若旦那:縮緬問屋「巴比倫弐屋(ばびろにや)」の若旦那。一人称は我(オレ)。
「貴殿ら、既に呪われているぞ」
「なっ……」
正雪にそう告げられ、伊織とセイバーは驚きを隠せずにはいられなかった。
「あの茶屋からは離れて、よくわかった。このおむすびからは茶屋と同じ魔力を感じる。あの中では、同化して分かりづらかったが」
「し、しかし、あのおむすびを食べると力が滾る良いものだぞ!?」
なぁ、イオリ?、とセイバーは伊織に同意を求めた。
確かに、食した後はいつもより行動することが出来た。
「確かに、取り込めば力となるだろうが、ただ魔力として循環するのではなく、それだけではない、別の何かが蓄積されているように視える」
「食えば食うほど呪われていく、ということか?」
伊織は顔を顰める。知らずに自ら呪いを摂り続けていたとは。
「呪いと称したものの、害をなすものかどうかは……今は測りかねる。しかし、あの常連客が増え続ける今、魅了に関する呪いはあるだろうな」
まだ確信は持てないが、と正雪が考えを加える。
「優良のセイバーとも在ろう者が、その程度の呪いで魅了されるとは……」
「違う!大黒屋のおむすびを気に入ったから何度も通ったのだ!」
「では、食い気に負けたのですね。欲に溺れ本質を見抜けないとは……なんと情けない」
ライダーの煽りに、セイバーはぐぬぬ…と唸ることしかできなかった。
「よせ、ライダー。しかし、セイバーの対魔力によりその程度で済んでいるとも言える。伊織殿は身体に異常は感じられないか?」
「いや、今のところは……」
「そうか。それは幸いだ」
しかし、おむすびが只ならぬものと分かった所で何も解決していない。
両者の間で沈黙が流れる。先に口火を切ったのは正雪だった。
「大黒屋の目的が何なのかは分からない。しかし、人々を惑わし集めるというのは尋常ではないだろう。最悪、生贄を用いた大掛かりな魔術を行使することも考えられる」
「それは捨て置けないな」
「我々は門弟を捜したい。既に食べた者と食べていない者では分かることが違うだろう。どうだろう、この件、協力して大黒屋を探らないか?」
願ってもいない提案に、伊織とセイバーはうなずきあう。
「よろしく頼む。正雪殿」
「あぁ。では、伊織殿は大黒屋周りを調べてはもらえないだろうか。こちらは、大黒屋に繋がる霊脈を調べようと思う」
大黒屋の下が大きい霊脈が流れていることは伊織も感じ取っていた。
「元々大きな霊脈の流れがあるが、最近、あの地に細かな霊脈の繋がりが急激に増えている。大黒屋と無関係ではないだろう。場合によっては流れを断ち切る必要がある。その準備もしておこう」
「相済まない。では、こちらは町の噂を集めつつ、大黒屋に通うことにする。こちらが呪いに気づいたことを勘付かれなければいいが」
提案を飲んだ伊織に対し、申し訳なさそうな顔をする正雪。
「場合によっては、敵陣で未知の相手と戦うことになる。危険な役回りを頼んで申し訳ない」
「虎穴に入らずんば虎子を得ず、というやつだ。気にするな」
一度食ってしまった以上、腹を括るしかない。
「穴が根の国に続いていなければいいですね」
「ふふん、穴が何処に繋がっていようと、私が居れば大丈夫だ!イオリ!」
「おむすびと引き換えに寝返らぬよう、気をつけてくださいね」
「寝返るか!ぐぬぬ~」
協力関係になってなお、ライダーとセイバーのいがみ合いは続いた。
*
「よし!先ずは腹ごしらえだな!」
「な」
セイバーの提案に、伊織は言葉を失った。
「大黒屋のおむすびに目が眩まぬよう、出店で腹ごしらえをしようではないか!いや~、久しく食べていなかったなぁ。何にする?うどんか?蕎麦か?」
