そこは、大地から切り離された場所だった。
何段にもこんもりと盛った土の先端を細く尖らせたような、変わった形の建物を乗せた幾つもの巨大な半球の土台が、それぞれ蜘蛛の巣状に張り巡らされた細長い架け橋によって連なっている。そこには冒険に出るのに必要な施設を中心に、一つの街を形作っていた。
そしてそれは、全ての土台や建物に装飾のようにペイントされた〈
上級レベルのプレイヤーが
今はもう滅亡して久しいエルフ族によって建造されたと云われ、その当時の名残として街のあちこちに重厚な砲台が備え付けられたままになっていた。
そのルートタウンの一角にあるカオスゲートの傍らに、金に輝く光の帯の輪と共にバルムンクは姿を現わした。
上空の風にたなびいて時折視界を
先日
今までにないモンスターの仕様、特にボスモンスターについては賛否が分かれて何時までも論じられていた。何処までツリーが伸びるのかと危ぶんだくらいである。
その中で一番の話題をさらったのは、M V Pを獲得した蒼天のバルムンクで、それだけで別のスレッドが立った程だ。
『流石フィアナの末裔、凄くカッコ良かった』『あんな戦い方、自分にはとても真似できない』といった惜しみない賞賛を送る者もあれば、『羽根さえあれば自分も出来た』『あれはズルい』などなどやっかみや非難する声も多数あった。
が、それは何時もの事なので、彼は気にしなかった。
あの時、自分は自分に出来る最善の事をした。だから、誰に何を言われようと別に構わなかった。
バルムンクは視線を目の前にある架け橋に向けると、エリアに出る前に持ち物の整理をしようと妖精のあずかり屋に足を運んだ。
まず記録屋のある浮島に出て、その右手にある別の架け橋を渡ってあずかり屋に行き、取り敢えずエリアに出るのに必要ない持ち物をそこへ預ける。
そしてカオスゲートに戻ろうと
——あれは……
見覚えのある三人組を、バルムンクは目を
千切れ飛ぶ雲に霞む先に見えた三人は、その先にあるプチグソ屋の浮島に向かっていた。
そこには広い牧場があるだけで、その中には人の良さそうな顔をしたでっぷりと太った牧場主——
が、重剣士と呪紋使いはそれに目もくれず、その牧場の粗末な建物の陰に踊り子を連れて行った。
「あの、話って、なんですか?」
牧場の建物を背に、警戒するように目の前の男達を見やって踊り子は尋ねた。
呆れたような表情をして重剣士の男が応える。
「まさか、あのままハイお
「そうだぜ、折角俺らが協力してやろうってのに、あれはちょっとヒドイんじゃない?」
呪紋使いの男も目を細め、非難するように踊り子を見る。
二人に射竦められ、踊り子はビクっと肩を震わせた。
「それは……あの…、もういいんです。……だから——」
「だから、それはないって言ってんだよっ、俺らは」
しどろもどろに返す踊り子の言葉を、苛立たしげに重剣士が遮る。
「人にあれだけ恥かかせておいて、何の謝罪もナシで済むと思ってんのかっ」
「ご、ごめんなさい……」
「ゴメンで済むなら、わざわざ呼び出さないって」
「じゃあ……どうすれば、許して貰えますか?」
二人の顔を窺うように、おずおずと踊り子が訊く。
チラリと重剣士と呪紋使いは視線を交わし合い、そして、ニンマリと笑って言った。
「この間の続き、しよ」
「えっ!?」
驚きの声を上げ、踊り子はその場に固まった。
「何驚いてんの」
当たり前だと言わんばかりの口振りで返し、呪紋使いの男は茫然とする彼女の手を掴んで自分の方に引っ張った。
「い、いやっ」
全身を総毛立たせるような悲鳴を上げ、踊り子は抵抗する。
が、がっちりと掴まれて振り解く事が出来ない。非力な呪紋使いとは思えない程の力だ。
「そんなに嫌がらなくて、協力してやるんだからさぁ」
「そうそう、別に本当に触るわけじゃないんだし」
と、重剣士と呪紋使いは必死になって抵抗する踊り子に、揶揄するように言葉を投げかける。
そこへ凛とした声が割り込んで来た。
「そこまでだ」
ギョッとして二人の男が振り返った先に、羽根を持つ剣士の姿があった。
「彼女から手を放せ」
「な、何言ってんだよ」
「そ、そうだぞ。元はと言えば、この女が誘ったんだぞ」
侮蔑の色も露わに睨み付けるバルムンクにたじろぎながらも、男達は自分達の正当性を主張した。
「この間もそうだけど、あんたに口出しされる
「引っ込んでろよ」
「そうはいかない」
冷然とバルムンクは言葉を返した。
「どのような事情であれ、嫌がる女性に無理強いする貴様等に、正当性があるとは思えん」
「な、なにを……」
「聞けないと言うのなら——」
スラリとバルムンクは佩剣を抜き放った。
「力づくでいく」
「うっ……」
