盈月の儀:江戸で行われる聖杯戦争
宮本伊織:主人公。大剣豪・宮本武蔵の養子にして弟子。セイバーのマスター。
浅草で浪人をしている
セイバー:古風な装いの剣士。波打つ剣を持つ。
新井助之進:同心(治安維持等を担当する下級武士)。
伊織と仲が良く、伊織に仕事を回す。
小笠原カヤ:伊織の義妹。伊織の長屋によく顔を出す。
由井正雪:江戸で軍学塾を開く烈士にして軍学者。ライダーのマスター。
ライダー:黒い鎧を身に着けた巨躯の武者。身の丈ほどの大太刀を持つ。
大路を駆ける畜生が二匹。
獲物を捕らえんとする猫と、命からがら逃げる鼠。
鼠は小さな躰を活かし、路を往く人々の合間を縫って走るも、猫は巧み距離を詰めていく。
このままでは喰われてしまう──鼠は勝負に出た。
鼠は目の前の黒き壁──否、浪人の袴に飛び掛かり、上へと駆け上がった。
背に何かが当たる感触に、男は咄嗟に振り向くと、目の前には己に向かって飛び掛かる猫がいた。
爪を立てて飛び掛かってきた猫を、寸での所で猫を掴んだ男は、慣れた手つきで猫を抱きかかえ、撫で始めた。
「どうした?鰹節など持ってはいないぞ?」
ごろごろと、首を撫でられ気持ちよさそうに鳴く猫を、男は降ろし撫で続ける。
「私も撫でたいぞ!替わってくれ、イオリ!」
男は連れ合いに猫を譲る。はて、先程の感触は何だったのか──男は自身の背を探り、周囲を見渡すも、答えを得ることは出来なかった。
*
その夜──。
男が眠る長屋に、静かに訪れる影が、ひとつ──またひとつと、数を増やしていく。
ふと、気配を感じ男は、薄ぼんやりと目を醒ます。
周りを囲まれている──。しかし、不思議と身の危機は感じられない。
「──さま。──大旦那さま」
「昼間は、私どもの同輩をお助け頂き、誠に、誠にありがたく存じます」
「この御恩、必ずやお返し致しましょう」
「大旦那さまにお喜び頂けますよう、この──鼠、腕に縒りを掛けて、お持て成し致しましょう」
「大旦那さまに気に入って頂けること間違いなし」
「あなめでたや、あなめでたや」
「それでは、彼の地でお待ち申し上げております──」
*
朝の光で男が目を醒ます。
夜に何かが起きていた…様な気がするが、思い出せない。
辺りを見渡すも、特に異変は見当たらない。
「夢、か・・・・・・?」
そういうこともあるだろう、と男は納得し、朝の支度を始めた。
*
よぉ、伊織さん!もう噂の茶屋に行ったかい?
おいおい、その様子じゃぁ知らねェようだなぁ。そいつはもったいねェ。
御徒町におむすびしか出さねぇ茶屋が出来たんだよ。
おっと、おむすびだけ、って思っただろう?此処で出すおむすびは、ただのおむすびじゃぁないんだぜ?
炊き立ての米は、あっつあつの、つやっつやで、一度(ひとたび)口に入れれば、それはもう、ほっぺたが落ちるくらい美味ェの何の。
一つ食べきった頃には、もう一つと食いたくなり、腹一杯に食って店を出る頃にゃあ、あぁ…また食いてぇ、また店に行きたくって堪らねェ、って思っちまう。
そうして虜になったお客が増えてって、店が開けば直ぐ行列、満員御礼売り切れ御免の茶屋に急成長!
勿論、俺はもう食ったぜ!それはもう美味くって、もう三度も行っちまったよ。
お!セイバーさん、目を輝かせちまって。食いつきが良いねェ。こんな話を聞きゃあ、行きたくもなるよな。話がわかるぜ!
おっと、すまねェ。肝心要の店の名前だよな?
