『しょうがないにゃぁ……』
声がした。
「……多摩?」
返事はない。
でも、聞き間違えるはずがなかった。
何度も聞いた声だった。画面の向こうで何度も出撃させて、何度も聞いていた、多摩の声。
今の声は確かに多摩だった。
「司令官さん!」
電の声が聞こえる。
目を開くと、私のところへ向かおうとしている姿が見えた。その後ろでは、まだ深海棲艦が砲をこちらへ向けている。
「来るんじゃないにゃ! 五月雨のところに戻るにゃ!」
「……え?」
電が止まった。
「司令官さん……?」
「早く!」
敵の砲口が光る。
撃たれる。
そう思った時には、もう身体が動いていた。
無理に立ち上がろうとはしない。海面を滑るように身体を起こし、そのまま少しだけ前へ出る。
砲弾が横を抜けた。
「……?」
避けた。
いや。
自分で避けた。
どうして今の動きが出来たのかは分からない。
さっきまで、指一本動かすだけでもあれだけ痛かったのに、傷が消えたわけでもない。今だって身体中が痛い。
それなのに。
どう動けばいいのかだけは分かる。
「多摩!」
天龍の声が飛んでくる。
「生きてんのか!?」
「勝手に沈めるにゃ!」
「……は?」
天龍が一瞬、本当に動きを止めた。
「天龍ちゃん、今そこ気にしてる場合じゃないわよ~」
「分かってる!」
「天龍、右は任せるにゃ! 龍田と一緒に前の二体を止めるにゃ!」
「お、おう!」
「龍田!」
「分かってるわ~。天龍ちゃん、行くわよ」
二人が動く。
それを確認して、私は正面へ向き直った。
敵が二体。
一体はこちらを向いている。もう一体は軍側へ砲を向けていた。
砲を構える。
狙う。
撃つ。
敵が回避する。
その動きに合わせるように、もう一度砲を向けた。
二発目。
命中。
「……」
自分で撃ったのに、一瞬だけ呆然とする。
何で当てられた?
分からない。
ただ。
当てられると思った。
「多摩さん!」
鳳翔さんの声で意識を戻す。
「敵後方、追加の十体が接近しています!」
「艦載機で進路を乱せる?」
「可能です!」
「全部止めなくていいにゃ。一気に合流させないようにしてほしいにゃ!」
「承知しました!」
鳳翔さんの艦載機が空へ上がっていく。
「神通さん!」
『聞こえています!』
「今いる敵の前列が伸びてるにゃ! 追加が来る前に中央を崩すにゃ!」
一瞬だけ間があった。
『……了解しました!』
何だろう。
今の間。
考えるのは後。
「電!」
「は、はいなのです!」
「五月雨と左! 抜けてくる敵だけ止めるにゃ!」
「了解なのです!」
「五月雨!」
「はい!」
「無理に仕留めなくていいにゃ! 電と二人で足を止めれば十分にゃ!」
「分かりました!」
全員が動き始める。
私が全部を見る必要はある。
でも、全部やる必要はない。
それはもう分かっている。
「多摩!」
「何にゃ!」
「こっちは行ける!」
右を見る。
天龍と龍田。
敵二体。
まだ余裕はある。
「任せるにゃ!」
「おう!」
それだけでいい。
私は正面を見る。
砲撃が来る。
一発目を避ける。
続けて二発目。
今度は身体を少し傾けるだけで、すぐ横を抜けていった。
どうしてこんなに動けるのか。
分からない。
今まで出来なかったことが、急に出来るようになった。
それでも。
身体が勝手に動いているわけではない。
動かしているのは私だ。
ただ、今までなら迷っていた一瞬に、身体が迷わない。
そこへ行けば避けられる。
ここで撃てば当たる。
そんな感覚が、最初から知っていたことみたいに出てくる。
「前!」
神通さんの声。
「見えてるにゃ!」
こちらへ向かってくる敵へ砲を向ける。
一発。
敵が避ける。
でも、次に動く先が分かる気がした。
そこへ二発目。
命中。
「神通さん、その一体お願いするにゃ!」
「了解!」
軍側から砲撃が飛ぶ。
