「……申し訳ございません」
月見が深々と頭を下げた。その横で、かぐやは私のフォークから奪ったパンケーキを幸せそうに咀嚼している。
謝る従者と、食べる姫様。反省の配分がおかしい。
「……なんでいるの?」
「彩葉に会いに来た!」
「聞いてない」
かぐやではなく月見を見ると、さっきより頭が少しだけ低くなった。
「姫様には、外出なさらぬよう申し上げました。しかし、姫様がお一人で外へ出られましたので、警護上、随行せざるを得ず……」
「そこまで来たら連れ戻してよ!」
月見が顔を上げ、灰銀色の目を一度だけ瞬かせた。
「……その発想がありませんでした」
「なんで!?」
本人の中では筋が通っていたらしい。かぐやを止める。止まらないなら追う。姫様が外へ出た以上、自分もついていく。護衛としては正しいのかもしれないけれど、留守番を頼んだ側からすると何一つ正しくない。
「留守番してって言ったよね?」
「してたぞ!」
「過去形じゃん!」
「でも暇だった!」
「理由になってない!」
思わず声を張ったところで、向かい側から視線を感じた。
ろかとまみが、フォークを持ったままこちらを見ている。
「…………」
しまった。ここ、家じゃなかった。
「彩葉」
「何」
「知り合い?」
「…………」
質問としては当然だった。突然現れた少女が私の名前を呼び、私のパンケーキを奪い、その後ろには黒髪ロングのメイド服姿が立っている。しかも私は二人とも名前を知っている。
どう見ても知り合いだ。
問題は、どう説明するかだけだった。
「……あとで」
「何があとで?」
誤魔化せなかった。
◇
「……それ、なに?」
追及されるより先に、かぐやの興味が別の場所へ移った。私の皿――正確には、その上に残っているパンケーキだ。
「パンケーキ」
「朝のと違う」
「朝のも一応パンケーキ」
「違う!」
即座に否定された。小麦粉と水だけで作った朝のあれが、相当気に入らなかったらしい。
「これ美味しい!」
「もう食べてるから知ってるでしょ」
私がようやく食べるはずだった一口は、とっくにかぐやの腹の中だ。
「そんな美味しそうに食べる?」
まみが笑いながら、自分の皿から一切れ切った。
「食べる?」
「食べる!」
差し出されたフォークへ、かぐやが迷いなく食いつく。
「うまい!」
「ほんといい顔するね」
「じゃ、これもいる?」
今度はろかだった。
「いる!」
その次は、なぜかまた私の皿へ手が伸びる。
「ちょっと。なんで私のまで」
「彩葉のも美味しい!」
「同じだから」
ものの数分で、かぐやは初対面だったはずの二人から普通にパンケーキをもらっていた。
「……もう馴染んでる」
「人懐っこいね、この子」
「そういう範囲かな……」
横を見ると、月見だけは私の椅子のそばへ立ったままだった。背筋を伸ばし、客の出入りや周囲の席へ視線を巡らせている。パンケーキを囲んでいる集団の横で、一人だけ明らかに仕事中だった。
まみも気づいたらしい。
「この子は食べないの?」
月見がまみを見る。
「私は姫様の警護中ですので」
「警護?」
「あ」
余計なことを。
「月見も食べれば?」
かぐやがパンケーキを頬張ったまま、自分の皿を差し出す。
「しかし、姫様」
「美味しいぞ!」
月見が困ったように私を見る。
「食べればいいじゃん。カフェで一人だけ立ってる方が目立つ」
「よろしいのでしょうか」
「いいから」
「承知しました」
そこは素直だった。
私の隣へ腰を下ろし、かぐやから渡された一切れをフォークで口へ運ぶ。表情はほとんど変わらなかったけれど、目だけがほんの少し開いた。
「どう?」
「……甘いですね」
「美味しいだろ!」
「…………はい」
地球へ来て初めて食べる、まともな甘味なのかもしれない。月見はもう一口だけ小さく切り、それを見たかぐやが得意そうに笑った。
「気に入ってるじゃん!」
「味の確認です」
「二口目なのに?」
「…………確認です」
分かりやすかった。
◇
「で」
どうやら逃げ切れる時間は終わったらしい。
まみが姿勢はそのままに、明らかにこちらへ意識を向けた。
「彩葉、この二人誰?」
「…………」
来た。
昨日まで私は一人暮らしだった。それが今日、突然少女が二人増えている。一人は距離感ゼロで、もう一人はメイド服。
正直に話すだけなら簡単だ。
家の前で光っていたゲーミング電柱の中から赤ちゃんを二人拾い、その二人が数日で少女まで成長して、どうやら月から来たらしいです。
