Ⅰ. テーマオブジェクト
煌めく星々をまぶした暗天の中を、ゆっくりと不格好な飛行船が湖の上を渡って行く。
その光景を窓の外に望む建物の一室で、オルカとバルムンクは難しい顔をして腕組みしていた。
「どうよ」
「分からん」
渋面のまま、バルムンクは
二人が今頭を悩ませているのは、三日前BBSにスレッドが立った後、ツリーが増え続けている今話題の「空に浮かぶ目玉の大群」だった。
最初の書き込み内容は「空にいきなり目玉の大群が現れて、暫くしたらすっと消えたんだけど、あれってなんなの?」という、たわい無いものだった。
そこに「それは
その内容が「え? そうなの? でも、見たの
その後、私も見たと書き込む者が増えていき、その内容が単なる冷やかしでなければ、
だが、サーバーテーマのオブジェクトは、サーバーごとに決まっている。
と言う風に。そして、それは勝手に他のサーバーに移動するような仕様にはなっていない筈なのだ。でなければそのサーバーのテーマオブジェクトとはいえない。
それなのに、あれ程頻繁に目撃されていた目玉の大群が、
「CC社はどうだって?」
「今まで待ったが、コメントは一切無しだ」
相棒に視線を向け、バルムンクは応えた。
「全てデマの
下手にコメントすると、かえって真実味を与えかねない。これをデマとして終わらせたいとCC社が考えているなら、何もしないのが一番だ。
「まあ普通、サーバーテーマのオブジェクトが他のサーバーに散歩しに行くとは、誰だって思わんわな」
「当たり前だ」
それがどういうテーマを表しているのか謎とはいえ、そのサーバーのテーマを意味するオブジェクトである。それが勝手に他のサーバーをうろついたりしたら、それ自体の存在意義を失う。
そういう意味では決してあってはならない事だ。もちろん仕様の上でもそれは同じである。
「だが、全くのデマとは言い切れん」
「デマにしちゃ、お間抜けが過ぎるってか」
いかにも信憑性があってこそ、デマはデマとして活きる。なのにちょっと調べればすぐにバレてしまうような事を、わざわざネタにしてはお粗末過ぎて意味がない。
「けど、まあ、話題としては結構オイシイ話ではあるな」
だから何時までもツリーが延び、書き込みが増え続けるのだ。もっともその大半は便乗冷やかしと考えた方がいいだろう。
「で、どうするよ?」
黙している相棒に、オルカは訊いた。
まずこの中から、どれが本当で、どれが冷やかしかを見極めなくてはならない。
「最初にスレッドを立てた奴に話を聞く」
明快にバルムンクは答えた。
「他はどうか分からんが、これだけは多分事実だろう。見たのが
でなければ、わざわざスレッドを立てて書き込みなどしない筈だ。
「ま、それが順当か」
軽く肩を竦め、オルカは同意した。
善は急げとばかり、二人は共にカルミナ・ガデリカの
⁑ ⁑ ⁑
何処までも続く雪原が広がっていた。
その所々に、見上げる程の大きさから人の背丈ほどの小さい笠と蓑を纏った地蔵の様な物と、とんがった鼻を付けた雪だるまが点在し、その中に雪に半分以上埋もれた建物の尖塔がかつてここに人が住んでいた事を、悲愴な哀愁を漂わせて示していた。
そして、巨大な地蔵の足許の雪塗れの石の上には、プチグソの餌の一つであるトーチューカソーが、手のような二枚の葉を斜め上にピンと伸ばし、ヤジロベエのように風に吹かれてゆらゆらと揺れている。
その雪原の中、最後まで雪に埋もれずに残った高い石造りの塔の下、水の〈
「ここであたし、ダンジョンに入ろうとしたら、誰かに見られているみたいな視線を感じて、思わず振り返ったんですぅ」
ちょっと鼻にかかったような喋り方で、銀縁の革製の胸当ての下に、水色を基調とした服を着た重槍使いの少女が胸の前で両手を組んで、背に羽根を持つ剣士に向かって一生懸命説明している。
その横にいる、この風景の中ではやたらと寒々しい格好をした半裸の巨漢には、一切目もくれない。
女性プレイヤーが相手だと大概いつもこんな感じなので、オルカは気にせずに熱心に重槍使いの話に耳を傾けている相棒にその相手を任せ、自分はヒマそうにコキコキと首と肩を回しながら注意深く空の様子を窺った。
青空に薄く白雲がたなびき、ちらほらと小雪が舞い降りて来る。それ以外問題の目玉のオブジェクトらしきものの姿どころか、ここの本来のサーバーテーマである巨人のミイラを引き連れた飛行船団すら見当たらない。