敵が沈んだ。
私一人で仕留める必要はない。
「天龍!」
「右終わった!」
「龍田!」
「こっちも大丈夫よ~」
「じゃあ中央に寄って!」
「おう!」
二人がこちらへ向かう。
「電!」
「左も一体止めたのです!」
「五月雨!」
「まだ行けます!」
「そのままお願いするにゃ!」
全員。
まだ動ける。
なら。
「神通さん!」
「はい!」
「敵の中央と後ろ、かなり間が開いてるにゃ」
「こちらでも確認しています」
「軍側は左から入れる?」
「可能です」
「こっちは右から行くにゃ。追加が来る前に今いる敵を分断するにゃ!」
「分かりました!」
軍側が動き始める。
「天龍、龍田!」
「聞こえてる!」
「右から中央!」
「おう!」
「電と五月雨は前に出すぎない! 抜けてきた敵をお願いするにゃ!」
「はいなのです!」
「はい!」
「鳳翔さん!」
「追加艦隊、艦載機と接触しました!」
「そのままお願いするにゃ!」
「はい!」
揃った。
「行くにゃ!」
軍側が左から。
私たちは右から。
伸びきった敵の中央へ入る。
砲撃がこちらへ飛んでくる。
一発。
避ける。
次。
身体を沈める。
海面が背後で爆ぜた。
「多摩、前出すぎだ!」
「これくらいなら大丈夫にゃ!」
「身体見てから言え!」
痛い。
それは天龍の言う通りだった。
動ける。
でも。
傷が治ったわけではない。
身体を動かすたびに、さっき受けた場所が痛む。
もしまた直撃を受けたら。
今度こそ。
多分。
まずい。
だから。
一人で全部やるなんて出来ない。
「天龍!」
「何だ!」
「前の一体任せるにゃ!」
「おう!」
「龍田はその横!」
「はいはい~」
私は奥の敵へ狙いを変える。
撃つ。
命中。
敵の動きが止まった。
「神通さん!」
「こちらで!」
軍側の一撃が続く。
沈む。
これでいい。
「今にゃ!」
砲声が重なった。
軍側。
天龍。
龍田。
私。
敵の中央へ火力が集中する。
一体が沈み、続けてもう一体。
隊列が崩れる。
「押せるぞ!」
天龍が叫ぶ。
「追いすぎるにゃ! 前だけ見るんじゃないにゃ!」
「分かってる!」
「本当に?」
「何でそこだけいつも通りなんだよ!」
「天龍ちゃん、元気ね~」
「龍田も今言うな!」
こんな時なのに、少し笑いそうになった。
「多摩さん!」
鳳翔さん。
「追加艦隊、進路が分かれました! こちらへ向かっているのは四体です!」
「残りは?」
「艦載機を追っています!」
「十分にゃ!」
十体全部を同時に相手にする必要はない。
四体なら。
今の敵を減らしてから対応出来る。
「神通さん!」
「聞こえています!」
「押すにゃ!」
「はい!」
戦況が少しずつ変わっていく。
さっきまで数に押され続けていた敵が、中央を崩されたことでばらばらになり始めた。
軍側へ向かうもの。
私たちへ来るもの。
後ろへ下がろうとするもの。
「電、左!」
「はいなのです!」
電が敵の進路を塞ぐ。
「五月雨、そのまま!」
「はい!」
五月雨の砲撃。
命中。
「やりました!」
「次を見るにゃ!」
「はい!」
もう。
一度外したことなんて気にしていない。
天龍と龍田も、こちらが何も言わなくても互いの位置を見ながら動いている。
鳳翔さんは後方の敵を遅らせながら、こちらの状況まで見ている。
軍側も、こちらが作った隙へすぐ砲撃を入れる。
だから。
戦える。
追加の四体がこちらへ着いた頃には、先にいた敵は半分以下になっていた。
「新手来るよ!」
「了解なのです!」
「おう!」
先頭の一体へ撃つ。
避けられる。
でも。
次に行く場所が見える。
もう一発。
命中。
「天龍!」
「任せろ!」
追撃が入る。
沈む。
「龍田!」
「こっちも終わったわよ~」
「電!」
「問題ないのです!」
「五月雨!」
「まだ行けます!」
「鳳翔さん!」