その名も、大黒屋。
随分と縁起の善い名前だろう?・・・・・・え、ちょっと名が大仰過ぎやしないかって?
いやいや。その名に恥ねェくらいの、大繁盛の茶屋なのさ。
*
「何てったって、一口食っただけで、天にも昇る心地でよぉ」
「もう美味さは分かった。分かったから」
伊織は話を遮らずには居られなかった。
助之進から散々おむすびの美味さについて語り聞かされたのだ。
話が終わったかと思いきや、また話が元に戻り、次はいつ話が終わるか分かったものではない。
「む、イオリは分かっていないなぁ。話だけで美味さが分かる訳無いではないか。いいなぁ・・・食ってみたいぞ・・・・・・じゅるり」
未だ見ぬおむすびに、セイバーは思いを馳せ、恍惚の表情を浮かべた。
助之進は、先程の調子とは打って変わって、ひそひそと話を続ける。
「おむすびが美味いだけじゃぁないんだぜ。ちゃあんと看板娘も居るんだが、一人じゃないんだぜ?其処の茶屋の娘達はよりどりみどり居てよぉ・・・・・・」
「はぁ、成程な」
ここまで助之進がただの茶屋に入れ込むものか、と伊織は思ってはいたが、どうやら件の茶屋は水茶屋としての側面を持ち合わせていたようである。
その手の商いは吉原でしか認められていない。にもかかわらず、少なからず各所に存在している水茶屋に、いち同心である助之進が入れ込むのは如何なものか。
口にはしないものの、伊織の怪訝そうな目つきを見た助之進は、慌てて弁解を図る。
「いやいや、伊織さん!誤解しないで欲しいんだが、大黒屋の娘達にはいかがわしいさはないんだぜ!?こう、一人一人が一生懸命で、健気でなぁ。ただ、そんな娘らを下心丸出しで見る野郎も必ず出てくるだろ?だからよ、江戸の風紀を守る同心としての勤めとして見回りに行ってるんだよ!」
「はぁ」
「そんでもって、見回ってる内に良くしてくれる娘も居てねぇ。その娘の頑張りを見てると俺がまた来てやらねェと、って思っちまうのよ」
「まぁ、また来てもらうには、愛想良く尽くしてくれはするだろうな」
「伊織さぁ~ん」
「イオリ!行くぞ!その大黒屋とやらに!」
乗り気ではない伊織に待ったをかけたのは、セイバーであった。
「イオリィ~。コメは良いぞぉ~コメは!」
「おぉ、そうさ!大黒屋の米は、日の本一さ!伊織さん、ほんっとに一度行けば気に入るって!」
「ふふん、スケノシンは話の分かる男だな!」
「セイバーさんもな!」
妙に意気投合した二人を止める術を、伊織は持ち合わせていない。
「おむすび~お~む~す~び~」
痺れを切らしたセイバーは、伊織の周りをぐるぐると回り始める。これを見た助之進も輪に加わり回り始める。こうなってしまえば、セイバーを連れて行くまで、言われ続ける事だろう。
伊織はため息をつく。諦めはついた。
「行くか、大黒屋に」
「そうこなくってはな!」
セイバーは満面の笑みで、大きく頷いた。
*
伊織達が御徒町に着いたのは、昼八つ(十四時頃)過ぎであった。
昼餉を食べに来た者達が去った頃合いであったが、大黒屋には中に入りきれない者が店の外に並び、未だ賑わいを見せていた。
「ほら、イオリ!疾く往くぞ!」
そう言ってセイバーは、行列へと駆けていった。
「飯を食うなら他所でも食えるというのに、わざわざ並ぶのか」
「まぁまぁ、そう言わずに。並んで大黒屋に思いを馳せるこの刻もこの店の醍醐味さ。伊織さんも食えば並び甲斐があったって思えるぜ」
「そんなものか」
「イオリ~遅いぞ~!」
これ以上楯突いても野暮だと思い、伊織は大人しく列に加わった。
*
「大黒屋にはこんなもんもあるんだぜ」
そう言って助之進は懐から木札を取り出した。
