「じゃあ、ちゃんと決めるから」
夕方。私はローテーブルの前に座り、その向かいへかぐやと月見を並べて正座させていた。
二人とも素直に座っているけれど、反省会らしい空気はあまりない。かぐやは何が始まるのか少し楽しそうにしているし、月見は背筋を伸ばして、これから重要な命令でも聞くみたいな顔をしている。
でも、決めておかないと困る。
家の前のゲーミング電柱から赤ちゃんを二人拾って、まだ数日しか経っていない。その間に二人は少女まで成長し、月から来たと言い出し、勝手に外へ出て二十四万円を使い、挙げ句の果てには金塊まで出してきた。昨日なんて、かぐやは普通に料理をしたあと、ゲーム機でイヌDOGEまで作っている。
もう、行き当たりばったりでは無理だった。
「まず、勝手に外へ出ない」
「はーい」
「承知しました」
「私のお金を勝手に使わない」
「…………はい」
今度は、かぐやの声が少し小さくなった。
「月見も止める」
「……努力いたします」
「努力じゃなくて止めて」
「承知しました」
言い直すまでが早い。
「それから、月見。分からない家電を勝手に触らない。料理も、一人でやらない」
「はい」
「…………はい」
二度目の返事だけ、少し沈んだ。
包丁の扱いだけなら、たぶん私よりずっと上手い。でもIHも炊飯器も知らず、電子レンジを罠扱いしていた。本人なりに、それがかなり悔しかったらしい。
「じゃあ料理は私がやる!」
かぐやが横から元気よく手を上げる。
「姫様!?」
「だって月見、料理できないじゃん」
「…………」
「かぐやの方ができる」
「彩葉様まで……」
完全に刺さった。
「別に悪いことじゃないでしょ。得意な方がやればいいんだから」
「しかし、姫様のお世話は私が――」
「できてないじゃん」
口から出た瞬間、月見が止まった。
かぐやまで黙る。
「…………」
少し言い方が強かったかもしれない。
料理も洗濯も掃除も買い物も、地球で普通に暮らすために必要なことは、ほとんど私が教えている。その一方で、かぐやが転びそうになれば支え、何かが落ちてくれば先に受け、外へ出れば周囲を警戒する。
月見にとっては、たぶんどちらも同じ『姫様のお世話』なんだと思う。
「……でも」
月見が顔を上げた。
「姫様をお守りすることは、私の役目です」
「うん」
「それだけは、譲れません」
「そこは誰も取らないよ」
灰銀色の目が、ほんの少し揺れた。
「料理とか家事は、これからできるようになればいいでしょ。分からないなら教えるし」
「…………」
昨日までの私なら、たぶんそんなことは言わなかった。
でも、一緒に暮らすなら、それくらいは普通だと思った。
「あと」
私は一度息を吐いた。
ここまでが生活のルール。
ここからが、本題だった。
「二人とも」
「ん?」
「はい」
「迎えが来るまでだからね」
かぐやが首を傾げる。
「何が?」
「ここにいるの」
一瞬だけ、部屋の空気が止まった。
「月から迎えが来るのか、別の何かが来るのかは知らないけど。今のところ二人とも行く場所ないでしょ」
竹取物語の話が頭をよぎる。
月から来た姫と、いつか来るかもしれない迎え。本人は絶対に帰らないと言い切っているけれど、それでも今の二人には帰る家も、頼れる相手もない。
「だから、それまでならここにいていい」
かぐやの目が大きくなった。
「ほんと!?」
「うん」
「やった!」
すぐに笑った。
分かりやすい。
私はそのまま隣を見る。
「月見も」
「…………」
月見だけは、すぐに返事をしなかった。
「月見?」
「……私も、ですか?」
その声には、ほんの少しだけ戸惑いが混じっていた。
「そりゃそうでしょ」
「ですが私は、姫様にお仕えするために――」
「二人まとめて拾ったんだから、今さら一人だけ追い出せないでしょ」
軽く言ったつもりだった。
でも、月見は何も返さなかった。
ただ、膝の上で揃えていた指先が少しだけ動く。
この子にとって、自分はずっと『姫様の従者』だった。姫様がいれば自分もいるし、そのそばに立つのは当たり前。だから、自分自身へ向けて『いていい』と言われることなんて、たぶん考えたこともなかったんだと思う。
「……ありがとうございます」
やがて月見は、いつもより少しだけゆっくり頭を下げた。
「そんな大げさな話じゃないけど」
