街に、警報の音が鳴り響いた。
途端に慌ただしくなる楓たちを見ながら、私は一つのことを考えていた。
「逃げるよ!」
私の手を取ろうとした楓から、そっと手を離す。
悔しそうな顔をする者。
慌てる者。
悲しげな顔をする者。
そんな彼らに、私は言った。
「……先に行って」
口から零れた声は、自分でも分かるほど震えていた。
その震えが、まるで自分の決意から逃げようとしているように思えて。
私は、自分の頬を強く叩いた。
突然のことに呆気に取られる彼らへ、もう一度告げる。
「先に避難して」
今度の声は、震えていなかった。
「私は、多摩。球磨型軽巡洋艦二番艦、多摩」
一度、息を吸う。
「だからここを――あなたたちを守るために、海に出る!」
自分自身へ言い聞かせるように、声を張った。
たとえ、この中に別の何かが混ざっていたとしても。
私は、私が信じた『多摩』なのだから。
桂梧さんは強く拳を握った。
しばらく何も言えずにいた彼は、やがて絞り出すような声で言った。
「……情けない大人ですまない」
そして。
「頼む。あんたの持ち物は、納屋にある」
「なんで!? たまちゃんも早く逃げないと!」
必死に叫ぶ楓を、桂梧さんが抱き上げた。
そのまま彼らは外へ向かう。
最後までこちらへ手を伸ばしていた楓の姿を見て、決意が鈍りそうになった。
けれど、迷っている時間はない。
私は急いで納屋へ向かった。
そして。
そこに置かれていたものを、身に纏う。
砂浜へ放り出してしまっていた艤装は、まるでずっと私を待っていたかのように身体へ馴染んだ。
力が満ちていく。
「……待たせたね」
小さく声をかけて。
私は海へと向かった。
海へ出ると、すぐに水上偵察機を飛ばした。
どうか間に合って。
祈るような気持ちで、海面を駆ける。
不思議と戸惑いはなかった。
身体そのものが、どう動けばいいのか知っているようだった。
飛び立っていく偵察機。
その機内から妖精さんがこちらへサムズアップしているのを見て、
……いや、そこに乗るんだ。
などと場違いなことを考えてしまったけれど。
やがて、その妖精さんが敵の発見を知らせてくれた。
それがまた。
自分が『多摩』なのだという実感を、少しずつ強くしていく。
だからこそ。
奴らを沈める。
漁港へ一直線に向かっている、魚にも見えなくはない、夥しい数の化け物たち。
その進路へ回り込み、私は奴らの前に立ちはだかった。
「ここから先には行かせない」
深海棲艦を睨み据える。
「守るために――私は、私として、お前らを沈めてやる」
撃つ。
撃つ。
撃つ。
狙いに時間をかけすぎず、それでも確実に当てていく。
もちろん、奴らだって案山子ではない。
圧倒的な数を頼みに、こちらへ雨のような砲撃を浴びせてくる。
痛い。
当然だ。
それでも。
この程度なら、耐えられる。
この街に暮らす人たちへの思い。
この身体が抱えている後悔。
そして。
「たとえゲームの中だったとしても――」
声が零れる。
「“私”は、彼女をここに送っていたんだ」
あの場所へ。
あの戦場へ。
「その彼女に、取り返しのつかないことをした」
だから。
「けれど……」
違う。
「いや、だからこそ!」
砲を構え直す。
「この程度で、やられるものかっ!」
それから、どれほど戦い続けたのだろう。
すでに辺りは闇に包まれていて、時間の感覚もとうに失っていた。
四肢は痛みを訴え、動きも目に見えて鈍くなっている。
それでも。
あれほどいた敵は、もう数えられるほどしか残っていなかった。
撃つ。
沈める。
撃つ。
沈める。
そして、残り一隻。
その時。
気付いた。
すぐ真横。
手を伸ばせば届きそうなほど近くに、大きく口を開けた化け物がいる。
その口から覗く砲塔は、はっきりとこちらを向いていた。
「っ――!」
避けられない。
来る衝撃を恐れて、思わず目を閉じた。
けれど。
予想していた衝撃は、いつまで経っても訪れなかった。
恐る恐る目を開く。
そこに見えたのは。
沈んでいく、最後の深海棲艦。
「大丈夫、ですか?」
声をかけられて、初めてそちらを見る。
いつの間にか、一人の少女が立っていた。
そして彼女もまた。
私と同じように、ひどく傷付いていた。
「大丈夫。えーっと……その、ありがとう」
「こちらこそ、ありがとうなのです」
少女はほっとしたような表情を浮かべた。
「……あなたがいなかったら、あのままきっと……」
それから二人で周囲を警戒した。
けれど、どうやら敵はもう残っていないらしい。
私たちは陸へ戻ることにした。
その途中。
「あ。自己紹介がまだだったのです」
少女がこちらを向く。
「駆逐艦、電です」
「軽巡、多摩です」
「えーっと……多摩さんは、どちらに所属されているのです?」
「そのことなんだけど……私、どこにも所属してないんだ」
ここまで傷付いてしまえば、さすがに修理が必要だ。
「できたら、入渠施設を借りたいんだけど……」
「……ごめんなさい」
電は、申し訳なさそうに俯いた。
「電には、入渠施設がないのです」
「……ない?」
どういうことなのか尋ねてみれば、なるほどと思うと同時に、胸の奥に重いものが沈んだ。
電は、軍から文字通り放逐されていた。
できることなら戦いたくない。
敵であろうと、その命を救いたい。
そんな思想を持っていたがゆえに。
鎮守府へ戻ることもできず。
満足な施設もないまま。
それでもずっと、この地を守るために戦い続けてきたらしい。
そんな話をしているうちに、いつの間にか漁港へ戻ってきていた。
「こっちで少し、お話を聞きたいのです」
電に案内されたのは、倉庫の一角だった。
どうやら彼女は、ここで暮らしているらしい。
「こちらに座ってください」
「うん」
勧められた椅子へ腰を下ろした。
その瞬間。
胸の奥が、ざわついた。
「……?」
何が起きたのか。
どう表現すればいいのか。
それは分からない。
けれど。
一つだけ、確かなことがあった。
理解したのではない。
誰かから教えられたわけでもない。
ただ、そうなのだと分からされた。
――提督が、着任した。
顔を上げる。
電もまた、驚いた表情で私を見つめていた。
その顔を見た瞬間。
私はようやく。
帰ってきたのだと、そう思えた。