入渠施設へ向かう電を見送ってから。
私は、一人になった。
「……さて」
改めて、周囲を見る。
昨日まではただの倉庫だった場所。
それが今では、廊下があり、部屋があり、工廠があり、食堂があり。
鎮守府。
そう呼んでしまってもいいような場所へと変わっていた。
「いや、よくないよね?」
誰に言うでもなく呟く。
昨日までなかった建物が、一晩で出来ました。
妖精さんが作りました。
なんて。
誰が信じるというのか。
私なら信じない。
いや。
今の私なら妖精さんを知っているから信じるかもしれないけれど。
「……そういう問題じゃないか」
頭が痛い。
そう思いながら歩いていると、前方から見覚えのある小さな影が走ってくる。
妖精さんだった。
「……」
立ち止まる。
向こうも立ち止まる。
「……」
敬礼された。
「いや、敬礼じゃなくて」
妖精さんは首を傾げる。
「これ、どうしたの?」
周囲を指差す。
妖精さんは胸を張った。
「だから、そうじゃなくて」
どうやら会話は難しいらしい。
私が困っていると、妖精さんは何かを思い出したように走り出した。
「え、ちょっと」
追いかける。
連れてこられたのは、一つの部屋だった。
扉を開ける。
机。
椅子。
棚。
そして。
「……執務室?」
どう見ても、それだった。
机の上には何枚かの紙が置かれている。
恐る恐る、一枚手に取る。
「資材……燃料、弾薬、鋼材、ボーキサイト……」
数字が並んでいる。
見覚えがある。
ありすぎる。
「ゲームじゃん」
思わず口から出た。
いや。
もちろん、ゲームとは違う。
紙に書かれているのだから。
けれど。
あまりにも見慣れた並びだった。
「……で?」
数字を見る。
もう一度見る。
「少なっ」
思っていたより遥かに少なかった。
というより。
これでどうしろと。
工廠があって。
入渠施設があって。
食堂まである。
なのに、使うための資材がほとんどない。
「建物だけ作って満足したの……?」
振り返る。
妖精さんは。
また胸を張った。
「そこ誇るところじゃないからね?」
そんなことをしていると。
遠くから、ばたばたと足音が聞こえてきた。
「たまちゃん!」
聞き覚えのある声。
「……楓?」
声のした方へ向かう。
廊下の向こうから走ってきたのは、やはり楓だった。
その後ろには桂梧さんたちもいる。
「たまちゃん!」
「うわっ」
勢いそのままに抱きつかれた。
昨日の電とは違う。
遠慮も何もない。
「生きてる! ほんとに生きてる!」
「生きてる、生きてるから!」
「ばか! ほんとにばか!」
「うん……ごめん」
泣きながら怒られて。
けれど。
その腕を振りほどく気にはならなかった。
しばらくそうしていると、楓の後ろにいた桂梧さんと目が合う。
「……ありがとう」
短い言葉だった。
それだけで十分だった。
「どういたしまして、でいいのかな」
「いいさ」
桂梧さんは笑った。
それから。
周囲を見回して。
固まった。
「……昨日、こんなんだったか?」
「違いました」
「だよな」
「私もそう思います」
「誰が作った?」
「妖精さんです」
「……ようせい?」
「私も説明できません」
沈黙。
とても困る。
こういう時、どう説明すればいいのだろう。
妖精さんだから妖精さんなのだ。
それ以上でも、それ以下でもない。
「まあ……それは後でいい」
桂梧さんは、どうにか納得することを諦めたらしい。
「それより、あの子は?」
「あの子?」
「電ちゃんだ」
その名前が出てきて。
私は少しだけ驚いた。
「知ってるんですか?」
「そりゃあな」
桂梧さんは苦い顔をする。
「この辺の人間なら、大体知ってる」
そこで。
今まで引っかかっていたものが、一つ繋がった。
魚。
漁。
鎮守府のない苫小牧。
そして。
町の人たちが話していた、引き取り手のいない女の子。
「……もしかして」
「ああ」
桂梧さんは頷いた。
「あの子が、この辺の海をずっと守ってくれてた」
やっぱり。
「漁に出る時も、あの子が見回ってくれてな。遠くまでは行けないが、それでも昔よりはずっと安全になった」
「……一人で?」
「一人で」
胸が痛くなる。
昨日見た、傷だらけの姿。
施設もない。
軍からも捨てられた。
それでも。
ずっと一人で。
「軍は?」
「知らん」
吐き捨てるような声だった。
「少なくとも、俺たちは何度も掛け合った。あの子を何とかしてくれってな」
「でも?」
「駄目だった」
拳が握られる。
「だったらせめて俺たちで面倒を見るしかない。食いもん持ってったり、服持ってったり。それくらいしか出来なかったがな」
ようやく。
全部が繋がった。
楓の家で出てきた魚。
町にあった魚屋。
警報が最近鳴っていなかったこと。
みんなが「あの子」を心配していたこと。
全部。
電がいたからだった。
「……そっか」
それしか言えなかった。
「電なら、今は入渠してます」
「入渠?」
「傷を治す場所です」
「治るのか?」
「たぶん」
たぶん。
そう言ってから、不安になった。
ゲームなら治る。
でも。
ここは現実だ。
「……いや」
違う。
妖精さんがいて。
艤装があって。
私は多摩で。
電も艦娘で。
だったら。
「治ります」
今度は、そう言った。
桂梧さんは少し驚いて。
それから、小さく笑った。
「そうか」
「はい」
「なら、よかった」
その時。
「司令官さん?」
後ろから声がした。
振り向く。
「電」
そこには。
昨日までとは違う、傷の消えた電が立っていた。
「おお……」
桂梧さんが声を漏らす。
「電ちゃん!」
「皆さん……?」
驚く電。
そして。
町の人たちに囲まれていく。
無事でよかった。
よく頑張った。
ありがとう。
そんな言葉が次々に飛んでいく。
電は困ったように。
けれど。
嬉しそうに笑っていた。
私は、その様子を少し離れたところから眺める。
提督。
昨日。
私はそうなった。
いや。
正しくは。
戻った、なのかもしれない。
けれど。
前とは違う。
今度は、私自身も戦う。
今度は、艦娘の痛みを知っている。
そして。
今度こそ。
「……失敗したくないな」
小さく呟く。
その時。
隣から服の裾を引かれた。
妖精さん。
「ん?」
何かを差し出される。
一枚の紙。
「……なにこれ」
受け取る。
読む。
「……鎮守府設置届?」
嫌な予感がした。
その下。
大きく空いている欄。
そこには。
『提督名』
と書かれていた。
「……」
妖精さんを見る。
満面の笑み。
「……これ、書くの?」
頷く。
「どこに出すの?」
首を傾げる。
「そこが一番大事なんだけど?」
答えはない。
私は。
深く。
本当に深く。
ため息をついた。
「……兼任提督って、ほんと楽じゃないなぁ」
どうやら。
私の提督生活は。
ここから本当に始まるらしい。