最高…(((o(*゚▽゚*)o)))♡
朝、目を覚まして最初に見えたのは天井ではなく、布団の真ん中に並んだ二つの小さな頭だった。昨夜、家の前の電柱から出てきた赤ちゃんが二人ともいて、一人は仰向けで静かに眠り、もう一人はその横を向いたまま、小さな手で隣の服を握っている。夜中に一度離したはずなのに、結局またくっついたらしい。
「夢じゃなかった……」
起きたら全部元通り。ゲーミング電柱も、知らない音楽も、赤ちゃん二人も、全部疲れた頭が見せた夢でした――なんて展開を少しくらい期待していたけれど、現実はそんなに親切じゃない。
昨日までなら、朝起きて考えることなんて学校やバイト、課題、その日の生活費くらいだった。それが今は、そこへ「赤ちゃん二人」という、予定表のどこにも存在しなかった項目が追加されている。
「……まず、買い物か」
昨夜のうちに最低限必要そうなものだけは調べておいた。おむつ、ミルク、哺乳瓶、おしりふき、着替え。それ以外にも育児用品らしいものが山ほど出てきたけれど、全部買っていたら財布が先に死ぬ。問題は、必要最低限だけでも二人分あるということだった。
スマホで残高を見る。閉じる。もう一度見る。
「……見なかったことにしたい」
数字は変わらなかった。
◇
買い物へ出る準備をしながら、私はベッドの上の二人を何度も見比べた。一人抱くだけでも両手を使いたくなるのに、二人同時に抱えて、その上で買い物袋まで持つのは現実的じゃない。昨日、家の前から玄関まで数メートル移動しただけで精一杯だったことを考えれば、どちらか一人を残すしかなかった。
二人のうち、よく泣く方は朝からすでに何度かぐずっている。もう一人は対照的に静かで、自分から大きな声を上げることはほとんどない。ただ、よく泣く方が少しでも声を出せば、すぐそちらを見て身体を動かし、手を伸ばす。それだけは昨日からずっと変わらなかった。
「……こっちの子を連れていくか」
私は、よく泣く方を抱き上げた。腕の中で小さな身体がもぞもぞ動くと、残された方もすぐこちらを見る。
「……あぅ」
「大丈夫。すぐ戻るから。買い物だけ」
私を見ているわけじゃない。視線はずっと、腕の中の赤ちゃんに向いている。
少し迷った末、昨夜泣き止ませる方法を調べるのに使っていたタブレットを手に取った。赤ちゃん向けらしい動画を一つ選び、音量を小さめにして再生する。
「これ見て待ってて。触って変なの開かないでね」
言ってから、自分でも何を言っているんだと思った。赤ちゃん相手に操作上の注意をしてどうする。
それでもベッドの端へタブレットを置き、最後にもう一度様子を確認する。残された赤ちゃんは画面へ一瞬だけ目を向け、そのあとすぐ、私の腕の中へ視線を戻した。
「ほんとにすぐ戻るからね」
返事はない。
少しだけ罪悪感が湧いたけれど、二人とも連れていく方が危ない。私は赤ちゃんを一人だけ抱え、家を出た。
この時の私は、帰ってきた時にも同じ大きさの赤ちゃんが待っているものだと思っていた。
◇
午前十一時過ぎ。
人生でほとんど縁のなかったベビー用品売り場で、私は早くも途方に暮れていた。
「多すぎない……?」
おむつ一つ取っても、サイズ、メーカー、素材、吸収力、肌への優しさと、違いの分からない基準が棚いっぱいに並んでいる。腕の中の赤ちゃんを見て「どれがいい?」と聞いてみたところで、返ってきたのは「……あぅ」という声だけだった。
「だよね」
棚には安いものと、その隣に少し高いものが並んでいる。私は両方を手に取って裏面を読み比べ、しばらく悩んだ末に高い方をカゴへ入れた。安い方で肌に合わず、結局買い直すくらいなら、最初から少し良さそうな方を選んだ方がいい。
「…………私、もう保護者みたいになってない?」
