翌朝、目を覚まして最初に思ったのは、また大きくなってる、だった。昨日の夜まで、かぐやはまだ私よりずっと幼く見えたのに、今は手足も伸び、顔立ちも少し大人びて、すっかり少女と呼べる姿になっている。
問題は、その隣だった。姫様の従者を名乗る子も同じように成長していて、そこまではもう驚かない。昨日まで四歳くらいだった子が一日で大きくなった時点で、私の中の『普通』はだいぶ壊れている。
ただ、一つだけ見過ごせないものがあった。
「……なんでメイド服?」
黒を基調にした服に白いエプロン。胸元や袖には控えめな装飾があり、頭には見慣れない飾りまでついている。昨日までそんな服はこの家になかったし、当然、私が買った覚えもない。
従者の子は自分の服装を見下ろし、それから不思議そうに首を傾げた。
「服、でございますか」
「昨日まで着てなかったよね?」
「はい」
「どこから出したの?」
少し考えたあと、本人も分からないらしく小さく首を横へ振る。
「分かりません」
「分かんないんだ……」
また一つ、分からないことが増えた。
かぐやも横から服を眺め、すぐに「でも似合ってるじゃん!」と笑った。その瞬間だけ、従者の子の表情がほんの少し柔らかくなる。
「姫様……ありがとうございます」
「そこは普通に嬉しいんだ」
「?」
「何でもない」
私は布団から起き上がり、改めて二人を見る。昨日までは赤ちゃんと幼児だったのに、今朝からは少女が二人。しかも一人はメイド服姿だ。深夜二時にオムライスを作ったところから、まだ半日も経っていない。
「最近、何もかも時間の流れが早すぎる……」
「おはよー、彩葉!」
「……おはよう」
かぐやは朝から元気だった。昨日までミルクを飲んでいた子が、今は当たり前みたいに私の名前を呼んでいる。何度見ても変な感じがする。その隣では、従者の子がきちんと頭を下げた。
「彩葉様、おはようございます」
「おはよう。……じゃなくて」
私はベッドの前へ座り直した。昨夜は寝起きだった上に、かぐやが突然成長して喋り始め、腹が減ったと騒ぎ、深夜二時からオムライスを作ることになった。その流れで『かぐや姫かもしれない』というところまでは来たけれど、考えてみれば事情はほとんど聞けていない。
「で。結局、あなたたち何なの?」
「私?」
「二人とも」
かぐやは少し首を傾げたあと、昨日の話を思い出したように「あー」と手を叩く。
「うん。たぶん月!」
「たぶんなんだ」
「だって、あんまり覚えてないんだもん」
詳しく聞いてみても、やっぱり記憶は曖昧だった。月にいて、そこで暮らしていたらしい。ただ、誰といたのか、どんな場所だったのか、何をしていたのかと細かく聞いていくと、途端に輪郭がぼやける。かぐや自身も、思い出そうとするたび首を傾げていた。
「じゃあ、なんで地球に来たの?」
「んー……」
今度は少し長く考え、窓の外へ目を向けながら眉を寄せる。
「月にいるの、嫌だったから?」
「疑問形なの?」
「でも、そんな感じ! 窮屈だったし、楽しくなかったし……ここじゃないところに行きたかった」
そこまで言うと、急に顔を明るくした。
「だから抜け出してきた!」
「脱走じゃん」
「脱走?」
「勝手に逃げてきたってことでしょ」
「うん!」
「そこ元気よく肯定するんだ……」
私は額を押さえた。月から来たという時点で十分おかしいのに、その上どうやら、この子はそこから逃げてきたらしい。
「で、あなたは?」
今度は隣へ視線を向ける。従者の子は、聞かれることが分かっていたように背筋を伸ばした。
「私は姫様の護衛として同行いたしました」
「一緒に逃げてきたってこと?」
「姫様がお向かいになる場所へ、私もお供したまでです」
「それを一緒に逃げてきたって言うんじゃない?」
「私は姫様に随行しただけです」
「同じだよ」
真顔で返された。本人の中では、かなり重要な違いらしい。
今のところ分かるのは、かぐやが月を抜け出し、この子は護衛としてついてきたということくらいだった。
「月って、どんなところなの?」
かぐやへ聞いても、また首を傾げるだけだった。