「そしたら、空に大きな目玉が一杯あって、とっても気持ち悪かったんですぅ」
「成程……」
バルムンクは小さく頷いた。
「その目玉の特徴は憶えているか?」
「ええ、もちろんですぅ」
コクリと頷き、重槍使いの少女は言葉を継いだ。
「目玉の周りに肉とか血管みたいのが浮き出てて、生々しいってか、とってもリアルできしょくって、その中の一つがいきなりギョロリって動いて、あたしを睨んだんですもん」
と、その時の事を思い出してぶるっと身震いする。
バルムンクとオルカはチラリと互いに視線を交わし、そして、更に確認した。
「それで、その目玉の大群は暫くして消えたんだな?」
「ええ、そうなんですぅ」
ほんわりと夢心地の表情で重槍使いの少女は応えた。
どうやらBBSの書き込みについて、わざわざあの有名なフィアナの末裔が自分に会いに来てくれて感激しているというより、文句なしの美形に見詰められて舞い上がっているといった感じだ。
これも毎度の反応である。が、そういう事には頓着しない
「君達も、その時一緒にいて、それを見たのか?」
「あ、いいえ」
「あたい達は、先にダンジョンに入ってたから」
と、同じく彼に見惚れていた二人は、ハッと我に返って慌てて首を横に振った。
「このコの悲鳴聞いて、外に出た時にはもううっすらと輪郭くらいしかなくって、ねぇ」
「うん、そう。それが目玉だったかどうかは、ちょっと……」
「あーっ、ひどっ。マジ目玉だったって」
友達がいのない二人をジロリと睨み付け、そして、重槍使いの少女は瞬時に目を潤ませて、哀願するように銀髪の美剣士に擦り寄った。
「バルムンク様は、あたしの事、信じてくれますよね?」
「あ、ああ。勿論だ」
思わず、バルムンクは身を引いた。
そして、今までの経験から、これ以上ここにいるのはマズイと判断してか、
「とても参考になった。感謝する」
と礼を言って一方的に話を切り上げ、さっさとゲートアウトしてしまう。
「まあ、そういうことで。じゃあな」
バルムンクに逃げられて呆然とする三人に多少同情しながら、オルカも相棒の後を追ってその場を後にし、このエリアのルートタウンであるマク・アヌに転送した。
「このサーバーに、例のオブジェクトが現れたのは間違いない」
バルムンクはさっきの三人が自分を捜す声を足下に訊きながら、そう断じた。
「まあな、あの
背にした石柱の陰から、一人を残して他のルートタウンに転送して行った二人と、それを見送る間もなくマク・アヌの中央にある運河に架かるアーチ橋の方に去って行く少女を上から眺め、オルカは顎に手を添えた。
今二人がいるのは、カオスゲートをコの字に囲む建物の二階の回廊だった。
この建物の内部は入れないので一般には知られていないが、ちょっとした裏技を使えば簡単に上に登る事が出来るのだ。
さっきの様子からして何時までも付きまとわれそうだったので、二人は丁度カオスゲート付近に誰もいないのを見て、一先ずこの二階の回廊に身を潜めたのである。
ここなら見晴らしもよく、すぐ下にカオスゲートがある。彼女らをやり過ごして別のサーバーに転送するのにも都合が良かったからだ。
「他のサーバーも調べた方がいいかもしれん」
「だな」
何かの見間違いの可能性も考えていたのだが、あの重槍使いの少女から聞いた話に嘘はなかった。でなければ行った事もないサーバーのテーマオブジェクトの姿を、ああも具体的に言えるわけがない。
事は思った以上に重大事なのかもしれなかった。
二人は早速プリントアウトしておいた、問題のスレッドのログを最初から一つ一つ洗った。
三日経った今でも、それは別のスレッドを立ててまで次々と更新されている。そのログの量は既に膨大なものになっていた。
まず二人は、どう見ても冷やかしとしか思えない物を削除していき、ある程度絞り込んでいく。
「どうよ、これ」
「少しクサイな」
「んじゃ、取り敢えず、保留にしとくか?」
「ああ」
と、更に二人は候補を絞り込んだ。
「ま、これだけ聞き込めば十分だろ」
そう言って、寄り掛かっていた石柱から体を離し、オルカは二階の回廊から下を覗いた。
上手い具合に人が途切れていて付近に人影はない。あれからかなり時間も経っているから、あの重槍使いの少女達もいい加減諦めただろう。
二人は回廊から飛び降りて、カオスゲートに向かった。
——と、
