かぐや姫を拾ったら、従者まで付いてきた   作:きのこ大三元

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第2話 赤ちゃんが二人いる

「ふぇぇぇぇぇぇっ!」

「ふぇぇぇぇぇっ!」

 

 玄関の扉を閉めた途端、二人分の泣き声が狭い部屋いっぱいに反響した。外では夜道へ散っていた音が、壁と天井に囲まれた瞬間、倍くらい大きくなった気がする。

 

「ちょっと待って、待ってって!」

 

 待ってくれるはずがない。そもそも赤ちゃん相手に「待って」が通じるのかすら知らない。それでも右腕に一人、左腕に一人を抱えたままでは靴すらまともに脱げず、今の私にはそう言うくらいしかできなかった。

 

 どうにか靴を脱ぎ、鞄を玄関へ置いて部屋へ入る。ベッドの上へ二人を一人ずつ慎重に寝かせると、さっきまで塞がっていた両腕が急に軽くなった代わりに、目の前へ赤ちゃんが二人並んだ。

 

「…………」

 

 一人でも十分意味は分からない。

 

 でも、二人いる。

 

「……どうすんの、これ」

 

 答えは泣き声だった。

 

 一人は顔を真っ赤にして元気よく泣き続けている。一方、もう一人は部屋へ入ってから少しずつ声を弱め、今は泣く代わりに隣の赤ちゃんばかりをじっと見ていた。

 

「……あぅ」

 

「ん?」

 

 電柱の中にいた時からそうだった。先に一人を抱き上げた時も、残されたこの子が手を伸ばした相手は私じゃない。ずっと隣にいた、この子だ。

 

 少し気になって、二人の間をほんの十数センチだけ離してみる。

 

「……あぅ、ぅ」

 

 すぐに反応した。小さな腕を伸ばし、脚をばたつかせる。まだ這うなんて呼べる動きでもないのに、シーツへ身体を擦るようにして、じりじりと隣へ近づこうとしていた。ほとんど進んでいない。それでも向かっている方向だけは、疑いようがない。

 

「そっち行きたいの?」

 

 当然、答えはない。代わりに何度も手を伸ばし、ようやく指先が泣いている赤ちゃんの服へ触れると、そのまま小さな拳で布を掴んだ。

 

 ぎゅっ。

 

 それだけで少し安心したように身体の力が抜ける。

 

「……この子、ずっとこっち気にしてない?」

 

 姉妹か、双子か。そう考えるのが一番自然なんだろうけれど、赤ちゃん同士のことなんて私には分からないし、そもそも普通の赤ちゃんが電柱の中の謎空間から古めかしいBGMつきで出てくるとも思えない。

 

 考えても答えは出そうになかった。

 

 今は、それより。

 

「ふぇぇぇぇぇぇっ!」

 

「そうだよね。まず、そっちだよね……」

 

 泣いている方を抱き上げる。腕の中へ収めても声は止まらず、むしろ胸元で泣かれるぶん耳へ直接響いてきた。

 

 お腹が空いたのか。眠いのか。暑いのか、寒いのか。それとも、おむつが気持ち悪いのか。

 

 候補だけはいくらでも浮かぶ。

 

 問題は、一つも見分けられないことだった。

 

「……分からない」

 

 聞いたところで本人が答えてくれるわけもない。

 

 私は片腕で頭と首を支えながらスマホを取り出し、検索窓へ人生で一度も打ったことのない文字を入力した。

 

『赤ちゃん 泣き止ませる方法』

 

 抱っこ。ゆっくり揺らす。音を聞かせる。おくるみ。ホワイトノイズ。ビニール袋の音。子守歌。

 

 知っている単語もあれば、何に使うのかすらよく分からないものも並んでいた。

 

 まずは身体ごと小さく左右へ揺れてみる。泣き声が一瞬だけ弱くなった気がしたので少しリズムを変えたら、逆に声が大きくなった。

 

「あ、違う。ごめんごめん」

 

 すぐ元へ戻す。

 

 そのまま検索結果を下へ送っていると、見慣れない言葉が目に入った。

 

「……タケノコピアノ?」

 

 何それ。

 

 出てきた動画を再生すると、妙に耳へ残る不思議な音が部屋へ流れ始めた。すると一瞬だけ泣き声が弱まる。

 

「え、効いた?」

 

「ふぇ……ふぇぇぇぇぇっ!」

 

「あ、戻った」

 

 短かった。

 

 別の動画、別の音、抱き方、揺らし方。検索結果を上から順番に試していくけれど、完全には泣き止まない。まだ帰宅してから大して時間は経っていないはずなのに、体感ではもう一時間くらい格闘している気がした。

 

 その間、もう一人はほとんど泣かなかった。ただ、ベッドの上からずっと私の腕の中を見ている。

 

「……あぅ」

 

「大丈夫。ここにいるから」

 

 言ってから、自分でも変なことを言っていると思った。今日会ったばかりの私が、何を保証できるわけでもない。

 

 それでも、その小さな目は隣の赤ちゃんから一度も離れなかった。

 

 その時だった。

 

 ドンッ!

