朝。
目が覚めて、時計を見る。
「……うん」
いつもの時間だった。
少し前までなら、もっと早い時間に起きていることも珍しくなかった。というより、寝るのが遅すぎて朝なのか夜の続きなのか分からない日まであった。
今はちゃんと寝る。
別に誰かに言われたから、というだけでもない。
私が寝ている間にも、この鎮守府はちゃんと回る。
それが分かったからだ。
身体を起こすと、食堂の方からいい匂いがしてきた。
「今日は何だろ」
部屋を出て食堂へ向かうと、予想通り鳳翔さんが朝食を作っていた。
「おはようございます、多摩さん」
「おはようございます」
「よく眠れましたか?」
「はい。ちゃんと」
「それは何よりです」
何故か少し嬉しそうに言われた。
「もうそこまで心配しなくても大丈夫ですよ」
「そうですね」
「……その間は何です?」
「何でもありません」
笑っている。
絶対まだ信用されてない。
「手伝います?」
「では、お皿をお願いしてもよろしいですか?」
「はい」
棚から皿を出して並べていると、電が入ってきた。
「おはようございますなのです」
「おはよう」
「おはようございます」
続いて五月雨。
少し遅れて天龍と龍田も来る。
「天龍ちゃん、寝癖ついてるわよ~」
「どこだよ」
「こっち」
「触んなって!」
「朝から元気だね」
「お前は他人事みたいに言うな!」
「私何もしてないけど」
「笑ってんだろ!」
「笑ってない」
「笑ってるじゃねえか!」
いつもの朝だった。
「いただきます」
六人で朝食を食べる。
今日の予定は、午前中に私と電、五月雨で近海の哨戒。
天龍と龍田は資材の確認。
鳳翔さんは鎮守府に残る。
「帰りに港へ寄ってもらってもいいですか?」
鳳翔さんが聞いた。
「何かあります?」
「昨日、楠木さんから魚を分けていただけるというお話がありまして」
「ああ」
「受け取ってきます!」
五月雨が元気よく答える。
「じゃあお願いしようか」
「はい!」
「司令官さん」
電がこちらを見る。
「何?」
「忘れないでくださいね」
「何を?」
「魚なのです」
「忘れないよ」
「前に別のこと考えて忘れたことがあるのです」
「……あったっけ」
「ありました」
五月雨まで頷いた。
「二人して覚えてるんだ」
「電は覚えているのです」
「私もです!」
「じゃあ今回は五月雨に任せよう」
「司令官さんも覚えていてください!」
逃げられなかった。
朝食を終えると、それぞれが自分の仕事へ散っていった。
以前なら、一日の予定を決めるだけでも私が全部確認していた。
今は違う。
食料については電。
記録は五月雨。
資材は天龍と龍田。
生活面については鳳翔さんがかなり見てくれている。
もちろん最後に確認するのは私だけど、それだけだ。
少し前までなら考えられなかった。
「多摩さん、行きますよ!」
「あ、ごめん」
五月雨に呼ばれて顔を上げる。
「また考え事なのです?」
「ちょっとね」
「海で考え事は駄目なのです」
「分かってるって」
艤装を確認して、三人で海へ出た。
海は穏やかだった。
先日の大規模な戦闘が嘘みたいに静かで、遠くには漁船も見える。
「戻ってますね」
五月雨がそちらを見る。
「うん」
軍から危険がなくなったと連絡があり、町の船も少しずつ漁を再開していた。
もちろん深海棲艦がいなくなったわけじゃない。
だから私たちもこうして哨戒に出ている。
でも、それでいい。
「右側、異常なしなのです」
「こっちもなし」
「私もありません!」
「じゃあ予定通りもう少し先まで見て戻ろうか」
「はいなのです」
電が答える。
その後も特に敵と遭遇することはなかった。
何も起きない哨戒。
