俺は三十五歳の工場労働者だ。
十八歳で工場に入って、もう十七年になる。係長になって何年か経つけど、給料はべつにいいわけじゃない。まあ、食っていけないほど悪いわけでもない。電子機器のOEM製造を請け負っている組み立て工場で、毎日、決まったものを決まった手順で作っている。地味な仕事だ。派手さはない。でも、十七年もやっていれば、体が覚えていることも多い。
最近の楽しみといえば、PCゲームのDysonSphereProgramくらいだ。発売されてから、もう千時間くらい遊んでいる。なかなか奥が深いゲームで、やればやるほど沼にはまる。ダイソンスフィアというのは、太陽のエネルギーを高効率で集めて発電する、天文学的なサイズの宇宙建築物だ。プレイヤーはイカロスという工場ロボットを操作して、惑星の上に製造ラインを作っていく。いわゆる工場ゲーってやつだ。俺はタワーディフェンスが得意じゃないから、ダークフォグはオフにして遊んでいる。ダークフォグというのは、工場を破壊しに来る敵のことだ。あれが来ないだけでも、だいぶ気楽に遊べる。
そんなある日、いつものようにゲームを起動していたら、にわか雨が降ってきたのに気づいた。ザアザア降る雨と、時折落ちる雷の音をBGMにして、何時間かプレイしていた。外が暗くなっても、部屋の中はモニターの光だけだ。目が疲れるし、肩も凝る。さすがに何時間も遊んでいたら疲れるなあ、と思って、ふうっと息を吐いた。そのときだった。
雷が、俺の家に落ちた。
ドッゴーン、バリバリバリッ。すごい音だった。次の瞬間、プツンと停電になった。セーブ中だったゲームが、パソコンの電源ごと落ちた。ああ、やってしまった、と思った。これでセーブデータが飛んでいたら、何時間かが無駄になるじゃないか。いや、無駄というか、また同じ作業をやり直すことになる。工場ゲーでそれは、けっこうきつい。
部屋を出て、配電盤のある部屋まで行った。暗い中、手探りでブレーカーを見ると、見事に落ちていた。上げると、電気が元に戻った。ブーンという冷蔵庫の音が戻ってきて、ほっとする。PCのある部屋に戻って、電源を入れる。起動画面が表示された。よし、パソコン自体は生きている。
さて、ゲームはどうだ。STEAMクライアントを起動して、DSPを選んでクリックする。ロード画面から、セーブした最新のデータを選ぶ。ところが、画面が暗転したまま、なかなか立ち上がらない。なんだ、データが破損したのか。そう思って待っていると、画面が切り替わった。
三人称視点で、工場ロボットのイカロスが、近所の空き地にいるのが表示されていた。
一体これはなんだ。ゲームが現実になったのか。まず、足音が聞こえた。ズン、ズン、ズン。スピーカーから出ている音じゃない。もっと低い音だ。家の床そのものが、微かに振動している。俺はマウスを握ったまま、固まっていた。画面の中には、近所の空き地に立つイカロスがいる。全高、数メートル。デフォルトの黄色を基調とした装甲で、背中には推進装置らしきものが付いている。ゲームで何百時間も見てきた。何度も操作した。惑星を走らせたし、建物も建てさせたし、鉱石も掘らせた。でも、画面の中にいるのと、窓の外にいるのとでは、意味が違う。
椅子から立ち上がって、窓を見ると、雨はまだ降っている。薄暗い空、濡れた道路、そして空き地にいる。イカロスが、ゲームと同じ姿で。ゲーム画面では、建物もイカロスも、同じような大きさに見える。だけど現実では違う。さっきからずっと立っているが、まるで俺の操作を待っているみたいだ。
試しに、声に出してみた。
「……右」
マウスを右へ動かすと、イカロスの頭が動いた。
「左」
左を向いた。
「ジャンプ」
跳んだ。イカロスが数メートル上空へ跳び上がり、そのまま地面に着地する。ドンッ。雨水が跳ねた。地面が揺れた。俺は思わず後ずさった。
