暮れなずむ中世ヨーロッパ風の街並みに、しっとりとしたBGMが流れる。
尖塔に鐘楼のある建物の石畳の中庭に面して、回廊が囲む様に続いていた。
その中庭の中央にあるカオスゲートの前に、〈
壮年のバーバリアンタイプの剣士の男に、歳若いアマゾネスタイプの重剣士——ベアとミミルである。
「よお」
「あ、おっさん」
声を掛けられ、ミミルは慌てて振り返った。
腰に左手を当て、右手を軽く上げてベアが訊く。
「今来たとこか?」
「そっちは?」
「同じく」
「セイラ、待ってるかな?」
一通り夏のイベントに参加し終わった辺りから、彼女は独りで何かやっているらしく、最近あまり一緒にエリア回りをしなくなっていた。
そんなセイラが、昨夜「見せたいものがあるから」と二人に時間と場所を指定したメールを送ってきたのだ。
「大丈夫だろ。行くか?」
「うん」
と、二人はくるくると回転し続けるカオスゲートの前で、ワード生成表を開いた。
そこからA、B、Cの順にパート別にワードを選んでいく。
そして、二人はマク・アヌのカオスゲートの前から姿を消し、組み合わせたワードのエリアへと転送した。
そこは他のエリアとは違い、底に僅かな水を湛えたクレーターの様な窪地の中に、厳かな雰囲気を醸し出すゴシック建築様式風の石造りの聖堂が建っているだけだった。
その前から岸に伸びる石橋は途中で崩れ落ち、そこ以外は何処にも行けず、モンスターもイベントも何もない。本来なら聞こえる筈のBGMもここにはなく、ただ静寂だけがこの場を支配していた。
その中を、石橋の端に転送されたミミルとベアは、石畳の上に硬質な足音を響かせて傾く太陽の光を反射して淡く輝く雲を背景にして建つ聖堂へと向かった。
コの字に建てられた聖堂の正面にある短い階段を上がると、半開きになった入り口の重厚な扉の隙間から、パイプオルガンの
そこから中に立ち入ると、両脇の側廊の脇に立ち並ぶ柱のそれぞれの上部から天井に向けて対角線上に枝分かれした石の
大理石の床は白と焦げ茶、そして赤茶色を基調とした大小の正方形を重ね合わせた図形が、放射線状に伸びる帯の上に左右対称に組み合わされて描かれ、天井が映るほどによく磨かれていた。
その中央の身廊の両脇には木製の長椅子が整然と並び、天井から吊り下げられた振り子が四つ、規則正しく時を刻む様に永遠に揺れ動いている。
そして、その最奥にある内陣の祭壇前には柵が置かれてそれ以上先には入れなかった。祭壇の背後には半円のドーム状の張り出し部全体に日輪をモチーフにした装飾枠が嵌められた大窓あり、唯一入り込む夕日の光が荘厳な内部を淡く照らしていた。
カツーンと、パイプオルガンのBGMの間をぬって足音が響き渡る。
その音に、最前列の長椅子に座っていた桜色の髪をした踊り子が、弾かれるように立ち上がり、くるりと後ろを振り返った。
「ミミル、ベアさんっ」
嬉しそうに柔らかな笑みを浮かべ、セイラは二人を出迎えた。
彼らとパーティを組むようになって、彼女の表情は明るくなり、以前の様な憂いの色はもはや何処にも見えない。
「ゴメン、待った?」
「ううん、きっと来てくれるって思ってたから」
幾ら待っても苦にはならない。
「で、見せたいものとは?」
ベアが訊いた。
「その前に、ここに座って」
と、セイラは自分が座っていた長椅子に二人を座らせ、自分は一人内陣の柵の前に立った。
両手を広げて片膝を曲げ、二人に向かって深々とお辞儀をする。
そして——
タンッと、床を蹴る音が広い聖堂の中に響き渡った。
軽やかにステップを踏みながら、セイラは優雅に
「っ!?」
ミミルとベアは目を見開き、呆然とその動きを凝視した。
セイラが連続してみせるモーションは、誰がどう見ても「舞踊」としか言えない代物だったのだ。しかも、一つ一つの動きは流れるように自然で華があった。
モーションコマンドをどう組み合わせて打てば、PCにこんな動きをさせられるのか、現実で言うなれば、まさしくプロのダンサーの踊りと言っても差し支えないくらいの見事なものだった。
「どう……かしら?」
踊り終わったセイラが、座ったまま何の反応も示さない二人に、ちょっと心配そうに小首を傾げながら訊いた。
「今の動き、踊りを踊ってる風に見えたかしら?」
「『見えた』なんてもんじゃないよ」
立ち上がり、興奮してミミルが言う。
「すっごいじゃん、セイラ。どうやったらそんな風にPC動かせんの?」
「色んな踊りの動画を見て、その動きをさせるのに良さそうなモーションコマンドを選んで順番に書き出したの」
