END OF HOPE:21xx - Last Call 作:久遠 -kuon-
『関わらないでくれ』
これ以上の表現はないというほどの、端的で、明確な拒絶──
(……やっぱりルイは、そう言うと思った)
予感していた通りの言葉が、無情にも私に突きつけられた。覚悟はしていた。だから、痛くない。
──痛くない、と思うことにした。
違う。これは、拒絶なんかじゃない。
ルイは、私のことが嫌いになったわけじゃない。ちゃんとわかってる。きっと、何かとても怖いことがあって。私を巻き込みたくなくて。それだけ。だから、これは"拒絶"じゃなくて──"優しさ"だ。
ルイは、「できない」を言わない人だ。
誰にも見えないところに隠れて、できるようになるまで、一人でずっと練習している。人に聞いて、聞いたことすら誰にも言わずに、いつの間にかできるようになっている。
できない自分を見せるのは、カッコ悪い。誰かに迷惑をかける。
そうやって、不器用な顔を誰も見ていないところに置いてきて、繕った顔だけを連れて、大人たちの輪の中に戻ってくる人だって、私は知っている。何度も、見てきたから。
だから今も、きっとそう。
本当は、何かに困っている。何かが、できなくなっている。
それを誰にも見せたくなくて、一番隠したい相手の前で、精一杯、拒絶のふりをしているだけ。
──そうに違いない。
そう決めた瞬間、胸の奥の重さが、少しだけ軽くなった気がした。
私には、ルイのすべてを理解することはできない。
ルイが生きてきた世界と、私が生きてきた世界は、まるで別の世界のように違うものなんだから。
──私の世界には、いつも誰かがいた。
死んでしまったあの日まで、男手一つで私を守り続けてくれたお父さん。
お父さんがいなくなってからも、寂しいと思うことはあっても、ひとりぼっちだと思ったことはなかった。
前哨基地で出会った"みんな"。同じ立場だった、かつての仲間たち。誰かが痛い実験の後に泣いていれば、隣に座って背中をさすった。自分が辛い時は、逆に誰かが黙って隣にいてくれた。言葉なんてなくても、それだけで十分だった。
──あそこは、辛い場所だった。それでも、思い出すときはいつも、温かい記憶の方が先に出てくる。
都合が良すぎるのかもしれない、と考えたことはあるけれど、深くは考えないようにしている。
もしルイが"あの場所"から私を救ってくれなかった世界があったとしても、きっと、あの場所で出会ったみんなと一緒に支え合いながら、毎日を乗り越えているんだろうと思う。
それか、みんなで手を繋いで、土の中か、水の底か。どちらだったとしても、一人よりずっと良かった。
助け出してくれた今は、ルイがいる。
珠桜さんも、律灯さんも。澄幽のみんながいる。
だから、私は。一瞬たりとも、この終末の世界でひとりぼっちだと思ったことはない。
けれど、ルイの世界は、私のそれとは違うんだと思う。
両親のことを、知らないと言っていた。
かつて澄幽には多くの人がいたけれど、ルイは年齢が離れていたこともあり、周囲と深く関わることはなかったと話していた。会話の中で、きっとルイは、何重にも壁を作っていたと思う。
誰も、彼の世界にはいない。誰も入れないし、入らせない。
誰もいない、ひとりぼっちの、暗い世界。
それがどんなものなのか、私にはわからない。
わからないから──考えないことにする。考えたら、きっと足がすくんでしまうから。
それでも、ルイなら、その暗い世界でだって、平気な顔をしていられるのかもしれない。
ずっとそうやって、誰の手も借りずに、一人で歩いてきたんだから。
──そう、思っていたのに。
今、目の前にいるのは、座り込んで、俯いて、肩を震わせているルイだった。
平気なんかじゃない。
"今、これ"だけは、一人で抱えきれるはずがないんだと、彼の震える背中が、何よりも先に教えてくる。その事実を突きつけられて、胸が張り裂けそうになる。
誰の手も借りずに生きることが、正しいことなんて思えない。
ひとりで耐えることが強さだなんて、そんなの間違ってる。──間違っている、と決めてしまえば。私がここにいることは、正しいことになる。
弱い私が、何も知らないままの私が、ルイを救おうなんて思っていること自体、傲慢なのかもしれない。彼の背負う痛みも、過去も、すべて知らないのに。
でも、それでも──ルイが、これ以上ひとりで傷つくのは嫌だった。もう、誰にも頼らずに壊れていく彼を、見ていたくなかった。
見ていたくない、なら。
見えなくすればいい。
彼が壊れていく現実そのものを、私が壊せばいい。
私はただ、ルイの隣にいたい。
何もできなくても、手を伸ばしていたい。
──それだけじゃ、ダメなのかな。
ダメだとしても。
ダメだと決めてしまったら、動けなくなる。
だから、ダメじゃない、ということにする。
シアはふと顔を上げた。
洞窟の奥から立ち込める重い闇が、まるで息を潜めているかのように空間を包み込んでいた。天井にひっそりと張り付いたその闇は、呼吸を忘れたように静かで、空気そのものが澱んでいる。
それでも、シアの瞳はその闇に飲まれることなく、どこまでも澄んでいて、消えない光を宿していた。