昨日拾っただけなのに。
とはいえ、必要なものは必要だ。おむつ、ミルク、哺乳瓶、おしりふき、着替え。一つカゴへ入れるたびに、「二人いる」という事実がそのまま金額へ変換されていく。
少し先の棚には離乳食まで並んでいた。さすがにまだ早いと思って一度通り過ぎたものの、数歩で足が止まる。
普通の赤ちゃんなら、まだ先だ。でも、この子たちは昨日まで電柱の中にいた。普通を基準にしていいのか分からない。
少し迷った末、念のため先で使いそうなものまでいくつか追加した。この時点では、その判断すら追いつかない速度で片方だけ育つなんて思ってもいなかった。
買い物を続けるうちにカゴはどんどん重くなり、途中から私は値札をなるべく見ないようになった。でも、レジだけは避けられない。商品が一つずつ読み取られ、表示金額が一万円を越え、二万円を越え、それでも止まらなかった。
「二万六千円になります」
「…………」
聞き間違いかと思って画面を見る。
¥26,000。
合っている。
「…………フジューペイで」
スマホをかざす。
『ふじゅー!』
妙に明るい決済音が鳴った。今の私の気分とは正反対だった。
「二人って……二倍なんだ……」
当たり前だ。おむつも二人分、ミルクも二人分、服も二人分。一つ一つならまだ耐えられる金額でも、全部まとめて二倍になれば普通に生活費へ刺さる。
私は腕の中の赤ちゃんを見る。
「君たちさ。私、流れ星にお金欲しいってお願いしたんだけど」
「……あぅ」
「増えるどころか減ってるんだけど」
返事はない。
「やっぱり願い、逆じゃん……」
片腕には赤ちゃん、もう片方には大きな買い物袋。来た時より腕が重く、財布だけが軽くなっていた。
◇
「ただいまー」
玄関を開けながら声をかける。返事はない。当たり前だ。そもそも留守番させているのは、昨日拾ったばかりの赤ちゃんである。
靴を脱いで部屋へ入り、買ってきた袋を床へ置いたところで、奥から動画の音が聞こえてきた。
「…………?」
消し忘れたかと思いながらベッドへ目を向ける。
タブレット。
その前に、小さな子供が座っていた。
「…………誰?」
一瞬、本気で分からなかった。赤ちゃんじゃない。二、三歳くらいの子供が、ベッドの上でタブレットへ小さな指を伸ばしている。画面へ触れると動画が止まり、もう一度触ると再生する。そのまま指を横へ滑らせ、次の画面へ切り替えた。
「いや……待って」
一歩近づき、顔を見る。
「…………え?」
見覚えがある。
「朝の……?」
置いていった赤ちゃんだった。
朝までは腕の中へ簡単に収まる大きさだった。それが今は、もう赤ちゃんには見えない。私は反射的に腕の中を見る。連れて行った方は朝とほとんど変わらず、まだ小さな赤ちゃんのままだ。
もう一度、ベッドを見る。
片方だけ、明らかに育っている。
「……何で?」
答えはない。
成長した子は私より先に、腕の中の赤ちゃんを見た。
「……あぅ」
声まで、昨日より少しはっきりしている。
「ちょっと待って」
私は買い物袋へ目をやった。さっき買ったばかりの服。朝の二人に合わせて選んだものだ。
「サイズ……」
嫌な予感がして一着取り出し、目の前の子へ当ててみる。
「…………」
小さい。
「今日買ったんだけど」
当然、答えはない。
今日買った。ほんの少し前。二万六千円の中の一部。
「もう着れないじゃん……」
異常現象への恐怖より先に、そこへ腹が立った。
◇
昼を過ぎても、成長は止まらなかった。
帰宅した時には二、三歳くらいに見えたのに、少し目を離すたびに手足が伸び、身体つきも顔立ちも幼児らしくなっていく。午後にはベッドの上から自分で立ち上がった。
「待って待って」
よろよろと一歩踏み出し、二歩目で早くも身体が傾く。