手のひら程のそれの表面には、双六を思わせるマス目が十個描かれている。
また、マス目には左上から順に、印が押されていた。
助之進が札を裏返しにすると、そこには大黒屋の屋号と「三○五」の数字が書かれていた。
「こいつぁ、来店札っつって、店に来るたび印を押してくれるんだよ。で、貯まれば貯まるほどイイコトある」
そう言う助之進の来店札には、既に六個の印が押してあった。
さっきは三度程だと言っていただろう。
「イイコトとはなんだ?」
セイバーが目を輝かせ食いつく。
「客には位があってよ。これが貯まると、位があがるんだ」
「位、とはなんだ?」
「一度店に入れば、其処は町人武士身分関係なく、旦那様として扱われる。例え破落戸だろうと旦那様なのさ」
「ほう。甲斐性なしのイオリもそこではダンナサマだと言うことだな」
「おい」
セイバーが思い浮かべる身近な旦那といえば、縮緬問屋の若旦那である。
本人は何もしないのに対し、ふんぞり返っているだけの印象しか無いため、そのような扱いを受けるならば、悪くないだろうとセイバーは思った。
「旦那様が客に最初に与えられる位なんだが、足繁く通えば、旦那様から大旦那様に位が上がるって言う寸法さ。そして、待遇も良くなる。右大臣だか左大臣だか、大旦那様よりも良い位があるらしいんだが、まだそこまで行った奴にお目にかかれてはいないね」
「旦那から大臣になるとは飛躍しすぎじゃないのか?」
「そんなもん雰囲気だよ雰囲気。野暮だねェ、伊織さん」
「ヤボだぞ!イオリ!」
「・・・」
ただ、飯を食いに来ているだけなのに、何故だか居心地の悪い伊織であった。
*
ついに、伊織達の番となった。
我先に店へ入らんと、意気込むセイバー。続いて鼻の下を伸ばした助之進。ようやくか、とうんざり気味の伊織。店の娘に案内され三人は中へと入る。
中を見渡すと所狭しと客が座る縁台(長椅子)が置かれ、その狭い店の中を給仕の娘達がちょこまかと忙しなく動いていた。
入り口には出迎えの娘が待ち構え、すぅ、と息を吸う。それが合図かのように、店の中の娘達が一斉に此方を向いた。
「お帰りなさいませ。旦那様」
店の娘全員が声を出したというのに、まるでたった一人で声を発したかのように揃ったものであった。
ここまで洗練されたものかと、伊織は驚きを隠せずにいた。それに気づいた助之進は、良いだろぉ~、と自慢げに言う。
娘達の装いは揃いの赤と白の縦縞の着物に、打ち出の小槌が描かれた黒い前掛けをしている。また頭は白い頬かむりですっぽりと覆われていた。
店の中は人でひしめき合っていたが、縁台に座るのは客だけでなく握り飯の載った皿を挟んで店の娘が座り、客をもてなしていた。
「初のお帰りになりますね、旦那様。此方をどうぞ」
最初に出迎えた娘が来店札を渡す。
セイバーはにこにこしながら札を受け取る。
もう頭の中はおにぎりでいっぱいである。
店の奥から別の娘が出てくる。
「再びのお帰りありがとうございます、旦那様。本日は他の旦那様もご一緒なんですね」
「おう!見回りついでにまた来たぜ!元気にしてたか?」
どうやら、助之進と顔なじみの娘が出てきたようである。
大層な御題目を並べる助之進を伊織は冷ややかに見ていた。
また別の娘が奥から出てきて伊織の前に立ち、札を渡すや表情が変る。
「はっ!これは旦那様!おめでと~ございます!」
娘はどこからともなく鐘を出し、何度も打ち鳴らした。
「な、なんだ!?」
その鐘を合図に奥から娘達がわらわらと出てきて、伊織を取り囲む。
突然意味も分からず祝われ、伊織は困惑を隠せずにいた。