前なら少し物足りないと思ったかもしれない。
今は。
「平和が一番だね」
「急にどうしたのです?」
「何となく」
「多摩さん、年寄りみたいです」
五月雨が言う。
「ひどくない?」
「そういう意味じゃないです!」
「どういう意味?」
「えっと……」
「五月雨、困ってるのです」
「電が助けてよ」
「無理なのです」
「そんな」
海の上でそんな話をしながら、予定していた範囲を回る。
それで終わり。
今日はそれでよかった。
帰りに港へ寄ると、桂梧さんが箱を用意して待っていた。
「お、来たか」
「こんにちは」
「頼まれてたやつだ」
箱の中を見る。
魚。
結構多い。
「こんなに?」
「昨日よく獲れたからな。余ってもしょうがねえ」
「ありがとうございます」
「こっちもいつも世話になってる」
「お互い様ですよ」
「そういうことにしとくか」
桂梧さんが笑う。
「これ持てるか?」
「大丈夫です!」
五月雨がすぐに手を伸ばした。
「五月雨、一人で持たなくていいよ」
「三人いるのです」
「そうでした」
三人で分ける。
「たまちゃん!」
聞き慣れた声がして振り向くと、楓が走ってきた。
「今日も海?」
「うん。今帰り」
「敵いた?」
「いなかった」
「そっか」
少しだけ安心したように笑う。
「今日は何するの?」
「この魚持って帰って、多分書類」
「また?」
「正式な鎮守府になって増えた」
「大変だね」
「本当に」
子供に同情された。
「でも給料出るんでしょ?」
「誰から聞いたの!?」
「お父さん」
桂梧さんを見る。
「何で知ってるんです?」
「前に買い物来ただろ」
「ああ……」
「隠すことでもねえだろ」
「それはそうですけど」
楓が笑っている。
「たまちゃん、お金持ち?」
「それは違う」
「違うの?」
「違う」
そこは強く否定しておいた。
鎮守府へ戻ると、妖精さんたちがすぐに寄ってきた。
私たちが持っている箱を見る。
一人が中を覗く。
「魚だよ」
頷く。
もう一人も覗く。
「魚」
また頷く。
「見れば分かると思うんだけど」
何故か全員満足そうだった。
「おかえりなさい」
鳳翔さんが出てくる。
「ただいまです!」
「魚、受け取ってきました」
「ありがとうございます。では夕食に使いましょうか」
「楽しみなのです」
電が嬉しそうに言う。
「天龍と龍田は?」
「資材置き場です」
「まだ?」
「途中で少し揉めていましたので」
「何で?」
「数が合わないとか」
「嫌な予感する」
見に行こうとしたところで、資材置き場の方から声が聞こえてきた。
「だから俺は最初からこっちだって言ってんだろ!」
「でも天龍ちゃん、最初にこっちへ置いたでしょう?」
「それは昨日!」
「昨日も数に入るわよ~」
「入らねえよ!」
「……元気そうだね」
「そうですね」
鳳翔さんと顔を見合わせる。
「放っておきます?」
「もう少しだけ」
「そうしましょう」
午後。
私は執務室で報告書を書いていた。
午前の哨戒。
敵影なし。
異常なし。
書くことは少ない。
「楽でいいなぁ」
何もない日の報告は本当に楽だ。
そう思っていると、通信機が鳴った。
「はい」
『こちら――』
軍からだった。
内容は、周辺海域の状況確認と翌日の哨戒予定について。
特に緊急性はない。
「こっちは異常なしです」
『了解しました。こちらも現時点で大きな反応はありません』
「じゃあ明日も予定通りで」
『お願いします』
「はい」
通信を切る。
それだけだった。
少し前なら、軍から連絡が来るだけで何が起きたのかと身構えていた。
今は普通に予定を確認して終わる。
「……変わったなぁ」
「何が?」
入口から天龍。
「軍」
「ああ」
「今じゃ普通に電話してくるな」
「ね」