何処からか丁度転送して来たらしく、〈紋〉を刻んだ幅広の金色の輪を纏って一人のPCが姿を現わした。
「っ!?」
いきなり目の前に現れたPCに、目を
そして、それは相手も同じだった。
オルカは凝然と立ち尽くしてしまった相棒を怪訝そうに見やり、それからその相手の方に視線を向けた。
桜色の長い髪をポニーテールのように紅色の布で結い上げ、アーマーらしき防具を一切付けておらず、一見すると職業がよく判らない出で立ちの少女だ。
——あれ、この
と、オルカは首を捻り、そして、ハッとなった。
「おい、バル。この
慌てて相棒を見やる。
バルムンクは小さく息を吐くと、静かに口を開いた。
「君はもう、やめたと聞いていたのだが、まだ続けていたんだな、〈ザ・ワールド〉を」
「はい……」
目を潤ませて彼を見ていたセイラは、喉を詰まらせながら小さく返事した。
「仲間——友達は、もう出来たのか?」
「あ、はい。ミミルと——」
と、セイラが言い掛けた時だった。
新たに誰かが転送して来た。
オルカと同じバーバリアンタイプの剣士と、アマゾネスタイプの重剣士の少女である。
「ブラックローズ!?」
重剣士の少女に目を留め、今度はバルムンクだけじゃなくオルカまで驚いた。
カイトの仲間の一人である彼女は、受験でもう来年の四月までログインは無理そうだと聞いていたのだ。それがこんな初心者サーバーのマク・アヌに現れるとは。
だが、驚いたのは向こうも同じだった。
「えぇっ!? この二人ってもしかして——」
「蒼天のバルムンクに蒼海のオルカ……」
目を見開き、少女と一緒に現れた壮年の巨漢の剣士も呆然と呟く。
重剣士の少女の反応に、オルカとバルムンクは途惑ったように、こっそり
『ブラックローズじゃないのか?』
『似てるが、グラフィックの色が違うようだ』
つまり、別人だという事だ。
「あの、ミミルを知っているんですか?」
「いや、知り合いのPCによく似ていたので、ちょっと驚いただけだ」
ボイスチャットのモードをウィスパーからトークに戻し、バルムンクは応えた。
「この二人が君の?」
「はい、ミミルとベアさん。とてもよくしてくれたんです」
嬉しそうにセイラは二人を紹介した。
「一応、この場合、初めましてと言うべきかな」
ペコリと頭を下げた後、もの珍しそうに有名人の二人を眺める重剣士の少女を
バルムンクが微かに眉を
興味を引くことに成功したベアは、その
「随分前だが、あんたとは一度会ったことがあるんだ」
『実はセイラの事で、ずっとあんたと話しがしたいと思っていた』
にこやかにトークモードで言った後で、バルムンクだけにベアは囁いた。
更に額に皺を寄せ、彼は相棒と同じ巨漢の剣士に囁き返した。
『彼女の?』
『そうだ』
そうベアが返事を返し、その理由を言おうとした矢先、
「あーっ、いたっ!」
ギクッとして振り返ると、マク・アヌのシンボルであるアーチを渡って戻って来た水色の重槍使いの少女が、固まったように立ち尽くしていた。
折角超有名人とお近づきになったのだ。しかも一方はモロ好みの美形とあれば、その機会を逃すテはない。更に親睦を深めてメンバーアドレスをゲットするまで諦める訳にはいかないと、彼女等は手分けしてずっと捜していたようだ。
今重槍使いの少女が立ち尽くしているように見えるのは、きっと他のルートタウンを捜している仲間に、見つけたとのメールでも送っているに違いない。
「あちゃー。マズイぜ、こりゃ」
さっさと転送せずにこんな所で話し込んでいたのが悪かった。
今すぐ逃げないと、もうすぐここに他の二人もやって来る。
どうするとオルカが相棒に視線を向けると、バルムンクは思案げに半裸の剣士を見た。
逃げるにしても、まだこの男との話は終わっていない。
「——仕方ない。場所を移そう」
「どこか良さそうなトコ知ってんの?」
「ああ、付いて来てくれ」
重剣士の少女に応えて三人にその場所を教えると、こっちに向かって来る重槍使いの少女と新たに二つ転送して来るPCの金の輪を
前回まで立て続けに投稿していたら、後から修正箇所がボロボロと出て来てしまいました。
なので、これからは後からあまり修正しなくていいようにと思っていたら遅くなりました。
まあ、今回は仕事が大挙して押し寄せてきて忙しかったというのもありますが……
そして、それでも誤字脱字の見落としは出たりして。トホホ……