 

「っ!?」

 

 壁が鳴った。

 

 部屋が一瞬だけ静かになる。

 

 私も。

 

 赤ちゃん二人も。

 

 揃って壁を見た。

 

「…………壁ドン」

 

 どう考えても隣の部屋からだ。

 

 人生初だった。もう少し違う理由で経験するものだと思っていたし、少なくとも家の前のゲーミング電柱から拾ってきた赤ちゃんが原因になるとは想像したこともない。

 

「すみません……」

 

 聞こえるかどうかも分からない声で壁へ謝る。

 

 次の瞬間。

 

「ふぇぇぇぇぇぇっ!」

 

「再開するんだ……!」

 

 しかも、さっきより元気になった気がする。

 

 もう一発来る前にどうにかしないといけない。検索結果へ必死に目を走らせていると、その中の一つで指が止まった。

 

 子守歌。

 

「…………」

 

 赤ちゃん向けの歌なんて、まともに覚えていない。

 

 でも、歌なら知っている。

 

 何も見なくても、最初から最後まで自然に旋律が浮かぶくらい聴いてきた曲が、一つだけある。

 

「……これでも、いいのかな」

 

 スマホをベッドの上へ置く。腕の中の小さな身体を支え直し、ゆっくり揺らしながら息を吸った。

 

 それから、ほんの小さな声で。

 

「……♪」

 

 ヤチヨのデビュー曲、『Remember…』を口ずさんだ。

 

 もちろん、ヤチヨみたいには歌えない。人前で歌うこと自体ほとんどないし、誰かへ聴かせるつもりなら絶対にこんなことはしない。

 

 でも、今いるのは赤ちゃん二人だけだ。

 

 何度も聴いてきた旋律を、声にしてゆっくり辿っていく。

 

 学校で嫌なことがあった日も、バイトで失敗した夜も、一人で暮らしていることがどうしようもなく重たく感じた時も、この曲を聴けば少しだけ呼吸が楽になった。問題が消えるわけじゃない。それでも、もう少しだけ頑張ろうと思えた。

 

 私は何度も、この歌に支えられてきた。

 

 だったら今度は、ほんの少しくらい、この子にも届いてくれたらいい。

 

「……♪」

 

 腕の中の泣き声が、少しずつ弱くなっていった。

 

「ふぇ……」

 

 何度かしゃくり上げる。それでも次の大きな声は出ず、涙で濡れた目がぼんやりと私を見上げている。

 

「…………」

 

 効いてる。

 

 たぶん。

 

 歌うのをやめず、そのまま身体をゆっくり揺らし続ける。ベッドの上に残ったもう一人も静かだった。ただし視線は相変わらず私ではなく、腕の中の赤ちゃんへ向いている。

 

「そっちも来る?」

 

「……あぅ」

 

 答えに聞こえなくもなかった。

 

 泣いていた方をベッドへ戻し、すぐ隣へもう一人を寄せる。二人の距離が縮まった途端、小さな手が迷わず伸びて服を握った。

 

「やっぱり」

 

 それだけで身体から力が抜ける。

 

 私はベッドの脇へ腰を下ろし、そのまま『Remember…』を小さく口ずさみ続けた。二人の瞼が少しずつ重くなり、一人が先に目を閉じる。もう一人はそれを確かめるように隣を見たまま、少し遅れて目を閉じた。

 

 歌を止め、少し待つ。二人とも動かない。胸だけが静かなリズムで上下している。

 

「……寝た」

 

 ようやく肩から力が抜けた。

 

 スマホには大量の検索結果。玄関には放り出した鞄。夕飯もまだで、洗濯物もそのまま。明日の小テストだって何も見ていない。つい少し前まで頭の中へきれいに並んでいた今日の予定は、赤ちゃん二人によって全部吹き飛んでいた。

 

「……予定、全部終わった」

 

 別の意味で。

 

 それでも今は、二人が眠った。それだけで、一日の仕事を全部終えたくらいの達成感があった。

 

 ◇

 

 少し落ち着いてから、私は改めてスマホを手に取った。

 

「……警察、だよね」

 

 冷静に考えれば、迷う理由なんてない。見知らぬ赤ちゃんを二人拾って保護した。だったら警察へ連絡する。

 

 それだけの話だ。

 

 それだけのはずなのに、電話画面を開いたところで指が止まった。

 

「…………」

 

 なんて説明する。

 

 赤ちゃんを拾いました。二人です。ここまではいい。

 

 場所は家の前。

 

 ここもまだ普通だ。

 

 問題は、その次だった。

 

 どこにいましたか。

 

「……電柱の中」

 

 口にした瞬間、自分で駄目だと思った。

 

 正確に話せばもっとひどい。家の前の電柱が突然七色に光って扉が開き、外から見えるより明らかに広い空間が現れた。中では古めかしい謎のBGMが流れ、赤ちゃんが二人ぴったり並んでいた。抱き上げたら扉も空間も消えて、ただの電柱へ戻った。