重剣士と呪紋使いは言葉に詰まった。
二人の脳裡に、先日のイベントで単身勇猛果敢にボスモンスターに挑んで行った、この剣士の姿が蘇る。
彼等もあのイベントに参加し、桟橋の上で手も足も出ずに彼の雄姿を眺めていたのだ。
「二人一緒でも、別に俺はかまわん」
「くっ……」
悔しげに
「君は、まだあんな奴らと付き合っていたのか?」
剣を鞘に収めながら、バルムンクはホッと安堵の息をつく踊り子に声を掛ける。
その声は非難がましい響きがあった。
「いえ、あの……あれから毎日メールがたくさん来て、とにかく一度会ってくれれば、もうメールしないからって言われて……」
「メールなら、着信拒否すればいいだろう」
「そんな事、できるんですか?」
当たり前の様に言われ、彼女は驚きの声を上げた。
どうやら知らなかったらしい。こんなのは常識だというのに。
バルムンクは頭が痛くなって来るのを感じながら、気になっていた事を口にした。
「ああ。だがそれよりも、まずは事情を説明してもらおう」
見過ごせずに咄嗟に手を出してしまったが、さっきの彼らの言葉からして、どうも彼女の方にも非があるようだ。もしそうなら、今後の対応も違って来る。
「あいつらとの間に、一体何があったんだ?」
「それは……その……」
と、言った切り、踊り子は沈黙した。
時折辺りを窺うように視線を動かし、そして逡巡するように言い掛けては言葉にならずに吐息を漏らす。その繰り返しである。
どうやらここで話す事に
「人に聞かれたくないのであれば、ささやきモードで話せばいい」
「ささやきモード?」
「ウィスパーモードだ」
〈ザ・ワールド〉のボイスチャットには、一定の距離内にいるプレイヤー全員に聞こえる通常のトークモードの他に、「パーティ」と「ウィスパー」の二種類のモードがある。前者は組んだパーティ内だけのチャットで、後者は特定のプレイヤーと二人だけで
「あ…はいっ」
説明されて、踊り子は慌てて返事を返すと、そのまま固まったように動かなくなった。
そのまま数分過ぎる。
「まだなのか?」
待ちくたびれて、バルムンクは声を掛けた。
「は、はいっ。あの……説明書……専門用語がよく解らなくて……」
踊り子のプレイヤーは跳び上がらんばかりに返事をした後で、消え入りそうな声で応えた。
どうやらずっと、どうやって切り替えればいいか、薄くはない説明書を開いてそのやり方を探していたらしい。
こういうモードの切り替え操作は、普通一ケ月半もプレイしていれば、説明書を読まなくとも何となく自然と覚えるものなのだが。
こめかみを押さえたくなるのを堪え、バルムンクは深く嘆息しながらボイスチャットのモードの切り替え操作を教えてやった。
やっとモードの切り替えを終え、踊り子のプレイヤーは誰にも言わないで欲しいんですと、前置きしてから
『私、このPCを使って、新製品の為のデータ集めのバイトをやっているんです』
『新製品?』
彼女と会話のモードを同じにしてバルムンクが訊く。
『ええ』と答えた後で、こくりと踊り子は頷いた。
『この〈ザ・ワールド〉に、もっとリアルな触感を再現させる為に』
現実と錯覚しそうな美しいグラフィックを誇る〈ザ・ワールド〉は、専用のF M Dを使う事で人間の五感の内、視覚と聴覚を完全にカバーしていた。
しかし、それ以外の臭覚、味覚、触覚に関してはおざなりにされていた。と言うより、現段階でそれらをゲーム内に取り入れるのはかなり難しい。特に臭覚、味覚においてはクリアすべき問題が多過ぎで不可能と言っていいだろう。
触覚——触感にしてもそれは同様だと思うが、出来ない事はない。その最も簡単な方法はPCの体に対応するスーツを着込み、それにPCが感じている部位と同じ体の箇所に、そういった刺激を送って体感させるというものだが、ゲームをする度にそんな物を着るなど面倒なだけだ。
そこで次に考案されたのが、脳に直接その刺激を送って錯覚させるというものだ。そもそも寒い、熱いといった感覚は、体が感じ取った刺激が脳に送られる事によってはじめて感じる。ならば、そのシステムを専用のF M Dに組み込む事で、新たに触覚をゲームの中に再現しようと考えたのだ。
とはいえ、痛覚などをリアルに再現すると、ゲームのメインである戦闘などはとてもできなくなってしまう。それで今回はそういった耐え難い刺激は除外した上での触覚の再現を目指しての開発だった。
それにはまず刺激によって脳の何処に反応があるか、様々なテストを繰り返して多くのデータを集める必要があった。
彼女がやっていたのはその開発に必要なデータ集めだった。
『最初の肌で風を感じたり、水の冷たさや火の暖かさ。そういったものは上手くデータを取る事は出来たんです』
