景の中。
寂しくて悲しくて、誰かに助けを求めているにも関わらず、自分にはそんな資格はないんだと、全て諦めた目をした子供。
夜空を赤く染め上げるほど際限なく燃え盛り、再建なんて見えないほどに崩壊しかけた都市の中、当たり前であるかのように一人っきりで佇んで。
高く高く、見ているあたしが泣きそうになるくらいまで、降り積もっていた巨大な孤独。
それを湛えた、何処の誰かも分からない桃色の少女の元にまで、あたしは駆け寄り手を伸ばした。
言葉では、ダメだと思った。もう大丈夫だよ、安心してという意思を込め、ただただ真っすぐトパーズ色の目を見つめた。おずおずと、伸ばした右手に小さな右手を添えられて、虫も殺せはしないくらい微かな力で握り返してきてくれた。
──あの夜を、語る必要なんてない。理解なんて、誰にもされなくていい。
あの瞬間、久瀬シイナという人間に灯った使命感という感情は、誰にどれだけ批判や侮辱をされようと絶対覆す事はしない。
今更誰も訪れる事もないだろう、ずっと昔に朽ち果てきった、離島には不似合いな事極まりない灰色のショッピングモール。
ほんの四ヶ月くらい前。その奥底で、背後からの不意打ちで、あたしはお腹のど真ん中を太い触手で貫かれてた。
うつ伏せになったまま、体は指の一本すらもぴくりとだって動かせない。欠けてはいけない内臓が、ごっそり持っていかれた実感がある。自分の腹から流れた血に、ずぶりずぶりと沈んで溺れていくかのようだった。
誰の助けも期待出来ない。来たとしても助からない。人の医学で埋め合わせられる傷じゃない。
刻一刻と、不可避の死が迫ってる。なのに、あたしの心の裡を占めたのは、溢れる血より尚ずっと赤黒い、灼熱の怒りだけだった。
すぐ目の前で見下ろして、あたしにとどめを刺そうとしてる語彙の乏しい触手野郎。あの男の、腹部に開いた巨大な口の内部から、ぐちゃりぐちゃりとおぞましい咀嚼音が響いてる。
すぐそばにいた筈の、あたしの大事なセツナの手の、柔らかな感触が何処にもない。
その代わりに、あたしのすぐ真上から、ぐちゃりぐちゃりの音と共に、黒く濁った液体が滝のように大量に流れてる。
セツナは何処。返事なんてなくっても、答えはあまりに明白だった。
許せない。
死を前にしてるのに、恐怖は一切感じなかった。あるのはただ、一点の曇りもない純粋すぎる怒りだけ。
殺してやる。
モールを丸ごと爛れさせるかのような。
触れるのならば鉄をも溶かし、大気へ蒸発させるかのような。
宙に浮かぶ巨大な恒星そのものに、死の恐怖を塗り潰してしまうほど、真っ赤に染まった狂騒的な怒りだけ。
許せない。弱い自分が許せない。
銃がなくては戦えない。特別な力の一つもない。ただの普通の人間である無力な自分が悔しくて、あいつ以上に自分自身を許せない。
よくも殺しやがったな。この世界に、あの子が確かにいたんだという痕跡すらも、丸ごと消してくれやがったな。
あいつもあたしも、絶対に許せなんてしなかった。
もしも敵が討てるなら、この星丸ごと売り払っても構わないと思えたくらい、道理という道理を欠いた圧倒的な悔恨の海。
──もう、とっくに冷めてしまった想いではあるけれど。
どうしようもないくらい、終わってしまった想いではあるけれど。
あの時みたいな感情は誰にも語るべきじゃない。誰かに語って押し付けて、分かち合ってもらうようなものじゃ決してない。
桃色の淡い世界の中で、涙をこらえ、最後に見せてくれたあの笑顔。
しーちゃんはしーちゃんらしく幸せになってって、あたしをあたしに引き戻してくれたセツナの為に。
これは、一人で抱えて生き抜いて墓場の中へと埋めなきゃ、許される事のない感情だ──
危険度のめっちゃ高い、廃墟区画のど真ん中。
あたしのテントをキラキラした目で観察してたと思ったら、すぐ間近にまで迫ってきてた超大型の侵略種を、それはそれはかるーい一撃で以ってして瞬きの間に倒してみせた。
ちっちゃくて可愛いのに、ぶっとんじゃうほどめちゃくちゃ強い女の子──国連災害対策本部EXCEEDZ所属にして、世にも稀なS級魔導士の一角。
それがあたしとなのちゃんこと、高町なのは調査員とのファーストコンタクトであったのだ。
振り返ってみたならさ。当初のあたしはなのちゃんに、ずい分きつい態度だったよねー。
何がスカウトだよ。人の事を勝手に調べ尽くしやがって。権力なんてどいつもこいつも信用出来ねえ。こいつらは、紳士ぶって近付いて来て、セツナの力を実験動物扱いする気だって、完っ全に思い込んでいちゃってさ。
狂犬みたくに牙を剥いて、速攻話をシャットアウトしてたじゃん。国連なんて絶対行ってやるもんかって、聞く耳持とうともしなかったじゃん。
いやーマジで大人げなかったわ。思い込みの強いバカでごめん。
まあ、初めはそんなんだったけど、今じゃなのちゃんともフェイちゃんとも、すっごい仲良くなれたよね。
なのちゃんは原種退治の現場では、異能での連携に慣れてなかったあたしの為に終始合わせてくれていた。
仕事を終えたらあたし流に、拳と拳をコツンと軽く当てあって、ご苦労様って笑顔で労ってくれていた。
なかなか天然なとこも多いけど、ノリが良くて協調出来て、ほわっとした笑顔には思わずこっちも癒されちゃう、すっごく素直で素敵ないい子。
今だったなら、なのちゃんはあたしの最高の友達であり、最っ高に尊敬出来る年下の先輩だって、誰を相手にしたっても迷わず言い切れちゃうからね!