「後方、新たな敵影はありません!」
「神通さん!」
「こちらも押しています!」
なら。
「今いる敵を全部減らすにゃ!」
誰も迷わなかった。
そこからは早かった。
敵が一体。
また一体。
沈んでいく。
誰かが外せば、別の誰かが続く。
誰かが押されれば、横から助ける。
私もその中に入る。
撃つ。
避ける。
声を出す。
「五月雨、今にゃ!」
「はい!」
「天龍、右!」
「見えてる!」
「電はそのまま!」
「了解なのです!」
「龍田、後ろ!」
「分かってるわ~」
「鳳翔さん!」
「問題ありません!」
自分でも撃つ。
一発。
外れる。
次。
当たる。
敵がよろめいたところへ軍側の砲撃が続く。
沈む。
誰の一撃だったかなんて。
もう。
どうでもよかった。
最後まで残っていた敵へ、神通さんの砲撃が当たった。
「天龍!」
「おう!」
天龍の砲撃が続く。
直撃。
敵が大きく傾き、そのまま海へ沈んでいった。
しばらく誰も前へ出なかった。
残っている敵がいないか、全員が周囲を確認する。
「敵影ありません!」
鳳翔さんの声。
「こちらでも確認出来ません!」
神通さんからも返事が来る。
それを聞いて、ようやく肩の力を抜いた。
「……終わった?」
何となく口にしたけれど、返事がない。
見ると、何故か皆が私を見ていた。
「何?」
「多摩?」
天龍が妙な顔をしている。
「何?」
「……戻ったな」
「何が?」
「喋り方」
「喋り方?」
何のことだろうと思っていると、電も少し戸惑った顔で近付いてきた。
「司令官さん、さっき途中からずっと『にゃ』って言ってたのです」
「……え?」
「『任せるにゃ』とか、『押すにゃ』とか」
天龍も頷く。
「ずっとそんな感じだったぞ」
「私が?」
「はいなのです」
「……本当に?」
「何で俺らがそんな嘘つくんだよ」
言われて、戦っていた時のことを思い返す。
電に五月雨のところへ戻れと言った。
天龍と龍田へ右を任せた。
鳳翔さんへ艦載機を頼んだ。
神通さんとも連携した。
何を言ったのかは覚えている。
でも。
どういう口調で話していたかなんて、全く意識していなかった。
「多摩さん、すごく多摩さんみたいでした!」
五月雨が言う。
「五月雨、それどういう意味?」
「えっ」
「私も多摩だけど」
「あ……」
一瞬困った顔をしてから、五月雨がさらに困る。
でも、言いたいことは分かった。
私だって知っている。
語尾に「にゃ」を付ける多摩なんて、知らないわけがない。
「……本当にあの喋り方だったんだ」
「そうなのです」
急に恥ずかしくなってきた。
「龍田まで笑わないでよ」
「あら~? 可愛かったわよ、多摩ちゃん」
「やめて」
戦っている最中は全く気にならなかったのに、今になって思い出すとかなり恥ずかしい。
ただ。
それ以上に気になることがある。
『しょうがないにゃぁ……』
あの声。
あれは多摩だった。
少なくとも、私にはそう聞こえた。
そして、その声を聞いた後から自分の口調まで変わっていた。
「多摩?」
天龍に呼ばれて顔を上げる。
「何?」
「今度は何考えてんだ?」
「……声がしたんだよね」
「声?」
「電を庇ったあと」
皆の表情が変わった。
「誰のだ?」
「多摩」
天龍が眉を寄せる。
「お前だろ」
「私じゃなくて」
「ややこしいな」
「私もそう思う」
でも、他に言いようがない。
「『しょうがないにゃぁ』って。それだけ聞こえた」
「電は聞いていないのです」
「私もです」
五月雨も首を振る。
天龍と龍田。
鳳翔さんも同じだった。
「じゃあ私だけか」
「心当たりは?」
「声にはある」
「声?」
「聞き覚えがあるんだよ。間違えるような声じゃない」
説明しても余計にややこしくなるから、そこまでは言わない。
でも、あの声だけは間違えない。