絶対に言えない。
「…………親戚」
口から出た。
「親戚?」
「……の子」
「なんで彩葉が疑問形なの?」
ろかの指摘が痛い。
「親戚なの」
今度は断言した。
「へえ」
信じていない顔だった。
その横で、かぐやが元気よく手を上げる。
「私は月か――」
「かぐや!」
被せる。
「なに?」
本人は本気で分かっていない。
私はかぐやの目を見る。
月。姫。脱走。
何一つ言うな。
「…………あ」
ようやく何かを察したらしい。
「親戚!」
明らかに今覚えた。
まみが私を見る。
「今思い出したみたいだったけど」
「気のせい」
「そう?」
「そう」
押し切る。
問題は、もう一人だった。
「じゃあ、こっちの……」
まみの視線が月見の頭から足元まで動く。
「メイドさん?」
「めいど?」
月見が首を傾げた。
嫌な予感がする。
「その服」
「これは従者の正装ですが」
「そこは言うんだ……」
「従者?」
ろかまで食いついた。
「はい。私は姫様の――」
「月見!」
二度目だった。
「はい」
返事だけは速い。
私はもう一度、目で訴える。月見は口を閉じたまま数秒考え込んだ。嘘をつくという行為そのものに、まだ慣れていないらしい。
「私は……」
さらに少し間を置いて。
「…………親戚です」
棒読みだった。
「へえ……」
ろかの返事まで棒読みになる。
絶対に信じてない。
それでも二人は、それ以上追及してこなかった。一度だけ顔を見合わせ、それで話を止める。
たぶん、私が何かを隠していること自体には気づいている。でも、言いたくないなら今は聞かない。その距離感はありがたかった。
だからこそ、これ以上ここにいるのはまずい。
「ごめん! 今日ちょっと用事できた!」
「今できたね」
「できた!」
ろかの指摘はもう認めるしかない。そのまま鞄を掴む。
「かぐや、帰るよ」
「えっ、まだパンケーキ――」
「帰る」
「あと一口!」
本当に一口だけ口へ押し込み、かぐやが慌てて立ち上がる。
「月見も」
「はい」
こちらは即座だった。
「ごめん、また今度」
「はいはい」
「親戚のお世話頑張って」
まみの言葉には何も返せなかった。
店を出る直前、後ろから小さく声が聞こえる。
「……親戚?」
「……親戚なんじゃない?」
聞かなかったことにした。
◇
店を出て、人通りが少し減ったところで足を止める。
「二人とも」
「はい」
「はい」
綺麗に返事が重なった。
かぐやと月見が並んでこちらを見る。護衛と姫様のはずなのに、こうしていると完全に同じ『叱られる側』だった。
「まず、勝手に家から出ない」
「でも暇だった」
「理由にならない」
「はい」
かぐやは不満そうで、月見は申し訳なさそうだ。
「月見も。次から、かぐやが出ようとしたら止めて」
「止めております」
「もっとちゃんと」
「姫様には再三、外出なさらぬよう――」
「物理的に!」
月見が目を瞬いた。
「……よろしいのですか?」
「よくない!」
かぐやが即座に割って入る。
「いい!」
「彩葉!?」
「勝手に出ていくからでしょ!」
月見は少し考えたあと、真面目に頷いた。
「承知しました。次回から必要に応じ、姫様の身柄を確保いたします」
「言い方怖い!」
「逃げる方が悪い」
「むー」
これで次からは大丈夫。たぶん。
月見の腕力がどの程度なのかは知らないけれど、少なくとも昨日ベッドから落ちかけたかぐやを一瞬で拾った子だ。捕まえるだけなら問題ない気がする。
「あと、外に出るなら勝手に何か買ったり――」
そこまで言って、違和感に気づいた。
かぐやの目に、見慣れないものが入っている。
「……それ何?」
「ん?」
顔を少し覗き込むと、かぐやは嬉しそうに目元を指した。
「これ? スマコン!」
「…………は?」
「スマートコンタクト!」
名前を聞き直したわけじゃない。
「なんで持ってるの?」
「買った!」
嫌な汗が出てきた。
視線を横へ動かすと、よく見れば月見の目にも同じものが入っている。
「……月見も?」
「はい」
「買ったの?」
「はい」
「二人とも?」
「はい」
返事が良すぎる。
「いくら?」
かぐやが首を傾げた。
「いくらだったっけ?」
「十二万と表示されておりました」
月見が答える。
「…………一個?」
「はい」
「二人分?」
「二つ購入いたしました」
十二万が二つ。
二十四万。
私は無言でスマホを取り出した。少し震える指でネット銀行のアプリを開き、読み込みが終わるのを待つ。
