ドび出せパーター~閉ざされた街から始まる天才魔法使いの軌跡~ 作:イシヤド
小さな小さな部屋の中で、そこにあった世界が歪み、なかったはずの白い紙が現れる。
それは実に摩訶不思議な光景で、しかし現実として確かに存在している。
それを起こしているのは魔法と呼ばれるものだ。世界中に存在する魔素を魔力へと変換し、それを使って世界を変えることができる。魔法を使える者は魔法使いと呼ばれ、今も世界に大きな影響を与えているのだ。
そして僕はようやくトイレットペーパーでお尻を拭くことができた。用済みになったトイレットペーパーを便器の中に放ってから消すと、ついた汚れが水に浮かぶ。
「誰が補充を忘れたんだ。……まあ父さんかな。仕事とかではしっかりしてるらしいけど、普段は結構やらかすからなぁ」
違う可能性もあるから決めつけはしないけど。それにしても本当に危なかった。もし僕が魔法を使えなかったら、今日という大事な日を最悪のスタートで迎えることになっていただろう。
父さんによると、こういった不満は有耶無耶にせずしっかり相手に伝えるべきらしいので、僕もそれに倣って伝えに行こうと思う。
水に流し、思いっきりトイレの扉を開けて個室から出る。しっかり手を洗ったあと、父さんの部屋へ行く。無駄に長い廊下を歩いてようやく着いた。扉をノックするが反応がない。何回やっても反応がないことに焦れた僕は、もう扉を開けることにした。
「違う、アルバーダ
「はい……。」
そして見えたのは、父さんが机で兄に勉強を教えている姿だ。父さんの商売を継ぐのは長男である兄、ブルーンの役目で、父さんが構うのはブルーンばかり。
前までは少し寂しいとか思ったこともあったけど、もう気にしていない。だって僕には魔法があるから。今では商人の勉強をしなくていいからラッキーだと思ってるぐらいだ。
なんだかどうでもよく感じてきた僕は、勉強の邪魔をして怒られないよう静かに扉を閉めて部屋の前から立ち去った。
自分の部屋へと戻る前に、ふと窓から街を眺めてみた。
今日は僕にとって決断の日で、恐らくこの日を境に僕の人生は一変するだろう。だからいつも変わらないこの風景を、日常を改めて見たくなったのだ。
そうして見た景色は、いつもと変わらない風景のはずなのに、どこか懐かしいものであるように思えてきた。沢山の家、道を走る車、作物が実った畑、防音の壁に覆われた工場、そらを飛ぶジェットコースター、他にも色々なものがこの街にはある。
ここからじゃ見えないほど遠いところでもきっと、同じような景色が続いているんだろう。それが嫌いというわけじゃないけれど、そのせいでやること全てに限りがあるかのような退屈を感じてしまうのは事実だった。
僕は今日、外に出るよ。
自分の部屋に戻った僕は、魔法の慣らしを始めることにした。いきなり魔法を使いまくると、体に負担がかかってしまうから。そしてその内容は、水を綺麗な球体の形で浮かべるというものだ。水はすぐ形が崩れてしまうので、球体に整えるのが結構難しい。だから慣らしとして丁度いいのだ。完成したら水を消し、セットしていたタイマーを止める。
「おっ、一分切ってる」
球体にするまでかかった時間は五十五秒、新記録だ。タイマーは別に必要じゃないし、多分時間は正確じゃないけどモチベーションに繋がるからやっている。
慣らしを終えたら次は練習だ。魔法で一枚の紙を生み出す。そしてそのまま……。
「あぁ……」
紙は消えてしまった。ずっとこうだ。僕は一度たりとも魔法で生み出したものを魔力なしで維持できたことがない。勿論魔力を遮断すれば魔法が消えるのは普通のことだけど、消えないようにする方法は確かに存在するはずなのだ。いくつもの本に書いてあるものだし、逆にできないと書いてある本は見たことがない。
しかもそれは難しいことというわけではなく、基礎として紹介されている方法だ。それ以外の基礎は全部できるようになったのに、これだけ何度やっても、どんな方法を試しても成功できない。
ただ、まだ一つだけ試していないことがある。
