軍から指定された合流地点へ向かう途中、海は不気味なくらい静かだった。
風は弱く、波も穏やかだった。空を見ても特に変わったところはない。
これから大規模な深海棲艦の群れと戦うと言われても、何も知らなければ信じなかったかもしれない。
「静かだな」
前を進んでいた天龍が言った。
「うん。嫌なくらい」
「敵はもう近いのでしょうか?」
五月雨が周囲を見ながら聞いてくる。
「軍からの最後の連絡だと、この先。合流地点より向こうには来てるはず」
「二十以上、なのです?」
「確認出来た範囲でね」
後ろから電の声。
私は頷いてから、もう一度皆を見る。
電。
五月雨。
天龍。
龍田。
鳳翔さん。
六人。
全員いる。
以前なら。
こういう時ほど、自分が全員を見なければと思っていた。
一人でも危なくなったら自分が助ける。
何か判断が必要なら自分が決める。
失敗しないように、自分が出来るだけ全部やる。
でも。
それでは駄目だと。
もう知っている。
「多摩ちゃん?」
龍田に呼ばれる。
「何?」
「難しい顔してるわよ~」
「そう?」
「また一人で何か考えてんじゃねえだろうな」
天龍まで。
「考えるくらいはいいでしょ」
「内容による」
「今日はちゃんと皆に任せるよ」
「ならいい」
「何で天龍に許可もらってるんだろ」
「知らねえよ」
いつもの調子。
それだけで少し肩の力が抜けた。
「司令官さん」
電が前を指差す。
「見えたのです」
水平線の先。
いくつかの艦影。
「あれかな」
「軍ですね」
鳳翔さんが答える。
近付いていくにつれ、その数が分かってくる。
前回の共同任務より多い。
その先頭には。
「多摩さん!」
「神通さん!」
見覚えのある顔がいた。
神通さんの後ろには、前回一緒だった駆逐艦二人。
さらに別の艦娘たちもいる。
「お待ちしていました」
「いえ、こっちも今着いたところです。それより状況は?」
挨拶もそこそこに聞く。
神通さんの表情が少し険しくなった。
「先ほど新しい報告が入りました。現在確認出来ている敵は二十四」
「二十四……」
「さらに後方にも反応があります」
「まだいるんですか?」
「正確な数までは分かりません。ただ、最初に確認された群れだけではない可能性があります」
やっぱり。
昨日までとは規模が違う。
「町の方は?」
「船は全部止めてもらってます」
「それなら」
神通さんが小さく頷く。
「少なくとも、後方の民間船を気にする必要はありませんね」
「はい」
それは大きい。
町への連絡が間に合ったから。
誰も海に出ていない。
戦うことだけに集中出来る。
今まで。
軍。
町。
私たち。
全部ばらばらだった。
それが今は。
ちゃんと繋がっている。
「多摩さん?」
「何でもないです」
今考えることじゃない。
「配置は?」
「こちらが中央を担当します。多摩さんたちは右翼寄りをお願いします」
「分かりました」
「前回と同様、それぞれの部隊への指示はそれぞれで。ただし、必要があればすぐ共有を」
「はい」
全部軍に従うわけでもない。
全部こっちで決めるわけでもない。
必要なところだけ合わせる。
前回やったことと同じだ。
「では」
神通さんが私を見る。
「よろしくお願いします」
「こちらこそ」
そして。
「多摩さん」
「はい?」
「無理はしないでください」
「神通さんまで?」
「何故その反応をするんです?」
「最近よく言われるので」
後ろから鼻で笑う音がした。
「言われる理由があんだろ」
「天龍」
「何だよ」
「今はしてないでしょ」
「今はな」
「信用ないなぁ」
「実績があるのです」
「電まで!?」
神通さんが少しだけ笑った。
緊張していた空気が。
ほんの少し。
軽くなる。
それも。
悪くなかった。
鳳翔さんの艦載機が空へ上がった。
しばらくして。
「敵艦隊、確認しました」
その声で。
全員の空気が変わる。
「数は?」
「二十四。先ほどの報告通りです。ただし、後方はまだ確認出来ません」