表示された残高は、三百円だった。
「…………」
閉じたくなった。でも、画面を閉じたところで数字は増えない。
「彩葉?」
かぐやが横から覗き込んでくる。
「どうした?」
「彩葉様。顔色が優れませんが」
「誰のせいだと思ってるの……?」
二人が顔を見合わせた。
「一個十二万。二人で二十四万だよ!」
かぐやが指を折り始める横で、月見はようやく私の声の意味を考え始めたらしい。
「……二十四万」
「そう!」
「高額、なのでしょうか」
「高校生の口座をほぼ空にするくらいにはね!」
そこで初めて、月見の表情がわずかに固まった。
「私は不要だと申し上げたのですが」
「じゃあなんで買ったの」
「姫様が」
二人でかぐやを見る。
「だって、月見だけ一緒に入れないの寂しいじゃん」
「…………」
そういう理由だった。
月見が少し申し訳なさそうに続ける。
「また、購入画面上では使用可能と表示されておりましたので、問題ないものと判断いたしました」
「使用可能って、お金に余裕があるって意味じゃないから!」
「……そうなのですか」
「そうなの!」
二人に地球の金銭感覚があるはずもない。来てまだ数日で、画面上の数字と家賃や食費がどう繋がっているのかも知らないのだろう。
だからといって、消えた二十四万円は戻ってこない。
「どうすんのよ……今月……」
家賃、食費、光熱費、スマホ代。毎月の支払いが頭の中へ次々と並ぶ。しかも食費は、一人分だったものが三人分に増えたばかりだ。隣を見る限り、そのうち一人はかなり食べそうだった。
「……金銭が問題なのでしょうか」
月見が言った。
「最初からそう言ってる!」
「でしたら」
月見はそう言うと、メイド服の内側へ手を入れた。何をしているのかと思っているうちに、金色の四角いものを取り出し、両手で持ったまま近くの植え込みの縁へ置く。
ゴトン、と見た目以上に重い音がした。
「…………何それ」
「金です」
「それは見れば分かる」
手のひらより少し大きな、金色の延べ板。どう見ても金塊だった。
「おー!」
かぐやだけが目を輝かせている。
なんで知ってるの。
というか。
「……どこから出したの?」
「携行しておりました」
「いつから?」
「月を出る際からです」
月見は何でもないことのように答えた。
「姫様が地球で生活なさるには資金が必要になる可能性があると判断し、地球で金銭へ交換できると聞いていた金を携行いたしました」
私は金塊と月見を交互に見る。
ちゃんと考えていた。
かぐやが月を飛び出し、知らない土地へ行く。そこで暮らすなら資金が必要になる。ならば、換金できるものを持っていけばいい。
考え方そのものは、かなりまともだ。
「これ、どうやって換金するつもりだったの?」
「…………」
月見が止まった。
「店とか知ってる?」
「…………」
「本人確認とか、売る手続きとか」
灰銀色の目が、ゆっくり金塊へ落ちる。
「……存じません」
「そこまで調べといてよ!」
ものすごく惜しい。
資金が必要になるところまでは考えた。換金できるものも準備した。でも、それを地球でどう現金にするのかまでは届いていなかったらしい。
「高校生がいきなり金塊持って買い取り店行けるわけないでしょ……」
「では、不足でしょうか」
「額の話じゃない!」
「でしたら、もう一本――」
「あるの!?」
月見が再び服の内側へ手を入れようとする。
「出さなくていい!」
慌てて止めた。
まだあるらしい。どれだけ持ってきたのかは、今は聞きたくない。
口座残高三百円。十二万円のスマートコンタクトが二つ。月から来た姫様と、メイド服の従者。その従者の服からは金塊まで出てくる。
もう処理できない。
「帰る」
私は金塊を月見へ押し返した。
「彩葉、怒ってる?」
「怒ってる」
「私もでしょうか」
「もちろん」
「……申し訳ありません」
月見の眉がほんの少し下がり、それを見た瞬間だけ怒る勢いが鈍った。
ちゃんと準備していたこと自体は分かった。二人とも悪気があったわけでもない。ただ、地球のお金の重さを知らない。
だからこそ、教えないといけない。
「帰ったら、三人で話があります」
「はい」
「はい……」
二人の返事が重なる。
私はもう一度スマホを見る。
残高、三百円。
その隣では、月見が返された金塊を両手で抱え、本気で困ったように首を傾げていた。
「……これで、足りませんでしょうか」
「そういう問題じゃないってば……」