「歩けるの!? って、危ない!」
慌てて身体を支えると、本人は転びそうになったことなど気にも留めず、真っ先に私の腕の中にいる赤ちゃんを確認した。
「そっち?」
「……あぅ」
「自分が転んだんだけど」
気にしていないらしい。
身体だけじゃなく、学習速度もおかしかった。朝には意味も分からず置いていったタブレットを、今では自分でタップし、スワイプし、前の画面へ戻って動画まで選んでいる。何度か偶然触れただけで覚えたにしては、指の動きがあまりにも迷いなくなっていた。
「誰に教わったの?」
答えはない。
でも、いつの間にか見ている内容まで変わっている。
「…………赤ちゃん?」
画面には、赤ちゃんの抱き方、ミルクの作り方、寝かせ方、泣いている時の対応。朝、私が流しておいた子供向け動画とは似ても似つかないものが並んでいた。
「これ、自分で探したの?」
成長した子は答えず、映像の中で大人が赤ちゃんを抱き上げる様子をじっと見つめ、そのあと私の腕の中へ視線を移した。
「…………この子のため?」
「……あぅ」
返事なのか、ただの声なのかは分からない。
それでも、何のために見ているのかだけは分かった。
この子は昨日からずっと、自分のことより隣の赤ちゃんばかり気にしている。
◇
夕方には、成長はようやく落ち着いたように見えた。
四歳くらい。大きく見積もっても五歳には届かない。小さな身体と幼い顔立ちは残っているけれど、朝まで赤ちゃんだったとはとても思えなかった。
「……ここで止まる?」
答えはない。
「止まってくれる?」
やっぱり答えない。
「服買えるから、できれば止まって」
そこだけは本気だった。
成長した子はベッドの上へ座り、今度はタブレットで赤ちゃんの抱き方を繰り返し見ていた。画面の中で大人が頭と首を支え、身体を腕へ預ける。その場面まで戻しては再生し、また戻す。
「勉強してるんだ」
反応はない。それでも横顔は妙に真剣で、時折画面と隣の赤ちゃんを見比べている。言葉もまだ話せないのに、必要だと思ったことを自分で探して覚えようとしているらしい。
普通じゃない。でも、その理由は驚くほど分かりやすかった。昨日からずっと、この子の関心は一つしかない。
◇
夜。
夕飯の片づけと洗濯だけでも終わらせようと、私はほんの数分だけ部屋を離れた。朝から何もかも予定外だった。二万六千円が消えて、留守番させていた赤ちゃんは数時間で四歳くらいまで育ち、タブレットを勝手に使いこなし、もう一人の赤ちゃんの世話まで勉強している。
これ以上、今日中に何か起きるとは思いたくなかった。
洗濯物を抱えて部屋へ戻り、扉を開ける。
「…………」
足が止まった。
成長した子がベッドの上へ座っている。その隣では、もう一人が相変わらず小さな赤ちゃんの姿で眠っていた。朝にはほとんど同じだった二人が、今ではどう見ても四歳くらいの子供と赤ちゃんにしか見えない。
それでも、変わっていないものが一つある。
成長した子は私を見ていなかった。
隣の赤ちゃんだけを見ていた。
部屋は静かだった。タブレットも止まり、聞こえるのは小さな寝息と、洗濯物を抱えた私自身の呼吸くらい。
その中で、子供の唇がゆっくりと動いた。
「……姫様」
「…………」
最初は、聞き間違いだと思った。
でも、もう一度。
「……姫様」
今度ははっきり分かった。
声だった。
意味のある、人の言葉だった。
「…………しゃべったぁ!?」
抱えていた洗濯物を落としかけ、慌てて腕で抱え直す。
「え、待って! しゃべれるの!? いつから!? 今!? 今初めて!?」
私は数歩でベッドまで近づいた。でも本人は、突然騒ぎ始めた私の方なんてほとんど見ていない。幼い顔はずっと、隣で眠る赤ちゃんへ向いている。
「……姫様」