「分かりました」
私は皆を見る。
「電と五月雨は左側。天龍と龍田は右。鳳翔さんは後ろから全体をお願いします」
「了解なのです!」
「はい!」
「おう!」
「分かったわ~」
「承知しました」
「無理に敵の中へ入らないで。押されたら下がる。誰か一人だけで追わない」
「多摩」
「何?」
「それ、自分にも言ってんだよな?」
「……言ってる」
「一瞬間があったぞ」
「言ってます!」
もう。
本当に信用がない。
やがて。
水平線の向こうに。
黒い影が見え始めた。
一つ。
二つ。
それが増えていく。
最初は小さかった影が。
こちらへ近付くにつれ、はっきりと形を持つ。
深海棲艦。
二十四。
数字で聞いた時より。
実際に並んでいるところを見る方が。
ずっと多く感じる。
「……多いですね」
五月雨が小さく言う。
「うん」
「大丈夫でしょうか」
「大丈夫」
答える。
根拠があるわけじゃない。
でも。
「五月雨一人で戦うわけじゃないでしょ?」
「……はい」
「私もいる。電も。天龍も龍田も鳳翔さんも。軍の人たちもいる」
「はい!」
「だから、いつも通り」
「分かりました!」
五月雨の顔から。
少しだけ力が抜けた。
「来ます!」
鳳翔さんの声。
直後。
遠くから砲撃が飛んできた。
「回避!」
海面が一斉に爆ぜる。
一発目。
そのすぐ後ろに二発目。
水柱が上がり、視界が一瞬遮られる。
前回の六体とは。
砲撃の密度が全く違う。
「五月雨、右!」
「はい!」
「電、そのまま五月雨の横!」
「了解なのです!」
左。
二人が砲撃を避けながら距離を取る。
右では。
「天龍ちゃん、そっち来てるわよ~」
「見えてる!」
天龍が一体へ砲撃。
敵が避けた先へ。
龍田が撃つ。
「当たった!」
「まだ沈んでねえ!」
「分かってるわよ~」
息が合っている。
なら。
右は任せる。
「神通さん!」
「正面はこちらで!」
「お願いします!」
中央。
軍側の砲撃が始まる。
こちらよりずっと綺麗に揃った一斉射。
一体が大きく揺れ。
後ろの駆逐艦が追撃する。
沈む。
「一体!」
でも。
敵の動きは止まらない。
むしろ。
数で押し潰すように。
前へ出てくる。
「電!」
「はいなのです!」
「正面一体お願い!」
「了解なのです!」
「五月雨はその横! 電が撃った後を!」
「はい!」
電が撃つ。
敵が進路を変える。
そこへ五月雨。
撃つ。
外れる。
「あっ!」
「大丈夫! 次!」
「はい!」
五月雨がすぐに次弾を装填する。
以前なら。
外したことそのものに気を取られていたかもしれない。
でも。
もう。
立て直せる。
電がもう一度撃つ。
今度は当たった。
「五月雨!」
「はい!」
二発目。
命中。
「やりました!」
「周り見て!」
「はい!」
そのまま次の敵へ。
任せられる。
「多摩!」
天龍。
「右、二体追加!」
見る。
「いける?」
「誰に聞いてんだ!」
「じゃあ任せる!」
「おう!」
それだけ言って。
私は中央へ戻る。
前なら。
一緒に右へ行っていたかもしれない。
でも。
天龍と龍田なら。
大丈夫。
戦闘は。
思った以上に長く続いた。
一体沈めれば。
その後ろから別の一体が前へ出てくる。
敵の前列を削っても。
すぐに穴が埋まる。
軍側も。
私たちも。
少しずつ敵を減らしている。
でも。
こちらも無傷ではない。
「天龍!」
「かすっただけだ!」
右腕。
確かに動いている。
「龍田!」
「私も大丈夫よ~」
「電!」
「問題ないのです!」
「五月雨!」
「まだ行けます!」
「鳳翔さん!」
「こちらも問題ありません!」
全員。
動ける。
「多摩さん!」
神通さんの声。
「左翼へ敵が寄っています!」
見る。
軍側の左側。
敵が集中している。
「こっちから二人回します?」
「いえ、まだ大丈夫です! そちらの右翼を維持してください!」
「分かりました!」
なら。
余計なことはしない。
神通さんが大丈夫と言った。
軍側は。