「旦那様は大黒屋にお帰りになった七百七十七番目の旦那様になります」
「七百七十七番目の旦那様は特別な旦那様なのです」
「ですので旦那様ではなく、七福大旦那様と呼ばせて頂きます」
「キリ番カキコよろ・・・」
「精一杯、ご奉仕しますね!七福大旦那さま!」
娘の一人が札を渡す。助之進立ちの札とは違い、丁寧に黒塗りにされた裏面には金色の大黒屋の屋号と「七七七」の文字。
途中、意味の分からない事を言われた気もするが、要は、初めて店に来た者に番号を付け、特定の番数の者を特別扱いするというものである。
いいなァ、伊織さん…、と羨ましそうに見る助之進と、七福大旦那様の地位を得損ね、恨めしそうに見つめてくるセイバー。
伊織は益々、居心地の悪さを感じた。
「ささっ。どうぞ此方へ」
そう言って店の奥に続く暖簾をくぐると、襖で区切られた座敷が七つあった。
伊織達は一番奥の座敷へと案内された。
中は書院造りとなっており、七福神が描かれた金の屏風が置いてある。
隣とは壁で仕切られているため、隣の客が誤って入ってくるということは無いようである。
「こちらは、特別な旦那様方をお通しする座敷でございます。どうぞごゆるりとおくつろぎください」
娘はそう言うと一度座敷から下がり、三人が残された。
「ここは、何度も通わないと入れないって話だぜ?ツイてるねェ伊織さんは!」
部屋をよく見ると、屏風の裏から布団の端が見える。
「いかがわしさは無い、と言ってたな」
ますます胡乱さを醸し出すこの状況に、伊織は助之進を見やるも、助之進もバツが悪いのか目を逸らす。
「本当に握り飯をだすだけ、なんだよな?」
「あ、あたぼうよ。いや、こんな扱いを受けるのは初めてだからよォ・・・こうなったのは、伊織さんのおかげだぜ?」
言葉とは裏腹に、いかがわしい状況になったのは伊織のせいだと責めるような声色の助之進。
気まずさが流れる空気の中、襖が開き娘達現れ、三人に茶を給仕し始める。
続いて、別の娘達がおむすびを運んできた。
三角の形に握られたおむすびは、湯気が立ち炊き立ての香りがした。米一粒部一粒が艶々と白く輝いていた。
「おぉ!待っていたぞ!」
「ささっ、お召し上がりください」
セイバーは喜色満面で出されたおむすびを手に取り、大きく口を開けパクッといった。
「・・・う、うみゃい!ごくん。うまいぞ!イオリ!」
残りをひょいと口に入れ満足そうに味わうセイバー。それを見て伊織も続く。
「・・・!これは、また食べたくなる味だな」
「だろぉ~!ホントに美味いんだよ!」
具の無い只の塩むすびであったが、噛めば噛むほど米そのもの甘みが口に広がり、まぶされた塩が丁度良く効いてくる。
「お口に合いましたでしょうか、旦那様方?」
「うむ!とても美味いぞ!もっと食べたいなぁ・・・なぁ?イオリ?」
セイバーは満足げに答えると同時に伊織におかわりを促す。
その様子に伊織は苦い表情を浮かべ、天を仰ぐ。
食う前に、おむすび一つでいくら取られるのか確認をするべきであった。
偶然とはいえこの好待遇、数日の稼ぎが吹き飛ぶのは間違いが無かった。
「あー、いや、ここで止しておこう。日を改めて食った方が、楽しみは増えるだろう?」
「お代金を気にされていますか、七福大旦那様?」
図星である。
「ご心配は無用です、七福大旦那様」
「何てったって、特別な大旦那様ですから!」
セイバーが興味を示す。
「その特別な大旦那様とやらは、何が違うのだ?」
「まずは、このような別室にてお持て成しをさせて頂きます」
「また、どんなにお客様が並んでいたとしても、すぐにお帰りいただけます」
「ファストパス…」