三度目。
そこでようやく、私の頭も少しだけ追いついた。
姫様。
この部屋にいるのは、私とこの子と、赤ちゃんだけ。
「姫様って……この子?」
指差す。
子供は迷う様子もなく、すぐに頷いた。
「はい」
「…………」
普通に返事した。
私は額を押さえる。
「ちょっと待って。情報が多い」
昨日まで赤ちゃんだった子が、一日で四歳くらいまで成長した。タブレットを使えるようになって、いつの間にか日本語まで話せるようになり、その最初の言葉が『姫様』。
「この子が?」
「はい」
「姫様?」
「はい」
何度聞いても即答だった。
何の姫なのか。どこの姫なのか。そもそもあなたは誰なのか。聞きたいことは一気に増えたのに、どこから聞けばいいのか分からない。
その間にも、子供の視線は赤ちゃんから離れない。
「姫様」
今度はそう呼びながら、小さな両腕を伸ばした。
「あ」
赤ちゃんの身体へ腕を差し入れ、慎重に抱き上げる。
私は一瞬だけ黙って見守った。
午後、タブレットで何度も抱き方を見ていた。頭と首を支えることも、身体を腕へ預けることも、映像ではちゃんと確認していた。
だから少しくらいは。
「待って待って待って!」
駄目だった。
形だけは真似している。でも腕は妙に硬く、首を支える位置がずれ、落とさないように力を込めすぎて赤ちゃんの身体まで不安定になっている。
「そこ! 首! ちゃんと支えて!」
「……?」
「違う違う、その手をもうちょっと――ああ、落ち着いて!」
言われるたびに腕を直そうとして、そのたび別のところがずれていく。
「ふぇ……」
「あ」
嫌な予感がした。
「ふぇぇぇぇぇぇっ!」
「ほらぁ!」
盛大に泣いた。
「……姫様」
さっきまで真剣だった子供の顔が、一気に青くなる。
「貸して!」
私はすぐ赤ちゃんを受け取り、頭と首を支えながら胸元へ抱き直した。
「大丈夫、大丈夫。びっくりしただけだから」
身体をゆっくり揺らすと、泣き声はまだ続いているものの、腕の中の力は少しずつ抜けていった。
その横では、成長した子が今にも泣きそうなくらい心配そうな顔で見上げている。ただし、やっぱり見ているのは私じゃない。腕の中の赤ちゃんだ。
「……姫様」
「そんなに心配なら、まず抱き方覚えて」
言った瞬間、小さな肩がしゅんと落ちた。
「…………」
少しだけ言いすぎたかもしれない。
「いや、大事なのは分かったから」
そう続けると、ゆっくり顔を上げる。
「抱っこは、練習しよ」
「…………はい」
素直に頷いた。
護ろうとはする。泣けば真っ先に反応し、離せば寄ってきて、眠っていても服を握る。今日なんてタブレットまで使って、赤ちゃんの世話を自分で覚えようとしていた。その熱意だけを見るなら、私よりずっと上かもしれない。
なのに実践は、びっくりするくらい下手だった。
「……なんか、変な子」
「……?」
意味が分からなかったのか、小さく首を傾げる。
昨日、電柱の中から一緒に出てきた二人。
片方は今も、私の腕の中にいる赤ちゃんのまま。もう片方は、たった一日で四歳くらいまで育ち、言葉まで覚えた。
でも、変わっていないことの方がある。
電柱の中で最初に手を伸ばした相手も、眠りながら服を握っていた相手も、置いていかれる時に最後まで目で追っていた相手も、タブレットで育児を調べた理由も。
そして。
初めて、自分から呼んだ相手も。
「……姫様」
全部、この赤ちゃんだった。
まだ名前も知らない。何者なのかも、どうして一日で育ったのかも、なぜこの赤ちゃんを『姫様』と呼ぶのかも分からない。
分からないことは、昨日より増えている。
それでも。
この子の世界の中心が誰なのかだけは、もう聞くまでもなかった。
特典も変わるみたいですね、また見に行くか悩みます…