「んー……よく分かんない」
「月から来た本人なのに?」
「覚えてないんだって!」
そこで従者の子を見る。こっちは、かぐやより何か知っていそうだった。
「あなたは?」
一瞬だけ間が空く。
「月について、私が姫様の許可なく申し上げることではありません」
「知ってるんだ」
黙ったまま、ほんの少しだけ視線を逸らされた。
知っている。でも、話すつもりはないらしい。今ここで無理に聞き出しても仕方がないので、それ以上は追わなかった。
かぐやは月から逃げてきた。従者は、その護衛としてついてきた。それだけ分かれば、昨日よりは前進している。
家の前のゲーミング電柱から、どうして赤ちゃんの姿で出てきたのかだけは、相変わらず一ミリも分からないけれど。
◇
朝食を食べ終えたあと、私は昨夜の画面をもう一度スマホへ表示した。
「そういえば、昨日これ見せたじゃん」
「かぐや姫!」
かぐやがすぐ反応する。昨夜は深夜だったこともあり、内容をざっくり話しただけだった。
「ちゃんと読む?」
「読む!」
二人が隣から画面を覗き込む。
竹から生まれた女の子が成長し、美しい姫になる。たくさんの求婚者が現れ、その相手へ無理難題を出す。そこまで読んだところで、かぐやは妙に楽しそうだった。
「すごいね、この人! 全部断ってる!」
「そこ気に入るんだ」
「だって、嫌なものは嫌って言ってるじゃん」
「まあ……そうだけど」
私なら、そこまで大げさなことはしないと思う。嫌なことでも、どうにもならないなら折り合いをつける。学校でも、バイトでも、一人暮らしでも、そうやってきた。全部が自分の思い通りになるわけじゃない。
でも、かぐやは違うらしい。
嫌なら嫌。
それで終わりじゃなくて、その先を変えようとする。
物語が最後まで進み、月からの迎えがやって来るくだりへ入った途端、かぐやの顔が露骨に曇った。
「またそれ?」
「昔話だから内容は変わらないよ」
「でも嫌じゃん」
「帰らなきゃいけないんだから仕方ないでしょ」
「なんで?」
「なんでって……そういう話だから」
「本人は帰りたくないんでしょ?」
「そうだけど」
「じゃあ帰らなきゃいいじゃん!」
簡単に言う。
「迎えが来てるんだよ?」
「追い返せばいい!」
「できないから帰ったんじゃない?」
「じゃあ、できるようにすればいい!」
「昔話に言ってもしょうがないでしょ」
思わずため息が出た。
かぐやはまったく納得していない。むしろ話せば話すほど、不満が増しているようだった。
「だって、ちょうバッドエンドじゃん! 帰ったあとどうなったの!? 地球に残った人たちは!? かぐや姫は月で幸せになったの!?」
「そこまでは書いてない」
「ほら!」
「ほらって言われても」
本人が嫌がっているのに連れ戻され、その先がどうなったのかも分からない。それが、かぐやにはどうしても許せないらしい。
「私だったら絶対帰らない」
「そう言っても、帰らなきゃいけない時はあるでしょ」
「ない!」
「あるよ」
「ない!」
「決まってることなら、どうしようもないことだってあるって」
すると、かぐやは一瞬も迷わず言い返した。
「だったら決まってることを変えればいいじゃん!」
「…………」
私は、どうにもならないなら受け入れる。この子は、嫌なら『どうにもならない』方をどうにかしようとする。
同じ話を読んでいるのに、引っかかる場所がまるで違った。
その横で、従者の子だけは途中から何も言わなくなっていた。画面を見てはいるけれど、話の続きを読んでいるというより、どこか別のことを考えているように見える。
特に、月から『迎え』が来るというくだりへ入った時だけ、膝の上に置かれていた指先がぴたりと止まった。
「……どうしたの?」
「いいえ。何でもございません」
すぐにいつもの顔へ戻る。それ以上聞いても答えそうになかった。
「ねえ、彩葉」
「ん?」
かぐやがこちらを見ていた。
「私は絶対、こんな終わり方しないからね」
「はいはい」
「それに彩葉も」
「私?」
かぐやはそのまま、隣に座る従者の子まで指差した。