もちろん甘味もな、とセイバーは、にやりと笑った。
とはいえ、食事が必要なのは事実である為、浅草の屋台に顔を出す。
「うどんを二つ頼む」
うどんを待つ間、周囲に目をやる。
普段は昼飯を求めて賑わいを見せる通りだが、どの店も客がいない。
心なしか、客のいない店主達がこちらを恨めしそうに見ている。
「へい、うどんお待ち」
うどんを受け取ると、すぐさま啜り始めるセイバー。
伊織は周囲の視線に居心地の悪さを感じながら、うどんを啜り始める。が、気になるものは気になる。
「なぁ、店主。随分と客通りが悪いな」
「そりゃあな、あんなものができりゃな」
「あんなもの?」
「アレだよ…。大黒屋」
店主は商売敵の名を口に出すのも嫌そうにする。
「あの店が繁盛し始めてからは、同じ物を出すところが真っ先に廃れてよ、次は握りと来た。その後は、蕎麦に天ぷら何やらと数え切れねぇよ」
「そんなにか」
大黒屋はおむすびしか出さない店だ。他の客まで食い潰すとは信じられなかった。
「俺たちん所にゃ、大黒様は微笑んで下さらねぇってことだ。ったく大黒様のお膝元ってぇのによ」
店主は大黒天を祀る浅草寺の方を見て、ため息をついた。
*
「次は甘味処へと偵察へいくぞ!イオリ!」
「偵察?何がどうなって偵察になった」
「店主は言っていただろう。他の店も客を取られていると。大黒屋の影響力が何処まで及んでいるか見に行くぞ!」
「お前は食いたいだけだろう」
そんなやり取りをしながら、浅草の大通りを歩いていると、とても目立つ存在が目に入った。
そこには、縮緬問屋である巴比倫弐屋の若旦那が店先に立っていた。
若旦那が見ている。
こちらを見ている。
暇にしていた店主達とは比べ物にならない圧で。
「無視するぞ、イオリ。私達は忙しい」
「いや、そういう訳にはいかないだろう」
「ぶー」
「何か用か、ワカダンナ」
「たわけ!この我が貴様ら雑種に、用などあるものか!」
「だ、そうだイオリ。行くぞ」
「ふん、用があるのは貴様らの方だろう」
「はぁ?何を?」
若旦那の態度に、セイバーは怪訝な顔をする。
「近頃、我の周りをちょろちょろと走る畜生がいる。それをどうにかしろ」
「なんだ、商品でも嚙まれたか。ワカダンナに良い物を教えてやろう。イワミギンザンなるものが良く効くそうだ。もうよいか?」
「ふん、貴様には聞いていないわ。いいか、伊織。小石川に行け。貴様の求めるものはそこにある」
全てを見知ったかのような若旦那の態度に、伊織は息を吞む。
若旦那は大黒屋が何者なのか分かっているのだ。
「逸れのキャスターを頼れということか?」
あの大魔女を名乗るサーヴァントには、恩がある一方で苦い経験もとい豚の経験もある為、会うことを躊躇する人物である。
「そんな僻地くんだりまで行く必要はない」
「そ、そうか…」
「兎に角。疾く行け!」
「相分かった。行くぞセイバー。若旦那、恩に着る」
「えぇ~」
不満たっぷりな顔をしたセイバーを連れて、伊織は浅草を後にした。
*
伊織達は鬱蒼と生い茂る木々に囲われた小石川の山道を登る。
キャスターの元へ行く必要は無いと言われたが、このままでは辿り着きそうだ。
「なぁ、私達は弄ばれただけではないのか?」
「いや、若旦那は無駄な事を言う者ではない。…おや」
伊織達の先には、行商人が山を下りてきて、声をかけてきた。
「これはこれは、お侍様。何かご入用の物はございませぬかな」
「見せてもらおう」
「丁度、とても良い品が入りましてな」
そう言って取り出したのは、「妙霊・大黒丹」と書かれた紙袋であった。