「そして!お帰りいただいた事を記念しまして、本日は、いくら食べてもお値段据え置き!おむすび一個のお値段で、好きなだけ食べていただけます!」
「もちろんご一緒されている方も、適応されます」
娘達の説明に、セイバーは目を輝かせた。
「な、なんだとぉ!?それは真か!?」
「はい!ですから、みなさま、たぁんと、お召し上がりくださいね!」
「こいつァ、すげェな!」
助之進まで盛り上がる。ヨッ、お大尽!と伊織を囃し立てる始末である。
伊織は説明を聞いても尚、懸念が消えない。確かに金の心配は無くなった。
がしかし、言葉に言い表せぬ気持ち悪さがある。
「うまい!もう一皿!」
心配する伊織をよそに、セイバーはおかわりを要求していた。
*
「いってらっしゃいませ、旦那様方、七福大旦那様!」
不思議な見送られ方を背に、三人は大黒屋を後にした。
「なんだか力が漲ってくるぞ!」
たらふくおむすびを食べたセイバーは、いつも以上に張り切っている。
最終的に三十個のおむすびを平らげたところで、伊織が制止した。
セイバーは、ぴょんぴょん跳びはねたり、腕を伸ばしたり落ち着きがない様子である。
「よし、これから待ちのお尋ね者を片っ端から倒していくぞ!」
「な」
「その意気だぜ!セイバーさん!ヨッ、百人力!」
助之進は無責任にセイバーを囃し立てる。
その声に、おう!と応じてセイバーは伊織を置いて駆けていった。
「町の平穏と安寧は任せたぜ~」
「おい」
それに付き合うのは俺なんだが。
同じものを口にしたならば、この軽佻浮薄な同心にも力を出してもらいたいものである。
ちなみに助之進は十五個のおむすびを食べていた。
*
その後、セイバー西に行っては破落戸を千切っては投げ、東に行っても破落戸を千切っては投げ、言葉通り百人力の働きを見せた。
が、暮らしぶりは一向に良くはならなかった。
その由は、その働きにより稼ぎは軒並み大黒屋に消えていったからである。
数日に一度だった大黒屋通いが一日に一度行くようになり、ついには一日三食、大黒屋で済ますようになっていた。気づけば、木札の位は右大臣を経て左大臣にまで上がっていた。
「えぇ~、兄ちゃんたち今日も大黒屋に行くの?いいなぁ。今じゃなかなか入れない大人気のお店なんだよ!」
できたばかりの時に行けばよかったなぁ、そうぼやくのは伊織の義妹カヤである。
長屋で食事をしなくなった今、時折顔を出しては油を売って帰る。
「だが、イオリがいれば、すぐ店に入れるぞ。…そうだ!カヤも一緒にどうだ?我らが連れて行くぞ」
「え!セイバーさん、本当に?」
「いや、今度にしないか?」
「えぇ~兄ちゃん!なんでぇ~?」
伊織の制止に不満げに頬を膨らませたカヤ。
行きたがっているカヤに、このように言うのは伊織も心苦しい。
しかし、幾度通えど、正体の掴めぬ違和感が拭えない大黒屋である。
斯様な場所にカヤを連れては行きたくないのが伊織の本音だ。
連れてってよー、と訴えかけるカヤの目。
事の由も告げぬまま、駄目の一点張りでは、あらぬ誤解を生む。
「今は、金が、ない」
苦し紛れに出た言い訳は、何とも情けないものとなった。
事実だが。
*
伊織はバツの悪さを抱えたまま大黒屋に向かうと、相も変わらず多くの人が列を成していた。
その様子を遠くから見つめる人物を発見した。
「正雪殿」
振り返ったのは、総髪に青竹色の羽織を纏い、腰には真っ白な大小を腰に差した若者──由井正雪。
神田にて軍学塾「張孔堂」を開く軍学者。
しかし盈月の儀においては、伊織たちとは相対するライダーのマスターである。
「宮本伊織殿、とセイバーか」
とはいえ、日中に刀を交えるつもりは無い様子である。