 

 自分で聞いても怖い。

 

 下手をすれば赤ちゃんより、電話してきた高校生の方を心配される。

 

 でも、だからといって連絡しないわけにもいかない。

 

「……よし」

 

 意を決して電話をかける。呼び出し音のあと向こうへ繋がり、人の声が聞こえた途端、急に喉が乾いた。

 

『はい――』

 

「あ、もしもし。えっと……赤ちゃんを、拾って……」

 

 そこまでは言えた。

 

 向こうからいくつか確認される。場所は家の前。二人いて、今は寝ている。それもどうにか答えた。

 

 そして当然のように聞かれる。

 

 どこにいたのか。

 

「…………」

 

 来た。

 

「その……」

 

 電柱から。

 

 あと少しで口から出る。

 

 私はベッドを見る。

 

 二人とも静かに眠っている。一人は、もう一人の服をしっかり握ったままだ。

 

「あの……」

 

 もう一度、向こうから声がした。

 

「…………大丈夫です」

 

 通話を切った。

 

「…………」

 

 スマホを見る。

 

「何が?」

 

 何一つ大丈夫じゃない。

 

「私、何してるんだろ……」

 

 額を押さえる。

 

 警察への説明には失敗した。

 

 だったら少なくとも、今夜この二人を無事に朝まで寝かせるために必要なことくらいは調べないといけない。

 

 おむつ。ミルク。寝かせ方。赤ちゃんを拾った時。

 

 検索履歴が、それまでの生活では一度も入力したことのない言葉で次々埋まっていく。

 

 やることが多い時は、一つずつ片づける。

 

 学校も、バイトも、一人暮らしも、ずっとそうしてきた。

 

 今回だって、たぶん。

 

 そうするしかない。

 

 ◇

 

 夜が深くなってから、私は二人を一度だけ少し離して寝かせてみた。くっつきすぎて苦しくないのか心配になったからだ。

 

 ほんの数十センチだけ離し、その隙にスマホで必要そうなものを調べる。

 

 数分後、何気なくベッドを見る。

 

「…………あれ?」

 

 近い。

 

 さっきより明らかに近づいている。

 

 気のせいかと思って、もう一度元の位置へ戻してみた。

 

 それから少しして。

 

「……どうやってるの」

 

 また隣にいた。

 

 静かな方が腕と脚を少しずつ動かしながら寄っていったらしい。しかも、ただ近づくだけじゃない。

 

 服を握っている。

 

 しゃがみ込んで手元を見る。眠っている。それでも、小さな指は布をしっかり掴んで離していなかった。

 

「この子、ほんとにずっとこっち気にしてる……」

 

 電柱の中にいた時から、片方を先に抱き上げた時も、泣いていた時も、眠ってからも。

 

 ずっと同じだ。

 

 姉妹だからなのか。双子だからなのか。それとも、もっと別の何かなのか。

 

 理由は何も分からない。

 

 でも。

 

「……離したくないんだね」

 

 それだけは、なんとなく分かった。

 

 もう一度引き離す気にはなれなかった。

 

 ◇

 

 結局、その夜は三人で寝ることにした。

 

 二人だけベッドへ残すのも怖いし、慣れない場所へ移して何かあっても困る。だったらすぐ様子を確認できるところで一緒に寝た方が、少なくとも私は安心できる。

 

 布団を整え、二人を真ん中へ寝かせ、その横へ私も身体を滑り込ませる。

 

「…………川の字?」

 

 三人だから、形としてはたぶん合っている。

 

 先に大泣きしていた方は仰向けで静かに眠っていた。もう一人はやっぱり私には背中を向け、隣の赤ちゃんの方を向いたまま、その服を握っている。

 

 今日会ったばかりだ。

 

 名前も知らない。どこの子なのかも分からないし、どうして家の前のゲーミング電柱から出てきたのかなんて、もっと分からない。

 

 なのに、この二人の間にだけは、私の知らない何かが最初からある。

 

 そんな気がした。

 

「……姉妹、なのかな」

 

 小さく呟いても、返事はない。

 

 部屋はようやく静かになっている。さっき口ずさんでいた『Remember…』の旋律だけが、まだ頭の中で微かに続いていた。

 

 朝は普通に学校へ行った。ろかとまみにバイトの話をして、いつも通り働いて、帰り道ではヤチヨの歌を聴きながら流れ星に金を願った。

 

 それなのに今は、知らない赤ちゃん二人と同じ布団に入っている。

 

「…………」

 

 人生、何があるか分からない。

 

 今日ほどそう思った日はなかった。

 

「……明日考えよ」

 

 もう限界だった。

 

 目を閉じると、すぐ隣から二人分の小さな寝息が聞こえてくる。

 

 一人は仰向けに。

 

 もう一人は、最後まで隣の方を向いたまま。

 

 眠っても、その服を握った手だけは離れなかった。

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