「これは、胃の腑に効く薬として出されたものですが、ひとくち飲めば、ありとあらゆる病や怪我が治ると評判でしてな」
「バンナンソクメツ…ジヨーマンテン…、なんだか胡散臭くはないか?」
袋に書いてある言葉を読み、首をかしげるセイバー。
「それだけ、自信があるんだろう。しかし、高かろう」
「はい、こちら一袋に10粒入って一朱金します」
「いっ…、き、金!?高くて並みの者は手が出せぬだろう」
「はい。そう言って、躊躇されるお客様は数少なくありません」
「そうだろう…、せっかくだが今回は」
辞めておこう、そう言いかけた瞬間、店主は声を上げる。
「ですが!」
「で、ですが?」
「なんと!」
「なんと?」
「今だけ、五粒一袋が初回無料!」
「な、なんだってー!?」
思わず、伊織とセイバーは声が重なる。
「一度飲めば、もうたちまち大黒丹の虜、皆次を買わずにはいられないのです」
「そ、それはそれで問題があるような…」
伊織は苦笑いを浮かべる。
「それだけ、重宝していただけているということですよ。一家に一袋あると安心ということです、ほらぜひ一袋お持ちください」
そう言うと、伊織の手に大黒丹を押し付けた。
「それでは、私はこれにて」
「あ…あぁ。使わせてもらおう」
行商人は伊織達に礼をして、山を下りていく。
伊織は手にした大黒丹をみる。
大黒丹と大黒屋。
これが、若旦那が言っていた物だろうか。しかし、一体何に使うのか。
ふと、行商人の顔を思い出す。好々爺と言っていいような老人だった。
何よりも特徴的だったのは、何ともご利益がありそうな、ふっくらとした耳朶だった。
*
小石川から浅草に戻る際に、様々な町に立ち寄ったが、御徒町に近づくにつれて客のいない屋台が増えていった。
何よりも驚いたのは、御徒町以外にも大黒屋が増えており、賑わいを見せていた。
伊織達は他にも異変が無いかどうか、助之進に尋ねようとしたが、その姿が見えない。
聞けば、ここ数日、北町奉行所にも顔を出していないという。
そこで吉原でも尋ねたが、近頃、彼の姿を見た者はいないという。
「助之進はんは他にお熱な子が出来たようでありんす」
普段、伊織に稼業を回してくれる女郎の山吹は、溜息をついていた。
「まさか、大黒屋に?」
どのみち、大黒屋を探る予定ではあった。
複数ある大黒屋を何処から周るか考えていたが、先ずは馴染みの御徒町の店へ向かうことにした。
しかし、助之進の姿は無い。周りの客にも尋ねたが、いないようだ。
「うむ、やはりここのおむすびはうまい!塩加減が逸品だ!」
満足げにおむすびを頬張るセイバー。
次に、上野にできた大黒屋。
「うむ、きな粉に黒糖を絡めるとは、甘味のようなおむすびだな!」
次は、赤坂。
「酢飯に穴子を合わせたか…うむ、うまい!しかし握りではなくおむすび、なのか?」
品川。
「お、中はアサリの佃煮ではないか!うんうん、米に良く合う!」
助之進と入れ違ってはいないかと、再び御徒町に戻る。
「うーむ、やはりこの塩だけのおむすびが、米の良さを引き立てるな…」
「セイバー」
「む、なんだ。別に私はただ食べているわけではないぞ。何か異変が起こらないか、食べているのだ」
「それで、異変は?」
「うむ。まったく、ない!」
「それは、良かったな」
セイバーの方に進捗は無いようだ。かと言って、こちらにあるわけでもない。
いつもと変わらず賑わいを見せており、客と客の間をちょこまかと茶屋の娘達が動く。
そこに、助之進が入れ込んでいた娘を見かけた。
「忙しい所すまない。助之進をは近頃、来てはいないだろうか」
「はい!来ておりますよ!奥座敷にお通ししております」