迷いと躊躇い、ほんの一瞬の恐れを胸に感じながらも、シアは踏み出した。湿った石の床に足を置くたびに、わずかな音が静かな空間に響く。
その音に反応するように、ルイが微かに肩を揺らした。長い前髪の隙間から覗く、普段は鮮やかで柔らかい緑の瞳が、今は濁り、歪んでみえた。それは、強い拒絶の感情が宿っているようにシアには思えた。まるで、立ち入るなと言わんばかりに、感情の扉が固く閉ざされているのが見て取れる。
拒絶。その言葉が頭に浮かんだ瞬間、シアはそれを、そっと脇へ置いた。
──拒絶じゃない。助けを求める、不器用な合図だ。
シアは止まらなかった。
ルイの目が瞬間的に強張り、思わず身を引こうとする気配が伝わってきた。その微細な動きが、シアの心に刺さる。
だが、ルイが思わず身を引こうとしたその瞬間、シアはわずかな躊躇もなく、前に出た。今、シアの手がルイに伸びていく。
「……んーっしょ!!」
シアの声が洞窟の静けさを破った。何の前触れもなく、彼女はルイの腕をがしっと掴んだ。その華奢な指が、震えながらも力強くルイを引き寄せる。全身に込めた想いが、その震えに乗って伝わってきた。
「はっ!? ちょ……シア!?」
驚愕の声を上げるルイが、まるで信じられないものを見るように目を見開く。
そんなルイの反応をよそに、シアは一切躊躇わなかった。今の彼女には、『目の前にいる、大切な彼を失いたくない』というただその想いしか、頭にない。
──失いたくない、というより、手放さない。
失うという可能性は、初めから彼女の中に存在していなかった。
踏みしめた足に力が宿る。足元の岩が軋む音が、暗い空間に響き渡った。シアの腕に伝わるのは、ルイの重み、そしてその抵抗。けれど、そんなことには目もくれない。
拒まれても、振り払われても、それでも彼女は必死にルイを引き上げる。
抵抗は、事実として腕に伝わってくる。なのに、その意味だけが、するりと頭を素通りしていく。
ルイが本気で拒んでいる、という可能性を、シアは最後まで数えなかった。
「絶対、一人になんてさせないから!!」
震えるほどの決意を宿した叫び。その反響が、耳を打ち、心を揺さぶり、ルイの奥底まで突き刺さる。
何があっても、彼女の輝きは揺るがない。
どんなに深い闇の中にいても見えるように。彼女の光は消えずに、鮮烈に煌めいている。
──けれどそれは、闇が本当に晴れたからではなく。闇を、闇のまま見ないことに、彼女が誰より長けているからだった。
「一人で抱え込むなんて許さないし、どれだけ突き放されても、私はしがみつくもん!」
シアの手は離れない。ルイがどれほど抗おうとしても、彼女の指先は震えながらも強く、確かにルイを捉えていた。その手のひらに込められた力は、細くて華奢な体からは想像もできないほど強く、真剣だった。
その力強さに、ルイはほんの一瞬、動揺を覚えた。彼女の心からの想いが、痛いほど伝わってきて、胸が熱くなる。
「この世界は一人じゃ生きていけない! ルイに死んでほしくないから、私が側にいる!!」
──死んでほしくない。
その言葉を口にした瞬間、シアの頭の中では、"ルイが死ぬかもしれない未来"は、もう存在しないことになっていた。
自分がここにいる限り、それは起きない。起きてはいけない。だから、起きない。いつもそうやって、"都合の悪い未来から先に目を逸らしてきたように"。
濃密な闇を無理やりこじ開け、シアの持つ光が、冷え切った心の奥にまで差し込んでくる。
暖かい。眩しい。そして、何より──痛い。
(……違う。そんなの……)
ルイは歯を食いしばった。
シアは何も知らず、何もわかっていない。
ルイが背負っているものも、迫り来る運命も。無邪気に差し出した『側にいる』という言葉が、どれほど残酷で無力なものかも、シアにはわからない。
彼女がどれほど自分を大切に思ってくれているか、それを知っているからこそ、彼女にこんな思いをさせるわけにはいかない。
「……やめろ」
声が掠れ、ぎこちなく吐き出される。その言葉が、ルイ自身に呪いのように響く。
「俺に、関わるな。俺は、お前のこと……」
言葉が続かない。次を言うことすらできない。
苦しい。目の前の少女が眩しすぎて、触れようとするだけで胸が裂ける。"また"指先が焼けるようだった。
やめろ。お願いだから、もうやめてくれ。
心の中で叫んでも、シアの声が頭の中で反芻される。
これ以上、巻き込みたくないのに。
突き放したのに。
それなのに、彼女はなおも彼の前に立ち続けている。
(……ダメだ。その手をとっちゃ)
シアの手を引き寄せたくて、たまらない。だけど、そんなことをしたら、全てが壊れてしまう。
彼女を抱きしめたい、でもその先に待っている未来が怖くて。怖すぎて、どうしても受け入れられない。
その矛盾が胸を引き裂いていく。ルイは必死にシアの手を引き離そうとする。
震える手が自分の腕に力なく触れ、シアはもう一度叫んだ。
「ルイを守れるなら私、"犠牲"にだってなんでもなる……!」
迷いは、なかった。
シアの中では、もうそれで決まっていた。犠牲になれば、ルイは助かる。助かるなら、それでいい。
──その先で、自分がどうなるのか。
その問いだけが、いつものように、静かに置き去りにされたまま。