それを見ながら何度も動かしてみて更に修正を加え、最後に動きが途切れないようにコマンドを打つ練習を繰り返したのだ。
「へぇ、でも、それって、なんかめんどくない?」
よく使うモーションはショートカット登録などして簡単に出せるようにすることはできるが、これだけの数のモーション全ては流石にできないだろう。それなのに書き出した表を見ながらコマンドを打つなんて、自分には絶対に無理だ。
「大丈夫、私キーボードを見なくても正確に打てるから」
「ほぉ、ひょっとしてタイピストの資格でも持っているのか?」
「ええ」
ベアの問いに、セイラはにっこりと微笑んだ。
成程、タイプが得意ならキーボードもお手のものだろう。それなら連続してモーションを出せるかもしれない。
「しかし、なんだな」
ベアは胸元で組んでいた片手を顎に持っていき、しみじみと呟いた。
「それだけの『踊り』、俺達だけ堪能して終わりってのは、ちょっと勿体ない気がするがな」
「ホント、これだけ上手いんだもん。今度マク・アヌ辺りで踊ったら?」
「そんなっ、人前で踊るなんて……」
ミミルの提案に、セイラは
「でもさ、踊り子って、人に踊りを見せるのが商売じゃない」
尻込みする桜色の髪の双剣士に、ミミルはずいっと詰め寄った。
「だいじょーぶ。これなら誰が見たって拍手喝采間違いなしだって」
「で、でも……」
幾ら保証されても、大勢の知らない人の前で踊る度胸は流石にない。
「まあま、いきなり大衆の前ってのは、やっぱりなんだろう」
性急な重剣士の少女を、ベアはやんわりと制した。
「そうだな…、ここはひとつ、俺達の知り合いに見て貰うってのはどうだ?」
「ベア…さん達の?」
「そうだ。そう多くは呼ばんよ。精々二、三人ってとこだ」
「……それなら、なんとか……」
「じゃ、それで決まりってコトで」
誰呼ぼっかなぁと、早速ミミルは持っているメンバーアドレスを吟味し始めた。
それを横目で見やり、ふっとベアは微苦笑すると、踊り子の双剣士に視線を向ける。
「場所はここで、日時はこっちで決めていいか?」
「はい」
「じゃあ、決まったら連絡する」
そう言って、ベアは二人を残してゲートアウトした。
⁑ ⁑ ⁑
静謐な空気を彩るパイプオルガンの音色を破り、大理石の床を踏み締める足音が薄暗い聖堂の中に響き渡った。
人待ち顔で最前列の長椅子に頬杖ついて座っていた壮年の剣士は、ハッとした様に
薄暗がりの中律動的な足音が、天井からぶら下がって揺れる振り子の揺れに合わせるように響いて近づいて来る。
それにつれ後陣の壁一面に広がる窓から
長い金の髪を腰までたらし、翡翠の瞳に鼻筋の通った整った顔立ちをした、大人の色香を漂わせた女呪紋使いである。
額に金の幅広の
彼女が手に持つ、先端が二股に分かれた中央に緑柱石の珠が付いている杖は、ちょっと他の物と意匠が違って珍しく、結構レアな部類に入る逸品だ。
「よお、BT。久しぶりだな」
最近アクセスしてないようだがから、留守電にメッセージを入れて正解だったようだ。
ベアは片手を挙げて、親しげに挨拶する。
が、女呪紋使いは、彼の前に立つと片手を腰に当て、目を細めて冷ややかに半裸の剣士を見下ろした。
「いきなり呼びつけて、一体何の用だ」
不機嫌極まりない。
「まあ、そう言うな。面白いものを見せてやろうと思ってな」
「面白いもの? ここでか?」
すっとBTは柳眉を寄せた。
このエリアは「何もない、何も起こらない」ことで有名な場所だ。こんな所で一体何を見せようというのか。
「ああ、それはもうちょっと後でな」
軽く受け流し、ベアは尋ねた。
「ところで、クリムはどうした? 連絡はしてくれたんだろ」
「海外出張だと。当分は戻らんとさ」
「そうか……」
「何か、あったのか?」
「ちょっとな」
怪訝そうに窺う女呪紋使いに軽く言葉を返し、ベアは視線を足許に落とし黙り込んだ。
軽く肩を竦め、BTはぐるりと聖堂の中を見回してから、また黙然と座る壮年の剣士に視線を止め、そして、ポツリと訊いた。
「——司は、今どうしている?」
かつて互いに関わりのあったPCの名を出した。
司のプレイヤーは今、ベアの援助で全寮制の学校に通っていた。
「ん? ああ、元気でやってるようだ」
「今日は来ないのか?」
「寮でネットゲームは禁止されてるからな。それに大分落ち着いたとはいえ、まだリアルの事で手一杯ってとこだ。漸く向こうで友達も出来たみたいだしな」
そう言うベアの口調は穏やかで、何処となく安堵するような響きがあった。
「成程、ここには戻って来んか」
「人それぞれだ」
遠い目をし、ポツリとベアは呟いた。