「い、居るのか!用がある、会わせてはくれまいか」
「すみませ~ん、それはできません」
「何故だ?」
「超大旦那様だからです」
「ちょ、超大旦那様?」
奇妙な響きの言葉に、疑問符を浮かべる伊織。
しかし、その言葉を耳にした周りの者はそうではなかった。
「超大旦那様…だと…」
「殿様大旦那様よりも上にあると噂される…」
「特別な奥座敷で特別なご奉仕をしてもらえるんだろ…?」
「本当に上り詰めたやつがいるんだな!」
「“幻想(ユメ)”じゃ
ねぇよな…!?」
どうやら助之進は、周りをざわつかせる存在になったようだ。
「何時からここにいる」
「お答えできません」
その返答に、伊織は不信感を覚えた。
「どうしても会わねばならない」
「できません。超大旦那様になられた助之進様はご奉仕の最中です」
「通してくれ」
伊織は立ち上がり、奥へ繋がる戸へ向かうが、娘達が立ちふさがる。
「いけません」
「超大旦那様はご自身が出ると意思表示をされたときにしか、戸を開けない約束事になっております~」
「決して、誰も開けてはいけません」
「だが」
「イオリ、帰るぞ。スケノシンも居ることが分かったのだ。そのうち帰ってくるだろう」
「…あぁ」
伊織は娘たちに背を向け、出入り口の戸に手をかけた。
──ぞわり
悪寒が走り、伊織は振り返る。
「いってらっしゃいませ。大旦那様!」
店中の娘達が笑顔でこちらを見ていた。
*
「通いつめたものは奥で特別な扱いを受けるのか。しかし、伊織殿はそれが怪しいと」
「助之進はああ見えて、ちゃんとしている。仕事を投げ出してまで物事にのめり込む奴ではない」
伊織は正雪と合流し、町々の様子、大黒屋での出来事を伝えた。
「そうか。ところで、伊織殿。霊脈の異変に気付いただろうか」
正雪に問われて、伊織は江戸の町に流れる霊脈を探る為、紅玉の書を取り出す。
「ふぉぉ…。なんじゃ?伊織?丁度、良く眠っていたとことじゃったんじゃが…」
紅玉の書。養父・宮本武蔵の遺した、喋る西洋魔術書だ。
暫く眠っていたようだが、現在起きている異変に気付き、慌てるそぶりを見せた。
「伊織!大変じゃ、此れを見よ!」
己を開き、江戸の地図を見せる。
大きな町を中心に大きな霊地があり、細い霊脈繋がっている。
「…御徒町、上野、赤坂、品川。以前より繋がる霊脈が複雑に…いや大きくなっている?」
「それにその中心になっているのは、いずれも大黒屋だ。それに、周りの土地の霊地が弱まっているのがわかるか?」
「まさか!霊脈の流れを変えているのか?黒幕は相当、手練れの術者ではないのか?」
「そうだな。このままにしておけば、周りの霊地は大黒屋に吸われ尽くすだろう。そこでだ」
正雪は、地図上の幾つかの箇所を指さした。
「我々は、大黒屋に繋がる霊脈に術式を施してきた」
「一斉に起動させて弱まった隙に、乗り込む算段か」
「あぁ。しかし、全てを起動させるとなると、我々は術式の中心地に居なければならない」
そこで、言葉を区切る。正雪は誰が乗り込まなければならないか言い出しづらいようだ。
「俺達が大黒屋に乗り込む。場所は、御徒町だ。それでいいな?」
「御身を危険にさらすことになる。忝い」
「ここで倒れてくれれば、盈月を争う者は減るのですが…」
「ライダー」
正雪は、姿を現したライダーを窘める。
その言葉をセイバーは、ふん、と鼻で笑う。
「しくじってくれるなよライダー。貴様がしくじれば、その名、後世に粗忽者と知れ渡るものと思え」
「戯言を」
「よせ、セイバー」
「協力しなければ、江戸は滅ぶ。宜しく頼んだ。伊織殿、セイバー」