それは魔境へ行くこと。魔境は街の外にある魔に満ち溢れた世界で、そこに行けば魔法使いとしての力が刺激されて一段上のレベルへ行けるらしい。だけど本に詳しく書いていなかったから何が起きるかわからないし、命を大切にするなら行くべきじゃない。それに行ったとしてもできるようになるかわからない。
でも、今日までにできなかったら行くと決めたんだ。もう部屋には父さんの書籍から拝借してきた本が積み上がっている。これしか考えられないんだ。
行くしかない。
机にテープで貼り付けて立てていた一枚の羽根を手に取った。それは本でしか見たことのない翼に憧れて、最初に生み出した思い出の宝物。消えてしまわないように、ずっとこの世界とつなげている。窓から身を乗り出して、それを街の先にある本当の空へ掲げた。
心の中に宿る確かな熱を再確認する。大丈夫、最初に感じたあの希望は、今も変わらず僕の中で輝いている。
羽根を胸ポケットに入れて覚悟を決める。
「よし……」
両頬を叩き、拳を力強く握る。そして僕は、二階にある部屋の窓から外へと飛び出した。
足が地面に触れようとする瞬間、風が地面から立ち昇り着地の衝撃を和らげる。そしてすぐに駆け出した。歩道を跳ねるように走り、階段を落ちるように下りながら、僕の目は一点を見つめていた。それは
その前にある広場へ到着したとき、僕はあることを思いついた。せっかくここまで来たのなら、ついでにあれをやってもいいんじゃないか。ということで少しだけ寄り道をすることにした。進路を変え、正面から少し斜めに逸れた細い道を駆け抜ける。人が少なくなったので速度を上げ、あっという間に目的地へ着いた。
今僕の目の前には、街の端がある。ここから先はつくられた空の景色が広がっているだけで、進むことはできないし外があるわけでもない。
なぜならこの街は、外から空間ごと切り取られているから。街と外の空間をつなぐ
それを聞いて、本当に出られないのか試したこともある。結局出られなかったけど、一つ意外なことが分かった。それをもう一度確かめてみたくなったからここへきたのだ。
僕は手のひらを空間の境界であろう場所へと当て、腕を押し込んだ。確かに押し込んでいるはずで、何かに当たっている感覚もない。だというのに、僕の腕は全く進んでいないのだ。
当時の僕にはそれが衝撃的で、なぜなのか考えるのに夢中になった。結局空間の魔法についての本が見つからなかったからわからずじまいだったけど、考える時間は楽しいものだった。これから僕は外へ行くわけだから、もっと多くの未知を知るだろう。それが少し怖くもあるけど、それ以上に楽しみだ。
満足した僕はそこから少し走って礎の門を見上げる位置に立った。何度も遠くから見てきたけど、近くで見るとその大きさをより実感する。向こう側へ突き出ている半球状の扉は、直径百メートル以上の大きさがある。今開いているのはその一部の五メートル程ある扉だ。
そこから外へ行けるはずだけど、一つ問題がある。それは門番が通してくれないだろうということだ。僕は子供で、外へ行くには危険すぎると判断されてしまうから。
じゃあどうするか。門番の目にも留まらぬ速さで駆け抜ければいい。
自分でも驚くほど単純な答えに、もっといい方法があるんじゃないかと考えたこともある。でも結局、違う方法にしようという気は起きなかった。
なぜならこれが一番かっこいいから。
これは初めての門出なんだ。そんなときぐらい、最高にテンションが上がる方法を選びたかった。
じんわりと手に汗がにじむ。大丈夫、別に難しいことじゃない。走りながら練習通りにやればいいだけだ。なんとか心を落ち着かせてから、しゃがんで両手を地面につけ、右脚を後ろへ下げる。
「ふぅ……」
息と気合を入れる。両手を離してから、右脚で勢いよく空気を蹴って飛び出した。
空気は僕をかわし、地面はいつもより強く足と反発した。前へ、前へとただ加速して、驚くほどの速さで景色が後ろへと流れていく。そのときだけ、まるで僕の背中に翼が生えているような気がした。
止まったころには門が小さく見えるほど遠くなっていた。