そう、そこまでは順調だった。問題なのは対象がPC、つまりプレイヤーであった場合だった。
〈ザ・ワールド〉がM M O R P Gである以上、他のプレイヤーと関わらないではいられない。その場合体を触れられたりすることも当然あるだろう。
そういった場合を想定してのデータ取りは、今までと同じ脳波を観測する為の電極が取り付けられたフードを被り、PC対応のボディスーツを着込んで行った。現実の体にPCの体で接触した箇所と同じ所にその刺激を送り、脳の反応を見たのだ。
同じバイト仲間と実際ゲームの中に入ってやっていた時はまだ良かったが、もっと多くのデータを取る為に、知らないプレイヤーとの接触に関するデータだけは上手くいかなかった。相手に対する好悪の感情による揺らぎが出てしまい、脳の反応が一定でなくなったのである。
そこで、更にデータを集めることになったのだが——
『……あの人達も、最初はとても親切でいい人達だったんです。でも、この話をすると、誰もがみんな協力してやるんだから、実際触れる訳じゃないからいいだろうって、いやらしい所ばかり触ろうとするんです』
そう言った踊り子の口調は、嫌悪より信じていたのに裏切られた哀しみが滲み出ていた。
バルムンクは同じ男として、あいつらの卑劣さに激しい憤りを覚えながら、一つ提案してみた。
『それなら、女性プレイヤーに頼めばいいだろう』
『そのデータはもうあるんです』
女性プレイヤーでも好感を持った人とそうではない人、そして、男性プレイヤーでも嫌悪を持った人が触れた時のデータなら腐る程ある。後は好感を持った男性プレイヤーに触れられた時のデータだけなのだ。
『……このままだと、私バイト代が貰えなくなるんです』
『いくらなんだ?』
『バイト代の代わりに、このPCと、パソコンとかこのゲームをするのに必要なもの一式です』
『パソコンも持ってないのか?』
バルムンクは驚いた。一人一台のこのご時世にパソコンを持っていないとは。それに専用のF M Dや他のものにしても、それ程高価というわけではないのに。
『この間、使っていたパソコンが壊れてしまって。仕送りして貰っているから、余分なお金は無いし、このゲームも初めてだから、わざわざ買い揃えなくてもいいと思って……』
勿論本来のバイト代は現金なのだが、彼女がパソコンを壊したのを知ったバイト先の人が、バイト代それにしようかと冗談で言ったのを彼女は真に受けたらしい。バイト代を貰って新しいのを買って最初から使い方を覚えるよりも手間が省けていいからと。
もっとも貰えなくなるのはパソコンなどの現物だけで、現金はちゃんと払って貰える。けれど彼女にとって、欲しいのは現金の方ではなかったのだ。
そう答えた後、踊り子はふっと淋しそうに言葉を継いだ。
『私、この春上京して来たばかりで、友達が殆どいないんです。でも、このネットゲームをすると友達がたくさん出来るって話を聞いて、雑誌にこのバイトが載っていたのを見て、それで……。
だけど、他の人はもうデータ取り終わってしまって、残っているのは私一人なんです。後少しだからって、無理言って期間を延ばして貰っているけれど、それももう……」
そこで彼女は声を詰まらせ沈黙した。
これ以上の期間延長は望めないのだろう。この二カ月近くもロクにこの世界で遊ばないで嫌な思いをしてまで頑張って来たのに、期限切れでこのPCが使えなくなってしまうのは気の毒だ。
彼は相棒のオルカと違って、自分から進んで人と関わるタイプではないが、そんな事情を聞いてしまった以上、ここで放り出すのは流石に寝覚めが悪い。
『……後、期間はどのくらい残っているんだ?』
『五日です』
『五日か……』
ポツリと呟き、バルムンクは思案した。
オルカやカイトなら、そんな不埒な真似は決してしない。頼めば引き受けてくれるだろう。だが、オルカの方は期末テストで当分ログインは望めない。カイトは早く終わった筈だと思い、試しに呼び出してみたが、不在らしく連絡が取れなかった。
——また後で連絡してみるとして、他に誰か良さそうな奴は……
と、考え込むバルムンクに、踊り子が声を掛けて来た。
『あの、一人だけ、協力してくれそうな人がいるんですけど……』
『心当たりがあるのか?』
いるならそれに越したことはない。
『はい。でも、こんな頼み引き受けてくれるかどうか……』
心許無さそうに踊り子が言う。
『判った、俺に任せろ』
彼女を安心させるように、バルムンクは力強く請け合った。
『交渉事はあまり得意ではないが、一緒に行ってその男を説得してやろう』
『本当ですか?』
『ああ』
二言はないと、バルムンクは大きく頷いた。