四十五歳になった。
三十五歳で会社を興してから、ちょうど十年が経った事になる。最近、ふとした瞬間に、この十年間で何をやってきたのか、あらためて振り返る事が増えた。子どもが生まれてから、特にその傾向が強くなった気がする。
始まりは、正直、こんな大それた話ではなかった。
長年勤めた工場を辞め、失業保険をもらいながら職業訓練を受け、なけなしの貯金と退職金で、北海道の誰も欲しがらない土地を買った。産業廃棄物の不法投棄で汚染された、二束三文の土地だった。あの時の自分は、ただ趣味のPCゲームで培った知識を、どうにか現実で活かせないかと、四苦八苦していただけだった。
スクラップを製錬して鉄と銅を売る。それだけの、地味な事業から始まった。
そこから回路基板とプロセッサーを作り、マイコンボードとして売り出した。ガウス砲台と高周波レーザータワーを作り、防衛装備庁に持ち込んだ。自衛隊への正式採用が決まった時、事務所で一人ガッツポーズをした夜の事は、今でも鮮明に覚えている。あの頃はまだ、会社の看板を背負うのが自分一人だけだった。
その後は、まるで坂道を転がるように、事業が広がっていった。
マイコンボードは量子チップへと進化し、世界中の暗号方式を過去のものに変えた。生産が追いつかず、生産ラインごとライセンス供与に踏み切った。台湾・中国・韓国のOEM企業に技術を渡し、IoT機器にまで需要が広がった頃には、もう自分一人でどうにか出来る規模の話ではなくなっていた。
宇宙開発にも手を伸ばした。月でチタンを採掘し、衛星を打ち上げ、恒星間ワープの技術を確立した。木星や土星まで資源を取りに行けるようになり、隣の恒星系にまで工場を築いた。ダイソンスフィアという、ゲームの中だけの目標だったはずのものが、少しずつ、本当に現実の恒星系に姿を現し始めている。
その途中で、ダークフォグという、本物の脅威とも対峙した。地球の防衛網とDSP社製の装備が力を合わせ、惑星防衛シールドで何とか持ちこたえ、最終的には敵の拠点を叩く事にも成功した。あの時ばかりは、正直、どこまでが自分の手に負える範囲なのか、分からなくなりかけた。
技術が大きくなればなるほど、隠し事も比例して増えていった。国会や米議会への参考人招致、正体不明のハッカーとの奇妙な信頼関係、取引先の社員がSNSで真相に近づきかけては、静かに火消しされていく日々。表舞台には社長を立て、自分は会長という立場に収まり、目立たないよう、目立たないよう、そればかりを考えて動いてきた。
それでも、この十年で得たものは、事業の実績だけではなかった。
趣味のPCゲームで知り合った女性と結婚し、去年、子どもが生まれた。四十を過ぎてからの結婚と出産は、正直それまでの人生設計には無かった展開だったが、今となっては、この十年で一番大きな出来事だったかもしれないと思う。
会社の連結売上高は、いつの間にか二兆円を超え、経常利益は数千億円規模にまで膨らんでいる。それでも、俺自身の暮らしぶりは、十年前とそれほど変わっていない。相変わらず軽自動車に乗り、質素な家で暮らし、インスタント食品を食べている。金を稼ぐ事自体が目的だった覚えは、最初から一度も無い。
ダイソンスフィアの完成までは、まだ何百年も掛かるだろう。自分が生きている間には、絶対に終わらない計画だ。それでも、この十年でやってきた事の一つひとつが、いつか完成するかもしれないその未来に、確かに繋がっている実感だけはある。
三十五歳で始めた時は、ただの思いつきだった。四十五歳になった今、振り返ってみれば、あの時の自分に「お前がやろうとしている事は、結局こういう規模になるぞ」と教えてやったところで、絶対に信じなかっただろう。
それでいい、と思う。
もし最初から全部分かっていたら、きっと怖気付いて、最初の一歩すら踏み出せていなかったはずだから。
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