「この子も! 絶対に私が、二人ともハッピーエンドに連れてく!」
指を向けられた本人が、不思議そうに首を傾げる。かぐやはそんな反応も気にせず、自信満々に胸を張っていた。
「いや、私はハッピーエンドじゃなくて普通でいいんだけど」
「普通もハッピーエンド!」
「そういうもの?」
「そういうもの!」
よく分からない。でも、かぐやは本気らしい。
◇
「ところで」
私はスマホを置き、二人を見比べた。
「呼び方なんだけど」
「呼び方?」
かぐやが首を傾げる。
「昨日からずっと『姫様』とか『あなた』とかで話してるけど、普通に面倒なんだよね」
「あ」
そこでようやく気づいたらしい。
「じゃあ、私は?」
「もう、かぐやでよくない?」
かぐやは自分の名前を確かめるように、ゆっくり繰り返した。
「かぐや」
「竹取物語のかぐや姫から取っただけだけど。嫌なら別のにする」
「かぐやがいい!」
即答だった。
「じゃあ、かぐや」
「うん!」
一人は決まった。
問題は、もう一人だ。
「で、あなたは?」
「姫様の従者です」
「それ昨日も聞いた。名前」
「ございません」
「本当にないんだ」
「はい。従者に個人名は必要ありません」
相変わらず、当然のことみたいに言う。
「いや、私が困る」
「困る?」
「毎回『従者』って呼ぶの変でしょ」
「私は従者ですので」
「そういう問題じゃないんだって」
本人にとっては、自分が姫様の従者であることさえ分かれば、それ以外はどうでもいいらしい。
私は少し考える。
姫様の従者。月から来た子。何かあるたび、窓の向こうの月へ目を向ける。そのくらいしか材料はないけれど、呼び名をつけるだけなら十分だった。
「……月見でいいんじゃない?」
「つきみ?」
かぐやが先に反応する。
「ずっと月の方見てるし。月から来たらしいし」
「月見! いいじゃん!」
かぐやは気に入ったらしい。
一方、本人はすぐには何も言わなかった。
「…………月見」
小さく繰り返す。
聞き慣れない言葉を、口の中で確かめているようだった。
「嫌?」
「いえ。ただ……私は姫様の従者です」
「それは名前がついても変わらないでしょ」
「ですが――」
「月見」
試しに呼んだ。
「はい」
反射的に振り向いた。
三人とも一瞬だけ黙った。
「ほら。もう反応してるじゃん」
本人も意外だったのか、わずかに目を見開いている。
「私は……月見」
「そう」
「姫様の従者であることに、変わりはございません」
「分かってるよ。従者でも何でも、あんたはあんたでしょ」
月見は黙った。
たぶん、まだ意味は分かっていない。役目があって、それさえ果たせればいい。今までは本当に、それだけだったのかもしれない。
でも、一緒に暮らすなら私は困る。『姫様の従者』だけじゃなくて、呼べる名前くらいあった方がいい。
「月見!」
横から、かぐやが嬉しそうに呼んだ。
「はい、姫様」
今度は迷わず振り向く。
「似合ってるよ、その名前! 服も!」
「ありがとうございます、姫様」
また少しだけ嬉しそうな顔をした。
名前が一つ増えただけで、何かが急に変わるわけじゃない。かぐやは相変わらず自由で、月見は相変わらずかぐやを最優先にしている。メイド服を着ている理由も分からないし、月について何を知っているのかも教えてくれない。
それでも、昨日まで『姫様』と『従者』しかいなかった部屋には、今日からかぐやと月見がいる。
「ねえ彩葉! 今日何する!?」
かぐやはもう次のことを考えていた。その隣では、月見がメイド服の裾を整えながら当然のように立ち上がる。
「姫様がお出かけになるのであれば、私もお供いたします」
「まだ出かけるって言ってない」
「じゃあ出かけよう!」
「話聞いてた?」
二人分の声が朝の部屋に重なる。昨日まで赤ちゃんだったとは、とても思えない。
月から逃げてきた姫と、それについてきた護衛。どうして家の前へ来たのかも、これからどうなるのかも分からない。
ただ、昔話みたいに最後は月へ帰る――そんな結末だけは、かぐや本人が絶対に認めそうになかった。