「前は来るだけで面倒だったのにな」
「言い方」
「間違ってねえだろ」
「まあ」
否定は出来ない。
「資材どうだった?」
「合った」
「揉めてたけど」
「龍田が昨日の分混ぜてただけだ」
「天龍ちゃんが置いた場所を忘れてたのよ~」
いつの間にか龍田までいた。
「違うって言ってんだろ!」
「結局どっち?」
「数は合ったんだからいいだろ!」
「じゃあそれで」
「適当だな!」
結果が合っているならいい。
多分。
夕食は、港でもらった魚だった。
「おいしいです!」
五月雨が嬉しそうに食べる。
「本当においしいのです」
「鳳翔さんが作ると違うな」
天龍。
「あら、ありがとうございます」
「前の飯がまずかったって意味じゃないぞ」
「誰も言ってないけど」
「先に言っとかないとお前が言うだろ!」
「言わないよ」
「絶対言う」
「信用がない」
「自業自得なのです」
「電、その言葉気に入った?」
「便利なのです」
皆が笑う。
私も笑う。
食事が終わった後は、それぞれ好きなことをして過ごす。
電と五月雨は何か話している。
天龍は椅子に座って休んでいて、龍田がその隣。
鳳翔さんは明日の朝食の準備を少しだけしている。
妖精さんたちも、工廠の仕事が終わったのか何人か食堂を通っていった。
私は机で明日の予定を見る。
哨戒。
資材確認。
町へ買い出し。
軍への定期連絡。
特別なことは何もない。
多分、明日も同じような一日になる。
「多摩さん」
五月雨に呼ばれる。
「何?」
「明日の買い出し、私も行っていいですか?」
「いいよ」
「電も行くのです」
「じゃあ三人?」
「俺も行く」
天龍。
「天龍ちゃんが行くなら私も~」
「鳳翔さんは?」
「必要なものがありますので、ご一緒してもよろしいですか?」
「……また全員じゃん」
「いいだろ、別に」
「そうだけど」
思わず笑う。
六人で町へ行く。
少し前なら、それだけでも一つの出来事だった。
今はもう。
普通の予定になっている。
この鎮守府には、最初は何もなかった。
人も。
物も。
お金も。
軍との繋がりも。
あるのは妖精さんが作ってくれた建物と、私と電くらいだった。
そこへ五月雨が来て。
天龍と龍田が来て。
鳳翔さんが来た。
町の人たちと知り合って。
軍とも話すようになった。
色々あった。
勘違いもあった。
失敗もした。
戦いもあった。
今だって、深海棲艦との戦いが終わったわけじゃない。
明日、また敵が現れるかもしれない。
軍と何か食い違うことだってあるかもしれない。
それでも。
何かあった時には、話せる相手がいる。
頼れる相手がいる。
そして。
帰ってくる場所がある。
「司令官さん?」
電がこちらを見ていた。
「何?」
「また考え事なのです?」
「うん。ちょっとだけ」
「何を考えていたのです?」
「別に大したことじゃないよ」
「そうなのです?」
「うん」
机の上にある明日の予定表を見る。
その横には、五月雨がまとめた記録。
資材の報告。
食料の一覧。
軍から届いた連絡。
町で買うものを書いた紙。
どれも特別なものじゃない。
ただの。
この鎮守府の日常だ。
「じゃあ明日、買い出し忘れないようにね」
「多摩さんが一番忘れそうです!」
「それ前も言われた気がする」
「前も言いました!」
「司令官さんですから」
「電まで」
「天龍ちゃん、明日は寝坊しないでね~」
「しねえよ!」
「鳳翔さん、朝ご飯何ですか?」
「明日のお楽しみです」
「そこ教えてくれないんだ」
「楽しみがなくなってしまいますから」
皆の声を聞きながら、予定表を閉じる。
明日も。
多分。
忙しい。
でも。
「まあ、いいか」
今は。
この忙しさも。
嫌いじゃなかった。