「私にとっては――」
そこまで言って、月見は口を閉じた。
「……いえ。何でもございません」
続きを言うつもりはないらしい。
それでも、顔を上げた時の表情は、さっきより少しだけ柔らかく見えた。
「じゃあ決まり!」
かぐやが勢いよく両手を上げる。
「今日から三人暮らし!」
「期限付きだからね」
「三人暮らし!」
「聞いてる?」
「聞いてる!」
たぶん、聞いてない。
◇
その日の夕食は、かぐやが作った。
ご飯に、肉と野菜のおかず、それから汁物。特別豪華なわけじゃないけれど、ちゃんと温かくて、ちゃんと美味しい。
三人でローテーブルを囲む。
数日前まで、この部屋で食事をするのは私一人だった。学校から帰って、バイトへ行って、適当にご飯を食べて、洗濯して、一人で寝る。それがずっと普通だった。
今は、目の前に二人いる。
「彩葉、これ美味しい?」
「うん」
「やっぱりな!」
自由すぎる月のお姫様が、褒められたのが嬉しいのか得意そうに笑う。
「姫様、こちらもお取りします」
「自分で取れるぞ」
「ですが」
「月見も食べなよ」
その隣では、家事のできない護衛従者が、自分の箸を置いてまでかぐやの世話を焼こうとしている。
私は二人に振り回されながら、同じテーブルでご飯を食べていた。
「……どうしてこうなったんだろ」
「楽しいからいいじゃん!」
かぐやは即答した。
「姫様がお楽しみであれば何よりです」
月見も当然のように続ける。
「月見も楽しみなよ」
「……私も?」
また、その顔だった。
自分のことを聞かれると、一瞬止まる。
「そりゃそうでしょ」
「しかし私は――」
「従者だから、とか言わない」
先回りすると、月見がそのまま口を閉じた。
「一緒に住むなら、月見もちゃんと食べて、寝て、楽しめばいいじゃん。姫様だけじゃなくて」
月見はすぐには答えなかった。
その横で、かぐやがにっと笑う。
「そうだぞ! 月見も楽しくしろ!」
「命令みたいに言うんだ」
「姫様のご命令でしたら」
「そこは従うんだ……」
やっぱり少しズレている。
でも、いきなり全部変わる必要もないのかもしれない。
月見はまだ自分のことよりかぐやを優先するし、かぐやは好き勝手する。そして私は、その横で二人がやらかしたことを止めたり、地球で暮らす方法を教えたりする。
たぶん、しばらくはそんな三人になる。
◇
食事が終わると、月見がすぐに立ち上がった。
「……彩葉様。後片付けは、私が」
「大丈夫?」
「一度失敗した作業です。次は問題ありません」
「その自信どこから来るの」
でも、昨日よりはできるようになっている。
洗剤の場所も覚えたし、スポンジの使い方も分かっている。皿をどう洗えばいいのかも、一応は教えた。
「じゃあ、やってみて」
「はい」
月見が流しへ向かうと、かぐやも気になったのかその後ろからついていった。
「月見、頑張れ!」
「お任せください、姫様」
月見が皿を持つ。洗剤をつけたスポンジで表と裏を洗い、水ですすいで水切りかごへ置く。
次の皿も同じ。
「お」
ちゃんとできてる。
「月見、できてるじゃん」
「当然です。一度失敗した作業ですので」
声に、ほんの少しだけ誇らしさが混じっていた。
その時だった。
次の皿を持ち上げた指先から、つるりと白い陶器が滑った。
「あ」
ガシャーン、と乾いた音が台所へ響く。
「…………」
三人で止まった。
月見がゆっくり足元を見る。
割れた皿。
それから、私を見る。
「……申し訳ございません」
「そこは成長しないんだ!?」
横で、かぐやが吹き出した。
「ははははは! 月見、またやった!」
「姫様、笑い事ではございません」
「でも面白い!」
「姫様」
月見の声が少しだけ低くなる。
それでも、昨日みたいにただ落ち込んでいるわけではなかった。困ったように眉を寄せながら、その口元はほんの少しだけ緩んでいる。
私はため息をつき、ほうきを取りに立ち上がった。
姫様のお世話は私がします。
そう言い切っていた従者は。
今のところ。
姫様のお世話は――できません。
少なくとも、地球で普通に暮らすための『お世話』については。
でも、それでいいのかもしれない。できないなら覚えればいいし、分からないなら教えればいい。
かぐやも、月見も。
それから、たぶん私も。
三人とも、ここでの暮らしを始めたばかりなのだから。