……ゲームのまんまじゃないか。いや、違う。ゲームのままではない。現実になっている。俺は震える手でキーボードを操作した。インベントリを開く。表示されるアイテム。鉄鉱石、銅鉱石、シリコン、石、木材、そして各種設備機械。見慣れた数字が並んでいる。これ、現実にあるのか。俺はインベントリから石を選んだ。イカロスが手を伸ばすと、何もない空間から石が出現した。言葉を失った。空中から出てきたように見えるが、よく見ると違う。イカロスの手の周囲で、何かが光っている。青白い光、そして石。物質転送、そんな言葉が頭に浮かんだ。だけど、そんなものは現代科学にはないはずだ。
いや、決めつけるな、と俺はすぐに考えを改めた。ゲームと同じに見えるからといって、ゲームと同じ原理とは限らない。まず確認する。俺は机の横にあった古いデジタルカメラを持った。雨が吹き込んでくる。寒っ、と思いながら、カメラを向ける。撮影。一枚、二枚、三枚。イカロスを撮影する。写真には、ちゃんと写っている。幻覚じゃない。
次にスマートフォンを取り出す。動画撮影で、イカロスを映す。ズーム、さらにズーム。装甲表面の細かい傷まで見える。本物だ。そこで初めて、少しだけ笑った。怖いが、同時にものすごく興奮していた。何しろ俺は、この機械を知っている。普通の人間なら、未知の巨大ロボットだ。でも俺には違う。これはイカロスだ。惑星開発用のロボットで、ゲームではこいつ一体で惑星一個を工業化できる。
待て、と俺はそこで気づいた。ゲームでは、イカロスは単独で大量の資源を扱える。工場を建てる。鉱石を採掘する。建物を解体する。建設用ドローンを飛ばす。つまり、もしゲームの仕様が現実でも成立するなら、こいつ一体だけで、普通の工場とは比較にならない生産能力を持つことになる。
俺は慌ててゲーム画面を見た。研究ツリー、建設メニュー、インベントリ、そして電力。電力はどうなっているんだ。表示を見ると、満タンだった。俺は首を傾げた。イカロスはどうやって動いている。太陽光でもない。燃料を入れた覚えもない。もしかして、ゲームではイカロスは自身のエネルギーを管理している。なら、現実のイカロスにも、内部電源があるのか。チートじゃないか、と俺は思わず笑った。
じゃあ、建設だ。俺は建設メニューを開いた。当然、材料が必要だ。必要資源は、鉄、銅、磁石、コイル、その他いろいろ。俺は笑いそうになった。いや、無理だろ、と思った。ゲームなら簡単だ。でも現実では、磁石一つ作るにも原材料が必要だ。コイルを作るにも銅線が必要だ。鉄を加工する設備も必要だ。つまり、イカロスが本当にゲームと同じなら、現実世界でゲームの生産ラインを構築できる。しかも俺には、十七年間の工場勤務経験がある。電子機器のOEM組立工場で、部品、治具、検査、品質管理、工程管理、設備、そういうものをずっとやってきた。俺は生産現場の人間だ。ゲームだけを知っている素人ではない。相性、良すぎだろ、と正直思った。
その瞬間、俺の頭の中で一つの考えが生まれた。これを金にできる。でも、すぐに否定する。駄目だ。金儲けより先に、確認することがある。この世界に、イカロスが一体だけなのか。もし俺以外にも存在するなら、話が全部変わる。
俺はスマートフォンを手に取った。ニュースを見る。SNSを見る。検索する。巨大ロボット、謎の機械。検索結果には、何もない。少なくとも今のところ、俺だけらしい。
窓の外を見た。雨は少し弱くなっている。イカロスはまだそこに立っている。そして俺は、十七年間工場で働いてきた経験から、あることを理解していた。どんなに凄い機械でも、設備だけでは金にならない。材料、電力、加工、品質管理、物流、販売、保守、そして人間。これらが揃って、初めて工場は動く。
だから俺は、最初の目標を決めた。ダイソンスフィアなんて、まだ考えない。惑星開発もしない。世界征服もしない。まず百万円。それを、このイカロスを使って、誰にも気づかれずに、合法的に、自分の力だけで稼ぐ。まず、そこからだ。
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