神通さんに任せる。
直後。
「多摩さん!」
鳳翔さんの声が変わった。
「何?」
「敵後方、新しい反応です!」
「数は!?」
「八……いえ、十!」
「十!?」
さらに。
十。
二十四だけじゃない。
「神通さん!」
「こちらでも確認しました!」
「どうします!?」
「一度全体を下げます!」
「了解!」
すぐに皆へ向く。
「天龍、龍田! 少し後退! 電と五月雨も!」
「おう!」
「はいなのです!」
「鳳翔さんも位置下げて!」
「はい!」
誰も反対しない。
誰も。
一人だけ前へ残ろうとしない。
もちろん。
私も。
少しずつ後退しながら。
敵との距離を取る。
ただ逃げるわけじゃない。
敵の前列だけを引き伸ばす。
後ろとの距離が開く。
「神通さん!」
「はい!」
「前に出てきたところから削りません?」
「私も同じことを考えていました!」
「じゃあ!」
軍側が止まる。
私たちも。
「電、五月雨! 前の二体だけ!」
「了解なのです!」
「はい!」
「天龍と龍田は右の一体!」
「任せろ!」
「鳳翔さん、後ろお願いします!」
「はい!」
一斉に。
反撃。
前へ出すぎた敵へ。
軍と私たちの砲撃が集中する。
一体。
沈む。
次。
天龍の砲撃。
龍田が続く。
二体目。
「押し返せる!」
五月雨の声。
「まだ前出ない!」
「はい!」
焦らない。
今は。
削ればいい。
敵も。
こちらの狙いに気付いたらしい。
前進が少し止まり。
今度は砲撃が増えた。
「来る!」
避ける。
海面が爆ぜる。
すぐ近く。
「っ!」
水飛沫が顔にかかる。
次。
右。
左。
「電、下がって!」
「はいなのです!」
砲撃。
その直後。
また一発。
多い。
「五月雨!」
「大丈夫です!」
よし。
見る。
全員。
まだいる。
次。
敵。
「多摩!」
天龍の声。
「前!」
「見えてる!」
一体。
こちらへ抜ける。
砲を向ける。
撃つ。
命中。
でも。
止まらない。
「もう一発!」
撃つ。
今度は。
敵が崩れた。
「よし!」
その瞬間。
「司令官さん!」
電の声。
振り向く。
視界の端。
水柱の向こう。
電がいた。
そのすぐ前。
一体。
さっきまで軍側を狙っていた敵が。
進路を変えている。
「電!」
電も気付く。
砲撃を避ける。
一発。
避けた。
でも。
その直後。
電の身体が大きく傾く。
さっきの回避で。
体勢が戻っていない。
そして。
その奥。
別の深海棲艦。
大きい。
砲口が。
電へ向いている。
「電、避けて!」
電がこちらを見る。
間に合わない。
そう思った。
次の瞬間。
私は。
もう動いていた。
「司令官さん!?」
電の前へ。
考える時間なんてなかった。
砲撃。
光。
衝撃。
身体が。
吹き飛ばされる。
「多摩!」
「多摩さん!」
誰かが呼んでいる。
海面へ叩きつけられた。
「っ……!」
息が出来ない。
胸が痛い。
右腕。
動く。
多分。
左も。
でも。
力が入らない。
「司令官さん!」
電。
声が聞こえる。
無事。
よかった。
それだけは。
分かった。
「来……ないで……」
声が出たのか。
自分でも分からない。
まだ敵がいる。
電が。
私のところへ来たら。
また狙われる。
皆。
まだ。
戦ってる。
起きないと。
動かないと。
でも。
身体が。
動かない。
前にも。
守れなかった。
あの時は。
画面の向こうで。
多摩を。
沈めた。
今度は。
電を守れた。
だったら。
これでいい?
違う。
よくない。
まだ。
電もいる。
五月雨も。
天龍も。
龍田も。
鳳翔さんも。
軍の皆も。
町だって。
まだ後ろにある。
終わってない。
私だけで全部やる必要はない。
そんなこと。
もう分かってる。
だから。
せめて。
もう一度。
立たないと。
指先に力を入れる。
動かない。
もう一度。
駄目。
「……っ」
視界が。
少しずつ暗くなる。
声も。
砲撃の音も。
遠くなっていく。
まだ。
終われない。
そう思った。
その時だった。