「ユイも大黒屋に食べに来たのか?」
「いや、人を捜している。我が門弟だ。ここ最近、この茶屋に出入りしていると聴いて来たのだが……見ての通り、この人だかりだ。中に入ることも叶わず、今はただ列に見知った顔がいないか捜していたのだ」
「ならば、俺達と共に中へ入るか?運良く、直ぐに店に入れる権利を得てな」
伊織の提案に正雪は驚きの顔を見せた。
「うまいぞ~ここのおむすびは!」
セイバーは自慢げに木札を見せる。
「伊織殿とセイバーは此処の常連客であったか。斯様な提案、忝い」
正雪は暫し考えると、
「では、お言葉に甘えさせていただこう」
*
「おかえりなさいませ、左大臣旦那様、七福大旦那様!」
「左大臣?七福?大旦那様?」
謎の組み合わせの言葉を耳にした正雪は困惑した。
「おや、こちらの旦那様は初めてのお越しですね」
「ささ、皆様こちらへどうぞ!」
見慣れた顔ぶれの娘達が出迎え、奥の部屋へと通されるやいなや、熱々の茶と共に握りたてのおむすびが供される。
「ささ、新たな旦那様。冷めないうちにどうぞお召し上がりくださいませ」
「ユイ、これが大黒屋名物のおむすびだ!ただの塩結びなのだが……うまいぞ~」
「わざわざ出してもらった手前、申し訳ないが、朝餉を食したばかりでな。茶だけ頂こう」
「なんと勿体ない!?では、私が」
「セイバー」
正雪が断りを入れた瞬間、おむすびに手を伸ばすセイバーを伊織は呆れ顔で制した。
「まぁ、それはそれは。では、小さく握りなおしたものをお持ちいたします」
「いや、食が細いもので、入りそうにない」
「そんなぁ~。旦那様には一番美味しい時のおむすびを頂いてほしいのに……。食べて頂けなかったら、他のものに顔向けできません~」
給仕の娘は今にも泣きだしそうな困り顔で、食べて欲しいと訴える。
「本当に申し訳ない。だが、君の気持は伝わった。今日のおむすびは包んではくれぬだろうか?小腹が減った時に、必ず食べると約束する」
正雪は給仕の娘の手を取る。
「握りたてを食べれぬのは口惜しい。だから、次に来る時は腹を空かして参るとしよう」
「旦那様……はい!すぐに包んでお持ちします!本日はごゆるりとお過ごしくださいませ!」
*
「長いこと付き合わせてしまってすまない」
伊織は時間食いの原因を、じろりと睨む。
セイバーは最初のおむすびに加え、多種多様なおむすびを十個平らげた。
「いや、実に興味深かった。サーヴァントの腹は底無しなのかと試して見たくなるものだ」
「試してみても良いぞ!大歓迎だ!」
「セイバー」
まったく、この能天気には呆れたものだ。
「まったく、この能天気っぷりには呆れますね。自身が居る場所は、鬼の腹の中やもしれぬというのに」
背後から伊織の心を代弁する不気味な声が聴こえ、とっさに伊織は身構える。
「こうして主人の背後に敵が居ても気付かない」
声の主は、黒い甲冑に身を包んだ巨躯の鎧武者──ライダーである。
「む、おむすびが食えずに一人仲間外れで不貞腐れているのか?良かったな。おむすびならユイが持ち帰ったぞ」
ライダーの物言いにセイバーも負けじと返す。
しかし、ライダーはやれやれ、という風に首を振る。
「その様子では、随分と魅入られた様子」
「ライダー、私に変わった様子はあるか?」
「いいえ、我が主。よくぞご無事に帰還されました」
そうか、と正雪は呟くと何かを考える様に黙り込んだ。
その様子に、伊織は不穏な空気を感じ、問わずにはいられなかった。
「正雪殿、俺達に何か起きているのか?」
「伊織殿……。どう伝えるべきか悩むところだが」
「貴殿ら、既に呪われているぞ」