んで、実を言うとフェイちゃんにはさ。出会ってあんまり経ってない頃は、あたしの四つも年下なのにあたしの十倍くらいは落ち着いていて三十倍は洗練された、何でもこなせる仕事人なスーパー十三歳すぎて、ちょっとだけ近づき難いものがあったんだ。
でもさ、フェイちゃんてさ。何処まで自覚的かは知んないけどさ、仕事が終わってなのちゃんと二人になると、肩と顔からふっと力が抜けちゃうじゃん?
そんで、いざプライベートに突入すると、あれやこれやが一転してさ。
なのちゃんといっしょになってお喋りをして、コロコロ笑ってアワアワ慌ててハグをしながらじゃつき合って遊んでる。そんな、普通の可愛い十三歳の女の子に戻るんだって知れたから。
今じゃあたしもなのちゃんに加わって、いくらだってなでなでをして一日中だってハグしてたい、大大大大大好きなベストフレンドにまでなってるよ!
そんで、そんな君らといっしょになって、戦ったり働いたりしていると──不意に、ここにセツナがいたのならどうなってたろうと考えた。
セツナがいたのなら十一歳。なのちゃんとフェイちゃんは十三歳。侵略種の侵攻以来、海女取島は着実に過疎ってて子供の数は僅かだった。
だからなのちゃんフェイちゃんは、セツナにとってちょっぴり年上の友達に。
セツナにとってすごく貴重な、都会からやって来た優しいお姉さん達になってくれた。そうに違いないって思うんだ。
──セツナはさ、ちょっぴり人見知りをしがちでさ。知らない人には遠慮がちなところがあるからさ。
まずフェイちゃんが、緊張してあたしの背中に隠れちゃってるセツナに向けて、腰を屈めて目線を合わせ、『こんにちは。お姉さんのお友達兼同僚で、フェイト・テスタロッサといいます』と静かな声で挨拶をする。
そしたらセツナも一段階、二人へ向けてた警戒心を緩めてくれて、あたしの背から前の方に出て来てさ。
『こんにちは。しーちゃんの妹の久瀬セツナです』って、ぺこりと礼儀正しく挨拶をする。
フェイちゃんが、『こちらこそよろしくお願いしますね、セツナさん』と全くそつなく返答し、にっこり笑って大人らしい握手をして、セツナの警戒を完全に解く。
さっすがフェイちゃん執務官、誰が相手でも完璧な対応! 会わせてあげて良かったなーって、あたしは後ろでニコニコしながら見守っている。
──なんて安心をしていたら、それが見事な油断だった。
フェイちゃんの後ろに控えていたなのちゃんが、全力全開でセツナの体に抱きついて、『セツナちゃんかわいいーっ! わたしとも仲良くしてねーっ!』と元気一杯ど天然なご挨拶。
はい、おかげ様で元通り! セツナの警戒心が最大値にまで逆戻り! あたしの背中の後ろにまで、さささささーって戻ってきた!
フェイちゃんが大変珍しく、『こらなのは! 下の子を驚かせたらダメでしょう!』なんて、怖い顔でストレートに叱りつける。
なのちゃんもなのちゃんで『うん。調子に乗っちゃいましたごめんなさい…』と正座の状態でしゅんとする。
ああ〜一気にぐでぐでだよ。フェイちゃんてば、優しいお姉さんモードから完全に、厳しい執務官モードにまで突入だよ。
どうしようかな。フェイちゃんてばガミガミが止まりそうにないよ。てゆうかこれ、二人ともセツナの事を忘れちゃってるぽくないか? フォローに入った方がいいのかな? と思ったけれど、なんかこの漫才みたいな説教劇が良かったみたい。
うるさくて残念な年上二人を前にして、背中のセツナは却ってゆるりとリラックス。
口元を抑えてくすくす笑い、あたしが背を押すまでもなくもう一回前へ出て。
『──こちらこそ、びっくりしすぎてごめんなさい。怒ってなんて全然ないし、お二人ともに仲良くしてもらえたら嬉しいです』
人見知りな面なんて、もうとっくに吹っ飛んでいた。愛想よく簡潔に、やわらかな笑顔で伝えてから、なのちゃんを庇うようにしてきゅっと体に抱きついていく。
そんな、夢みたいな風景が、あたしの中で否応なしに広がって。
──セツナとの思い出は、誰にも話さなくていい。
ただ、あたしの胸の中にだけ、大切にしまっておけばそれでいい──
──あの時みたいな感情は誰にも語るべきじゃない。誰かに語って押し付けて、分かち合ってもらうようなものじゃ決してない。
これは、一人で抱えて生き抜いて墓場の中へと埋めなきゃ、許される事のない感情だ──
そう思ってたってのに──いつしかあたしは、なのちゃんとフェイちゃんの両方に、セツナの話を聞いてほしくてたまんなくなっていた。