私が知っている、多摩の声だった。
ただ、どうしてその声が聞こえたのかは分からない。
「何で今聞こえたのかも分からないし、その後何であんなに身体が動いたのかも分からない」
「自分でも分からねえのか?」
「うん」
傷はそのまま。
今だって身体中が痛い。
急に強くなった理由なんて分からない。
ただ、戦っている間だけ、今までよりずっと身体の扱い方が分かった。
それだけ。
「怖かったのです?」
電が聞く。
「怖い?」
少し考える。
「いや」
不思議ではある。
分からないことも多い。
でも。
「嫌な感じはしなかった」
「そうなのです?」
「うん。むしろ……」
何と言えばいいんだろう。
「懐かしかった、かな」
自分でも変な答えだと思う。
それでも、一番近いのはそれだった。
「そうか」
天龍はそれ以上聞かなかった。
「多摩さん」
今度は神通さんが近付いてくる。
「はい」
「お話は終わりましたか?」
「一応」
「では、すぐに帰投してください」
「え」
「その損傷でまだ話を続けるつもりだったのですか?」
言われて改めて自分を見る。
艤装も服もかなり酷い。
さっきまで普通に動けていたせいで忘れかけていたけど、受けた傷そのものがなくなったわけではない。
「……結構やられてる」
「結構ではありません!」
神通さんに本気で怒られた。
「すみません」
「多摩さんは戻ったらすぐ入渠です」
鳳翔さんにも言われる。
「分かってます」
「本当に?」
「何で鳳翔さんまで疑うんです?」
「これまでのお話を聞いていますので」
「誰が話したんだろうなぁ」
「全員だろ」
天龍が即答した。
多分そうだ。
「司令官さん」
今度は電が私の前に来る。
さっきまでとは違って、少し怒っているような、泣きそうなような顔だった。
「どうしたの?」
「どうして電を庇ったのです?」
「どうしてって……」
理由なんて考えるまでもなかった。
「電が危なかったから」
「でも、司令官さんが沈んでいたらどうするのです!」
「沈んでないよ」
「そういうことではないのです!」
怒られた。
これは完全に私が悪い返しをした。
「……ごめん」
「電は、司令官さんにいなくなってほしくないのです」
「うん」
「電だけではないのです」
そう言われて周りを見る。
五月雨も。
天龍も。
龍田も。
鳳翔さんも。
何も言わずにこっちを見ている。
「分かってる」
前なら。
こう言いながら、本当には分かっていなかったのかもしれない。
守る側だから。
提督だから。
自分がやらなきゃ。
ずっと、そう思っていた。
でも今日は違った。
天龍に任せた。
龍田に任せた。
電と五月雨に任せた。
鳳翔さんに任せた。
軍にも頼った。
それで勝てた。
私一人では絶対に勝てなかった。
「本当に分かってるよ」
もう一度言う。
「私も、皆にいなくなってほしくない。でも皆だって、私にいなくなってほしくないんだよね」
「当たり前なのです」
「うん」
それなら。
次からは。
そこまで含めて考えないといけない。
「だから、とりあえず帰ろう」
「はいなのです」
今度は電も素直に頷いた。
「多摩」
「何?」
「帰ったら即入渠だからな」
「分かってるよ」
「その前に何か仕事しようとすんなよ」
「しないって」
「飯は?」
「食べたい」
「ほらな」
「ご飯くらいいいでしょ!」
「入渠が先です」
鳳翔さん。
「……はい」
逃げ道がない。
神通さんたち軍の艦娘とも帰投の確認を済ませ、私たちは鎮守府へ向かうことになった。
身体は痛い。
さっきまでどうしてあれだけ動けていたのか、自分でも分からない。
多摩の声が聞こえた理由も。
口調まで変わっていた理由も。
何も分からないままだ。
それでも。
海へ出た時も。
戦っている時も。
帰る時も。
今日はずっと皆がいた。
それだけは。
ちゃんと分かっていた。